丹生都比売神社|天野の里と例祭に宿る感謝──空海に高野山を授けた女神と「神仏共存」の原点を歩く
@Ricoです。
高野山と空海さんを語るうえで、決して欠かすことのできない場所があります。
和歌山県伊都郡かつらぎ町、標高約450メートルの天野盆地に鎮座する丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)。

紀伊国一之宮であり、全国約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社。そして、2004年にユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として高野山と共に登録された古社です。
弘法大師空海に高野山を授けた神の社──。
高野山参詣において「参らねば片詣り」と伝えられるこの地を、私は2020年から2023年にかけて繰り返し訪ねてきました。初参拝での不思議な導き、例祭での涙、境内の奥で出会った光明真言の碑、そして変わらぬ青空の下で感じた祈り。
今回は、丹生都比売神社が鎮まる「天野」という地の意味、例祭に参列して受け取った感謝の想い、そして「神と仏が共に在ること」の原点について、深く掘り下げてお伝えしていきます。
なお、丹生都比売神社への参拝に先立ち、慈尊院と丹生官省符神社については以下の記事で詳しくご紹介しておりますので、あわせてご覧ください。
1. 天野という地──「日本の祈りのふるさと」
天上の高天原にたとえられた里
丹生都比売神社の公式サイトには、こう記されています。
「そのかくれ里は、日本の祈りのふるさと。高野山麓に広がる天野の里。
天上の高天原にもたとえられた美しい山里に、丹色をまとう女神が鎮まります」
天野盆地は、紀の川から南に広がる山地の中腹にぽっかりと開けた標高約450メートルの高原です。周囲を山々に囲まれ、棚田が広がり、清らかな水が流れるこの里は、随筆家の白洲正子が「天の一郭に開けた夢の園」と記したことでも知られています。
かつらぎ町観光協会の資料にもその言葉が引用されており、「昔の日本の風景を今に残す地」として紹介されています。

「天野」という地名が、まさに「天上の野」を連想させるように、この地には古来より神聖な気配が漂っています。実際にバスで山道を越えて天野に入った瞬間、空気が一変するのを感じます。
2021年に世界遺産アクセスバスでこの地を訪ねたとき、山をひとつ、またひとつ越えるごとに緑は濃くなり、到着した瞬間に広がった景色は、まさに「最高に美しい」という言葉しか出ないものでした。

弘法大師の『御遺告』に記された神領
この天野の地は、古代より朝廷から篤い崇敬を受けてきました。
弘法大師の『御遺告(ごゆいごう)』には、紀伊山地北西部一帯の広大な土地が応神天皇より丹生都比売神社の神領として寄進されたことが記されています。この神領の範囲には、後に空海が開創する高野山も含まれていたのです。
また、奈良時代に編纂された『播磨国風土記』には、丹生都比売大神が神功皇后へ「丹」を授けたことが記されています。
このように、天野の地と丹生都比売大神への信仰は、記紀神話の時代にまで遡る深い歴史を持っています。

2. 四柱の御祭神──「四所明神」と呼ばれる神々
丹生都比売神社には四柱の御祭神が祀られており、これらは総称して「四所明神」と呼ばれます。本殿は同規模の春日造四棟が横一列に並ぶ壮麗な構成で、国の重要文化財に指定されています。

第一殿:丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
主祭神である丹生都比売大神は、天照大御神の妹神とされ、「丹生明神」とも呼ばれます。
「丹」とは、辰砂(朱砂)の鉱石より採取される赤い顔料のことです。古来、この丹には魔を退ける力があるとされ、現在でも神社仏閣を赤く塗る「丹塗り」や、お祝い事に赤を用いるのは、この丹に由来します。
丹生都比売大神は、この丹をつかさどり、その力であらゆる災厄を祓う女神なのです。
また、辰砂からは水銀を精製することができます。水銀は鍍金や医薬に用いられただけでなく、液体状の金属という特異な形状から、洋の東西を問わず神秘的な力を持つとされてきました。
丹生都比売大神がこの水銀をもつかさどる神であることは、大神の御神威の奥深さを物語っています。
さらに特筆すべきは、鎌倉時代の元寇における託宣です。弘安の役において、丹生都比売大神の託宣が下りました。元軍の襲来を予言すると共に、大神が日本の神々の先陣として出陣し、七月までに戦いは終わるという内容でした。この託宣の通り、襲来した元の大軍は閏七月一日の暴風雨により壊滅します。幕府はこれを大神の御神威によるものと畏れ敬い、国宝・銀銅蛭巻太刀拵をはじめとする宝刀を献じ、当社を紀伊国一之宮と定めました。

