闇 486(横浜クレッシェンド編)
闇 486(横浜クレッシェンド編)

2026/02/17 tue
前回の章
二千二十年二月二十日、木曜日先負。
むしゃくしゃしながら小江戸号へ乗る。
苛立ちが納まらない。
チクショウー!
どいつもコイツも、俺が競馬買うのを飲むとか言いやがって。
今週フェブラリーステークス、絶対に当ててやるからな。
きっかけは些細な事からだった。
ルルが帰り、店内に残った客はサトウセイジ、高山の二人だけになる。
サトウセイジがまだ枠順発表前の出場馬を眺めながらゲームをしていた。
札を出してきたので俺がINに行くと「うーん…、何が来ますかねー」と聞かれる。
携帯電話の画面を見ながら、長考した。

今週今年初のGⅠフェブラリーステークスが開催される。
考えてみればこのレース、過去一度も当てた事がない。
調教のタイム次第だけど、ワンダーリーデルあるかもね。
あと注意してるのがブルドッグボス。
気になった馬名を挙げていると、横から店長の橋本が口を挟んできた。
「サトウさん、赤崎さんに予想なんて聞いても、どうせ当たらないから無駄ですよ」
「え、赤崎さんって競馬詳しいんじゃないんですか?」
「いつもほぼ外していますよ」
確かに俺は競馬が下手糞だ。
しかし去年の有馬記念だってズバリ当てている。
途中で高山が会話に参加してきた。
「じゃあ赤崎君の予想した馬は買わなければ、勝つという事じゃん」
「ええ、だから自分は最近どの馬を軸にするか聞いて、その馬だけは外して買うようにしているから、そこそこ自分は調子いいですよ、競馬」
笑いながら返す橋本。
この野郎…、そこまで俺の予想を馬鹿にしていたのか。
負けはしているものの、勝つ時は神懸かり的な当てかたなのだ。
それに気持ちよく当てた時は、ちゃんと橋本たちへ鰻だってご馳走している。
「でもそれなら赤崎君の買う馬券を飲むのが、一番勝率高いんじゃないの?」
「あ、そうですね! 赤崎さん、今週自分が馬券買いに行ってくるから金だけ渡しといて下さいよ」
「タバコ吸ってきます……」
自分の競馬ネタで笑い話にされるのは、もの凄い屈辱だった。
橋本の奴、何をあそこまで図に乗ってんだ?
普段面倒な客だとだんまりで、こういう時だけ偉そうに話しやがって。
セブンスターに火をつけようとするが、ガス切れで何度カチカチやっても火がつかない。
乱暴にライターをゴミ箱へ投げ捨てる。
「おい、山下。ライター貸して」
「あ、岩上さん。予想決まったら、自分が馬券買いに行ってきますよ」
山下の台詞にドッと沸く店内。
このゴミ野郎まで俺を見下してんのか?
お笑い芸人じゃねえんだから、四十八にもなって弄られてネタにされ、笑ってるほど人間できてねえんだよ。
目の前のライターを奪い取り、タバコを吸うと無視してちかへのLINEの返事を打ち出した。
小江戸号は本川越駅に到着する。
俺は愚痴をこぼしにヤスのカガヤカフェへ向かった。
どうしょうもない男のクソみたいなルーティン。
二千二十年二月二十二日、土曜日大安。
慌ただしいラッキーハウス。
今日を乗り切れば明日は横浜だ。
サトウセイジが「赤崎さん、フェブラリーステークス決まりました?」と笑いながら聞いてくる。
「まだ予想中です」
「えー、教えて下さいよー」
「予想中です」
ポーカーフェイスに撤し淡々と業務をこなす。
大人しくポーカー黙って打ってろ、メガネめ。
一服休憩でタバコを吸っていると、清原が薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる。
