喫茶&洋食ヒナタボコへようこそ|連作小説 ①やわやわパスタをどうぞ 目次 全20話 リンク有
あらすじ
百貨店に勤める榎本花歩は、マジメすぎて毎日疲れぎみ。
ある日、迷い込んだ「喫茶&洋食ヒナタボコ」で、絶品料理をつくる店主・古賀一青に出逢う。
母と祖母による強烈な嫁姑バトルの影響で、恋愛に臆病な花歩。
一青との癒やしの時間(&魅了的すぎる数々の料理)がかけがえのないものになってゆく。
職場にやってきた経営立て直し請負人・凄腕コンサルタントの古賀七生は、一青の実の兄。
無愛想ゆえ周囲に誤解されがちな七生は、確固たる信念を持っていた。彼の熱意を理解した花歩は、支店を盛り上げようと力を合わせる。
絶縁状態の兄弟に雪解けはおとずれるのか?
恋の三角関係のゆくえは?
第1話 やわやわパスタをどうぞ
1111字
働いてくたびれた頭では、なにをする気にもなれない。
ここ2週間は、まともなものを冷蔵庫に入れるヒマもなかった。空腹のままベッドに倒れ込んでも、それなりに眠れそうな気はする。それくらいに、芯から疲れ果てていた。
帰り道、白樺に巻き付けられた電飾に誘われ、ふらふらとその扉を開けた。高原にありそうなしゃれた建物のその店は、食事がおいしいと聞いたことがあった。店名にはしっかり「喫茶」とあるけれど。
ワンプレートランチが名物で、同僚に何度か誘われたことがある。行列で時間を溶かし、かき込むように食べるくらいなら、コンビニ弁当で充分。こんな思考だからか、このごろ肌も心もカサカサだ。
物理的にも視覚的にも店内はあたたか。クリームイエローの壁、オレンジチェックのテーブルクロス。店員は真っ赤なエプロンだ。
「おかえりなさい」
驚きすぎて声が出ない。
「今日もがんばりましたね。ゆっくりくつろいでくださいね」
わたしががんばったと、なぜ知っているのだろう。いや、単なる決まり文句? 友人のように、彼はふふっと笑う。
「オーラでわかりますよ」
「あ……どーも」
オッサンみたいな反応しかできない。
その店員は厨房に引っ込んだ。といっても、オープンキッチンなので料理するようすがよく見える。
にこにこと楽しげに具材を炒め、ソースを煮込み、塩コショウで味をととのえる。踊るような手さばき。うれしくてしかたないと、彼の全身が語っている。
「おまたせいたしました」
イカの白、海老のピンク。ぱっかりと開いたあさりに、新鮮なイタリアンパセリ。煮詰められたトマトは太陽のぬくもり。湯気までおいしい。獣じみた食欲がわいてきた。
「あの……めっちゃ、やわらかいんですね」
「はい、一晩寝かせました」
寝かせたパスタ? おかゆみたいなやさしさはトマトソースを吸い込み、かむごとにうまみが広がる。魚介の出汁ってこんな複雑な味なんだ。
「うまっ」
自宅じゃないんだった。はっと顔を上げると、とろとろの笑顔がそこに。
「なんか照れますね……」
いやいや、慣れているでしょうに。
「シェフの気まぐれ特別メニュー。という名のありあわせです」
申し訳ない、と頭をかきかき。
「自分用なんすよ。変でしょ?」
やわやわパスタが疲れた心に効く。修業時代、イタリアのマンマにふるまってもらったそうだ。
やわらかいといっても、アルデンテにゆでてから寝かせたり冷凍したりするそうで、もっちりとよい食感が残っている。
「閉店間際にすみませんでした。余裕がなくて」
入るときにすれちがった老夫婦。あれが最後のお客さんだったと今ごろ気づく。
うんうん、そういうことあるよね。彼は目だけで言い、まったく気にするようすはない。
夜食を奪った埋め合わせをしなければ。
次に会うときは、人間モードのわたしで。現金なものだと、自分がちょっとだけ、かわいく思えた。
(つづく)

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