ゲーム・パソコンを愛した漫画家たち 昭和編
ネットの足音が聞こえる様になった世紀末、それまでの迫害を乗り越えたオタク文化は一気にそのポテンシャルを爆発させることとなりました。しかしその過程にはアニメ・マンガ・ゲームが交錯しながら、切磋琢磨した雌伏の時代があったのです。
今回は先立ってオタク文化を牽引していた漫画家たちが、ゲームと邂逅していった時代を綴ります。
●今回明記のない資料はヤフオクやアマゾンなどからの転載が中心となります。ご了解下さい🙇
❶漫画家はオタク文化の象徴


1973年生まれの僕はまだギリギリインベーダーブーム熱狂の残り香を感じ、デジタルゲーム黎明期を知ることができたと思います。アニメに関しては機動戦士ガンダムの直撃世代ということもあり、その急激な発展過程を体験することができました。
一方マンガは既に一大文化圏を築いており、大衆ホビーとしての地位を揺るがないものにしていました。少年誌を筆頭に少女漫画、青年誌、劇画、教育漫画とそのジャンルは多岐に渡り、掲載雑誌ごとに独自のファン層がつくという成熟期を迎えていたのです。






1979年『少女漫画・夏の夜の夢』掲載作家陣がレジェンドの方ばかりです🤩




教育マンガも全盛を迎えていました。全部図書館で読んだなあ。













当然そのクリエイターが注目されることになり、当時のオタク文化の象徴であったように思います。その頂点はやはり「漫画の神様」こと手塚治虫先生、現役バリバリの時代から神格化された別格の存在でした。もはやマンガ家の域を超え、文化人のご意見番としてのポジションだったように思います。



北杜夫先生は無類のマンガ愛好家でもあり、小学館漫画賞・文藝春秋漫画賞の選考委員も務めていました。
手塚先生は多くの対談を残していますが、日本を代表する小説家であり教養人の代表格であった小松左京先生や、小説家でありながら精神科医としても著名な北杜夫先生と幾度となく対談されています。
広範囲で深い教養を備えた手塚先生に対し、両氏が最大限の敬意を払っていることが今読み返しても伝わってきますね。小説という長い歴史を持つ伝統文化に、マンガが急速に追いつこうとしていることを頼もしく感じたことを覚えています。
手塚先生と小松左京先生の科学万博についての対談記事はコチラ
一方で最も後発だったデジタルゲームはまだまだ未成熟な段階でした。これはゲームではないですが、1983年にマクセル製のフロッピーディスクの広告に漫画家が起用されたケースです。また1984年には松本零士先生がプリンターメーカー主催のアートグランプリの審査員を務められています。ある意味漫画家さんのネームバリューに、黎明期のパソコン業界が「助っ人を頼んだ」構図とも言えますね。ともあれマンガ文化とゲーム文化にはまだ距離があったという印象でした。








最後に1966~1967年に渋いラインナップのコミックを発売していたダイヤモンドコミクスの表紙集です。









❷ゲームを愛した漫画家たち
相変わらず前置きが長くなりましたが、そんな訳でパソコン少年の僕としては「漫画家さんがゲームやパソコンユーザー」と言うだけでファンになっていました。現在のようにSNSでクリエイターが気軽に発信できた時代ではなかったので、掲載雑誌の欄外に「ドラクエ面白いなあ」と書き込まれているのを見るだけで嬉しかったことを覚えています。この項では僕の知るゲームやパソコンの愛好家の漫画家さんをご紹介します。
●最古参のPCマニア モンキーパンチ先生






