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神々の対談・すぎやまこういち先生インタビュー集

この投稿をした後も続々と資料が見つかりました。そのため構成をやり直し、時系列的に整理し直すことにしました。リンク先の【完全版】ではこの投稿で使われた資料は全て移行してあるので、検索で来られた方は【完全版】をご覧になって下さい🙇

ゲーム音が音楽として認められない時代から東京オリンピックの入場曲へ…
ゲームミュージックを文化にへと昇華させた偉人、すぎやまこういち先生。数々の名曲が生み出された原点は先生が類まれなゲームフリークであったことだと思います。今回は先生が残されたインタビューを出来る限り集めてみました。
古代祐三先生との『もう一つの神々の対談』ほかを追加しました。


ゲーム音楽作家こそ天職と語るすぎやま先生。その素敵な笑顔から語られる言葉には、並々ならぬゲームへの愛情が込められていました。
1988年の作曲風景

①神々の対談・植松伸夫氏


すぎやま先生と植松伸夫氏の豪華すぎる対談。1993年ドラゴンクエスト・ファイナルファンタジーの両シリーズとも脂がのっている時期になります。60代と30代と親子ほどに年の離れたお二人ですが、共にゲーム音楽家として話が弾んでいるのが伝わってくる内容です。
以前Twitterに投稿した時に著名なプロの方を含め多くの作曲家から「今でも学ぶべきことが多い」「お二人のやり取りに感銘を受けた」とコメントを頂きました。
また本当にすぎやま先生はゲームがお好きなんですね、読んでいて嬉しくなってしまいます。


1993年3月5日号




追加記事 この対談の前編になります


追加記事 ドラクエの創造主・堀井雄二氏

どうしても読みたかったこの対談の記事をようやく発見しました。1991年7月の記事です。




1994年2月の別記事

追加記事 宮本茂氏


1994年3月

追加記事 すぎやま先生大いに語る

ゲーム関係者へのインタビュー記事に定評があったテクノポリス誌1987年8月号の記事。若き日の想い出を、かなり詳しく語られています。衝撃的だったのが戦後間もない時期にも関わらず、東京大学の卒業論文で「ディスクジョッキー風に吹きこんだ実演テープ」を提出されたとか。あまりの珍しさに当時の東大新聞に掲載されたそうです。
アニメ関係に強い徳間書店だけあって、アニメ音楽への言及があります。僕は『伝説巨神イデオン』と一番好きなアニメ『サイボーグ009(第2期)』が特に印象に残っていますね。ゲーム音楽として初めに認識されたのは、あの名作『マッピー』だったとか。

先生のご両親は麻雀が趣味で、それが縁で結ばれたとのエピソードも。先生のゲーム好きはご両親譲りなんですね。父親から教わったブリッジの想い出や、ビンゴマシーンやカジノでの珍騒動など貴重なお話が満載です。このインタビュー時期は『大戦略Ⅱ』にハマっていたとか。87年はパソコンでSLGが台頭してきた年で、先生が常にゲームの最先端を追っていたかが伺えます。

ゲームを総合芸術と捉え、ゲーム音楽の発展がゲーム文化の向上に繋がるという揺ぎ無い信念は一貫されており、この記事の最後もそういった趣旨で締めくくられています。自分が感動したのはファミコンで音楽に触れる小学生の多さに対して「ゲームが将来の日本文化を左右するという自覚を持って欲しい」とメーカーに奮起を促している点です。現在子供たちがゲームで音楽に触れることはあたり前になってきました。しかしその礎に、すぎやま先生の熱意と努力があったことを忘れてはいけないと思うのです。

かなり充実したインタビュー記事です。


ゲーム音楽を手掛けるきっかけと、アニメ音楽との違いを語られています。


若き日の武勇伝の数々は必読ですよ。


総合芸術としてゲームに取り組むという決意で記事は〆められています。
今こそ皆さんに読んで頂きたい内容です。

追加記事 田尻智さんとの対談

現在では『ポケットモンスター』の生みの親として世界的にゲームクリエイターとして知られる田尻智さん。その前身であるゲームライターとして、最も脂ののっている時期に行われた対談です。ポケモンが発売される直前の1989年2月の記事ですね。
『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』発売前の特集として、ドラクエⅠ、II、IIIの音楽を振り返るという内容です。
IIがポップス気味に、IIIがよりクラッシック気味に作曲された秘話を述べられています。印象的だったのがIIIで唯一失敗したと回想する曲に「オルテガとの戦闘」を挙げているところなんです。このシーンはレクイエムにするべきだったとのこと。確かにレクイエムバージョンの「オルテガとの戦闘」を聞いて見たかったです。




