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高野山巡礼②【高野山で外せない参拝ポイント5選】──弘法大師ゆかりの聖地を歩く

@Ricoです。

前回の記事では、初高野山での感動体験、そして奥の院での涙と生身供についてお伝えしました。今回は「高野山での外せない参拝ポイント」をテーマに、さらに深掘りしてお伝えしていきます。

高野山を訪れる方の多くは、壇上伽藍の根本大塔や金堂、そして奥の院・弘法大師御廟を巡られることでしょう。しかし、高野山の魅力はそれだけではありません。117もの塔頭寺院が建ち並ぶこの宗教都市には、知る人ぞ知る参拝スポットが数多く存在します。

今回は、私が実際に足を運び、深い感銘を受けた場所を中心に、高野山巡礼で外せないポイントをご紹介していきます。

第1章 金剛峯寺の見どころを深掘りする

1-1. 金剛峯寺の概要

前回の記事でも触れましたが、金剛峯寺について改めて補足していきます。

「金剛峯寺」という名称は、本来、高野山全体を指す名称でした。

弘法大師空海が経典「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」から名付けたもので、高野山そのものが一つの寺院であるという概念を表しています。

現在の「総本山金剛峯寺」と呼ばれる建物は、明治2年(1869年)に、豊臣秀吉ゆかりの2つの寺院である青巌寺(せいがんじ)と興山寺(こうざんじ)を合併して成立したものです。青巌寺は、文禄2年(1593年)に秀吉が亡母の大政所の菩提のために、木食応其(もくじきおうご)上人に命じて建立したお寺です。

現在の主殿は、文久3年(1863年)に再建されたもので、東西約60メートル、南北約70メートルという広大な建物となっています。

秋には紅葉も美しいのです。

1-2. 蟠龍庭(ばんりゅうてい)の深い意味

金剛峯寺を参拝される際に、ぜひ足を止めていただきたいのが「蟠龍庭」です。

主殿から渡り廊下を抜けた先に広がるこの石庭は、2,340平方メートル(約500坪)という国内最大級の規模を誇ります。昭和59年(1984年)、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。

この石庭の構成をご紹介しましょう。

全面には京都の白川砂が敷き詰められ、雲海を表現しています。その雲海の中に配置された石組は、雌雄一対の龍が奥殿を守っている姿を表しています。

勅使門から見て、左側に雄龍、右側に雌龍が配されています。龍を表現する石には、弘法大師ご誕生の地である四国の花崗岩が140個使用されています。そして、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。

ここで重要なのは、この石庭が「金胎不二(きんたいふに)」という真言密教の根本理念を表現しているという点です。

「金胎不二」とは、金剛界と胎蔵界は不二一体であるという思想です。

金剛頂経が説く「金剛界」は大日如来の智慧の世界を、大日経が説く「胎蔵界」は大日如来の慈悲の理性を表します。弘法大師空海は、この両部は一具であり、そこに甲乙浅深はないと説かれました(両部不二思想)。

雄龍と雌龍の対が奥殿を守る構図は、まさにこの金胎不二を視覚的に表現したものなのです。

雨の時の庭も趣きがあります

蟠龍庭の「蟠龍」とは、とぐろを巻いた龍のこと。地面にうずくまって、まだ天に昇らない龍を意味します。龍のように曲線を描いた石組が、白砂の雲海の中央に浮かぶ奥殿を守り囲むように配置されている様は、密教の宇宙観そのものを体現しています。

1-3. 千住博画伯奉納の障屏画

金剛峯寺のもう一つの見どころが、世界的に活躍する日本画家・千住博画伯が奉納された障屏画です。

令和2年(2020年)10月16日、金剛峯寺の「囲炉裏の間」と「茶の間」に、千住博画伯の襖絵が奉納されました。これは、高野山開創1200年を記念して制作されたもので、約6年の歳月をかけて完成した大作です。