僕はルパン三世の再放送で育った世代です。学校から帰ると何時もルパン一家の痛快な冒険劇が繰り広げられていました。僕はこの癖が抜けず、社会人時代になっても6時に帰宅できた時はルパン三世のDVDを見てましたよ。
改めて原作を読み返したのですが、全編にわたって「読者への挑戦状」とも言える展開は唯一無二のものでした。今振り返ってみるとパンチ先生の作風は、既にゲームとマンガの融合を果たしていたのですね。
モンキーパンチ先生はAppleⅡ以来の漫画家最古参のパソコンマニアでした。LOGiN1986年4月の記事ですが「パンチ先生のお部屋拝見!」という企画。当時の最新鋭マシンPC9801XAとPC100がそろい踏み!現在では当たり前なパソコンでの漫画製作に、いち早く挑戦された漫画家だと思います。また先生は無類のAVマニアでもありました。当時を知る方なら涎の出そうな応接室です。
先生は66歳にして、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と東京工科大学大学院で学び直し、その後大学で教鞭をとるなど後進の育成にも取り組んでいました。その根底にはこの並外れた探求心や好奇心があったのだと思うんです。好奇心の塊のようだったルパンは、ご自身を投影したキャラクターだったのかもしれません。






これは1983年創刊のマイコンボーイというパソコン入門雑誌。当時のパソコンは表現能力が貧弱でしたから、マンガで補うという手法は極めて画期的でした。モンキーパンチ先生の素晴らしすぎる画力によって、単純な掲載ゲームが夢幻の広がりを見せてくれています。



パンチ先生ワールドが爆発!






●PC少年の伝道師 すがやみつる先生



1979年『ゲームセンターあらし』はゲームを本格的に扱った革命的作品と言えます。僕は実はスペースインベーダーを漫画ではじめて知ったんですよ。当時旅行先のゲームコーナーで運よく遊べることがあっても、ゲームセンターでゲームをやり込んでいた小学生は殆どいなかったと思います。あらしの連載が進んでいくと当時のアーケードの人気ゲームが次々と登場、その憧れが強烈なものだったことを今でも忘れることが出来ません。
『ゲームセンターあらし』はよく荒唐無稽なアクションシーンがクローズアップされますが、ゲームの構造やプログラムとは何なのかを小学生の僕らに解りやすく伝えてくれました。主人公あらしの友人であるさとるが天才プログラマー少年という設定だったため、誌面にパソコンやプログラミングの場面が登場するのも斬新でした。
🤔「このパソコンという奴でゲームは動いているらしいぞ」
そんなことを朧げに理解していたタイミングで究極のパソコン入門書『こんにちはマイコン』が発売。この書籍を切っ掛けにパソコン少年の道に進んだレトロPCユーザーは数多いと思います。
『ゲームセンターあらし』と『こんにちはマイコン』が現在でも神格化されているのは、すがや先生がガチのパソコンユーザーだったことが大きいと思います。誌面からほとばしる熱量はパソコンマニアならではだと感じるのは僕だけではないんじゃないでしょうか。
超売れっ子マンガ家だったにも関わらず、数々のMSXのイベントやパソコン通信の連載などを快諾してくれたのは本当に嬉しかったです。僕らにとってパソコンの伝道師とも言える存在でした。先生の情熱は冷めることなく現在でも様々なIT関係の入門書を執筆されています。その姿を見るたびに、いつまでもその背中を追い続けたいと思うのでした。






しかし残念なことにこの大ヒット作のフォロワーはすぐには出現しませんでした。1983年に連載が終了すると全国のゲーム狂のクソガキ達は一気に「あらしロス」の状態に。これが解消されるのはファミコンブームとともに1985年『ファミコンロッキー』『ファミコン風雲児』『ファミ拳リュウ』などが出現するまで2年の歳月を必要としたのです。これは当時から不思議に思っていましたが、デジタルゲームという新興ジャンルを描くことの出来る漫画家さんが少なかったことも一因かもしれません。
●アニメ、ゲーム、PCを繋いだ偉人 佐藤元先生








