コブラからの伝言・X68Kユーザー寺沢武一先生
あなたの描いた漢は何時だってカッコよかった。そしてあなた自身も……追悼・寺沢武一先生
何物にも捕らわれず自由に生きる宇宙海賊コブラ、その生き様に誰もが憧れました。先生はコンピュータグラフィックスを漫画に導入した先駆者であり、熱烈なゲームユーザーでもありました。
今回は皆さんと共に『それは まぎれもなく ヤツさ』の足跡を辿ってみたいと思います。

①1982年の宇宙海賊
僕が始めてコブラにあったのはTVアニメでした。1982年10月放送開始のスペースコブラは全国の小学生の心を鷲摑みに。今までの子供向けアニメとは一線を画すアダルトなヒーローの登場に僕も熱狂しました。僕は当時小学生新聞の編集長だったのですが、好きなアニメアンケートでうる星やつらに次いで2位だった記憶があります。

その後漫画版の存在を知りましたが、セクシーなボンデージ風ファッションが母上の逆鱗に触れて購入禁止に。そんなわけで1年かけていきつけの床屋さんで全18巻を読破したのでした。コブラについて語りだすとキリがないのでこの辺で・・・

②パソコン&ゲーム狂の漢

ブイチ先生はパソコンそしてゲームマニアでした。1984年にPC9801の購入を皮切りに、PC8801やX68000も購入。伝説のマシンPC100を購入して1週間だけ使って捨てちゃったという豪快なエピソードも。これでMSXユーザーだったら完璧だったのに😁
またゲーム機も全部所持していてセレクターで10台接続するというマニアっぷり。この記事は 1991年6月だったので最新機種のネオジオも購入されているのがゲーマーの証です。好きなゲームは三国志やファイヤーエンブレム。大河ドラマ風の作品がお好きだったのでしょうか。渋い所では隠れた名作RPG『夢幻の心臓』を挙げています。先生が頑張ってマッピングするのを想像すると笑ってしまいますね。
原作の「異次元レース」は異世界を巡る話ですがコブラが「夢幻の心臓」の世界で活躍するのを想像しちゃいます。

この1989年3月のインタビューでは愛用のパソコンにX68Kを上げています。仕事場においてゲームを楽しんでいたとか。このX68KのコブラのCGを見てみたかったなあ。
ブイチ先生というと一般的にマッキントッシュでのCG制作のイメージが強いのですがそれはかなり後でのことで、それまでは国産パソコンを愛用されていたんです。 先生が僕達と同じパソコンゲーマーだったことに感動しちゃいましたよ。こんなカッコいいX68000ユーザーはいねえだろ!
「いるさっ!ここにひとりな」
③コブラ黒竜王の伝説1989年3月

PCエンジンの最大の特徴であるCD-ROM2は1988年12月に発売されましたが、当初は殆ど見向きもされませんでした。残念ながらCD-ROM2の特性を生かすゲームが発売されなかったからです。友人のPCエンジンくんは延々と「No・Ri・Ko」の小川範子ちゃんと「あっちむいてホイ」をするハメに🤣ちなみに世界初のCD-ROMゲームソフトです。
そんな折救世主のように登場したのが「コブラ黒竜王の伝説」。原作を取り込んだドット絵やアニメーション処理はゲームの革命とも言えました。僕は秋葉原でデモを見た時、映像と山田康雄のフルボイスに仰天しました。


④伝説となったコブラII伝説の男1991年
前作では時間が取れずゲーム制作にほとんどタッチしていなかったブイチ先生でしたが、次回作では満を持して自ら総監督を務めることになります。物語や脚本は勿論のこと500枚の絵コンテ、3000枚の原画を書き下ろすという偉業を達成。ヒューッ!
これはマンガのゲーム化として原作者のギネス記録じゃないでしょうか。先生はデジタル作画の先駆者であるだけではなく、CDROMのゲームに命を吹き込んでくれたんですよ。

そう言った経緯もありコブラIIではブイチ先生のインタビューが多数ゲーム雑誌に掲載されました。どれも先生の並々ならぬ決意を伺うことが出来ます。

「今回、マンガを描くのとまったく同じ考え方で作りました。(中略)ぼくにとってはマンガの(デラックスバージョンの)第11巻と同じことなんです。その11巻目がたまたまCD-ROMだったというわけです」
こう語っているほど。出来る限り当時の資料を集めてみましたので、皆さんにも先生がこのゲームにかけた熱い想いを感じて欲しいです。

今回是非残しておきたかった資料がブイチ先生と天外魔境シリーズの広井王子氏との対談記事。当時の最新機器であったCDROMの可能性から、将来のゲームへの展望を語り合う読み応えのある内容です。

CD-ROM2の最初期ソフトとして黒竜王の伝説は十分な傑作でしたが、コブラIIははるかにそれを上回る完成度であることが映像を見て頂けるとご理解できると思います。

コブラIIの制作発表会の様子。コブラガールズに囲まれてご満悦のブイチ先生です。声優の山田康雄さんも登場して豪華な雰囲気だったんでしょうね。ブイチ先生は作品だけでなくご自身も「絵になる」漢でした。


⑤ブイチ先生大いに語る


1989年8月のインタビュー記事。先生がドラゴンクエストについて語っています。その鋭い考察は先生が生粋のゲーマーであることを伺わせますね。また「ゲームは文学とか芸術のように、いろんなことを表現できる可能性がある。新しい試みにチャレンジしていかないと」と述べています。この想いが「コブラII伝説の男」制作の原動力になったのではないでしょうか。
ところで先生の後に飾ってあるセクシーなお尻の外人女性はジェーンのモデルなんでしょうか。



1994年1月、プレイステーションやセガサターンが発売された年のインタビュー記事。冒頭で1985年の『黒騎士バット』でPC-9801を使用したCG制作のことを述べています。まだ初期タイプのPC98ですから8色なんですね!まさに芸術品です。最終的にはディスプレイを写真に撮って入稿されたとか。


https://x.com/BuichiGuild/status/1708518157944860897

8-90年代、コンピューターCGは凄まじい勢いで進化していました。その先駆者としてアニメ、電子書籍、ゲームなど多岐に渡っての可能性と課題について熱く語られています。この時期のCDROMのゲームに対しての苦言や「電子出版というものは、出版の未来を考えるとやらねばならないことだ」という言葉は重いと感じました。
⑥コブラの電子ゲーム
最後におまけでコブラのゲームで思い出深い電子ゲーム、 ポピーから二種類発売されてました。両方やったことあるんですが、かなり面白いです。特に迷宮タイプの奴は難易度が激高。
発売は82年のアニメ放送時期で、野沢那智さんが何時ものコブラ節を炸裂させるCMが印象的でした。
「こいつはちょっと手強いぜ」
youtubeに上がってたので是非見てください。



⑦ブイチ先生が伝えたかったこと

2023年9月、ブイチ先生は遥かなる異次元に旅立ちました。今回多くのインタビュー記事を読み返して感じたことは、先生が漫画、アニメ、ゲームといったジャンルを分けることなく作品の表現方法の一つとして捉えていたことです。ゲームとパソコンをこよなく愛してくれた先生の原点はそこにあるのではないでしょうか。
実は僕は先生がお亡くなりになってから1998年に脳腫瘍で左半身が麻痺したことを知りました。その苦しさをおくびにも出さず、自分の理想とする夢に向けて単身切り込んでいく姿は宇宙海賊コブラと重なるのでした。先生、カッコよすぎるぜ!🥹
ブイチ先生のご冥福を改めてお祈りいたします。