第二殿:高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
「狩場明神」の通称で知られる高野御子大神は、丹生都比売大神の御子神です。白と黒の犬を連れた狩人に化身して空海の前に現れ、高野山へと導いた神として伝わります。この伝承は『今昔物語集』巻11第25「弘法大師始建高野山語」にも記載されています。
人生の幸福へと導く神として、現在も篤く信仰されています。
第三殿:大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)
あらゆる食物に関する守り神であり、食べ物を司る女神です。
承元2年(1208年)に越前国の気比明神として勧請されました。
第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
宗像三女神の一柱であり、財運と芸能の女神です。
七福神の弁財天と同一視されることもあります。同じく承元2年(1208年)に安芸国の厳島明神として勧請合祀されました。
このほか、本殿の横には若宮として行勝上人が祀られています。行勝上人は神社の発展に尽くした高野山の僧侶であり、神社に僧侶が祀られているという事実そのものが、神仏が共に在るこの地の性質を如実に表しています。
さらに、境内社として佐波神社が鎮座しています。


3. 神仏習合の原点──空海と丹生都比売大神の「結び」
「神が仏教者に土地を授けた」という出来事
丹生都比売神社の御由緒において最も重要なのは、弘法大師空海に高野山を授けたという伝承です。
丹生都比売神社の公式サイトには、こう記されます。
「千二百年前、真言密教の根本道場とする地を探し求める弘法大師の前に、丹生都比売大神の御子神である高野御子大神が、白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れました。このご神犬に導かれ、弘法大師は天野の地で、丹生都比売大神より高野山を授けられたのです」

この出来事は、日本の宗教史において極めて重要な意味を持ちます。
神道の神が仏教の僧侶に聖地を授けるという行為は、神と仏が対立するものではなく、互いを認め合い共存する関係であることを制度的に示した出来事だからです。
弘法大師はこの恩に報いるかのように、丹生都比売大神を高野山の総鎮守・真言密教の守護神として崇敬し、高野山の中心である壇上伽藍に御社(みやしろ)を築いてお祀りしました。以来、丹生都比売神社の周囲にも仏堂や仏塔が築かれ、神職だけではなく僧侶によってもこの神社は守られてきたのです。

『金剛峯寺建立修行縁起』は、高野山と丹生都比売神社の関係を語る最古の縁起とされています。これによると、弘仁7年(817年)に空海は「南山の犬飼」という二匹の犬を連れた猟者に大和国宇智郡から紀伊国境まで案内されたと記されています。
かつて境内にあった仏教施設
文化庁の文化遺産オンラインの記述によれば、古絵図などから、かつて丹生都比売神社の境内には多宝塔、御影堂、不動堂、山王堂、護摩所、鐘楼、経蔵、坊舎など多くの仏教施設が存在していたことが確認されています。
しかし、明治初年の神仏分離令により、これらの仏教関連施設は悉く撤去され、現在の姿となりました。
神社でありながら僧侶に守られ、仏堂が建ち並んでいたこの地。明治の神仏分離という大きな変革を経てもなお、「神と仏が共にある信仰の源泉」としてこの場所が世界遺産に登録されたことは、この地が持つ普遍的な価値を物語っているのを感じます。

4. 2020年──初めての丹生都比売神社参拝
結婚式の導き
2020年10月、大師号下賜1200年記念法会に参加するため高野山を訪れた際、初めて丹生都比売神社に足を運びました。
慈尊院、丹生官省符神社と参拝した後、丹生都比売神社へ──。
外鳥居の前に立ったとき、実は諸々のことがあって参拝を少し迷っていたのです。
しかし、そのとき目の前に飛び込んできたのが、まさかの結婚式。
新郎新婦が境内を歩いておられる姿を拝見し、「大丈夫やな」と安心して参拝に臨みました。
輪橋と「あの世とこの世」の趣き
外鳥居は「両部鳥居」と呼ばれる形式です。これは密教の金剛界・胎蔵界に由来する名称で、神仏習合が盛んだった神社に見られる形式であり、厳島神社の大鳥居と同じ形です。