もはや何が本業なのか解らないぐらい多岐にわたって活躍されている佐藤元先生。公式HPのプロフィールを読むだけで、8-90年代のアニメ、ゲーム、パソコンの歴史を辿れるぐらい凄まじいです。ファンだった方は是非覗いてみて下さい。
1983年の「あらしロス」から暫く、漫画雑誌にパソコンやゲームはあまり登場しなくなりました。その間隙をついて現れたのがパソコン雑誌テクノポリスです。当時のPC雑誌は難解で取っつきにくいイメージでしたが、アニメのポップなテイストを織り込んだテクポリは異彩を放っていました。この分野を一手に引き受けたのが、当時新進気鋭の実力派アニメーターだった佐藤元先生だったのです。元々師匠の安彦良和先生への依頼だったそうですが、安彦先生がパソコンは苦手と言う事で元先生に話が回ってきたとか。
元先生は最大手IT企業CSKでFortranプログラマーの経験があり、現役のFM7ユーザでもありました。コミケで同人ソフト活動もされていたそうですから、この担当はうってつけだったと思います。テクポリはその後アニメとパソコンの融合という美少女CG路線に舵を切ることになるのですが、この流れに元先生が果たした役割は大きかったのではないでしょうか。
佐藤元先生はSDタッチのアニパロを得意としていましたが、これをゲームレビューに取り入れた点が秀逸でした。この手法はその後ファミコン攻略漫画で爆発的に普及しますが、その元祖だったと思います。初期の代表作『MY・パコ家族のゲーム・パック』は毎回楽しみでしたね。いつも元気なMYちゃん、物知りなカナお姉さん、ロボの癖にスケベで涎を垂らすパコ君のトリオは忘れられません。元先生は1994年の休刊まで深く関わっており、まさにテクポリの顔とも言える存在でした。
僕はアニメ雑誌も愛読していたので、テクポリと両誌で大ファンでした。コミックボンボンで『爆笑戦士SDがンダム』やファミコン漫画も多数執筆されてたので、名前を知らなくても「見たことある!」って人も多いんじゃないでしょうか。僕の嫁さん曰く
🤭「あ、知ってる!あの鼻のない女の子の人でしょ」
アニメで大活躍されていた先生がパソコンユーザーだったことは、僕達パソコン少年にとって凄く嬉しいことだったんですね。アニメ・ゲーム・パソコン・ガンダムと、僕達が大好きな物を繋いでくれたのが佐藤元先生だったと今になって感じます。










佐藤元先生禁断のアニパロ広告特集がコチラ。フォロワーさんに「よくどこにも訴えられずに生きながらえましたね…」と言わしめた内容です😁
●PCゲーム漫画の最高傑作 矢野健太郎先生





ティラムバラムはCTHULHU神話を題材にしたPCゲーム。


エルフの復讐鬼という斬新な設定。

最終作のカバーはFM-TOWNSII HRで作製したCGを使用。スキャナを持っていなかったのでFAXを代わりに使用して線画を取り込んんだとか💦



ちなみにお二人ともFM7ユーザーでウィザードリィフリーク。


80年代に入るとオタク系趣味を全面に出した漫画家さんも増えてきました。しかしこの分野は「にわか」を猛烈に拒絶するので、ホンモノしか残れない過酷なテリトリーなんですが…その一人が矢野健太郎先生。『アオイホノオ』の島本和彦先生の先輩にあたり、晴海以前の会場を転々としていたコミケにも参加していたというガチのオタク第1世代です。初期のヒット作『ネコじゃないモン!』ではアーケードゲーム、パソコン、カメラ、タロット占い、シンセサイザー、猫ちゃんなど先生の趣味が詰め込まれていました。
特にパソコンは基盤むき出しのTK-80時代から興味を持ち、コンパチ版AppleIIが初代愛機というベテランユーザーでした。当時は純正のAppleIIが高額すぎて、香港製のノーブランド品を買うのが主流だったんですよ。アバロンヒル社のシュミレーションゲームに熱中したのが購入動機というのもマニアックです。
その後テクノポリス誌にパソコンゲーム漫画『ゲームジョッキー』を長期連載。佐藤元先生とのニ枚看板で同誌を牽引してくれました。この時期のテクポリはPCゲーム漫画を2本掲載していましたが、理系の元先生、文系の矢野先生とお二人の趣味が違うのでバランスが取れていましたね。特にウィザードリィには特別の想いがあるらしく、同じパーティーで全作レビューされています。
僕は先生がMSXユーザーで、YAMAHAのシンセDX-7と繋いで打ち込みもされていたと聞いて速攻ファンになりました。『ネコじゃないモン!』に登場した谷山浩子さんを聞くようになったのもこの頃で、その後CTHULHU神話にハマったのも先生の影響です。今振り返るとマンガの影響で始めた趣味も多く、矢野健太郎先生にはその点でもお世話になりました。
●アスキー漫画の立役者 桜玉吉先生











