神々の対談・すぎやまこういち先生インタビュー集【完全版】
ゲーム音が音楽として認められない時代から東京オリンピックの入場曲へ…ゲームミュージックを芸術にまで昇華させた偉人、すぎやまこういち先生。数々の名曲が生み出された原点は、先生が無類のゲーム好きであったことだと思うのです。今回は先生が遺してくれたインタビューを出来る限り集めてみました。
古代祐三先生、宮本茂氏、羽田健太郎氏、植松伸夫氏、鈴木裕氏、そして堀井雄二氏・・・その神々の対談は、お互いのリスペクトに溢れた珠玉のメッセージばかりです。
実は2年前に同じテーマで投稿したのですが、後に続々と資料が見つかったんです。そのため構成をやり直し、時系列的に整理し直すことにしました。また動画、音声資料なども追加で挿入しています。
ファンの方に是非この資料を届けたい…読みながらその溢れる想いを抑えることが出来ませんでした。今回も「遥かなる旅路」となりそうですが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
★サムネで古代祐三先生、植松伸夫氏に字数の関係で敬称を付けることが出来ませんでした。お詫びいたします🙇


当時の最新機器に加えてアーケードゲームの筐体やスロットマシンが見えます。
東京オリンピックの開会式のOPで『ドラゴンクエスト』が流れた時は鳥肌が立ちました。先生が長らく積み重ねてきたゲーム音楽に対する愛情が、まさに世界共通の文化として認められた瞬間だったのです。これこそが
『世界中から集結した、選ばれし勇者たちの入場』
だったのでした。
ドラゴンクエスト前史
すぎやま先生が初代ドラゴンクエストの音楽を担当された時は55歳で、既に作曲家として一時代を築いていたことは有名ですね。70年代には特撮、アニメ音楽も数多く手がけられていました。かつて幼少期に美大生だったアニメの師匠に『交響組曲 科学忍者隊ガッチャマン』のレコードを聞かせてもらったことがありました。その時記憶していたフレーズを、後にドラクエをプレイした時に突如蘇ったことが忘れることができません。

このフレーズはやはり先生が担当した中央競馬G1ファンファーレをも彷彿とさせるものがあります。僕は一時期競馬場で警備員のバイトをしていたんですが、大観衆が熱狂するターフでこの曲を聞くと、ドラクエの主人公になったような滾る気持ちを抑えられませんでしたよ。このBGMにあわせて極真空手の型、太極1をやって主任に怒られてました😅
ちょっと変わった所では『魔法騎士レイアース』の龍咲海ちゃんのキャラクターソング「せつなくて」とかも。
この曲の原曲は、なんとファミコンゲーム『赤川次郎の幽霊列車』のエンディング曲「哀愁の結末」なんですよ。哀愁を感じさせるメロディーが心に染みる名曲です🤩途中で曲調が変わって盛り上がっていくところが最高!
個人的にすぎやま先生のアニメ曲の中で一番好きなのは1980年の『伝説巨神イデオン』でした。アニメの師匠によると視聴率や玩具の売上では苦戦したものの音楽の評価は極めて高く、多数のBGM集、交響曲、シンセサイザーアレンジ、果ては未収録BGMコレクションまで発売されたのだそうです。師匠は意地で全部買っていました😁



ちなみにレコードの第一弾はA面1曲目に副主題歌「コスモスに君と」、B面ラストが主題歌「復活のイデオン」という凝った構成になってます。どちらも神曲です!
その白眉は『劇場版 発動篇』の終曲である『カンタータ・オルビス』でしょう。ラテン語の声楽曲ながら、輪廻転生を連想させるあまりにも荘厳な音楽でした。
(Mortem) Quam pulchra est vita
(死よ) なんと素晴らしきかな生は
(Deus) Quam pulchra est vita
(神よ) 生はなんと美しいことか
(Mortem) Quam grandis gratia est vita
(死よ) なんと偉大なるかな命の恵みよ
Amor (Amor)
愛よ (愛よ)
正直イデオンのラストは辛すぎてまともに画面を見れなかったのですが、この曲が救いになった気がします。当時のアニメでここまで神々しさを感じさせる曲は存在しなかったのではないでしょうか。僕の師匠はヤマト信者だったのですが、こう唸ってました。
🤔「この曲はヤマトをも超えたかもしれん」
一方僕はこの曲がアニメのオリジナルであることが信じられなくて、クラッシックからの流用だと思っていましたよ。そこで親戚の音楽の先生に
🤔「どのアルバムに入っているのか教えてくれませんか?」
と聞いた所、すぎやま先生の完全オリジナルと聞いて仰天したことを覚えています。富野監督は作中曲の歌詞にも強いこだわりを持っており、イデオンの曲もほとんどが自ら手掛けていました。しかし『カンタータ・オルビス』は作詞まですぎやま先生が創られたそうですね。先生は
「富野由悠季氏の死生観を曲にしたらこれになった」
と述べていますが、天才が天才を知る作品として強烈に印象に残っています。思えばドラクエも天才たちのカルテットと言えましたが、その源流は本作にあったのかもしれません。
当時子供向けの玩具CMと揶揄されていたアニメに対し、乾坤一擲の作品を贈ってくれた先生は大きな感動を与えてくれました。そしてその気高き魂は、ゲームへも引き継がれて行ったと思うのです。
また先生は2000曲以上のCMソングを手掛けられています。僕の世代では知らずの内に聞いていた物もあるんじゃないでしょうか。このロッテの小梅のCMは特に印象に残っていますね。カレッジ・フォークの町田義人さんの歌声も懐かしいです。