この男がこういう時はだいたい言う事が決まっているので、気付かないふりをして携帯電話を眺めた。
「店長、五万貸して下さいよー」
「嫌です」
「三万でいいから」
「嫌です。本当の店長に頼んで下さい。俺は店長じゃないですから」
こんなおぞましい空間で働くぐらいなら、もっとちゃんと金を貯めて別の仕事を選べばよかった。
目の前にいる店内のゴミ集団。
いや、ルルだけは別だ。
彼女と二人で逃避行したい気分だ。
そう考えると先立つものは金。
確かにみんなから小馬鹿にされるほど、競馬へ金突っ込んでいるよな……。
今年に入って三十一万負け。
二月もまだあと一週間以上あるのに。
プロレスも駄目。
ピアノは弾かなくなった。
整体も辞めた。
絵も描かなくなった。
小説すら書いていない。
総合格闘技で戦えば負け。
料理も作らなくなった。
競馬も負け続き……。
人から借金してまでやらないだけで、そのぐらいしか利点ないんじゃないのか、俺?
何か夢も希望も、気付けば何も持てなくなってしまったな。
しょうがない。
リングの上に立ちたいと思って必死に身体を鍛えた。
でも待っていたのは汚い世界だった。
小説を書き始め、絶対に世に出すと誓った。
文学賞を取れ、本にしたまでは良かったのだ。
だが印税など入らず、裏稼業へ生活苦から戻るきっかけとなってしまった。
無駄に年だけ取り、その間様々な人間から利用され、騙され、金を失った。
今では真面目に働いているつもりが嘲笑の的。
本当に人間としての価値など、俺にあるのか?
九州のひろみからメッセージが届く。
クソ、こんな時にしつこいなあ……。
中身を読むと、今日から新宿に来ている?
何だ、あいつは……。
少しでいいから会いたい?
会う訳ねえだろ!
『もう本当に終わっている。それにおまえは旦那も子供もいるだろ。いい加減自分の生活をちゃんと振り返ろ。 岩上智一郎』
彼女の為だ。
もう浮ついた心など今の俺には毛頭ない。
続いてちかからのLINE。
俺は少しだけ気分が良くなり、明日横浜へ行く事を伝えた。
さて、食事休憩の時フェブラリーステークスの買い目を決めないとな。
地方競馬でも負け続きのケイティブレイブが出ているが、十六頭立てで十六番人気かよ。
中央競馬に来れば、かつて地方の人気馬が最下位。
なんかこの馬に自分のこれまでを被せてしまう。
二千二十年二月二十三日、日曜日赤口、天皇誕生日。
俺は横浜の桜を見ながら15番ケイティブレイブと心中する事に決めた。
いやいや、待てよ。
石川雅之は咲きそうかもと言っていたが、今日本当に桜が咲いているのか?
まだ一応二月だぞ?
桜とか本当はどうでもいい。
この腐った臭いのする新宿から、横浜の潮の風を嗅ぎに行くだけだ。
ケイティブレイブから流すとして、その場合やはり人気馬を対抗に押さえないと駄目だよな。
三連単なんて絶対に無理だ。
馬連とワイド馬券、これを軸から人気馬五頭ずつ買ってと……。
「赤崎さん、フェブラリーステークス何を買うんですか?」
橋本が携帯電話を覗き込んでくる。
咄嗟に手で隠す。
「見せません!」
「軸馬何を買うかだけ教えて下さいよ」
「ケイティブレイブですよ!」
俺の予想に橋本は口を押さえ、肩を震わせながらホールへ戻る。
本当にムカつく野郎だ。
ようやく仕事が終わり、着替え始める。
とっととこんな街出ていこう。
「岩上さん、そんな急いでどこ行くんすか? 飲みに行きましょうよ」
「おまえとなんか行かねえよ!」
俺は山下の尻を蹴飛ばしラッキーハウスを出た。
新宿駅へ向かう途中、スカウト通りを歩いていると携帯電話が鳴る。
見るとひろみからだった。
「ふざけんじゃねえよ! 会わねえって言ったろうが!」