「MSXマガジン創刊からMSXとともに歩んできた」と言うのが泣かせます。

ファミ通創刊号から連載された『しあわせのかたち』のファミコンパロディのイメージが強いと思うのですが、MSXユーザーの僕にとってはMSXマガジン時代から長い付き合いの漫画家さんです。
最初期にはモデルとしてペンタブレットの特集記事などにも登場してるんですよ。顔出しでイラスト入門コーナーなども担当されていました。その後Mマガというマイナー雑誌のイラストレーターから、アスキー漫画部門のトップとして大ブレイクしたのをファンの一人として嬉しく思っていました。
玉吉先生は基本エッセイ形式の作風なので、僕にとっては「面白いゲーム好きの兄貴分」というイメージでした。しかし90年代中期あたりから雰囲気が一変、写実風の絵柄で暗くひねくれた作風に転向してしまいます。あまりに毒を吐き続ける内容に戸惑っていると、当時医大生だった悪友FM7くんが
😧「玉吉の奴、やべーんじゃないか…」
僕はプロレスファンを小馬鹿にしたような内容の回に憤っていたのですが、彼の指摘により考えを改めました。その後玉吉先生は鬱病を公表され現在に至ります。これからもマイペースに創作活動を続けることを心から願っています。
●ゲーム野郎のバイブル 荒井清和先生









これでましんご臣に勝つる!

様々なパソコン雑誌が鎬を削りましたが僕はログイン派でした。当時アスキー編集部はパソコン業界人の総本山という雰囲気があり、その豊富な人脈から各方面の実力者が筆を振るっていました。しかしパソコンマニアはイカれた変人ばかり、その編集部のエッセンスを凝縮したキャラクターが『べーしっ君』だったように思います。
そもそもべーしっ君という名前自体がプログラミング言語であるBASICの捩りなのですが、ライバルがましんご臣というのもパソコン少年でないと意味が解らなかったですね。マシン語リストをちりばめたガクラン姿もメチャ不気味ですよ。当時のパソコンではBASICで組んだプログラムは激遅で、上級者はマシン語習得が必須でした。これを揶揄して近藤 ましんご臣はべーしっ君に上から目線でマウントを取りまくるのですが、パソコンクラブの先生に
😩「アホ!BASICの方が高級言語なんだぞ」
と教えてもらって愕然とした想い出があります。初期の『べーしっ君』はパソコン少年のテイストが強く、その愛すべき奇行を肯定的に描いています。当時のパソコンは信じられないぐらいマイナーな趣味で、ユーザーは根暗で内向的なイメージでした。それを覆すべく生まれた『べーしっ君』は、「コンピュータでしまいにゃ笑うぞ!!」と徹底的な娯楽路線を突っ走ったログインの象徴だったと思います。
僕はべーしっ君のキャラクターに相当影響を受け「オタクで何が悪い!」とばかり、アグレッシブに自分の趣味を徹底することを決意しました。勉強は苦手、プログラムもそんなに得意じゃない…それでも底抜けに明るくいつも友達に囲まれているべーしっ君は、ログイン読者の理想像でもあったのです。
『べーしっ君』に大きな転換が訪れたのはファミコン通信の創刊でした。同誌のマスコット的存在となり、創刊号の表紙を飾ることになります。ファミ通連載ではべーしっ君はゲーム野郎にクラスチェンジ、ファミコンソフトを弄り倒す芸風にシフトしていきました。パソコンユーザーとしてはちょっと寂しかったですが、ファミ通とべーしっ君の快進撃はゲームが少しずつメジャーなホビーへと駆け上がっていく過程だったような気がします。