これは非常に珍しい1978年の小林亜星さんとのコラボ広告。
「僕は大きいのが好き~♪」「僕は小さいのが好き~♪」
小柄なすぎやま先生が「ビッグGM」、大柄な小林氏が「コンサイズコンポ」っていうのがいいですよね。CMでのすぎやま先生の歌声は超貴重ですよ!
ゲーム音楽家デビュー
すぎやま先生のゲーム作曲デビューは1986年4月発売の『ウイングマン2 キータクラーの復活』でした。この作品はまだ十代だったパソコンマニアが中心となって制作されています。ここに超強力な助っ人として先生が参加することになったんですね。このプロデュースをしたエニックスのセンスは流石だと思います。それは数か月後に発売されることになる、超一流のクリエイターが集結した奇跡的作品「ドラゴンクエストへの序章」だったのではないでしょうか。
この依頼の発端はエニックスから発売された『森田将棋』を先生がプレイし、アンケートハガキに「音楽が入っていないので何とかしたら」などと書いて送ったところ、担当者が
😲「まさかあの著名なすぎやま先生なのか」
と目に留まったことが切っ掛けだったとか。当時のパソコンゲームのユーザーは圧倒的に若者が多かったので驚いたのでしょう。本作の数日後には『ドラゴンクエスト』の作曲を始めていたということです。とあるインタビューによるとドラクエ作曲の依頼はエニックス専務から直々の電話だったそうです。
この話はかなり有名で、いろいろな媒体で語られているドラクエ伝説の一つです。僕もドラクエⅢあたりの時にこの話を友人から聞いたのですが
😏「いくら何でもそんな漫画みたいな話はないだろ。尾ひれがついた都市伝説じゃねえの」
と、ハナから信じませんでしたが、「事実は小説より奇なり」を地で行く話だったのでした。その後先生が無類のゲームフリークであることが解ると、いかにも先生らしい逸話だなあと今では思ったりします。
ちなみにウイングマン2は数々のパソコンに移植されていますがMSX版が一番ドラゴンクエストをイメージさせる出来になってるんです。特にコーヒブレイクの曲は雪のロンダルキア台地を彷彿とさせますよ!僕がYOUTUBEに投稿したのでご存じない方は是非聞いてください。



初代ドラゴンクエストの衝撃
1986年5月に登場した『ドラゴンクエスト』が登場した時の衝撃は、今でもはっきりと覚えています。パソコンゲーマーとして
😏「ファミコン初のRPG?どうせ大したことねえだろ」
と高を括っていたのですが、あのOP『序曲』を聞いた瞬間ひれ伏すことになるのでした😁この時期パソコンは高性能なFM音源を使用したゲームが登場し始めていて、ファミコンに比べて音楽面で優位に立っていました。それを完全に覆す名曲の数々は
😲😱🤩「ドラクエ恐るべし」
をパソコンユーザーに強烈に印象付けたのです。
『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』は歌姫が歌う「Love Song 探して」や、壮大なバラード「この道わが旅」など、ゲーム音楽が新しいステージに進化したことを感じさせました。
RPGは「次はどんなシーンだろう?」とドキドキしながらプレイするのが醍醐味ですが、ドラクエⅡは「次はどんな曲だろう?」と思いながら攻略してましたよ。



ちなみにドラクエⅡのMSX版はファミコンと音源が違うのでアレンジされてます。特に「Love Song 探して」徐々に音程を変えるポルタメントを多用。この曲は歌姫が歌っているという設定なので、「歌」を強く意識したアレンジは秀逸だと思います。PSGの歌声を是非聞いて下さい🎶
MSX版の音楽はどれも最高なのですが、特に「遥かなる旅路」が大好きです。お城の軽快な曲から出る瞬間に、孤独な冒険に旅立つ勇者の雰囲気に一変するところがたまりませんね。これでFDDにセーブ出来たら、もっとファミコンユーザーに自慢できたんだけどなあ。
YOUTUBEに投稿したら合計で4万回ぐらい聞いて貰えました。やっぱりMSX版を知らない人は多かったみたいです。MSX版のドラクエⅡの魅力は「あぶないみずぎ」だけじゃないんですよ😁
組曲「ドラゴンクエスト」
1986年10月5日に発売された『組曲ドラゴンクエスト』は作曲と指揮はすぎやま先生、演奏はNHK交響楽団の選抜メンバーで構成された東京弦楽合奏団という豪華な編成でした。その収録時のインタビュー記事です。
「タクトを振り、音が響いた瞬間ゲームの音もここまで来たか、と感無量でした」
「子供達にとって身近な音楽が貧弱では情けない」
この一言をとっても、先生が如何にゲーム音楽を愛していたのかが伝わってきます。他にも興味深い初代ドラゴンクエスト作曲についてのお話も必読です。
このサントラはメチャクチャ人気があって、クラス中の奴が聞いてましたね。僕も孫ダビングされたカセットテープをおばあちゃんに借りたモノラルのレコーダーで聞きまくってました。