通行人が振り向くほど大声を出して電話を切る。
本当にしつこい女だ。
セブンスターに火をつけながら、ふと品川春美を思い出す。
春美からのメールを何度も読み返したあと、メールを打ち込んだ。
『春美、心して返事してほしい。イエスかノー。俺が聞きたいのはどっちかなんだ。それぐらい真剣に聞いている。お茶を濁したような言い方はしないでほしい。俺は君の本心が聞きたいんだ。 岩上智一郎』
もう一度ウイスキーを一気飲みしてから俺は、メールを返信した。
目の前へある焼鳥をがっつきながら食べる。
すると春美からの返事が届いた。
『ごめんなさい。岩上さんが私の気持ちを理解せず、そのような事を言うのなら、私たちもう逢わないほうがいいみたいですね。何かガッカリしました。 品川春美』
携帯を持つ手が震える。
何だ、このメールは……。
何故、こうなるんだ?
俺が悪いのか?
違うだろう。
春美は何故こんな事を言ってくるのだろう。
この間までうまくやってきたじゃないか。
今でも思い出してしまう、あの若かりし頃。
俺は十歳年の離れた春美に対し、二十歳の誕生を祝った。
そこまでは本当に上手くいっていたのだ。
だが俺の余裕の無さがすべてをぶち壊しにしてしまう。
情けないのを承知で何度も春美へ縋りついた。
それでも俺は十年以上諦められられなかったのだ。
彼女の為に絵を描いた。
彼女の為にピアノを弾いた。
彼女の為に小説を書いた。
すべてが空回り。
残っていたのは虚しさだけ。
そうか…、イライラの根本的なものが理解できた。
九州のひろみのあの粘着。
あれはかつて、俺が春美にやっていた事を今自分が同じようにされている。
因果応報。
天に唾す。
一方的な感情の押し付け。
俺はあの時春美の気持ちなどまるで考えず、自分の事しか考えられなかった。
ひろみはどうか?
俺は同じような道を彼女へ歩かせているんじゃないのか?
旦那も子供もいる。
それなのに未だ心は俺に拘り引きずっている。
このままじゃ亡霊になるだけ。
まだあいつの小学生の子供たちは、そんな母親を持ってどうなる?
他人の家庭だから、ぶっちゃけ俺には関係ない。
だが、そんな亡霊のおかげで取り返しのつかない事になってみろ。
今は亡き俺のお袋。
小学校二年生の冬に俺ら三兄弟を捨てて出ていった。
そんな俺に何が残った?
憎悪…、俺はずっと小説を書くようになった三十二歳の時でも憎悪だけが膨らみ、それを反骨真に変えた。
因果は嫌な形で続く。
憎悪から生み出されたものなど、行き先は地獄しかない。
駄目だろ、そんな人生を歩ませちゃ。
ひろみを今一度説得する義務が俺にはある。
何故なら一度は俺も関わってしまったから。
異性としての魅力も好意も何一つない。
過去の自身のトラウマ。
おそらくひろみを本当の意味で説得する事で、物色できるのではないか?
携帯電話をポケットから取り出し、ひろみへ電話を掛ける。
「今から横浜へ行く。おまえも来たかったら、来ていいぞ」
馬鹿なひろみは、俺の機嫌が直ったものと勘違いしてはしゃいでいた。
まあ電話じゃ伝わないだろう。
俺は新宿駅斜め向かいにある紀伊国屋書店の地下へ入る。
ファーストキッチンがあったので、そこで待つとメッセージを入れた。
まばらな店内。
俺はハンバーガーのセットを持ち、入口近くの席へ座る。
日曜日の新宿の朝。
歌舞伎町と違い、ファーストキッチンは数名の客しかいない。
タバコを吸えないのがネックだよな。
早くひろみも支度して、とっとと来いって。
真っ赤なスーツを着た男が入ってくる。
何だ、コイツ?
俺が見ていると、その男も視線が気になったのか振り向く。