下らない話で恐縮ですが、このことを如実に感じたのは幼馴染のナムコくんが、溺愛していた『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』を不良のヤンキーにカツアゲされた時だったんですよ。色々あって僕が救出する羽目になったのですが、絶滅危惧種のリーゼント野郎に
😏「ワープロ1面のクリアの仕方を教えてやろうか、ウヒョヒョ」
と挑発した所、
😡「オデはバカじゃね~!」
と逆上して突っかかってきたんです。ちゃんとヤンキーも頬に「バカ」と刻印された番長ヨシオのことを知ってたんですね🤣
『べーしっ君』は思春期のパソコン友達のような存在でした。いつ会っても馬鹿笑いすることのできるアイツ…そんなかけがいのないキャラクターだったように思うのです。


これは1983年のログインなんですが、めちゃ可愛いです😍






荒井清和先生がキャラデザを担当された『オホーツクに消ゆ』ファミコン版の特集はコチラ
●麻雀の師匠 片山まさゆき先生







僕は『ぎゅわんぶらあ自己中心派』で麻雀を覚えた世代です。麻雀の唯一の欠点はルールが複雑なことなのですが、毎回個性的な麻雀打ちが登場する展開はルールを知らない読者にも楽しめる事が出来ました。1987年にゲームアーツからパソコン版が発売されると人気が爆発。ぎゃん自己のマンガとゲームが麻雀普及に果たした役割は大きかったと思います。麻雀は付き合ってくれる友人がいないと習得が難しく、成人してからだと中々機会がありません。僕らにとって片山まさゆき先生は麻雀の師匠とも言えました。
ゲーム版で異質だったのは「ツキ」という要素を導入していること。このためぎゃん自己の「キモ」とも言えるタコ打ちを再現することが可能になり、「チャイ」や「変なことしちゃった?」という原作再現セリフも雰囲気を盛り上げてくれました。ゲーム性とエンタメが高度に融合した傑作キャラゲーだったと思います。
個人的な意見ですがパソコン少年には麻雀打ちが多い印象です。麻雀は常に期待値を計算するゲームですが、その工程がプログラムに通ずる点があるのかもしれません。まあ僕はプログラムも麻雀もタコ打ち専門ですが😁零細経営者時代は取引先の社長さんたちと西新宿の会員制雀荘で、あまり在庫の味噌やら缶詰を●けて熱い徹マンを打っていました。
片山まさゆき先生はファミコン通信の初期に『大トロ倶楽部』というファミコンギャグ漫画を掲載していました。相変わらずハチャメチャな展開で、隔週カラーだったせいか作画も崩壊気味でしたが、ギャグのキレはさすがでしたね。相当数のゲームを取り扱っていましたがどれもやり込みが感じられ、片山先生のゲームに対する真摯な姿勢が伺えるような気がしました。
その後も片山先生は麻雀に拘り続け、90年代麻雀漫画の最高傑作とも言える『ノーマーク爆牌党』を発表。牌を打つごとに高まる異様な緊張感は今までの麻雀マンガと一線を画していました。全キャラクターが麻雀に対して揺るぎない哲学を持っており、その矜持を賭けて激突する闘牌には痺れましたね。この作品は雀士の圧倒的支持を受け、雀荘にボロボロになったコミックが押川雲太朗先生の『根こそぎフランケン』とセットで置かれているのをよく見ました。
実際の雀士としても確かな実力を持ち、現在も麻雀の普及啓蒙活動を続けられている片山先生。そんな麻雀を愛するホンモノの人物が、自分の麻雀の師匠だったことを嬉しく思うのでした。
●角川の裏番長 中野豪先生