囲炉裏の間には、全長25メートルを超える「瀧図」が奉納されています。
お釈迦様がお亡くなりになった日の夜を徹してお祈りする部屋という空間に、崇高な滝が描かれています。

千住画伯は制作にあたり、次のような言葉を残されています。

「自然で、柔らかく、そして光に満ちた滝。無我夢中で制作に明け暮れた。しかしうまくいかない。上から下に重力だけを頼りに絵具を垂らす。何十回とやり直す中、いつしか私の自我では表せないような、つまり私が描いたとは思えない滝の流れが表れた。見るに見かねて空海が後ろからそっと手を添えてくださったのだと感じた。制作の上でも『同行二人』だった、と思っている」

茶の間には、全長16メートルを超える「断崖図」が奉納されています。こちらは、弘法大師空海が修行された険しい山々の崖を表現した作品です。和紙を揉み込み、そこに絵具をのせることで崖の山々を表現するという独自の技法で描かれています。

何百年後までも後世に引き継ぐことができるよう、墨は一切使用されていません。背景の色は岩絵具の群青を焼いたものが使われ、瀧の部分は貝殻から作られた白色絵具の胡粉が用いられています。断崖図には焼群青に加えてプラチナも使われ、独特の表情を生み出しています。

また、この襖絵の間にお祀りされるお像があり、初回に気になっていたのですが、時間がなく断念。その後の参拝時に確認したところ、「愛染明王さま」だったと判明!

(ただし、法会等の関係で拝観できない日もありますので、事前に金剛峯寺公式サイトでご確認ください)

公式サイトより引用

第2章 根本大塔──立体曼荼羅の世界へ

2-1. 根本大塔の歴史と意義

壇上伽藍の中でひときわ目を引くのが、朱塗りの根本大塔です。

弘法大師空海は、高野山を真言密教の根本道場として開創するにあたり、この大塔を「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として建立されました。

創建当時は「毘盧遮那法界体性塔」と呼ばれていたそうです。
毘盧遮那如来(大日如来)の悟りの世界を現した塔という意味です。

建立は弘仁7年(816年)に始まり、弘法大師様と真然大徳(しんぜんだいとく)の二代を費やして、仁和3年(887年)頃に完成したと伝えられています。実に約70年の歳月をかけて完成した大事業でした。

現在の根本大塔は、弘法大師入定1100年を記念して昭和12年(1937年)に再建されたものです。鉄筋コンクリート造に木造を取り合わせた構造で、高さは約48.5メートル。多宝塔様式としては日本最初のものといわれています。

修復中の時にも遭遇しています。
令和6年(2024年)12月には、金剛峯寺金堂及び根本大塔が国の重要文化財に新たに指定

2-2. 立体曼荼羅の世界

根本大塔の内部に入ると、そこには「立体曼荼羅」の世界が広がっています。

堂内は撮影禁止ですので、言葉でお伝えしましょう。

ご本尊は「胎蔵大日如来」様です。
大日如来は真言密教の根本仏であり、宇宙そのものの象徴です。

「胎蔵」とは、母親が胎児を育てるように、人々を優しく悟りの世界へと導く「大悲(仏の慈悲)」を表します。

その周囲を取り囲むのは、金剛界の四仏(しぶつ)です。

東方の阿閦如来(あしゅくにょらい)
南方の宝生如来(ほうしょうにょらい)
西方の阿弥陀如来(あみだにょらい)
北方の不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)

胎蔵大日如来様を含めて「金剛界五仏」と称されます。

ここで注目すべきは、本尊が「胎蔵界」の大日如来であるのに対し、周囲を「金剛界」の四仏が取り囲んでいる構成です。
これもまた、先述の「金胎不二」の思想を表現しているのです。

さらに、16本の柱には十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)様が描かれています。これは堂本印象画伯の筆によるものです。

四隅の壁には、インドで生まれた真言密教を日本に伝えた八祖像(はっそぞう)が描かれています。八祖とは、龍猛菩薩、龍智菩薩、金剛智、不空三蔵、善無畏、一行禅師、恵果阿闘梨、そして空海です。

堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されているのです。

この空間に身を置くと、弘法大師様が1200年もの昔から私たちに語りかけてくださっているものを感じられるような気がします。
如来様のお顔も有難い限りで、何周もしてしまいました。

2-3. 根本大塔内の「一願守」

根本大塔の内部でしか見たことのない特別なお守りがあります。

それが「一願守」です。

このお守りは愛染明王様の種字(梵字)が刻まれた御守りで、手彫りのため一つ一つ印影が異なります。

具体的なお願いの仕方は以下の通りです。

梵字部分を御守り袋に入れ、護摩木に氏名と裏側に願意を書きます。
この護摩木は、1と8のつく日(毎月1日、8日、11日、18日、21日、28日)に愛染堂にてお護摩をする際にご祈願していただけます。

愛染明王様といえば「ご縁結び」の仏様として知られています。
しかし、その本質はさらに深いものがあります。

密教では「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という教えがあります。
これは、煩悩があるからこそ人々から悟りを求める心が生まれる、という考え方です。愛染明王様は、まさにこの教えを象徴した仏様であり、愛欲・煩悩を悟りを求める心に導き、様々な悩みを救ってくださる存在とされています。

また、不動明王様と一体になっている仏様、仏像があったりします。
不動明王を胎蔵界最高の明王、愛染明王を金剛界最高の明王とする解釈もあり、両界曼荼羅を構成する不動明王と愛染明王をツートップの対なる明王として扱う見方もあるのです。

他にも有名な御守り(九重守り)などはありますが、根本大塔に因んでご紹介しました。

第3章 宿坊体験──高野山ならではの貴重な体験

3-1. 宿坊とは何か

高野山での貴重な体験ができる場所が「宿坊」です。

高野山には52の宿坊があり、一般の参拝者も宿泊することができます。宿坊とは、もともと僧侶や参拝者が宿泊するための施設として発展してきたもので、高野山では平安時代から続く歴史があります。

宿坊に泊まると、以下のような体験ができることが多いです。

🔹精進料理をいただくことができます。
高野山の精進料理は、殺生を禁じる仏教の教えに基づき、肉や魚を一切使用しません。高野豆腐やゴマ豆腐など、工夫を凝らした料理は驚くほど美味しく、心身ともに清められる思いがします。

🔹朝のお勤めに参加できます。
早朝、本堂で行われる勤行に参列し、僧侶と一緒にお経を唱えることができます。凛とした空気の中での勤行は、日常を離れた特別な体験となります。

🔹写経体験ができる宿坊もあります。
静かな環境で心を落ち着けて行う写経は、まさに「三密加持(身・口・意)」の実践といえるでしょう。

3-2. 宿坊でのお写経体験

私が体験した宿坊でのお写経は、まさに別格でした。

事前に申し込んでいたので、自宅から筆と硯を持参しました。
お部屋に入ると、テーブルにはお写経用紙が用意されています。その用紙には「高野山奥の院」と書いてあり、弘法大師様のお姿が刻まれ、ご真言も入っていました。この時点ですでにパワー満載です。

食事を済ませ、お風呂に入って身を清めてからお写経タイム。
塗香で清めてから始まりのご挨拶をし、墨をすります。

このとき使った水が、実は特別なものでした。その日のお詣りでいただいた寳亀院さんの霊水だったのです。まさか、このお写経のタイミングで拝借するようになるとは思ってもいませんでした。

そうして完成したお写経は、翌日、奥の院に奉納させていただくこととしました。

宿坊での体験は、単なる宿泊以上の意味を持ちます。
高野山という聖地に身を置き、僧侶の方々と同じ空間で過ごすことで、弘法大師様の教えに少しでも近づくことができるのではないでしょうか。