あれ、何かテレビで見た事ある奴だな。
確か漫才師の奴だよな?
寺澤武一のコブラの真似をしている奴。
二千十四年に終わった長寿番組『笑っていいとも!』のスタジオがあったアルタ。
あそこって、まだ何かのテレビ番組のロケでもやってんのか?
まあどうでもいいか。
そういえばタモリの年齢不詳コンテストに、ワンオン系列時代にあった『アリーナ』の黒岩を出させた事もあったっけ。
系列店のアリーナの責任者佐藤から、仕事終わったら来て欲しいと連絡があった。
何でも新人でプロレスファンがいて、どうしても俺と会ってみたいらしい。
アリーナへ行くと、天然パーマのメガネを掛けたデブの黒岩が嬉しそうに握手して下さいと求めてくる。
悪い気はしない。
「アキレス腱固めって痛いんですか?」とオドオドしながら聞いてくる黒岩。
「完全に極めないけど形だけ掛けてあげようか?」と言うと興奮してお願いしますと喜んでいる。
客は一名もいない暇な店。
俺が関節技を掛けると短い手足をバタバタさせて苦しむ。
その様子がツボにハマり、俺は毎日のようにアリーナへ顔を出し、その度何かしらの技を掛けて遊んだ。
ある日番頭の佐々木さんから呼出され「岩上君、違う店の従業員まで苛めに行っちゃ駄目だよ」と怒られる。
黒岩がチクったのだ。
仕事帰りイライラしながら西武新宿駅へ向かうと、バイクがクラクションを鳴らしてきた。
何だと睨みつけるとバイクの男はヘルメットを取る。
黒岩の顔が出てきた瞬間、俺は飛び蹴りを喰らわしバイクごと倒す。
「テメー、何佐々木さんにチクってんだよ、このガキ。おめーが最初に技を掛けて欲しいって言ってきたんだろうが」
倒れる黒岩を足蹴にしていると、道路で渋滞している車からクラクションが鳴る。
さすがに迷惑なので俺は道端に黒岩を連れていき怒鳴りつけた。
「どうしたら許してもらえるでしょうか?」と言うので「今からアルタ行って、笑っていいとも!の年齢不詳コンテストに出てこい」と言うと、彼は本当にテレビに出て驚いた。
五人の内三人は役者を使ったヤラセらしい。
黒岩ともう一人はそのまま自然に振る舞ってもらっていいとプロデューサーから言われたようだ。
あの頃の俺はワールドワンの時だから、本当にイケイケだったなあ……。
番組のビデオテープを持って俺のところへ来たから許したが、あのビデオどこへやったっけ?
まああんな黒岩のようなデブ、関わりもないしどうでもいいか。
そんな事を考えていると、赤いスーツの漫才師が持ち帰りのハンバーガーを受け取り出ていく。
芸人もプライベートで常にあんな格好しながらファーストフード来なきゃいけないなんて、因果な商売だよな……。
時計を見る。
三十分経っているぞ。
遅いよ、あいつ。
もう一人でこのまま横浜へ行くか。
席を立ち上がり片づけをしようとすると、ようやくひろみの姿が見えた。
関内駅からタクシーで大通り公園へ向かう。
行き先は一つ。
まずは大好きなスープカレーの店『アルペンジロー』。