鳥居をくぐった先に見えてくるのが、鏡池に架かる輪橋。
淀君(茶々)が寄進したと伝わるこの橋は、「あの世とこの世」という言葉が浮かんでくるほどの重みと歴史の趣きがありました。

美しい花手水に迎えられ、楼門へ向かいます。室町時代の明応8年(1499年)に建立されたこの楼門は、国の重要文化財です。

まさかの本殿特別参拝
そして、ここでまたもやの奇跡的なタイミングが起こります。
ちょうどうかがった時間に「本殿特別参拝」が行われていたのです。
人数を制限してのご案内とのことでしたが、「大丈夫なのでどうぞ」と声をかけていただき、普段は入ることのできない楼門内に入ってお祓いを受け、神職さまから由緒の説明をしていただくという貴重な体験ができました。
まさに「みちびきの神さまのお導き」としか言いようのないタイミング。
高野の神さまが「ちゃんと説明を聞いてから高野山に行きなされ」と言ってくださったのかもしれません。


ここで、ひとつだけ心残りがありました。
後から調べたところ、境内には光明真言の梵字の碑があることを知ったのです。次に訪れるときの楽しみが、もう生まれていました。
心の中で「次回早めにうかがいます」とひっそりと約束をして、丹生都比売神社を後にしました。
<参拝ポイント>
・外鳥居(両部鳥居)
・輪橋と鏡池
・花手水
・楼門(重要文化財)
・本殿特別参拝
5. 2021年──約束の例祭と涙の体験
深夜バスで向かう例祭の朝
2020年の約束を果たすときがいよいよやって来ました。
2021年10月16日、丹生都比売神社の例祭。
事前に特別祈祷を申込み、「参列する」に丸をつけて送りました。
当日朝の新幹線では例祭の10時30分に間に合わないため、前日23時に東京を発つ深夜バスに乗ります。なんばに到着し、南海電鉄で橋本駅へ。そこから世界遺産アクセスバスに乗り込みました。
バスの車窓から見える風景は、前回の旅の記憶を呼び覚ましてくれます。
慈尊院の案内板、丹生官省符神社の案内板。
ピンク色の橋、至るところにある柿の木。
山をひとつ越えるごとに緑は深くなり、丹生都比売神社に到着する直前に「二つ鳥居」が見えた瞬間、胸がいっぱいになってきました。
そして9時30分、「世界遺産の里・天野」に到着。バス駐車場側から見た景色は、言葉にならないほどの美しさでした。

僧侶との遭遇──東寺長者との邂逅
入口に向かう途中、僧侶の方と一緒になりました。後から分かったのですが、その方は教王護国寺(東寺)の長者さまでした。以前は金剛峯寺の法印を務められていた方です。
神社の例祭に高野山の高僧が参列される。この光景こそが、丹生都比売神社が「神と仏が共にある場所」であることの何よりの証です。
ご神犬との予想外の出会い
楼門への階段を上ろうとしたとき、後ろから鳴き声が聞こえてきました。
振り返ると、そこにはご神犬のすずひめ号(白)と大輝号(黒)がいるではありませんか。天然記念物の紀州犬であるこの二頭は、通常は毎月16日のみ境内で公開されています。
この日は10月16日、例祭の日。いらっしゃらないだろうと思っていたのですが、まさかの遭遇でした。

神職さまが「今日は元気やなぁ」とお声を掛けておられ、ちょうどご神犬のお祓いをされるタイミング。幣で祓われるその横で、ちゃっかりご一緒させていただきました。
弘法大師を高野山に導いた白黒二頭の犬の伝承。
その犬の子孫のようなご神犬に、例祭の朝に出会えたこと。できすぎた偶然が重なるとき、それはもう偶然ではなく、導きなのだと思います。
例祭──警蹕と御簾と涙
楼門前には薔薇の花が配されていました。
丹生都比売神社に伝わる「舞楽曼荼羅供(ぶがくまんだらく)」の衣装にバラの花が刺繍されていることに由来するものだそうです。
受付で参列者用のリボンと撤下品引換券をいただき、いよいよ楼門の奥へ。特別祈祷を申込みした参列者は、本殿に向かって右手にある小上がりの舞殿にて例祭に参列させていただきます。