豪先生はかなりマニアックなゲームについても造詣が深いです。




くだらなさが爆発🤣でもやったなあ。


猫好きの嫁さんが「わかる~」と唸ってました。
僕の世代のコンプティーク読者なら知らぬものはいないと断言できる鬼才中野豪先生。どのゲーム雑誌も専属漫画家がそのイメージを決定していましたが、その強烈なイラストが至る所を飾っていました。コンプの誌面はかなりカオスな構成でしたが、その象徴とも言えるのが中野豪先生だったと思います。
8-90年代のコンプティークは、当時注目されたオタクコンテンツのごった煮のような熱量がありました。先生はその多岐に渡る企画のほぼすべてにイラストを提供していて、実は相当博識であったことが伺えます。僅か一コマで強烈に風刺するセンスは唯一無二のもので、毎号楽しみにしていました。




また特徴的な似顔絵は「本人以外は似てる」と大絶賛🤣主な被害者はクロちゃんこと黒田幸弘氏や編集長の佐藤辰男氏でした。特にTRPGの入門書『クロちゃんのRPG見聞録』でのクロちゃんとのコンビは神がかっていて、一番ハマっていた気がします。豪先生は登場人物を愛すべき変態として描いてますが、佐藤辰男氏はその後超偉いさんになる常識人ですし、黒田氏はレジェンドとも言えるゲームクリエイターです😁
中野豪氏は2006年大腸癌のためお亡くなりに、50歳というあまりにも早すぎるお別れでした。もっともっと多くの作品を見たかったですよ😥その後「Go!さんの本を作る会」が発足され、全集である『中野豪イラスト傑作 豪傑』が2007年に発行されました。その発行者が一番の被害者で、角川代表取締役会長就任直後だった佐藤辰男氏であったことが涙を誘いました。多数のメッセージを寄せられ、業界の多くの方に親しまれていたことが伺えます。
●ファイナルファンタジーVとスケバン刑事 和田慎二先生









1985年にTVドラマ版の『スケバン刑事』が大人気だったので従姉妹のお姉さんに原作を借りた所、全く違うテイストで仰天しました。1976年と僕にとってはやや古い作品でしたが、少年誌を超えるバイオレンス描写とハードボイルドな展開に圧倒されたことを覚えています。登場人物が全員何かしらのトラウマを抱えている設定で、しかも救われない死を遂げるというのが衝撃でした。一貫して漂う陰鬱さは徹底されていて、どっかの雑誌の「友情・努力・勝利」の世界とはかけ離れていました。
麻宮サキは誰も信じないローンウルフタイプの主人公ですが、仲間になったキャラが片っ端から惨殺されるのが彼女の悲哀を際立たせていました。実母が陰謀に嵌って妹を射殺した上、サキを逆恨みして死んでいく描写は口の中がカラカラになった記憶があります。さらに語り部であり物語の最重要人物である神恭一郎まで死ぬとは思ってなかったですよ。今考えると麻宮サキと相思相愛になった時点でフラグが立ちまくりなんですが…
第1部の最終ボスである海槌麗巳は『キャンディ・キャンディ』のイライザ様を彷彿とさせる縦ロールお嬢様なのですが、その邪悪さと狡猾ぶりは悪魔将軍とキン骨マンぐらい差があります。徹底してサキを精神的に追い詰める生粋のサディストで、用済みになった部下や姉妹も容赦なく粛清するスターリンもビックリの暴君ぶり。そのくせレズっ娘でサキに対して異常に執着し、最終的にその葛藤で苦しみ抜いた上に爆死するという松永久秀顔負けの大悪党ぷりを演じてくれました。
『スケバン刑事』を読んだ後に『北斗の拳』を読むとホッとする位の凄惨な物語なのですが、『花とゆめ』という老舗少女漫画雑誌に連載されていたというのも驚きでした。当時の女の子がどういう心境で本作を読んでいたのか従姉妹のお姉さんに聞いた所
🤔「サキには男にはない暴力の美学があるの」
との回答に、何となく納得したのでした。
和田慎二先生は僕よりかなり上の世代なのですが、相当のヘビーゲーマーだったようです。『ファイナルファンタジーV』に関して宇宙戦艦ヤマトを引き合いにしてストーリーの展開を予測されたりしています。
『ファイナルファンタジーV』はスーパーファミコンのRPGとして最高傑作の一つではないでしょうか。多くのイラストレーターさんがその幻想的な冒険を描いてくれたので、ゲーム雑誌に掲載されたものを選んでみました。