第4章 塔頭寺院「寳亀院」──御衣寺の由来

4-1. 高野山の塔頭寺院について

高野山山内には、「〇〇院」と名がつく塔頭寺院(金剛峯寺の配下にある寺院)が117寺あるとされています。

それぞれの寺院には独自の歴史と特色があり、ご本尊も異なります。
すべてを巡ることは難しいですが、ご縁のある寺院を見つけて参拝されることをお勧めします。

私が初高野山の際に、とある方からアドバイスをいただいて参拝させていただいたのが「寳亀院(ほうきいん)」さんです。

4-2. 寳亀院の歴史と「御衣寺」の由来

寳亀院は、別名「御衣寺(おころもでら)」として知られています。

その由来は、延喜21年(921年)にさかのぼります。

ある夜、醍醐天皇の枕元に、髪や髭が伸び放題で、袈裟や衣も汚れて破けている姿の空海が突然現れました。そして「高野山 結ぶ庵に 袖朽ちて 苔の下にぞ 有明の月」と歌うと、その姿を消してしまいました。

驚いた醍醐天皇は、以前から東寺長者の観賢僧正が空海に大師号を授けてほしいと訴えていたこともあり、同年10月27日に空海に「弘法大師」の諡号を授けました。

同時に、中納言藤原扶閑を勅使として高野山に派遣し、弘法大師様に衣をお召し替えいただいたところ、やつれていたお顔にも光がよみがえったと伝えられています。

以来、毎年弘法大師様の御命日である3月21日に新しい法衣を廟所へ供養することになりました。そのために醍醐天皇の勅願により、観賢僧正が開基されたのが寳亀院なのです。

4-3. 弘法大師御衣替霊場

寳亀院の境内には、観賢僧正が掘ったと伝わる井戸があります。この井戸の水を「御衣染の霊水」と呼び、弘法大師御廟に供えるための衣を染めるのに使われています。今でもこの霊水を使い、毎年3月21日には弘法大師御衣替法要が行われています。

この霊水場には、弘法大師様の御影と錫杖をもった地蔵菩薩様がお祀りされています。霊水をいただく際には、「南無大師遍照金剛」とお唱えします。

私もペットボトルを持参して、この霊水を分けていただきました。飲めば胃腸によく、浴びれば皮膚に良いと伝えられています。

霊水をいただく際のポイントとして、空のペットボトルなどを必ず持参してください。現地にも置いてあることがありますが、念のため準備されることをお勧めします。

4-4. 本堂参拝と「巡り錫杖」

本堂に上がらせていただけるとのことで、有難く参拝させていただきました。

御衣を載せる籠(?)があり、その背後にひかえておられるのが弘法大師様。お隣にはご本尊の十一面観世音菩薩様がお祀りされています。

この十一面観世音菩薩立像は、弘法大師作と伝わり、別名「お衣観音」とも呼ばれています。重要文化財に指定されており、嵯峨天皇から醍醐天皇の時代までは宮中で祀られていたと伝えられています。

弘法大師様の御衣替の儀式では、当院で仕立てた御衣をこのご本尊に加持をしてから奥之院に奉納します。

霊水場の左隣には大きな「巡り錫杖」がありました。これを三回揺らすと、四国八十八ヶ所を巡礼したのと同じご利益がいただけるとされています。

お詣りしている中で、ご対応いただいた僧侶様から、御衣寺の由来やお袈裟の結び目にまつわるお話などを伺うことができました。

そして、御衣寺の由来になっている「御衣切お守り」を授かりました。これは、交換された古い衣を小さく切って作られたお守りで、様々な功徳があるとされています。

寳亀院さんの場所は、霊宝館の先、2分ぐらい歩いた先にありますので、金剛峯寺からも徒歩圏内です。

なお、現在、一般のお参りを受け付けているかどうかは、事前に寳亀院さんに確認されることをお勧めします。お寺にうかがう際には、受け入れ可能かどうか事前にチェックした方が良いでしょう。