落ち着いた店で食事をしながら彼女をゆっくり話しながら説得しよう。
「あ、ちょっと待って。会社から電話入った。電話してくるね」
離れた距離で電話をするひろみを放っておき、向かいの大通り公園を見る。
すると一本だけ桜が咲いていた。

以前この近くに住んでいた俺を歓迎でもしてくれているのかよ。
緑に覆われた中の一本だけ開花した桜を見て、そんな風に思う。
戻ってきたんじゃなく、一瞬だけ遊びに来ただけだ。
返答のない桜へ向かって心の中で話し掛ける。
日替わりカレーを注文すると、チキンカレーのようだが、以前俺が頼んだものよりも肉がカットされていて、時代の流れを感じた。
昔は鶏一枚丸ごと使っていたのにな。

「これ、本当に美味しいねー」
当たり前だ。
この近辺で一番お気に入りのカレー屋なのだから。
俺との関係が戻ったと勘違いしながらハイテンションのひろみ。
もう心も何も無い。
おまえには旦那も子供もいる。
だから俺の事は忘れろ。
当たり前の事を淡々と伝えた。
旦那には醒めている。
子供たちの事はもちろん大事にしているが、俺を忘れられないという彼女。
「いいか? おまえがすべてを捨ててきても、子供を捨てた俺の母親と同じという事で、俺はおまえを軽蔑する。仮に子供と一緒に来ても、俺が生んだ子供ではない。だから四十八になってそんな重荷を抱えるのは嫌だ。それにおまえを異性として好きになる事はない。だから本当に諦めろ」
厳しい言い方だが、誠意は込めた。
「でも、今は智チンと一緒でデートだっちゃ」
「……」
この女は本当に馬鹿だ。
頭が悪過ぎる。
もしくは無理に明るく振る舞っているだけか?
まあいい。
今日の横浜だけだ。
それで終わり。
昨日の夕方から置きっ放しで新宿で働き、横浜へ来て昼過ぎ。
さすがに睡魔が襲ってくる。
アルペンジローを出ると、俺は横浜時代よく行ったタイ式マッサージへ行って眠るから帰れと伝えた。
用件は済んだのだ。
もう必要以上に一緒にいても仕方ない。
「こんな知らん土地に一人残されても困るっちゃ!」
考えてみれば確かに俺が福岡へ行き、いきなり宮崎県まで連れて行かれ食事してあとは勝手に帰れじゃ困るよな……。
「じゃあ伊勢佐木モールって長い商店街を紹介するから、そこで時間潰していろ。俺は猛烈に眠いからマッサージして寝るから」
ブツブツ言うひろみを伊勢佐木モールへ置き去りにして、タイマッサージ『花』へ向かう。
俺は二時間コースを頼み、そのまま睡魔の波の飲み込まれた。
身体を揺さぶられ起こされる。
珍しく店は客待ち状態で、部屋が空いてないようだ。
時刻は三時過ぎ。
マッサージのママに寝てしまった非礼を詫び、店を出る。
ひろみへ電話して、俺は横浜駅根岸道路沿いにあるパチンコキコーナへ行く。
俺がこの土地に来た時ゲンのいいパチンコ屋。
フェブラリーステークス発走まで、ここで時間を潰そう。
もちろん選んだ台はシンフォギア。
ちかからLINEが届く。
横浜で楽しんでいる内容とアルペンジローのカレーの写真を送った。
もちろん面倒なので、ひろみが一緒にいる事は伏せる。
本当ならちかと一緒に来たかったよと、最後に添えておく。
何度もひろみから電話が掛かってきて、その度一旦パチンコを中止して外へ出て話す。
あの店内の騒音の中での会話は無理だった。
「だから俺の居場所は伝えただろ! 何度も電話してくんじゃねえよ。分からないなら関内駅から一人で帰れ」
恋人でも何でもないのだ。
俺は横浜へ遊びに来ただけ。
ひろみへそこまで親切に接する意味合いはない。
それにしても回らなくなったシンフォギア。
金が減っていく一方だ。
もうこれで帰ろうかな……。
あ、フェブラリーステークスそろそろ終わり、結果が出ているだろ。
俺は携帯電話でレースの結果を確認した。

あれ、当たっている?
六万五千六百円賭けて、十四万二千八百七十円になっているぞ。

12ー15の馬連とワイドが三百円ずつ当たっただけで、十四万になったのか?
ケイティブレイブ、頑張って二着に来たのかよ!
9番のサンライズノヴァも、単勝三番人気なんだから、三着に来るなら買っておけばよかった。
まあ後の祭りか。
俺の買い目は、一着二着四着。
まあいいか。
ズバリまではいかないが、取ったぜフェブラリーステークス!
見たか、ラッキーハウスの馬鹿共め。
しかし最終オッズで見てみると、四着ハナ差で負けた16番ワンダーリーデルが、もし三着に来ていたら、三連単オッズ12-15-16で、百円の馬券が五千二百七十九万。
俺は各三百円買っていたから……。
一億五千万取れてたのになあ!
この事を悔しくてフェイスブックへ投稿すると、すかさず佐藤バンさんがコメントをしてくる。
『七十六万。千九百五十掛ける三だよ。 佐藤 直樹』
桁が三つも違うじゃん。
俺、馬鹿な事書いてしまったなあ。
考えてみれば、最下位人気のケイティブレイブが絡んだから万馬券になっただけで、あとは一番人気のモズアスコットと七番人気のワンダーリーデルだもんな。
いくら三連単とはいえ、五千万何て配当つく訳がないのだ。
それにそもそもこの組み合わせは来ていないし……。
高揚感と落胆二つの波に揺られながら一喜一憂していると、背後から肩を叩かれる。
振り向くとひろみだった。
横浜橋商店街を歩く俺。
あとからついてくるひろみ。
言いたい事は、アルペンジローの時点ですべて彼女へ伝えたつもりだ。
今日だけお気楽モードなのかどうかは知らない。
あとはひろみ自身の問題なのだから。
競馬で勝った上機嫌な気分が徐々に減ってくる。
「なあ、駅までは送るから、もう帰りなよ」
「嫌だ!」
「あっそ……」
俺は商店街の中にあるパチンコ屋スキップへ入る。
他の場所を回りたいというひろみを無視して、シンフォギアへ座った。
最初の五百円でいきなり当たる。
どんどん連荘して継続し、俺はすっかり上機嫌になった。