糸井重里のTVゲーム美術館
1987年1月『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』発売後あたりに放送されたフジの深夜番組「糸井重里のTVゲーム美術館」
糸井さんはやはり言葉のプロだけあって、すぎやま先生の音楽哲学を解りやすく引き出してくれています。非常に高度な、深みのある対談でした。先生の数々の言葉が印象的です。
「それまでのゲーム音楽の常識を覆したい。革命をやりたい。」
「音楽の方向性はロジック。後は全部感性。」
「こんなやりがいのある仕事はない。」
「(ゲーム音楽は)好きなものだから精神的に自由になれる。」
「精神的に自由だったバッハが現代にいたら、凄いゲーム音楽作曲家になっていた。」
対談終盤で先生は糸井さんにこう水を向けています。
「RPGは今後シナリオの勝負になってくる。糸井さん貴方凄く才能あるからゲームのシナリオ考えてよ。」
もしかしたらあの名作『MOTHER』が生まれたのは先生のこの言葉が切っ掛けだったのかもしれませんね。
すぎやま先生大いに語る
1987年8月。ゲーム関係者へのインタビュー記事に定評があったテクノポリス誌の記事。若き日の想い出をかなり詳しく語られています。衝撃的だったのが戦後間もない時期にも関わらず、東京大学の卒業論文で「ディスクジョッキー風に吹きこんだ実演テープ」を提出されたとか。あまりの珍しさに当時の東大新聞に掲載されたそうです。
アニメ関係に強い徳間書店だけあって、アニメ音楽への言及があります。僕は先に挙げた『伝説巨神イデオン』と一番好きなアニメ『サイボーグ009(第2期)』が特に印象に残っていますね。ゲーム音楽として初めに認識されたのはあの名作『マッピー』だったとか。
ゲーム音楽を初めて手掛けた時は、それまでやってきたアニメ音楽の経験とノウハウを総動員したのだそうです。アニメとゲームの密接な関係は日本のゲーム史において極めて重要なのですが、先生はこの点でも多大な貢献をされていたことを感じます。
先生のご両親は麻雀が趣味で、それが縁で結ばれたとのエピソードも。先生のゲーム好きはご両親譲りなんですね。父親から教わったブリッジの想い出や、ビンゴマシーンやカジノでの珍騒動など貴重なお話が満載です。このインタビュー時期は『大戦略Ⅱ』にハマっていたとか。87年はパソコンでSLGが台頭してきた年で、先生が常にゲームの最先端を追っていたかが伺えます。
ゲームを総合芸術と捉え、ゲーム音楽の発展がゲーム文化の向上に繋がるという揺ぎ無い信念は一貫されており、この記事もそういった趣旨で締めくくられています。自分が感動したのはファミコンで音楽に触れる小学生の多さに対して
「ゲームが将来の日本文化を左右するという自覚を持って欲しい」
とメーカーに奮起を促している点です。現在子供たちがゲームで音楽に触れることはごく普通の光景です。しかしその礎に、すぎやま先生の熱意と努力があったことを僕らは忘れてはいけないと思うのです。


若き日の武勇伝の数々は必読ですよ。

こちらはやはり幼少期からの思い出を語ったインタビュー記事。「僕の音楽のバックグラウンドは、クラシック音楽です。」と述べられています。
ガンダーラ 畜生界で大暴れ


番外編ですぎやま先生が登場するマンガを紹介。
『ガンダーラ 仏陀の聖戦』はダイナミックプロの漫画家槙村ただし氏、 名プログラマー日高徹氏、すぎやま先生といった実力派がトリオを組んで作製された異色のアクションRPGです。
最大の特徴は仏教世界を舞台としていることなんですが、その紹介漫画で先生が大暴れしています。




「エニックス通信」87年5月号で制作者のコメントが掲載されています。先生は効果音も担当されてたんですね。オリエンタル・ムードを表現してゆくということに興味があったとのこと。ガメラ音楽(バリ島を中心として広まったインド圏の音楽)を取り入れたそうです。

ドラクエⅢはⅠより一世紀古典的
1987年10月。ドラクエのクラッシックコンサートの記事。ⅢはⅠより一世紀古典的なイメージだったとのことです。
この時先生は司会をされているんですが『動物の謝肉祭』の演奏にRPGのようなストーリーを付けて紹介してくれました。ここにも子供たちに音楽を通じて想像力を持って欲しいという願いが込められています。

DQⅢ発売前日!遠藤雅伸氏との対談
1988年2月10日に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』発売前日の特集記事。遠藤雅伸氏がホストとなり、 堀井雄二氏、中村光一氏、すぎやま先生を招いて対談するという豪華過ぎる企画です。先生は既に三回解いていたとか。あの時の発売直前のドキドキ感が誌面から伝わってきますね。
この時のドラクエフィーバーは凄まじく、ファミコンを持っていない僕ですら興奮してましたよ。発売日当日のTV放送は13件と完全に社会現象になっていました。
幼馴染のナムコくんは1年間実家の床屋を手伝う約束でお母さんに並んでもらっていたし、悪友のアミーガくんはここに掲載されている「当日補導された人(東京)365人」の一人となっていました🤣
このゲームについて語りだすとキリがないのですが、堀井雄二氏が愛してやまなかったウィザードリィのテイストを最も色濃く受け継いだドラクエで、それゆえパソコンゲーマーに本作を「最高傑作」推す声が多いのも頷ける気がします。






若きサウンドクリエイターとの論争
1988年5月。すぎやま先生は作曲を担当され、打ち込みは専門の人に任せるという分業制を取っていました。これを「作曲家と演奏家の関係」と述べています。名作ジーザスはそのようにして完成したとか。それに対してサウンドプログラマーの冨田丈氏が反論するのですが…
しかし天下の奇ゲー『べんべろべえ』や、首相がパックマンよろしく金塊を喰いまくるというセガの恐れ知らずを体現した『ごんべえのあいむそ〜り〜』を
「あれは凄かったねえ」
とさらっと即答する先生は凄すぎます。どれだけゲームに詳しいんでしょうか。セガの『ディープスキャン』の音源を評価されているのも印象深いですね。そして「子供はだませない」の言葉には感じ入るものがありました。