同時期1989年のインタビュー

②ドラクエファンの劇作家・鴻上尚史氏

すぎやま先生とは畑違いの方ですが、対談ではドラクエのマニアックな話題で盛り上がっています。
ゲーム漂流記はすぎやま先生がホストになっての連載でした。かなりのゲーム関係者と対談されているのですが、業界で最年長とも言える先生が常に相手をリスペクトしている姿に僕は感銘を受けました。「ゲームが好き」という絆を感じる素晴らしい連載でした。


1993年1月8日号




鴻上尚史氏は1988年にDQ3の曲に歌詞を付けて歌ったCD、『ヴォーカル版ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』を発売しています。ラジオ番組オールナイトニッポンの企画として生まれた、当時のドラクエブームを感じさせるエネルギッシュな作品です。
この時すぎやま先生から直々にボイストレーニングを受けたとのことで、この対談はその時の縁なのかもしれません。

ドラクエの呪文を連呼するカオスな歌詞が最高😍
この曲に文句を言う奴はドラクエ愛が足りませんよ。

コスプレはプロ劇団員ではなく全員リスナーさん。「当日、好き勝手な恰好で来て下さい」と頼んだものなんだそうです。歌詞は「ドラクエに狂ってるやつら」からラジオ番組で募集したとのこと。この歌は「ファンみんなの共作」であると鴻上氏は回想しています。

追加記事 1989年5月の鴻上尚史氏との別対談


追加記事 禁断のクソゲー対談 みうらじゅん氏

1989年6月の対談。堀井先生自身が「クソゲー」という言葉を使っていて、当時はクリエイター側でも普通に使われていたようですね。


追加記事 小説家小林恭二先生との対談

1993年10月の記事


③若きサウンドクリエイターとの論争

すぎやま先生は作曲を担当され、打ち込みは専門の人にという分業制を取っていました。これを「作曲家と演奏家の関係」と述べています。名作ジーザスはそのようにして完成したとか。それに対してサウンドプログラマーの冨田丈氏が反論するのですが…
しかし天下の奇ゲー『べんべろべえ』や『ごんべえのあいむそ〜り〜』を「あれは凄かったねえ」と即答する先生は凄すぎます。どれだけゲームに詳しいんでしょうか。セガのディープスキャンの音源を評価されているのも印象深いですね。そして「子供はだませない」の言葉には感じ入るものがありました。


1988年5月号




1987年4月発売ジーザス。スナッチャーと共にパソコンAVGの最高峰とも言える作品。


追加記事 ジーザス制作秘話

④クラシックとGMの関係

もはや完全に定着したドラゴンクエストのクラッシックコンサート。その最初期に司会をされていた先生のインタビュー記事。ファミコンのPSG3音とクラシックの関連性を詳しく解説してくれています。
後半はアンジェラス 〜悪魔の福音〜についてのお話も。PC-8801のサウンドボードIIを「極めようじゃないか」と気合が漲っているのが伝わってきます。すぎやま先生というとドラクエのイメージが強いと思うのですが、当時のゲーム音楽の最新技術やパソコンゲームにも強い関心と情熱があったことが伺えます。


1988年11月号




1988年7月発売アンジェラス〜悪魔の福音〜。エニックスAVGの集大成とも言える作品


⑤木管4重奏でゲーム音楽を演奏

すぎやま先生が「管楽器の音は比較的PSGに似ている」という理由から、ゲーム音楽の楽譜をそのまま管楽器で演奏したコンサート。当日はスーパーマリオの作者、宮本茂氏との対談もあったとのこと。どんな内容か気になりますよね。先生はこういった実験的な試みを積極的に行っていました。それはゲーム音楽というものの可能性を広げたいという意思があったからだと思います。
当時のリリース文によると「ドラゴンクエストシリーズ」を初め、発売前の「スーパマリオ3」を含めた14曲をカルテットで演奏したそうです。吉野@連邦さん情報感謝です。