「オタクって訳じゃないのに、何でこんなアニメの女の子でそんな喜んでいるの?」
「うるせー! 俺はこの緑の切歌が一番好きなの。デスデスデース! ほら、また来たよ!」
「このアニメが好きなの?」
「アニメなんて観ねえよ。パチンコでしか見た事ない」
「はあ…、智チンの頭の中さっぱり分からんわ……」
気が付けば一万発オーバー。
都内と違い横浜は等価交換だから四万五千円になった。
パチンコどころかギャンブルを一切した事がないというひろみへ、換金所で換えさせに行かせてみる。
四万円を受け取り、五千円はチップ代わりにあげた。
今日ってひょっとして何だか凄い日?
まるで去年の十二月にパチンコ買って、地方競馬買って、けいこと会って、有馬記念当たったような怒涛の快進撃が一気に来ている感じだ。
まあこういう時は近くにいる人間には幸せのお裾分けをしないと罰が当たってしまう。
前回はそれでうな重を落としてしまい、失敗したけどね。
一応競馬取ったし、シンフォギアも勝ったし、ちょいと贅沢すっか。
「せっかく横浜へ来たんだ。美味いものご馳走してやるよ」
タクシーを捕まえトンカツ屋の長八へ向かう。

鰺丸ごと一匹フライをつまみに酒を飲む。
そうだ。
野毛の近くまで来たのである。
俺は久しぶりにフレンチワイズへ電話を掛けた。
「お久しぶりです、新宿の岩上です。よろしければこれから二名で伺ってもいいですか?」
「ええ、どうぞどうぞ。お待ちしております」
俺はひろみを連れ、久しぶりのフレンチワイズへ向かう。
ワインをテイスティングし、フルコースを堪能した。
まずは前菜であるチーズ、鶏、牡蠣の三種類の燻製。

「ひろみ、おまえこれ食えよ」
そう言いながら俺は苦手な牡蠣を渡す。
エゾシカと白レバーのテリーヌ。
本来レバーも苦手で食べられないが、不思議と加藤シェフの作る料理だと何とか食べられる俺。