クラシックとゲーム音楽の関係
1988年11月。もはや完全に定着したドラゴンクエストのクラッシックコンサート。その最初期に司会をされていた先生のインタビュー記事です。ファミコン音源3音とクラシックの関連性を詳しく解説してくれています。
後半は『アンジェラス 〜悪魔の福音〜』についてのお話も。PC-8801のサウンドボードIIを「極めようじゃないか」と気合が漲っているのが伝わってきます。すぎやま先生というとドラクエのイメージが強いと思うのですが、当時のゲーム音楽の最新技術やパソコンゲームにも強い関心と情熱があったことが伺えますね。ドラクエとは一味違ったミステリアスな音色が堪能できる隠れた名曲です。



ゲーム音楽の革命を目指して
1988年3月。『N響版 交響組曲 ドラゴンクエストIII そして伝説へ』ではすぎやま先生が自ら指揮をされました。なんとその収録直前のインタビューです。このサントラテープは擦り切れるぐらい聞きましたよ。
「ドラマのようなゲーム音楽を作ってみたい。目指すところはゲーム音楽の革命」
と先生は述べています。映画音楽が一つのジャンルとして確立されたことと対比して、ゲーム音楽をその域まで昇華させたい・・・そんな想いがタクトにこもっていたのではないでしょうか。そしてその革命は果たして成し遂げられたのか…それは皆さんが一番ご存じのことでしょう。
他にもステレオ黎明期にその技術に振り回され、肝心の音楽が忘れられてしまったという過去を語られています。テクノロジー向上の盲信に対する警告は、今の僕達にも投げかけられている課題ですね。
この時セガのディープスキャンの筐体を購入されたとか。滅茶苦茶デカいでんですよ。



木管4重奏でゲーム音楽を演奏
1988年12月。すぎやま先生が「管楽器の音は比較的PSGに似ている」という理由から、ゲーム音楽の楽譜をそのまま管楽器で演奏したコンサート。当日はスーパーマリオの作者、宮本茂氏との対談もあったとのことです。どんな内容か気になりますよね。
先生はこういった実験的な試みを積極的に行っていました。それはゲーム音楽というものの可能性を広げたいという意思があったからだと思います。
当時のリリース文によると「ドラゴンクエストシリーズ」を初め、発売前の「スーパマリオ3」を含めた14曲をカルテットで演奏したそうです。吉野@連邦さん情報感謝です🙇♂️

同時期に行われた作家、高橋源一郎氏との対談。ゲームは総合芸術と述べ、ゲームと映画と関係からゲーム音楽の進化の必要性について語られています。

ポケモンの生みの親 田尻智氏との対談
現在では『ポケットモンスター』の生みの親として、世界的なゲームクリエイターとして知られる田尻智さん。その前身であるゲームライターとして、最も脂ののっている時期に行われた対談です。ポケモンが発売される直前の1989年2月の記事ですね。
『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』発売前の特集として、ドラクエⅠ、II、IIIの音楽を振り返るという内容です。
IIがポップス気味に、IIIがよりクラッシック気味に作曲された秘話を述べられています。印象的だったのがIIIで唯一失敗したと回想する曲に「オルテガとの戦闘」を挙げているところなんです。このシーンはレクイエムにするべきだったとのこと。確かにレクイエムバージョンの「オルテガとの戦闘」を聞いて見たかったです。



同時期に発売された『すぎやまこういちのゲーム大博覧会』
ボードゲームから当時の最新コンピュータゲームまで、ゲームの歴史や成り立ち、自身の貴重なコレクションなどを幅広く紹介しています。現在では強烈なプレミアが付いているので復刻してくれないかなあ。

この時期のゲームミュージックのベスト10記事。作曲家部門では圧倒的な得票ですぎやま先生が選ばれています。やはりゲーム作曲家としての知名度はダントツでした。

ジーザス創作秘話
1987年4月にPC88版が発売された『J・E・S・U・S』は斬新な映画的手法を取り入れたSFアドベンチャーゲームで、スナッチャーと共にパソコンAVGの最高峰とも言える作品です。テーマ曲「蒼い無限」には歌詞もついている他、物語では音楽がストーリーの根幹に関わるなど意欲的なゲームでした。
前述した通りすぎやま先生は作曲に専念し、打ち込みは専門の人にという分業制を取っていました。しかしジーザスは譜面だけでなくPC88でデモテープを作製されるなど、本作にかけた意気込みが伺えます。2年後のファミコン版やオーケストラバージョンも作成され、ドラクエ以外の80年代を代表するナンバーではないでしょうか。実はお遊びでドラゴンクエストの「広野を行く」のアレンジ「勇者の休息」も入ってるんです。
●PC8801版
●ファミコン版
●すぎやま先生が自ら編曲したオーケストラバージョン。かなり雰囲気が違います。
●ジーザス2 PC-9801版。
エンディング曲は今作と前作のメインテーマを織り交ぜた9分以上もある大作となっています。