1988年12月号

⑥ゲーム音楽の革命を目指して

『N響版 交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ』ではすぎやま先生が自ら指揮をされました。なんとその収録直前のインタビューです。
先生は「ドラマのようなゲーム音楽を作ってみたい。目指すところはゲーム音楽の革命」と述べています。映画音楽が一つのジャンルとして確立されたことと対比して、ゲーム音楽をその域まで昇華したいという先生の夢がタクトにこもっていたのではないでしょうか。そしてその革命は果たして成し遂げられたのか…それは皆さんが一番ご存じのことでしょう。
この時セガのディープスキャンの筐体を購入されたとか!凄いデカいでんですよ。


1988年3月号


⑦ゲームミュージックは私の天職

読まれている方は百も承知でしょうが、すぎやま先生がゲームの作曲を始めたのは55歳の時。既に作曲家として多くの実績があり大御所とも呼べる存在でした。その先生がゲーム音楽という文化をさらに発展させようと努力してくれたことを、僕達ゲーマーは忘れてはいけないと思うのです。 2023年に鬼籍に入られた坂本龍一氏について述べていることに胸が熱くなります。


1989 9月号


⑧ロックはシューティング・交響曲はRPG

スーパーファミコン版・交響組曲「ドラゴンクエストI・II」時期のインタビュー。「ロックはシューティングやアクション、オーケストラはRPGやシュミレーション」という言葉が印象的です。
また「オーケストラは知的なエンタメであり、人の魂を揺さぶる音楽を作りたい」という言葉も。これは先の「ドラマのようなゲーム音楽」に繋がっていると思います。先生の音楽は自分だけの物語をイマジネーションさせる魔法の様でした。そのドラマに僕達の魂は揺さぶられていったのです。


1994 06

⑨ドラクエⅠより一世紀古典的

前述のドラクエのクラッシックコンサートの記事。ⅢはⅠより一世紀古典的なイメージだったそうですね。
この時先生は司会をされているんですが『動物の謝肉祭』の演奏にRPGのようなストーリーを付けて紹介してくれました。ここにも子供たちに音楽を通じて想像力を持って欲しいという願いが込められています。


1987年10月2日号

追加記事、1986年10月5日に発売された組曲「ドラゴンクエスト」は作曲と指揮はすぎやま先生、演奏はNHK交響楽団の選抜メンバーで構成された東京弦楽合奏団という豪華な編成。その時のインタビュー記事

「タクトを振り、音が響いた瞬間ゲームの音もここまで来たか、と感無量でした」
「子供達にとって身近な音楽が貧弱では情けない」

この一言をとっても、先生が如何にゲーム音楽を愛していたのかが伝わってきます。他にも興味深い初代ドラゴンクエスト作曲についてのお話も。

⑩ガンダーラ畜生界で大暴れ

最後は番外編ですぎやま先生が登場するマンガを。
「ガンダーラ 仏陀の聖戦」はダイナミックプロの漫画家槙村ただし氏、 名プログラマー日高徹氏、すぎやま先生といった実力派がトリオを組んで作製した異色のRPGです。
最大の特徴は仏教世界を舞台としていることなんですが、その紹介漫画で先生が大暴れしてます🤣


1987年10月号。自分で巨匠って言っちゃってます😁


ノリノリの先生「ファンのギャルに見せてやるか」いかにも80年代。最高! 😂


先生大ピンチ。槙村ただし先生お約束の展開ですね。


この漫画は連載だったんですが他の回でも登場。
最終回では「わたしのED曲の品位がそこなわれるだろうが」🤣

「エニックス通信」87年5月号で制作者のコメントが掲載されています。
先生は効果音も担当されてたんですね。オリエンタル・ムードを表現してゆくということに興味があったとのこと。ガメラ音楽(バリ島を中心として広まったインド圏の音楽)を取り入れたそうです。


