闇 477(師走の馬鹿ヅキ編)
闇 477(師走の馬鹿ヅキ編)

2026/02/08 sun
前回の章
二千十九年十一月二十二日、金曜日大安、小雪。
携帯電話が震える。
小江戸号に乗り寝掛けていた俺は、うんざり気味に画面を見た。
またどうせひろみからだろうと思っていたからだ。
しかし違う名前が表示されていて、俺は一気に身体を起こす。
ゴールデン街の強引で働いていたけいこから、久しぶりにLINEが入る。
彼女の文面を見る限り、数年働いていた店を辞めてしまったようだ。
こんな昼手前に連絡があるなんて珍しい。
俺は電話して状況を聞く。
「けいこ、おまえどうしたんだよ? 今どうしてんの?」
「強飲のオーナーと揉めてしまい、あの店を辞めてしまったんです。それで今日から新しいバーで働くんですけど、岩上さん、ちょっとお店に来れたりします?」
これまで客を呼ぶような営業した事がないので、俺は二つ返事で了承する。
だが、あくまでも今日は仕事なので、食事休憩の一時間を抜け出して行くぐらいの事しかできない事も伝えた。
今、けいこはきっと困っているような状況なのだろう。
彼女と初めて知り合ったのは、二千十四年の最後。
最初にけいこを見た時強がってしまい変な状況のまま、たまたま新宿へ遊びに来ていた彼へけいこを紹介してしまうという愚行を犯す。
カウンター六席だけの狭いバー。
「あら、中原さんいらっしゃい」
茶色のロングヘアーをなびかせた細身の女がカウンターの向こうに立っている。
確かにあれほど言うようにいい女だ。
「どうです、岩上さん。中々いい女でしょ? けいこさんって言うんですよ」
けいこが俺の顔をジッと見ている。
「うーん…、確かにいい女ですけど、俺のタイプではないですね」
「えー、中原さん! この人、いきなり酷い!」
嘘だった。
正直かなりタイプである。
中原に言われ、素直に認めるのが正直恥ずかしかったのだ。
少し眠たそうに見えるがパッチリ開いた目。
胸が殺人的に無いのは残念であるが、それ以外はかなりいい。
彩未も美人系のいい女だったが、けいこと比べると若干落ちる。
「何飲まれますか?」
舌足らずで甘えた口調。
こういう女といつも一緒に居られたら、毎日が楽しいだろうなと思う。
あの時から約五年が経った。
紹介した飯野君は初見でけいこを気に入り、足を運ぶ事数年。
だが、彼女とプライベートで上手く気配は無い。
彼女の存在は、日に日に俺の中で大きくなっていく。
それに比例するように飯野君へ対する罪悪感も同じく増えてしまう。
自分から話を振っておいて、裏切るような真似はできない。
常にそう言い聞かせ、けいこへの気持ちを根底に沈めていた俺。
飯野君が上手く行けばいいと思う友情。
けいこを失うかもしれない寂しさ。
その二つの反比例する矛盾。
俺の中で出した答えが、けいことは距離を置くというものだった。
放置したけいこと飯野君が上手くいけば……。
そう割り切るように努めたが、彼の口から色よい台詞はまるで聞けない状況。
忘れるように俺は他の女を探し、二十三歳年の離れた本多麗美華には四十六歳の誕生日イベントをうまく利用され、大金を失う始末。
久しぶりにブチ切れた俺はしばらく大人しく地味に過ごすも、たまたま始めたゲームのアイノー皇帝で九州のひろみと知り合い、現在の束縛地獄に陥っていた。
ひろみには俺の意思をハッキリ伝えたのだ。
飯野君にもチャンスを数年与えたつもり。
けいこが俺を頼っているなら、このチャンスを何とかものにしたい。
上手く行ったら…、飯野君を裏切る事になってしまうのか……。
いや、長年内に秘めた心を誰にも言わず隠して生きてきた。
この時点で充分裏切っている。
だが、それでもけいこがもし俺の傍に居てくれたら、どんなに幸せな事だろうか。
鬱積した熱い気持ちがマグマのように噴き出してくるのを感じた。
本川越駅に到着する頃、また携帯電話が震える。
見るとひろみから。
俺は無視したまま携帯電話をポケットに突っ込んだまま改札を出た。
今日の混み方次第では、休憩に入れるのが明日の日付になってしまうかもな。
いや、腹が減っているから一番始めに食事へ行きたいと周りに伝えておけば問題ないだろう。
凍っていた心に突然放射能でも浴びせられたかのような氷塊。
いやいや、それじゃ死んじゃうだろ。
せめて電子レンジで解凍したぐらいにしとけ。
横浜から川越に戻り、新宿で働き出してから約三年間。
ずっと我慢しながら屑ぶっていた地味で暗い生活。
それらを一撃で吹き飛ばすような衝撃だった。
うん、やっぱ俺って、けいこの事が大好きだったんだな……。
二十歳前に潰れた鏡山酒造のところの工事が終わり、新しい建物になった小江戸蔵里の前を通り掛かる。
そういえばできて数ヶ月経つが、一度も寄った事がない。
仮にけいこと上手く行った時を想定してみろ。
地元である川越に彼女を連れて来た場合、持ち駒になりそうな場所や店は一つでも多く押さえといた方が賢明だ。
ちょっと覗いてみるか。