●おたくSFならこの人 あさりよしとお先生







1981年のおたくブーム時期にデビューし、現在でも活躍を続けるあさりよしとお先生。ファミコンソフトの評論家としても活動され、ゲーム構造まで踏み込んだ危険球スレスレの辛口コメントが人気を博しました。
強烈に印象に残っているのがゲームボーイ版『アレサ3部作』のコミカライズ。主人公が女の子というのは当時としてはまだ珍しく、しかもビキニアーマーでTバック😍流石に任天堂さんに怒られちゃったのかシリーズが進むにつれて露出度が低下していったのですが、僕を含めこの事を惜しがるプレイヤーは非常に多かったとか。しかもそのことをアレサIIのコミカライズで読者サービスでネタにしているのだから最高です😁ちなみにこのマンガは雑誌の付録だったんですが、好評で広告の小冊子としても配布されました。












●コブラからの伝言・X68Kユーザー 寺沢武一先生




「いるさっ!ここにひとりな」



何物にも捕らわれず自由に生きる宇宙海賊コブラ、その生き様に誰もが憧れました。先生はコンピュータグラフィックスを漫画に導入した先駆者であり、熱烈なゲームユーザーでもありました。ブイチ先生はマックユーザーのイメージが強いですが1984年にPC9801を皮切りに、PC8801やX68000も購入したガチのパソコンユーザーなんですよ。
ゲームにも造詣が深く、隠れたパソコン名作RPG『夢幻の心臓』を好きなゲームに挙げています。先生が頑張ってマッピングするのを想像すると笑ってしまいますね。原作の「異次元レース」は異世界を巡る話ですが、コブラが「夢幻の心臓」の世界で活躍するのを想像しちゃいます。
寺沢武一先生に関しては以前追悼投稿をしたので、ファンだった方は是非覗いてみて下さい。
●忘れじの名作ダンジョン・マスター 栗橋伸祐先生



パソコンゲームが進化し、ビジュアルや物語が高度になってくると当然コミカライズという流れになってきました。しかし家庭用ゲーム機に比べてパソコンゲームは敷居が高く、作者がゲームをプレイせず独自の展開で漫画化されることが殆どでした。しかし栗橋先生は執筆のためにパソコンを購入し、ダンマスにドはまりしたとのこと。全編に渡って作品への愛が溢れて いました。
連載の欄外などに栗橋伸祐先生がダンジョン・マスターを繰り返しプレイし、クリアーまでしたことが載せられていました。先生のゲームに対する愛情と若き日の情熱、そして圧倒的な画力によって傑作『ダンジョン・マスター』は生まれたのです。
栗橋伸祐先生に関してはやはり追悼投稿をしたので、ファンだった方は是非覗いてみて下さい。
●蛭子能収先生は夢幻戦士ヴァリスファン?

カルト系漫画の代表格である蛭子能収先生も、実は熱狂的な?ゲームファンだった事が判明。しかも麻雀ゲームとかじゃなくて、80年代美少女ゲームの名作『夢幻戦士ヴァリス』のファンだったと言うから驚きです。アクションゲームが好きだったんですね。ⅡをプレイしたそうですがⅢも大絶賛してます。
ちなみにこのネタは僕のTwitterアカウントが健在の時に投稿した所
🤔「本当に本人が書いてるのか、真面目すぎるし」
😁「日本テレネットに負けた麻雀のカタに書かされたんじゃねえの」
😒「あんたの絵じゃヴァリスには使えねえなあ、そうだ!てな流れで決まった感じかな。」
と散々に言われ放題。確かに全盛期の蛭子さんはお金になるオファーは何でも引き受けてたそうですからね。と言うか日本テレネットがどうして蛭子さんにオファーを出したのかが謎すぎます。この有名人に広告に出て貰う「証言シリーズ」の記念すべき第一回が蛭子さんなんですよ!美樹本晴彦先生とかも登場してるのに。他にはみうらじゅん氏などが登場して、相変わらずのみうら節を披露しています😁





