「またYouTube見てるの!」の裏で、親はSNSに翻弄されていませんか?
「またYouTube見てる!」
「いい加減にしなさい!」
「目悪くなるよ!」
子どもに対して、
毎日のように怒っている。
そんな日々を送っている方は、
多いと思います。
でも、ふと気づいてください。
そう叱るスマホで、
自分は何をしているか。
インスタを開いて、
他のママの育児投稿を見る。
Xで発達障害界隈の有名アカウントをフォローして、
他の家庭と自分の家庭を比べている。
Threadsで
「うちの子は3歳で字が読めて……」
という投稿を見て、
深いため息をつく。
子どもがYouTubeを見ている時間と、
親がSNSを見ている時間。
どちらも、
同じ「画面の前にいる時間」のはずです。
でも私たちは、
子どもには「依存だ」と叱り、
自分には「情報収集」と
言い訳していないでしょうか。
よく考えてみてほしいのです。
子どものYouTubeは、
脳を回復させていることが多い。
でも親のSNSは、
見た後に心が削られていることのほうが、
多くないでしょうか。
今日は、そんな話を書いてみます。
前回記事の振り返り——子のYouTubeは「補給」だった
前回の記事で、
ASD特性のある子にとって
YouTubeは「逃避」ではなく「補給」だと書きました。
予測可能な世界で、脳を休ませている。
リピート視聴で、安心を補給している。
学校で過剰適応した脳が
回復するための行動。
それが子どものYouTubeでした。
ありがたいことに反応も大きく、
「YouTube見てる時間を
責めなくていいと知れて救われた」
というコメントを、
たくさんいただきました。
子どものYouTubeは、
確かに役に立っている。
じゃあ、
親のSNSはどうでしょうか。
同じように「補給」になっているのか。
それとも「毒」になっているのか。
ここをちゃんと
見つめてみたいのです。
親のSNSが「毒」になる仕組み
子のYouTubeと親のSNSは、
構造がまったく違います。
YouTubeの特徴を並べてみます。
予測可能で安心。
知っている世界。
刺激を自分でコントロールできる。
興味の深掘りができる。
社会性のバッファになる。
これに対して、
SNSの特徴はこうなります。
予測不可能。
知らない他人の話が次々流れてくる。
刺激は受動的に降ってくる。
情報は断片的。
そして比較の強制。
ここに最大の違いがあります。
特にインスタやXのフィードは、
見るたびに違うものが流れてくる。
しかも他人の生活、
他人の子ども、
他人の成功。
アルゴリズムは
「あなたの感情を揺さぶるもの」を
優先的に流す仕組みになっています。
「うちの子の発達が遅れていて……」と
一度でも検索した瞬間から、
そのアカウントのフィードは
変わってしまいます。
「他の子の成長報告」
「療育で劇的に変わった事例」
「専門家の警告」
それで埋め尽くされていく。
そしてそれを見るたびに、
こちらの脳は比べる。
「うちの子は3歳で字が読めるんです」
「療育で劇的に変わりました」
「服薬したら別人みたいに落ち着きました」
これらの投稿は、
書いた人にとっては
事実なのかもしれません。
でも、
見ているこちらの脳は、
自分の子と比べることを
止められないのです。
脳科学的には、
比較は脳の「報酬系」と「脅威系」の
両方を刺激します。
比較によって自尊心が揺さぶられ、
コルチゾールという
ストレスホルモンが分泌される。
これは「補給」とは正反対の状態です。
子のYouTubeが脳を整えるのに対して、
親のSNSは脳を疲弊させている。
見れば見るほど、
心が削られていく。
「比べちゃダメ」が効かない理由
「他の子と比べちゃダメだよ」
そう言われて、
「はい、分かりました」と
やめられる人はいません。
それは、意志が弱いからではありません。
比較は意志の問題ではなく、
脳の自動反応だからです。
SNSのフィードに
「3歳で字が読めるうちの子」
という投稿が流れてきた瞬間、
脳は反射的に
自分の子と比べてしまう。
これは止められません。
問題は「比べること」ではなく、
「比べる材料が大量に視界に入る環境」を、
自分で作ってしまっていることです。
比べる材料を見続ければ、
比べることはやめられない。
比較は意志ではなく、
環境で決まります。
だから
「比べちゃダメ」と
自分に言い聞かせても効かない。
「比べる材料を視界から減らす」という