セロリのポタージュ。
野菜の中でも嫌いな部類のセロリ。
だが、あの苦いイメージもシェフに掛かればこの通り普通に飲めてしまう。

さわらのポワレ。
皮までパリパリに焼けた上品なトマトソースを下に引いた魚料理。
食べる事にここまで感謝を覚える事も、中々ない。

メインディッシュの鴨のテリーヌ。
俺にとって最高級のレストランワイズ。
やはり突然であるが来る決断をして良かった。
心からそう思う。

食後のデザートであるチョコレートケーキ。
これはひろみへあげよう。

つい時間を空けてしまう非礼を詫びると、加藤シェフ夫妻は笑顔で来店してくれた事を素直に喜んでくれる。
何度でも言いたい。
ここは最高のレストランだ。
時刻は夕方七時。
ここまで来ると、目と鼻の先にある福富町の平田の店も寄りたくなった。
今日は岩上智一郎というウィナーが横浜へ凱旋しているのだから。
今年元旦にもあった元同僚平田の店『稀』。
そして横浜へ来る度高確率で寄ってしまう激安居酒屋『楽』。
これでインターコンチや石川雅之まで加われば、俺にとってのザ・横浜になるなあ。
細かい事を言えば、イタリーノやトゥルービル、第一亭など洋食屋も挙げればキリがなくなるが、さすがに腹がいっぱいだ。
麦草の百合は元気でやっているだろうか?
終電に間に合わなくなるので関内駅へ向かう。
これだけ散財してまだプラス。
何だかまた一つ横浜という土地に救われてしまった。
また明日から新宿のいつもの一週間か。
俺がケイティブレイブを軸というの知っているから、出勤したらラッキーハウスの馬鹿共どんな顔をするのだろう。
湘南ラインで新宿へ帰る時、昔を思い出す。
体重六十五キロの時点でレスラーになると宣言した時、百人中百人とも大笑いされた。
だが一年二年と身体を鍛錬し積み上げ、プロテストに受かった時は誰一人笑わなくなった。
三十歳を過ぎてから一人の女の為にピアノを弾くと言った時も笑われた。
だが川越市民会館でドビュッシー作曲月の光を弾き終えた俺に対し、笑う人間は誰もいなかった。
三十二歳で初めて小説を書き出した俺を軽蔑するような目で馬鹿にする人間はいた。
だがそんな新宿クレッシェンドが賞を取り本になった時、面と向かって笑う人間は誰もいなくなった。
現状を振り返れば成功などしていない。
もうすべて失ったただの過去。
しかし俺は当時それだけに集中し、誰よりも努力したからこそ結果がついてきたのだ。
今回趣は違うものの、地方競馬で落ちぶれつつあったケイティブレイブを自身に重ねた。
本当に良かったよ、二着とはいえ、しっかり来てくれて……。
すっかりご機嫌なひろみは横で何か話し掛けているが、どうでもよかった。
彼女は俺が横浜へ行く予定だった時に、たまたま割り込んできたノイズに過ぎないのだから。
「ねえ、今日連れて行ってくれた店。智チンの大事な店ばかりだったんじゃないの?」
「……」
考えてみればその通りだ。
アルペンジローのスープカレー。
かつて二年住んだ思い出の横浜橋商店街。
トンカツの長八。
最高のフレンチワイズ。
平田の稀。
楽のマスター。
世話になった下陰さんなど元気で暮らしているのだろうか?
俺は様々な人たちによって生かされてきたのだ。
あ、肝心の大岡川の桜を見るの忘れた……。
新宿駅へ到着し、ひろみへ自分のホテルへ帰れと言ってもついてくる。
ちょうど西武新宿線の最終は行ってしまった。
「智チンだってもう川越に帰れないんでしょ? だったら私のホテルへ泊まればいいのに」
何度断ってもしつこいひろみ。
睡魔と酔いで面倒臭くなり、彼女の宿泊するホテルへ向かう。
かつて俺が好んで通った今は亡きレストランいづみの方向へ歩き、奥にあるシティーホテルへ着く。
近くにあったピザ屋で二枚焼いてもらい、コンビニエンスストアでヤングマガジンの表紙を見ると、木多康昭の漫画『喧嘩稼業』だったので購入。
またコイツも真面目にようやく描き始めたのか。

この漫画、かなり好きなのに肝心の作者の木多が怠け者だからなあ……。
確かに面白い漫画を描くのは認める。
だがまだ全然トップレベルに食い込んでいないくせに、言い訳をしては休載ばかりの木多。
同じ作品を作る者として、軽蔑をしていた。
いや、それを言ったら俺など二千十一年から小説を書いていないじゃないかよ。
人の事言えるのか?
言える!
俺にファンなどいない。
だが、木多にはいる。
俺を始めとして数多くのファンが。
つまり何が言いたいのか?
始めは小説家にしても漫画家にしても、世に出たい、自分の作品を見てほしいという概念は同じなはず。
才能の無い俺と違い、木多は好きな漫画で食えているのだ。
それを少し人気出た程度で、何を勘違いしているのだろうと言いたい。
期待する読者へ、何故休載が多いのか。
その説明をする義務が作り手にはあると思う。
ギャグで私には隕石落下という切り札があるとお茶らけるのもいいが、本道はそこではない。
描きたいから描き、作品にして売れた場合、作り手には責任が発生するのだ。
正直木多を羨ましく思う自分がいる。
だからこそ余計に腹立たしいのだ。
いつまでもファンは待っていないぞ?
無くしたものをあとになり後悔したところで、二度とそれは戻ってこれないんだぞ?
まあ、ようやく連載開始したのだ。
俺は読者として出されたおかずを黙って食べればいいか。
ひろみのホテルへ入る。
大はしゃぎの彼女を見て、選択を間違えたなあと思いながら歩いた。
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