祭祀がはじまり、ひとつひとつの儀が厳かに執り行われます。雅楽が流れ、場が清まる中で祝詞を拝聴しながら──今まで聞いた雅楽の中で、一番身体に響くものがありました。
そして中盤、あの声が響きます。
警蹕(けいひつ)。神さまをお迎えするときなどに声を立てて、人々をかしこまらせる先払いの声です。以前、武蔵御嶽神社や川越久伊豆神社で聞いたものとはまた異なる、柔らかく優しい雰囲気のもの。神さまが降り立つような、そんな空気が場を満たしていきます。
さらに、第一殿から第四殿までの御簾がスルスルと上がっていきます。
その瞬間、涙がぶわーっと溢れてきました。
私たちのいた場所から見えたのは、第一殿と第二殿。
つまり、丹生都比売大神と高野御子大神の御前です。御簾が上がって見える隙間の前には三つの御鏡が置かれており、それがなぜかゆらゆらと揺れて、まるで我が身を照らすかのように、あたたかくて、あたたかくて。
この場所にやってきて、神さまにお会いできて、本当にありがたいという言葉しか出てこない。
目の前の晴れやかな舞台とこれまでの参拝の数々の出来事が思い出されてきて、鼻水が止まらないぐらいの感動でした。

儀の最後には浦安の舞が奉納されました。
じっと見ていたら、小学校のときにした巫女舞がこの浦安の舞であったことに気づき、何十年も前のことなのに振りを覚えていることに驚きます。親に感謝だなと、静かに思いました。
玉串礼拝には、高野山大学の学長さま、教王護国寺(東寺)の長者さまも参列されていました。この光景に、丹生都比売神社が1700年以上前から存在し、弘法大師に高野山を授けた神の社であるという由縁、そして神と仏が融和して共存している場所であることを、改めて強く感じました。


<参拝ポイント>
・外鳥居(両部鳥居)と境内案内板
・輪橋と鏡池
・鏡池の島のお社(由来不明、八百比丘尼ゆかりの一説あり)
・禊橋と中鳥居
・手水舎
・楼門(重要文化財)と狛犬
・ご神犬(すずひめ号・大輝号)
・本殿四棟(重要文化財)での例祭参列
・若宮(行勝上人)
・境内社
・佐波神社
・拝殿の巴紋と手造りの燈籠
6. 境内の奥──光明真言曼陀羅碑と神仏分離の痕跡
未開拓ゾーンへ
例祭を終え、2020年に確認できなかったエリアへ足を向けます。
「石造卒塔婆群」の案内板に従ってテクテクと進んでいくと、右手に曲がった先から、社殿側から溢れる光の束が差し込んできました。
しばらくすると光はさらに強くなり、何かの合流地点のような雰囲気に包まれます。
そして、目の前に現れたのが「光明真言曼陀羅碑」です。

光明真言(不空大灌頂光真言)
光明真言とは、正式名称を不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)という密教の真言です。その功徳として、過去の一切の罪障を除滅すること、亡者に光明を及ぼして西方極楽国土へ往かせること、宿業と病障を除滅することが説かれています。
「おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだらまにはんどまじんばら はらばりたやうん」
碑には、中央下の部分から時計回りに、この光明真言が梵字で刻まれていました。2020年の初参拝で見逃し、後から知って悔しく思っていた場所に、ついに立つことができたのです。
大峯修験者の碑と御影堂跡
光明真言の碑のお隣には、大峯修験者の碑がありました。もともとは神社の輪橋を渡った場所に建っていたものが、明治の神仏分離の際にこの場所に移されたものです。
神社の中心に近い場所にあった仏教的・修験道的な碑が、分離令によって境内の奥へと移された。この事実は、かつてこの神社が神仏一体の場であったことの動かぬ証拠です。