このムフフCGは入れて欲しかったなあ😍ジーザスと言えばベットマナーだろ😁




ドラクエファンの劇作家・鴻上尚史氏
1989年5月。すぎやま先生とは畑違いの方ですが、お互いゲーム好きということで意気投合。読んでいるこちらが嬉しくなってしまうぐらいノリノリの対談です。
「男同士、火花を散らして燃えるようなゲームがしたい!」
と肩を組むお二人は熱すぎますよ。他にも
「ゲームを軽んじていないか?」
「創作の基本は感受性だ!」
など名台詞連発です。


鴻上氏はドラクエ好きが高じて1988年にDQ3の曲に歌詞を付けて歌ったCD、『ヴォーカル版ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』を発売しています。ラジオ番組オールナイトニッポンの企画として生まれた、当時のドラクエブームを感じさせるエネルギッシュな作品でした。
コスプレはプロ劇団員ではなく全員リスナーさん。「当日、好き勝手な恰好で来て下さい」と頼んだものなんだそうです。歌詞は「ドラクエに狂ってるやつら」からラジオ番組で募集したとのことで、この歌は「ファンみんなの共作」であると鴻上氏は回想しています。
正直勢いで創られたネタ作品なのですが、この時鴻上氏はすぎやま先生から直々にボイストレーニングを受けたとのことです。結果
「鴻上さんの誠実さや気持ちが伝わる音楽に仕上がりました。(鴻上氏を)人として好きになったんです」
と先生は好意的に評価しています。この時にお二人は強いシンパシーを抱き、この対談に繋がったような気がします。その後すぎやま先生はドラクエの舞台化やオペラ化を熱望するようになるのですが、演劇畑の鴻上氏からの影響もあるのかもしれません。
久しぶりに聞いたのですが、ドラクエの呪文を連呼するカオスな歌詞が最高です😍誰もがファミコンに齧りついて冒険したことを思い出すんじゃないでしょうか。この曲に文句を言う奴はドラクエ愛が足りませんよ。

その後1993年1月に先生と鴻上氏は再び対談され、やはりドラクエのマニアックな話題で盛り上がっています。


禁断のクソゲー対談 みうらじゅん氏
1989年6月の対談。堀井先生自身が「クソゲー」という言葉を使っていて、当時はクリエイター側でも普通に使われていたようですね。みうら氏はなんだかんだ言ってゲームに対する愛情は本物だと思います。


ゲームミュージックは私の天職
1989年11月。読まれている方は百も承知でしょうが、すぎやま先生がゲームの作曲を始めたのは55歳の時。既に作曲家として多くの実績があり大御所とも呼べる存在でした。その先生がゲーム音楽という文化をさらに発展させようと努力してくれたことを、僕達ゲーマーは忘れてはいけないと思うのです。 2023年に鬼籍に入られた坂本龍一氏について述べていることに胸が熱くなります。

すぎやま先生マンガで登場
1990年2月。「最近ゲームボーイの魔界塔士Sa・Gaをクリアした」とのコメントが。毎号ファミマガをお読みになっているというのも驚きです。子供向けの内容ながら、かなり詳しくゲーム音楽の制作工程を解説しています。
「3音じゃ曲が作れないなんてプロじゃありませんよ。」
という頼もしい言葉が。後半で先生の好みのゲーム音楽を語られている部分は必見です。






NHKの番組に出演 生演奏も披露
山根一眞氏がキャスターを担当した深夜番組「NHKミッドナイトジャーナル」に出演された時のもの。ドラクエⅣ、FFⅢが登場し、1990年11月21日発売のスーパーマリオワールドが一週間前とコメントがあるので、恐らく1990年11月末の放送じゃないかなと思います。臨時ニュースが入ってるので生放送っていうのが凄いですね。すぎやま先生のキレキレのアドリブトーク力が堪能できますよ。本当に教養が深い方だったことが言葉のはしはしから伝わってきます。
元祖プロゲーマー宣言から始まり、前半はゲーム音楽の歴史を紐解いていくという内容です。MSXユーザーとしてはPSG3音について詳しく説明してくれたのが嬉しかったですね。「プログラマブル・サウンド・ジェネレーター」って久しぶりに聞きましたよ😅
『MOTHER』の開発風景や(主人公の名前がニンテン🤣)作曲者の田中宏和氏、マリオシリーズを担当された近藤浩治氏、セガS.S.T.BANDの並木晃一氏などのレジェンドの方々が登場しているのも見逃せないです。
「百回聞いても飽きない曲」
「Playは楽しい、演奏するの意」
「子供騙しを一番見抜くのは子供、大人の方が子供騙しに騙される」
などなど名言が炸裂。確かにゲームミュージックは僕らにとっての童歌で、大人になってふと思い出す、大切な宝物だったと思います。
ラストはすぎやま先生が自らタクトを振るってのオーケストラ演奏。贅沢過ぎる!マリオやファイナルファンタジーが選曲されていることが胸熱です。途中でちょっと演奏ミスがあるんですが、恐らく急遽決まった企画で練習して煮詰める暇がなかったんだと思います。こんな番組また放送して欲しいなあ。
最後の締めの言葉
「ハードウェアが進歩すればする程、それにソフトウェアが追いついて、さらに良いものを作っていかなきゃならないですね」
という先生の言葉は今でも続く永遠のテーマではないでしょうか。






すぎやまコレクションへようこそ
1990年12月。先生のゲーム自慢と題したコラム。お宝コレクションが満載です。
Atari 2600やインテレビジョン、ぴゅう太Jr、カシオPV-1000とマニア垂涎の品ばかり。しかも全て箱付ですよ。果ては「メーカー名不明」の品まで。まさにゲーム博物館です。
またボードゲームにも造詣が深く、こういった面が先生の音楽の懐の深さに繋がっていたように感じました。