環境調整しか、
本当の対策はないのです。
「普通ってなんですか?」の続きとして
過去に書いた記事「普通ってなんですか?」では、
世間の「普通」というラベルがいかに曖昧で、
子どもを苦しめるかを書きました。
「発達障害は才能?」では、
「才能」という美談のラベルが
当事者を消費する側面を書きました。
今回のSNSの話は、
その続きにあると思っています。
SNSで他の親と比べてしまうとき、
こちらが基準にしているのは
何でしょうか。
「普通」というラベル。
「できる子の親」というラベル。
「療育で成果を出した親」というラベル。
それは結局、
自分が外したいと願ってきたラベルを、
今度は自分自身が他人に貼って、
その上で自分と比べているということです。
「あの親はちゃんとやれている」
「私はちゃんとできていない」
比べているのは、
子どもじゃない。
ラベルです。
私たちはラベルとラベルを
比べているのです。
実体のない比較。
それで疲れている。
それで自分を責めている。
これほど不毛なことは、
ないと思いませんか。
親のSNSとの付き合い方、5つの調整
子のYouTubeに
「5つのウェルビーイング指標」があるなら、
親のSNSにも
調整が必要です。
以前のRobloxの記事で書いた
「時間より生活全体の質」という発想を、
今度は自分自身に当てはめてみてください。
ひとつ目。
比較がしんどい人をミュート、
あるいはフォロー解除する。
罪悪感を持たなくていいです。
それは仲間外れではなく、
情報収集と称した自傷行為を
やめるためです。
「フォロー解除されたら相手が傷つくかも」
と気にする必要はありません。
ほとんどの場合、
向こうは気づきもしません。
ふたつ目。
発達障害関連の検索ワードを、
少し減らす。
フィードのアルゴリズムは、
検索履歴と滞在時間で動いています。
検索を減らすだけで、
フィードに流れてくるものが変わります。
何も知らない時期に戻ると、
心が静かになる時間が増えます。
みっつ目。
SNSを開く時間を決める。
ダラダラ開かない。
子のYouTubeに時間制限をかけるなら、
自分のSNSにも
かけていいはずです。
朝の通勤中だけ、
夜のお風呂上がりに15分だけ、
というように、
枠を決めてみてください。
よっつ目。
「投稿は編集された一面」と意識する。
「3歳で字が読める」と書いている人は、
書きたいから書いています。
書かれていない苦労、
書かれていない癇癪、
書かれていない夜泣きは、
山ほどあるはずです。
投稿は事実の一部であって、
全体ではありません。
人と比べているとき、
私たちは
「相手の編集後の人生」と
「自分の編集前の人生」を
比べてしまっている。
これでは勝てるはずがないのです。
いつつ目。
SNSを閉じた後、
子どもの顔を見る。
今、目の前にいる子の顔。
SNSの中にいる「他の子」ではなく、
目の前にいる、
あなたの子の表情、声、笑顔。
それが現実です。
スマホの画面を閉じて、
顔を上げる。
そこにいる子が、
あなたが守るべき、
たった一人の子どもなのです。
子のYouTubeを
「補給」にできているように、
自分のSNSも「補給」にする。
それが無理だと思うなら、
距離を取っていい。
これは逃げではなく、
自分を守るための環境調整です。
子に求めることを、自分にも
子どもには
「YouTubeばかり見ないで」と言う。
子どもには
「現実を見なさい」と言う。
子どもには
「自分でコントロールを
身につけなさい」と言う。
じゃあ、自分はどうでしょうか。
SNSばかり見ていないでしょうか。
SNSの中の他人と自分の子を比べて、
目の前の現実を
見失っていないでしょうか。
コントロールが効かないまま、
夜中までスクロールを続けていないでしょうか。
子に求めることを、
自分にも求めてみる。
これは厳しい話ではありません。
自分を大事にする話です。
比べることは、
悪ではありません。
でも、
比べる材料を自分から
大量に視界に入れ続けることは、
自分を傷つけている。
今日、
フォローを一つだけ外してみる。
ミュートを一人だけ増やしてみる。
それだけで、
明日の心は少しだけ軽くなります。
そして軽くなった分だけ、
目の前の子の顔を、
ゆっくり見られるようになるのです。
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