蛭子さんと言えば空気を読まない鬼畜発言が最高でした。もしヴァリスのミス優子選考会審査員になったら
🤔「女の子は中の下ぐらいのレベルですね。まあ本命は2-4かな」
とか言いそう😜
現在は認知症を公表されて療養されているとのことですが、優子ちゃんに癒して貰ってまたイカレたギャンブル伝説を復活して欲しいです。頑張れ蛭子先生!
●イカレ麻雀ゲームの最高峰 喜国雅彦先生





人気ギャグ漫画家だった喜国雅彦先生ですが、『別冊近代麻雀』にて名作漫画をパロディにした麻雀漫画を多数発表するほどの麻雀好き。当時雀荘で読むのが楽しみでした。しかし麻雀ゲームのやりすぎでファミコンをぶっ壊したというのだから気合が入ってます。
そんな先生のパロディ精神が爆発したのが奇ゲー『喜国雅彦の雀闘士 銅鑼王』。先生がキャラデザを手掛けた2人打ち麻雀ゲームで、牌衣(クロスと強引に読ませる)と呼ばれる鎧を身に着けた「雀闘士」たちが女神アテナイデを守るという危険過ぎるストーリー。
勿論『聖闘士星矢』のパロディで、コスモを貯めて繰り出す必殺技「ペガサス流局拳」で強引に流局させたり、「ナインセンシズ」で九連宝塔を積み込むなどやりたい放題。ピンズダストなどで筒子だけをツモリながら染め手を作り、危なくなったら「ペガサス流局拳」で流局させるなど必殺技ありきのバランスなので、やりすぎるとマトモな麻雀が打てなくなる恐れが😁
先生は「パロディーをどこまでなら怒られずにすむか頭を捻った」そうですが、十分ヤバすぎますよ🤣
●ぼのぼのとPC いがらしみきお先生


癒し系動物キャラが繰り出す不条理ギャグで人気だった『ぼのぼの』しかし根底には哲学的な笑いが内包されていました。
実はいがらしみきお先生は古くからのパソコンマニアで、ネット初期にインターネット連載が評判を呼んだホラー漫画『Sink』なども発表されています。これは1988年のインタビューでパソコンの未来について持論を語られています。ゲームではファミスタがお好きなようですね。
❸本棚は自分自身の名刺




いかがだったでしょうか?ゲーム、アニメとくれば、やっぱりマンガについても語りたいなあと思って始めてみたら、こんなカオスな投稿になってしまいました😁
これは音楽CDやゲーム、DVDなんかもそうなんですが、本棚に並べられている作品達は、自分自身の名刺代わりだと思います。何度も読み返した作品やキャラクターは、もはや一心同体の存在ですよ。改めて偉大な作品達によって、自分のアイデンティティが創られていったことを感じる事が出来ました。皆さんにもボロボロになるまで読み返した「自分だけの一冊」があるのではないでしょうか。そんな作品をもう一度想いだしてくれたら…そんな気持ちを込めて綴ってみました。


自分はジャンプ黄金時代の直撃世代で、ジャンプを買わなくてもどこかしらに転がっていて読むことが出来たぐらいです。しかし平成を迎え世紀末の足音が聞こえるようになると、王道たる「少年誌」に対抗する新たなる波の洗礼を受けることになるのでした。このゲーム雑誌から派生した『月刊コミックコンプ』『月刊アスキーコミック』など次世代マンガ文化に関しては、続編の「平成編」で特集出来たらと思っています。
それではまた次回、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
サイボーグMSX
僕は正直全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇♂️
いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹
校正も一応やっているのですが、なにか文章でおかしな点があったらコメント欄でご指摘頂けると有り難いです🙇