そして翌1991年2月には遂に『TVゲーム・ミュージアム』を開設されています。


ドラクエの音楽は国境を超える
1991年4月号MSXマガジンより。ロンドンフィルでのドラクエ演奏に関して熱く語られています。

すぎやまこういちゲーム音楽作品集
先生が自ら企画監修したゲーム音楽作品集。シンセサイザーのアレンジ版です。あえてドラクエ以外の曲を中心に選曲されているのが特徴でした。ライナーノーツには
「ドラクエ以外にも多くの音楽を創ってきた」
と述べられています。恐らく先生にはゲーム音楽の可能性を切り開いてきたという自負があったのではないでしょうか。
ソルバルウさん情報提供感謝です!🙇





ドラクエの創造主・堀井雄二氏
どうしても読みたかったこの対談の記事をようやく発見しました。1991年7月の記事です。
この『ゲーム漂流記』はすぎやま先生がホストになっての連載でした。かなりのゲーム関係者と対談されているのですが、業界で最年長とも言える先生が常に相手をリスペクトしている姿に僕は感銘を受けました。「ゲームが好き」という絆を感じる素晴らしい連載でした。
内容に関してはもう「皆さんに読んで下さい」としか言いようがないのですが、
「ドラクエはマニアの物になってほしくない」
という先生の言葉が印象的でした。確かにドラクエは誰もが楽しめる作品であることが最大の魅力だった気がします。




ポケモンプロデューサー・石原恒和氏
1991年7月記事。『ポケットモンスター』『MOTHER2 ギーグの逆襲』など、数々の名作のプロデュースを手がけた石原恒和氏との対談。ゲーム文化の保存から始まり、かなり深いゲーム論議をお二人でされています。
「志の高いゲームが志の高いユーザーを育てる」
という言葉が印象的でした。



桃太郎伝説・さくま あきら氏
1991年8月。桃太郎伝説シリーズの生みの親であるさくま あきら氏。桃鉄は業界内でもファンが多いらしいですね。さくまさんの明るい人柄とトーク力で、まるで漫談のように話が進んでいく楽しい対談になっています。パソコンゲーマーとしては『夢幻の心臓』『ウルティマ』『ウィザードリィ』を遊んでおられたのが嬉しいです。
さくまさんは現在お体を悪くして闘病中とのことですが、是非復帰されて新作を製作してほしいと願っています🥹



将棋棋士・羽生善治氏&武者野勝巳氏
1991年8月。何と当時若干21歳だった羽生善治氏との夢の対談が実現。先生はボードゲームにも造詣が深く、前半は日本の将棋界の歴史についての考察がメインです。
しかし残念ながら羽生名人はあまりビデオゲームには詳しくなく、後半は将棋界きってのゲーマーである武者野勝巳氏の独壇場になってきます。この時は三國志Ⅱにハマっていたとか。将棋に詳しい方なら堪らない内容なのではないでしょうか。



ファイナルファンタジー・坂口博信&植松伸夫氏
1991年10月。ついに『ファイナルファンタジー』の生みの親、坂口博信&植松伸夫氏の夢の対談が実現。『ファイナルファンタジーIV』発売の直後あたりで、すぎやま先生がプレイの感想を述べられていますね。FFの音楽については最大級の賛辞を贈っています。
坂口さんがR-TYPEやザナックを印象深いゲームに挙げているのも意外でしたが、つかさず先生が「R-TYPEはなかなか面白いよね」とつかさず返すのが流石です。
実はこの対談ですぎやま先生が『半熟英雄』を絶賛し、後に『半熟英雄 ああ、世界よ半熟なれ…!!』の作曲を担当する切っ掛けとなったそうです。




天才ピアニスト 羽田健太郎氏
1991年11月。ピアニストであり天才作曲家でもあった“ハネケン”こと羽田健太郎氏との夢の対談。同じことばっか言ってますが、それ以外の言葉が見つからないので許して下さい😅
時期的にはスーパーファミコン版『ウィザードリィV』の作曲中のようですね。すぎやま先生は羽田氏を「羽健ちゃん」と呼ぶぐらい親しい仲だったようで、他の対談では見せない「本音の厳しい意見」をズバズバ切り込んでいきます。
「ゲーム音楽をもっと大切にして欲しいな」
「ゲーム音楽が一生の音楽の嗜好を左右する」
などは、先生のゲームを愛するが故の言葉だと感じました。その中で羽田氏の
「音楽は技術よりも温かいハートが大事です」
という言葉に先生が頷く場面に心が洗われる思いでした。今回最も感銘を受けた対談で、是非多くの人に読んで頂きたい内容です。
2007年、58歳というあまりにも早いお別れは本当に悲しかったです。羽田健太郎氏の『宇宙戦艦ヤマト2199』を聞きたかった…😥きっと天国で、すぎやま先生のタクトで大好きなピアノを弾かれているのではないでしょうか。