第5章 立里荒神社(荒神社)──高野山の奥社へ

5-1. 立里荒神との出会い

初高野山の際、案内所でいただいたパンフレットがきっかけで、直感的に向かったのが立里荒神さんでした。

案内所の方から説明の最後に「これで復習して、作戦立ててなーーー!」と言われ、パンフレットを広げたときに目に留まったのがこの神社でした。

5-2. 立里荒神社とは

立里荒神社(たてりこうじんしゃ)は、奈良県吉野郡野迫川村の荒神岳(こうじんだけ、標高1260メートル)の山頂に鎮座する神社です。
正式名称は「荒神社」ですが、一般的には「立里荒神」「立里の荒神さん」の通称で親しまれています。

日本三大荒神の一つに数えられ、高野山の「奥社」とも呼ばれています。

高野山からは南東約17キロメートルに位置し、高野山よりも約300メートルほど標高が高い場所にあります。弘法大師空海が高野山開創にあたり、伽藍繁昌・密教守護を祈願された聖地として、今なお多くの参拝者が訪れています。

5-3. 雲海の絶景スポット

立里荒神社のある荒神岳は、雲海の名スポットとしても知られています。
季節の変わり目(9月末〜11月中旬、6月初め〜7月)の早朝に条件が揃えば、雲海から朝日がのぼる幻想的な光景を望むことができます。

参籠所では宿泊も可能で、この雲海を見るために泊まる方もいらっしゃるそうです。
また、天気が良ければ、荒神社から大峰山系の山々(金剛山、大天井ヶ岳、山上ヶ岳、大日山、稲村ヶ岳、大普賢岳、弥山、八経ヶ岳など)を見渡すことができます。

弘法大師様と立里荒神社の深い関係、神仏習合の歴史、実際の参拝体験などについては次回の記事でお伝えいたしますね!

結び──高野山巡礼で感じられるもの

今回は、高野山での外せない参拝ポイントとして、金剛峯寺の蟠龍庭と千住博画伯の障屏画、根本大塔の立体曼荼羅と一願守、宿坊体験、寳亀院、そして立里荒神社についてお伝えしてきました。

高野山は、弘法大師空海が弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から勅許を得て開創した真言密教の根本道場です。1200年以上の歴史を持つこの聖地には、目に見えるものだけでなく、目に見えない「何か」が確かに存在しています。

・根本大塔の立体曼荼羅は、密教の宇宙観を立体的に表現したもの。
・蟠龍庭は、金胎不二という根本理念を石庭に具現化したもの。
・寳亀院の御衣替の伝統は、弘法大師様が今なお生きておられるという入定信仰を1100年以上にわたって体現し続けているもの。
・そして立里荒神社は、弘法大師様が高野山開創にあたって祈願された、高野山の「奥社」と呼ばれる聖地。

これらすべてが、弘法大師様の教えと、それを守り伝えてきた人々の祈りの結晶なのです。

今回は、高野山参拝での想いと空海上人を感じられるスポットを絞りに絞り込んで「5つ」記載しましたが、まだまだ高野山の魅力は多く存在しています。
自分自身の内なる仏性に気づき、生かされていることへの感謝を深め、人生を善き方向へと捉え直すための巡礼は回数を重ねるごとに深まっていくでしょう。

天長9年(832年)、弘法大師様が高野山で初めて開かれた万燈万華会において、このような願文を詠まれています。

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」

宇宙がなくなり、人々がいなくなり、悟りの境地すら尽き果てたとき、
初めて私の願いも尽きる。

つまり、弘法大師様は「永遠に人々を救い続ける」という菩薩行の覚悟をここに示されたのです。この言葉こそが、今なお奥の院で入定され、私たちを見守り続けておられるという大師信仰の原点なのです。

高野山巡礼を通じて、少しでも弘法大師様の教えに近づき、自分自身の人生を見つめ直すきっかけとしていただければ幸いです。

では。

いつも、ありがとう^^


@Rico

幸せは自分のために
世界が平和であるために

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