『八州亭』と書かれた和食レストラン。
けいこの好みは分からないが、洋食系は得意分野でも和食は川越だとおじいちゃんの四十九日を行った料亭の福登美ぐらいしか知らない。

中へ入り、親子丼と天ぷら蕎麦のセットを頼んでみる。
内装はそこそこ凝っていたが、味はごく普通。
もうちょっとうな重とかそっちにすればよかった。
家に帰り風呂に入って眠るが、妙に興奮している俺。
ひろみからの連絡に対しては一切無視。
もう事情が変わったのである。
今の俺は、けいこの事しか頭にない。
ラッキーハウスへ出勤すると、最初に休憩へ入りたいと橋本へ伝える。
飯を食って来なかったんですかと笑う橋本。
山下も笑いながらどうぞと言ってくる。
一服休憩時、今週はジャパンカップがあるのに気付く。
また最近チョロチョロ始めた競馬。
このレースと有馬記念ぐらいはドカッといきたいものだ。
今日これから休憩でけいこの新しい店に行くとして…、多分一万円あれば足りるだろう。
強引で一万超えるなんて、朝まで飲まないといかない金額だったからな。
残りは競馬の即パッドへ入れて勝負。
馬もけいこも両方ゲットしてやるぜ。
クソ忙しい店内。
客のINやOUTを捌きつつ、時計だけを気にする。
早く橋本も休憩行かせろよ。
十一時四十五分になった時、ようやく「赤崎さん、飯休憩どうぞ」と声が掛かる。
俺はラッキーハウスを飛び出すと、まずATMで一万円だけ残して即パッドへ入金する為の貯金をした。
けいこへ電話して店の場所を聞く。
日が変わるまであと十分。
今日って言っちゃったからな……。
俺はダッシュで花道通りを駈け出した。
二千十九年十一月二十三日、土曜日赤口、勤労感謝の日。
息を切らしながらゴールデン街入口へ到着。
深呼吸して息を整えてから、けいこの新店へ入った。
多少は客がいると思った店内。
俺一人しかいない。
暇な店だから、オーナーがけいこに客を呼べとでも命令されたのだろう。
だが、どんな状況でも構わなかった。
けいこから頼られるなら、仕事の休憩中いつだって駆け付けてやる。
ひろみからのメッセージが届く。
ウザいので電源ごと消す。
けいこには十二時三十分になったら仕事へ戻らないといけないから、会計をしてくれと伝えておいた。
もうこれで何の邪魔も入らない。
口や鼻を押さえても、耳から出てきそうなこの気持ちを上手く彼女へ伝えたかった。
いやいや、焦るなって。
他に客はいないのだ。
少し冷静になれ。
流行るな。
落ち着け。
セブンスターに火をつけ、けいこが近付くのを待つと、奥から背の小さい童顔の男が出てくる。
「あ、岩上さん、紹介します。こちらがこの店のオーナーでして」
「どうも、岩上です」
何だよ、コブ付きではないが、邪魔者がしっかりいるじゃねえかよ……。
期待が裏切られたショックを表情に出さぬよう懸命にポーカーフェイスを気取る。
「岩上さんはグレンリベットですよねー。ちゃんと用意しておきましたから」
「おう、おまえも一杯飲みな。あ、あと今日仕事中だから一万しか持ってきてないからな」
「分かってますって」
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