神々の対談・古代祐三氏
1992年1月。現在でも第一線で活躍を続けるGM界の生ける伝説、古代祐三先生との奇跡的な邂逅。若き日の天才古代氏にゲーム音楽の未来を託すような素晴らしい内容です。時期的には業界に衝撃を与えたアクトレイザーの後位なのでしょうか。すぎやま先生はその完成度を絶賛しています。
流石に怖いもの知らず?の古代の兄貴も緊張気味のスタート。しかしゲーム音楽だけでなくクラシックやGMコンサート、そして何より同じゲームフリークとして意気投合する様が伝わってきます。
トミーのぴゅう太(くん)とか光速船といったマニアックな言葉がお互い自然と出て来るのが凄いですよね。すぎやま先生の
「古代さんの眼はアクションゲームに強そうな眼だものね」
と言う言葉が印象的でした。約3時間の対談だったそうですが、完全版を是非読みたいですよ。
88MULTiⅡさんのブログ『日本レトロゲーム誌研究会電子化部』からの転載、感謝です🙇
https://retoge-mag.websa.jp/archives/321


元祖プロゲーマー宣言
1992年7月。スーファミ版『半熟英雄 ああ、世界よ半熟なれ…!!』のインタビュー。第一作を気に入った先生が、前述の植松伸夫氏との対談で作曲を依頼されて制作したという経緯がありました。そのため企画から参加されており、ゲーム内にも時折すぎやま先生が登場して、サウンドテストが出来るという粋なサービスがあるんです。
「なるべく美味しものを食べ、良い音楽を聴く」
正しく至言です。



実は同時期にすぎやま先生の盟友で、『宇宙戦艦ヤマト』作曲で著名な宮川泰先生もインタビューを受けているんですよ。『スタートリング・オデッセイ』というゲームの音楽を担当されたのですが
「すぎやまさんの曲が良くってプレッシャーを受けた」
と述べられているんです。お二人の対談も見たかったですよね。

この年1992年最大の作品は『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』でした。この作品について語りだすと終わりそうにないのでまたいずれ…今嫁さんに
😏「僕は断然フローラ派だね」
とのたまったら、
😡「この人でなし!」
と、天龍源一郎ばりのグーパンチをお見舞いされました🤣
もう一つの神々の対談・植松伸夫氏

1993年3月。すぎやま先生と植松伸夫氏の、これまた豪華すぎる対談。1993年はドラゴンクエスト・ファイナルファンタジーの両シリーズとも脂がのっている時期になりますね。60代と30代と親子ほどに年の離れたお二人ですが、共にゲーム音楽家として話が弾んでいるのが伝わってくる内容です。
以前この記事をTwitterに投稿した時に、著名なプロを含め多くの作曲家から
「今でも学ぶべきことが多い」
「お二人のやり取りに感銘を受けた」
とコメントを頂きました。この対談は異例の2回連続掲載となっていて、話が非常に弾んだことが伺えます。内容も音楽面に関しての非常に深い考察で読み応えがありますよ。




小説家、小林恭二先生との対談
1993年10月。小説家、俳人、現在専修大学文学部教授である小林恭二先生との対談です。ファッション、アミーガ、ウィザードリィ、初代信長の野望と多岐にわたる話題なのですが、すぎやま先生がテーブルトークRPGについて言及してることに驚愕しました。どこまで守備範囲広いんですか🤭


ロックはシューティング・交響曲はRPG
『スーパーファミコン版・交響組曲ドラゴンクエストI・II』時期のインタビュー。
「ロックはシューティングやアクション、オーケストラはRPGやシュミレーション」
という言葉が印象的です。また
「オーケストラは知的なエンタメであり、人の魂を揺さぶる音楽を作りたい」
という言葉も。これは先の「ドラマのようなゲーム音楽」に繋がっていると思います。誰もがドラクエの音楽を聞きながら、自分だけの冒険譚をイマジネーションしたことがありますよね。そんな先生の魔法に僕達の魂は揺さぶられていったのです。

任天堂の象徴 宮本茂氏との対談
1994年3月。任天堂の象徴とも言える宮本茂氏との夢の対談が遂に実現。ただ「すぎやまこういちの電子遊戯勇者伝説」という先生がホストを勤めていたラジオ番組に宮本氏がゲストとして参加した時のものなので、あまりお二人の会話がないのが残念でした。

バレエ「ドラゴン・クエスト」
スターダンサーズ・バレエ団のオリジナルで、1995年9月の初演の記事になります。すぎやま先生度々ドラクエのオペラや舞台化を熱望されていましたので、音楽担当も買って出られたのでしょうか。素適な笑顔が印象的です。
2026年現在まで公演が行われている人気公演だそうです。2004年に上海、2019年にパリでも公演されています。
ストーリーは原作ゲームを意識した魔王を倒す冒険譚。ロトの紋章の入った鎧や剣、天空の城や天空の兜が登場しています。このド迫力のPVは必見ですぞ。

セガの代名詞 鈴木裕氏との邂逅
1995年の8月に
堀井雄二氏
鈴木 裕氏
中村 光一氏
田尻 智氏
という、とんでもないレジェンド達が集合したゲーム座談会が開催されました。勿論司会は我らがすぎやま先生。というかこのメンツを纏められるのは先生しかいないんじゃないかと思われるぐらい豪華なメンバーです。
ドラクエ組とセガの鈴木裕氏は初対面だったそうですが、『バーチャファイター』 について堀井氏や中村氏が質問しているのが印象的でした。また3Dゲーム機の出現でゲームが大きく進化しようとしている中、『テトリス』の魅力について各メンバーが深く言及されています。
しかしこの凄まじいメンツの中で千葉麗子さんは緊張しなかったんでしょうか😅


1994年に登場したプレイステーションとセガサターンは、ゲームのあり方そのものを変えようとしていました。この1997年の『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の制作発表記者会見は、この時代の印象深い出来事として記憶に残っています。まあ発売は大分あとになりましたが…
実はセガからも強烈なラブコールがあったそうで、ドラクエがセガサターンで発売される世界線も見てみたかった気がします。