さらに奥に進むと、広く更地になっている場所に出ます。
ここは、かつて北条政子によって建立された御影堂、そして多宝塔があった場所です。女人のため、そして夫・源頼朝の菩提を弔うために建てられた仏堂が、この神社の境内にあったのです。
誰もいないその場所で、光と闇が重なるような空気を感じながら、光明真言と般若心経をお唱えしました。いつもよりノビノビとした声が、静かな境内に響いていきます。
<参拝ポイント>
・石造卒塔婆群
・光明真言曼陀羅碑
・大峯修験者の碑
・御影堂跡
・多宝塔跡(北条政子建立)
・板碑と祠
7. 丹生都比売神社の授与品と厄神としての御神徳
例祭の参列を終え、境内を巡った後に授かったのが、白黒ご神犬のお守りです。
弘法大師を高野山へ導いたように、この白黒の二頭のご神犬はよい方向へと導いてくださると言われています。丹生都比売大神と高野御子大神のお力をお借りし、お祀りすることにしました。
ここでもうひとつ、押さえておきたいことがあります。
丹生都比売神社は、全国約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社であると同時に、日本三大厄神の一つとしても知られています。
厄神とは厄除けの神のことであり、丹生都比売大神の「丹」が持つ魔除けの力、そして元寇を退けた御神威がその根拠となっています。知らず知らずのうちに厄除けもしていただいていた、ということになります。

8. 2022年──町石道を歩くという布石
2022年、ひとつの情報をキャッチしました。高野参詣道「町石道」を語り部と共に歩くツアーが開催されるというものです。
実は2021年の高野山参拝で、大門近くのお助け地蔵尊にお参りした際、偶然出会ったトレッキング姿の方々から、こんな言葉を聞いていたのです。
「丹生都比売神社から、ここまで歩いてきたんで」
「歩いてきても、休憩入れて5時間もあれば到着しますよ」
その瞬間、以前から妄想していた「町石道を歩く」ということが、急に現実味を帯びてきました。
町石道とは
町石道(ちょういしみち)は、慈尊院から丹生都比売神社を経て高野山に至る約19.5キロメートルの参詣道です。
一町(約109メートル)ごとに五輪卒塔婆形の町石が立てられており、慈尊院から高野山大門までに180基、さらに高野山内の壇上伽藍から奥の院までに36基、合計216基の町石が道標として配されています。
根本大塔の場所に1町石があり、高野山に近づくにつれ数が小さくなっていくというものです。
もともとは木製の卒塔婆でしたが、鎌倉時代に覚鑁上人の発願により石造に改められました。五輪卒塔婆の形は密教の五大思想(地・水・火・風・空)を表し、それぞれに梵字が刻まれています。
この町石道もまた、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録されています。丹生都比売神社の境内と町石道を結ぶ道は「八町坂」と呼ばれ、合流点には当社を遥拝するための「二つ鳥居」が建てられています。
語り部と共に歩くツアーは3コースに分かれています。
・慈尊院〜丹生官省符神社〜丹生都比売神社コース
・丹生都比売神社〜矢立コース
・矢立〜高野山コース
空海さんが歩いたこの参詣道を、いつか自分の足で歩きたい。
2022年のこの情報をキャッチしたことが、この先の参拝への確かな布石となったのだと思います。
9. 2023年──再訪と変わらぬ青空
2023年、再び天野の地を訪ねました。
この日も美しい景色に迎えていただきました。
変わらぬ天野の空、山々、棚田。
何度訪れても、この地はいつも穏やかに迎えてくれます。

これまでの高野山との繋がりを思い出しながら、ひとつひとつの参拝での出会いがこの青空のようにかけがえのないものであると感じました。
2019年の初高野山。
高野山大学のオープンキャンパスに参加し、空海さんの足跡に初めて触れたこと。2020年の大師号下賜1200年記念法会と宿坊での不思議な出会い。2021年の約束の例祭と、お助け地蔵尊への御礼参拝。
高野七弁天めぐり、立里荒神社での祝詞奏上、奥の院での先祖供養。
そのすべてが、この丹生都比売神社という「原点」から始まっている。
「神仏の融合の地」として、丹生都比売大神四神の描かれたお軸の御姿を静かに感じ、心の中で手を合わせました。
「神道と仏教の融合のはじまり」
──その原点となる想いが日本に受け継ぎ遺されていきますように。
その祈りは、何度目の参拝であっても、変わることなく胸の奥から湧き上がってくるものなのです。