⑪もう一つの神々の対談・古代祐三氏

88MULTiⅡさんのブログ『日本レトロゲーム誌研究会電子化部』からの転載、感謝です🙇
1992年の古代祐三先生との奇跡的な邂逅。時期的には業界に衝撃を与えたアクトレイザーの後位なのでしょうか。若き日の天才古代氏にゲーム音楽の未来を託すような素晴らしい内容です。
流石の古代氏も緊張気味のスタート。しかしGMだけでなくクラシックやゲーム音楽コンサート、そして何よりゲームフリークとして二人が意気投合する様が伝わってきます。
しかしトミーのぴゅう太(くん)とか光速船といったマニアックな言葉がお互い自然と出て来るのが凄いですよね。すぎやま先生の
「古代さんの眼はアクションゲームに強そうな眼だものね」
と言う言葉が印象的でした。

https://retoge-mag.websa.jp/archives/321


25歳の古代先生とすぎやま先生61歳。まさに『もう一つの神々の対談』


お二人の素敵な笑顔が印象的です。

⑫すぎやま先生マンガで登場


1990年の記事で最近ゲームボーイの魔界塔士Sa・Gaをクリアしたとのコメントが。毎号ファミマガをお読みになっているというのも驚きです。子供向けの内容ながら、かなり詳しくゲーム音楽の制作工程を解説しています。
「3音じゃ曲が作れないなんてプロじゃありませんよ。」
という頼もしい言葉が。後半で先生の好みのゲーム音楽を語られている部分は必見ですぞ。




⑬すぎやま先生ドラクエ音楽を語る

88MULTiⅡさんのブログ『日本レトロゲーム誌研究会電子化部』からの転載、感謝です🙇
2000年の記事なのですが、本当にドラクエ100まで作曲されて500歳まで生きて欲しかったです。
「ドラクエのテーマは人間愛」「それぞれのシーンを音楽と共に堪能してもらいたい」という言葉に涙が出そうです。

https://retoge-mag.websa.jp/archives/4311


⑭元祖プロゲーマー宣言 追加記事あり

1992年のスーファミ版「半熟英雄 ああ、世界よ半熟なれ…!!」のインタビュー。
「なるべく美味しものを食べ、良い音楽を聴く」
正しく至言です。

1988年に行われた作家、高橋源一郎氏との対談。ゲームは総合芸術と述べ、ゲームと映画と関係からゲーム音楽の進化の必要性について語られています。


⑮すぎやまコレクションへようこそ


1990年の先生のゲーム自慢と題したコラム。お宝コレクションが満載です。
Atari 2600やインテレビジョン、ぴゅう太Jr、カシオPV-1000とマニア垂涎の品ばかり。しかも箱付。果ては「メーカー名不明」の品まで。まさにゲーム博物館です。
またボードゲームにも造詣が深く、こういった面が先生の音楽の懐の深さに繋がっていたのかもしれません。

追加記事 TVゲーム・ミュージアム開設!

1991年2月の記事


追加記事 ドラクエの音楽は国境を超える


1991年4月MSXマガジンより。ロンドンフィルでのドラクエ演奏に関して熱く語られています。

⑯アルバム広告・資料


1978年01月


エニックス・ゲーム・ミュージック

最初期のすぎやま先生のPCゲームミュージックが堪能できます


交響シンセ組曲「46億年物語」
実験的な作品ですが音楽は必聴。

ドラゴンクエスト交響組曲

すぎやまこういちゲーム音楽作品集
先生が自ら企画監修したゲーム音楽作品集。シンセサイザーのアレンジ版。


あえてドラクエ以外の曲を中心に選曲されています。


ライナーノーツには「ドラクエ以外にも多くの音楽を創ってきた」と述べられています。恐らくGMの可能性を切り開いたという自負があったのではないでしょうか。


貴重な作品背景。ソルバルウさん情報提供感謝です!🙇


『すぎやまこういちゲーム音楽作品集』発表直後、1991年 11月のインタビュー記事。

すぎやまこういちのゲーム大博覧会


⑰バレエ「ドラゴン・クエスト」


スターダンサーズ・バレエ団のオリジナルで1995年9月の初演の記事。先生の素適な笑顔が印象的です。
2024年現在まで公演が行われている人気公演だそうです。2004年に上海、2019年にパリでも公演されています。
ストーリーは原作ゲームを意識した魔王を倒す冒険譚。ロトの紋章の入った鎧や剣、天空の城や天空の兜が登場。


⑱ありがとう先生、僕達に出来ること。

すぎやまこういち先生の音楽は偉大なるゲームと共に100年後も聞かれていることでしょう。しかし先生がどのような想いを込めてこの音楽を紡いでいったのか…それを後世に伝えるのはリアルタイムで体験した僕達の役目のように思うのです。
もし先生のことを知らない世代が曲を聞いた時、皆さんがゲームを何より愛してくれたすぎやま先生のことを伝えて欲しい…。そんな願いを込めて今回の投稿を綴ってみました。


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