世紀末にヴィジュアル系バンドとの対談
1999年12月。一世を風靡したヴィジュアル系バンド『MALICE MIZER』のリーダーMana様との対談記事。お二人ともクラッシク音楽に造詣が深いのですが、冒頭からカシオPV-1000やらインテレビジョンの話題で盛り上がってます😁
すぎやま先生が「アーケード基盤は集めないの?」と悪魔の誘惑をしてるのが可笑しかったです。僕も一時期集めようと考えたんですが、悪友のアミーガくんが基盤の山の脇で寝袋で寝てる姿を見て正気に戻りました🤣

先生ドラクエ音楽を語る
2000年9月。『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』発売直後の記事。本当にドラクエ100まで作曲されて500歳まで生きて欲しかったです。
「ドラクエのテーマは人間愛」「それぞれのシーンを音楽と共に堪能してもらいたい」という言葉に涙が出そうです。
88MULTiⅡさんのブログ『日本レトロゲーム誌研究会電子化部』からの転載、感謝です🙇

偉大なる作曲家 すぎやまこういちの冒険
1999年に掲載された、先生の半生を描いた漫画です。中村光一氏が初代の思い出を語ってくれていますね。当時学生サークルの延長上だったチュンソフトでは、50代であった先生を「異分子が入ってきたぞ」と警戒していたそうです。
しかし先生はゲームにまつわる話題で場を和ませ、無類のゲーム好きであることが伝わると一気に意気投合、僅か1週間で全ての曲を製作されたのでした。
僕は現在この頃の先生と近い年齢になっていますが、このように若者達に接することが出来るか自問自答することがあります。血気盛んな若人を、諭すのではなく魅了することによって打ち解けていく…改めて先生の偉大さを感じることが出来るエピソードだと思います。







先生が担当したパソコンゲーム
すぎやま先生はドラクエのイメージが強いと思うのですが、PCゲームも多数担当されてるんですよ。パソコン少年としては皆さんにも是非知って頂きたいので、最後にちょっとだけ紹介させて下さい。
え?MSXじゃないのも混じってるって?こまけぇこたぁいいんだよ!!😁
1987年10月『ワールドゴルフⅡ』
かなりゴージャスな曲調です。表彰式のBGMは『ドラゴンクエスト序曲』を彷彿とさせますよ!

1987年12月『ウイングマンスペシャル -さらば夢戦士-』
人気キャラクターゲームの完結編。かなりアニメチックな曲調です。


1990年5月『46億年物語 -THE 進化論-』
タイトル通り「進化」をテーマにした実験的作品。個人的にすぎやま先生のメッセージ性が最も込められたゲーム音楽だと思います。この交響シンセ組曲バージョンは当時衝撃を受けました。今聴きながら書いてるんですが、あの時感動がまざまざと蘇りましたよ。『大地を行け…進化のマーチ』などは隠れた神曲です。もし聞いたことのない方はOPだけでも是非聞いてみて下さい。

1990年10月ワールドゴルフⅢ
ゲームの雰囲気が華やかになったためBGMの方も前作よりライトな感じに。表彰式の曲はやっぱり『ドラゴンクエスト序曲』の雰囲気がありますね。
実はドラクエシリーズのグラフィックデザイン等を手がけてきた真島真太郎氏がキャラデザを担当。作中美少女ゴルファーが多数登場してるんです😍しかも成績が良いほどコーヒーブレイクの画像が色っぽくなり、パンチラ炸裂という素晴らし…アワワ、けしからん仕様に😁あ、ゲームはかなり完成度が高いですよ。
折角なのでCGも紹介しちゃいます。今回は美少女成分が少なかったので許して下さい😅











ありがとう先生、僕達に出来ること。



いかがだったでしょうか?最近の投稿「ファンタジーの歴史」を執筆していて、久しぶりにドラクエのサントラを聞いたら完全にスイッチが入ってしまいましたよ。
今もずっと聞きながら書いているのですが、先生の音楽は何故ここまで人の心を奮い立たせるのでしょうか。新しい一歩を踏み出す勇気・・・皆さんも辛い時、ドラクエの曲に元気を貰えたことがきっとあったはずです。ゲーム音楽の秘めたる力を改めて感じたのでした。
また今回全てのインタビューを読み直したのですが、先生の常にリスペクトを欠かさない姿勢や、ゲーム音楽に対する揺るぎない信念に心から感銘を受けました。先生が日本を代表するゲーム、ドラゴンクエストを担当されたことは「偶然を装った奇跡(BYさだまさし)」だと思うのです。
すぎやま先生の音楽は偉大なるゲームと共に100年後も聞かれていることでしょう。しかし先生がどのような想いを込めてこの音楽たちを紡いでいったのか…それを後世に伝えるのはリアルタイムで体験した僕達の役目ではないでしょうか。
もし先生のことを知らない世代が曲を聞いた時、皆さんがゲームを何より愛してくれたことを伝えて欲しい…。そんな願いを込めて今回の投稿を綴ってみました。
そして何より素晴らしい作品を贈り続けてくれたすぎやま先生に心より感謝し、この投稿を終わりたいと思います。今回も最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
サイボーグMSX
僕は全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇♂️
いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹
校正も一応やっているのですが、なにか文章でおかしな点があったらコメント欄でご指摘頂けると有り難いです🙇