なお、高野山での参拝体験については、以下の高野山巡礼シリーズで詳しくお伝えしています。
▪️高野山シリーズ①
▪️高野山シリーズ②
▪️高野山シリーズ③
▪️高野山シリーズ④
▪️高野山シリーズ⑤
10. 「神と仏と共に在ること」──丹生都比売神社が今に伝えるもの
「排他」ではなく「包摂」の信仰
ここまで読み進めてくださった方には、ひとつの事実が見えてきたのではないでしょうか。
丹生都比売神社は、神社でありながら仏教と深く結びついてきた場所です。弘法大師に土地を授け、壇上伽藍に御社を構え、境内に多宝塔や御影堂が建ち並び、神職と僧侶が共にこの社を守ってきた。例祭には今も高野山の高僧が参列し、玉串を捧げる。
これは「排他」ではなく「包摂」の信仰です。
6世紀に仏教が日本に伝来して以来、千年以上にわたって神道と仏教は平和に共存してきました。丹生都比売大神が空海に高野山を授けたという伝承は、単なる伝説ではありません。異なる信仰体系が互いを排除するのではなく、認め合い、補い合い、共に歩むことの象徴です。
丹生都比売神社の公式サイトは、このことをこう表現しています。
「災厄・国難を祓う女神として貴賤を問わず崇敬を集めていたこと。
弘法大師へ高野山を授けて、その総鎮守となったこと。
様々な糸が紡ぎ合わされ、やがてこの地は、神と仏が共にある日本の信仰の世界の源泉となりました」
明治の神仏分離を越えて
明治初年の神仏分離令により、境内の仏教施設は悉く撤去されました。多宝塔は失われ、御影堂は跡形もなくなり、大峯修験者の碑は境内の奥へと移されました。
しかし、すべてが失われたわけではありません。
光明真言曼陀羅碑は今も境内に残り、梵字は風雨にさらされながらも刻まれたまま。両部鳥居は密教の金剛界・胎蔵界を今に伝え続けています。そして何より、例祭に高野山の僧侶が参列するという慣習そのものが、神仏分離を越えた「共存」の証として、現在進行形で続いているのです。


日々の中にある「共に在ること」
私たちは日常において、異なる価値観や立場の違いに直面することが少なくありません。
しかし、丹生都比売神社が1700年以上にわたって伝えてきたのは、「異なるものが共に在ること」の尊さです。
神が仏教者に土地を授け、仏教者がその恩に報い、共に聖地を守ってきた。その関係は対等であり、一方が他方を支配するものではありませんでした。
この「共に在る」という姿勢は、私たちの人生にも通じるものがあるのではないでしょうか。
自分とは異なる考え方を持つ人を排除するのではなく、認める。
完璧を求めるのではなく、足りないものを互いに補い合う。
その先にこそ、天野の里のような穏やかで美しい景色が広がっているのだと思います。

むすびに変えて──
天野の地を繰り返し訪ねる中で、ひとつ確かに感じていることがあります。
それは、「想いを想いだけに終わらせず、行動にすること」の大切さです。
2020年の初参拝で心の中にひっそりと灯った約束の火。
それを翌年の例祭参列という行動に変え、涙するほどの体験を受け取りました。2022年に町石道の情報をキャッチしたことは、「いつか歩く」という新たな布石になりました。
そして2023年の再訪では、すべての出会いがかけがえのないものであったと、青空の下で静かに確信しました。
ある地点に達することが目標ではない。
日々その心を重ねること。
それを欠かさず繰り返すことにこそ、その日その日、そこに到達する真の意味があるのです。
丹生都比売大神が空海さんに高野山を授けたように。
高野御子大神が白黒の犬を連れて道を示したように。
必要な導きは、行動した者のもとにやってきます。
「参らねば片詣り」──この言葉の通り、高野山を訪ねるならば、まずこの天野の地で手を合わせてから。
それが弘法大師以来の慣わしであり、神と仏と共に在ることの、最初の一歩なのでしょう。

では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために
