ファンタジーの歴史・昭和の「剣と魔法の世界」を紐解く
「剣と魔法の世界」を描くヒロイック・ファンタジーは日本のエンタメにおいて「主食」とも言える地位を獲得していますよね。しかしその黎明期では非常にマニアックな存在だったんです。僕は幼少期からファンタジーの世界に目がなかったので、その発展過程を体感することが出来ました。
ゲーム、アニメ、マンガ、小説問わず、この分野がどのような形でオタクたちに浸透していったのか…自分で調べていてつい興味が湧いてきてしまいました。そんな訳で今回は昭和時代のファンタジーの歴史を紐解こうと思います。
勿論このチョイスは僕の独断と偏見バリバリですし、うっかり重要な作品を見落としてるかもしれませんが…そのへんは大目に見て下さい😅それでは今回も長い旅路になりそうですが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
★今回明記のない資料はヤフオクやアマゾンなどからの転載が中心となります。ご了解下さい🙇

今回は残念ながらここまで辿り着けませんでした😭
1978年『ピグマリオ』

人気絶頂の『スケバン刑事』第1部の直後に登場しました。



やはり大地の剣を構える姿が一番決まってますね。
僕が恐らく始めて触れることになった「剣と魔法の世界」の作品です。ギリシャ神話のピュグマリオーン伝説がモチーフになっていますが、物語がまるでRPGゲームのようなんです。主人公のクルトが旅を続ける中で仲間と出会い、ラスボスの待ち構えるメデューサの城を目指すという展開に滅茶苦茶ワクワクしました。他にもその後のファンタジーRPGなどに採用される要素を数多く取り入れた、先駆者的な存在だったと思います。
一例を上げると…
●強力なマジックアイテムである主人公の愛剣「大地の剣」ラストで「創世王の剣」に進化
●ドラゴンを筆頭にミノタウロスと言った様々な怪物達
●リザードマンなどデミ・ヒューマンの登場
●闘技場での死闘。親友の竜族レオンが駆けつける所は名場面です!
●「わしの牙を北の荒地の“糸つむぐおばば”に届けてくれ」というお使いシナリオ
●竜騎兵である銀騎士を乗せるドラゴン・シルヴァーナ
●ドラゴン達から一枚ずつ鱗を貰い作られた耐火性のドラゴンメイル
●108の欠片に砕かれ、妖魔に1つずつ与えられているボスを倒すための切り札「エルゾの鏡」
●ラスボスの城を守る砦を任される中ボス的存在、キメラ三姉弟
●圧倒的な存在感を持つ最強の妖魔メデューサ。しかし実はそれを操る真のラスボスの存在が…
連載開始の1978年は、日本において西洋風ファンタジーが殆どなかった時代です。その中でこれだけの物語を完成させた和田慎二先生には敬服するしかありません。しかし残念ながらファンタジーというジャンルがあまりにも認知されておらず、1年を待たずに一旦打ち切りに。しかし1981年に復活し約8年連載の後、満を持して1990年にアニメ化されています。
僕は『ピグマリオ』こそ日本のヒロイック・ファンタジーの原点だと思っています。主人公のクルトが冒険な中で成長していき、新時代を導く創世王になるという王道の物語。魅力的なヒロインや個性的な登場人物が脇を固める一大叙事詩は、新世代のファンタジーファンの方々にも是非読んで貰いたい傑作だと思います。
1974年『魔女っ子メグちゃん』

ファンタジーと言えば魔法が付き物。僕は1973年生まれなので再放送組なのですが、メグちゃんの素敵過ぎる笑顔にイチコロに😍従来の魔法少女作品との最大の違いはライバルヒロインのノンの存在で、二人の魔法対決が大きな見せ場になっていました。
今見返しても魔法を駆使したバトルシーンは秀逸で、スーパーロボットの肉弾戦とはまた違った魅力がありました。実は剣やサーベルを使った対決や、西洋甲冑やモーニングスター、大鎌といったその後RPGゲームでお馴染みとなるアイテムも多数登場しています。
他にも少女マンガを彷彿とさせる、二人の多彩なファッションの対比も魅力でしたね。メグちゃんの超ミニスカートからのパンチラには無茶苦茶ドキドキしました😍前川陽子さんが歌うOPは本作の魅力が凝縮されています。






ライバルだったノンとの夢のタッグ結成で迎え撃つという展開に。

「テクニク・テクニカ・シャランラー💖」



ノンはありとあらゆる魔法でメグを追い詰めますが…

いいぞ!もっとやれ 😁


「永遠にメグちゃんを忘れない」
という粋な物でした。僕は今でもこの魔法の虜になっています😍

僕は魔女っ子シリーズに脳を焼かれていて、クラスの女の子でちょっと変わった娘がいると
「🤔魔法少女じゃないかな」
と訝しんだりしてました。もしかしたら今の嫁さんの正体は魔女なのかも。それだと別のドラマになってしまいますが…さっき僕のシャツを嗅いで「まだ大丈夫」と新種の魔法を披露していました😁
1976年『ポールのミラクル大作戦』

ファンタジーというよりメルヘン作品なのですが…現実世界から「不思議な世界」へと旅立ち、仲間たちと共にヒロインを救出しラスボスを倒すという物語。これは現在の「異世界物」にも通ずるのではないでしょうか。
本作で象徴的なのは主人公のポールが「不思議な世界」での出来事を「頭のおかしいキチガイ」と現実世界で全く相手にされない所。空想癖のある僕は子供心にもポールに強烈なシンパシーを感じていました。老舗タツノコプロの魅力が存分に発揮された傑作アニメだと断言できます。



1979年 円卓の騎士物語 燃えろアーサー

『アーサー王物語』をベースとした円卓の騎士の活躍を描いたアニメ作品。聖剣エクスカリバーは勿論、魔女・メデッサという敵ボスも登場します。日本人には馴染みのない中世ヨーロッパを舞台に、本格的に剣と魔法の世界を描いた意欲的な作品でした。しかし視聴率では苦戦が続き、残念ながら打ち切りになっています。

近いコンセプトの1981年『まんが 水戸黄門』はかなりのヒットになったので、時代劇というジャンルは子供にも定着していたんですね。一方円卓の騎士であるアーサーに子供達はイマイチ親近感を感じなかったんじゃないでしょうか。僕はドハマりしていたんですが、いろいろな意味で早すぎた作品という印象です。
79年 SF&FANTASYリュウ&ウィングス






70年代の漫画で「ファンタジー」と言えばSFのことを指していたのだそうです。1979年に『アニメージュ』の増刊として創刊された『SFコミックス リュウ』はマニアな青少年層をターゲットにしており、同誌において少しずつファンタジー世界を題材にした作品が発表されていきます。
1982年1月号で誌名が『SF & FANTASY リュウ』と改名され、ようやくファンタジーがマンガの一ジャンルとして認知されるようになりました。この時期以降、若手実力派の耽美的な作品が誌面を賑わすようになります。看板作品は後に劇場公開されたファンタジーアニメの大作『アリオン』でした。








同時期1982年に創刊された『月刊ウィングス』は、当時としては珍しいSF&ファンタジー専門誌として誕生。多くの同人誌系作家が参加するという更にマニアックな誌面構成でした。漫画雑誌にも拘らずマイケル・ムアコックの「エルリック・シリーズ」を翻訳で連載するなど、日本のファンタジー文化に対する貢献は大きかったと思います。
このようにファンタジー系漫画は80年代にマニアックな雑誌の中で少しずつ発展していきました。この時まかれた種子は90年代にライトノベルと融合し、一気にスタンダードな存在に躍り出たように思います。
1979年『グイン・サーガ』

僕が一番好きなのはこのあたりです。

日本のファンタジー小説の元祖的存在です。ただ幻想世界を舞台にした歴史大河小説という趣で、かなり気合の入ったファンタジーファンでないと読破出来なかったのではないでしょうか。かくいう僕も高校生の頃20巻あたりで挫折してしまったのですが…😅
近いコンセプトのロバート・E・ハワードの小説『英雄コナン』に比べて主人公のグインが知的で聡明なのは、日本のファンタジーヒーロー像の原型になったような気がします。
1982年『コナン・ザ・グレート』


僕が触れた本場の「剣と魔法の世界」の原点とも言える作品。小学生にはまだ指輪物語は難しすぎたんですね。確か1984年に帰国子女だったファンタジーの師匠に「取り敢えずコイツを見ろ、話はそれからだ。」と諭されて視聴した記憶があります。僕はこの『英雄コナン』のイメージで、その後のブラックオニキスやゲームブックをプレイしていました。
ちなみに剣闘士時代のコナンが入ってる檻に若い女性が放り込まれるシーンがあるんですが、そのナレーションが「女の味を覚えた」だったんですよ。すると師匠が
😁「この女、可哀想に喰われちまうんだ」
という嘘を本気にして、シュワちゃんのエロい笑顔が恐ろしくて眠れなかったです。
1982年 魔法のプリンセス ミンキーモモ


『コナン・ザ・グレート』を見るまでは「魔法の世界」というのはこういう物だと思っていましたよ。モモちゃんについて語りだすと止まらなくなってしまうのでこの辺で…😅
1983年『聖戦士ダンバイン』









ロボットアニメにも関わらず、中世ヨーロッパに似た異世界バイストン・ウェルを舞台とした意欲的な作品。主力メカのオーラバトラーはかなり小型で、どちらかと言うと西洋甲冑の延長線とも言えるデザインでした。
作中では「オーラ力」という概念が導入され雰囲気を盛り上げました。要は「気合」みたいなもんですが、「オーラ力」というワードセンスは極めてファンタジックだったと思います。
他にもオーラ・ソードでの俊敏な殺陣シーンなど見せ場も多かった気がするのですが、肝心の視聴率は残念ながらイマイチ。昆虫をモチーフにしたデザインが不人気の一因だったかもしれません。特に女子勢からの評価は最悪で、プラモデルを飾っていたら母上に
😡「その気持ち悪いゴキブリを何とかしなさい」
と散々でした。ダンバインのモチーフはカブトムシなのに…そう言えば熱烈なアニメファンだった従姉妹のお姉さんもダンバインだけは苦手だって言ってましたっけ。
僕自身は夏休みの自由研究に昆虫採集を選ぶ位でしたから、オーラバトラーの翅がカッコよくてドハマりしてたんです。ここら辺の感覚の違いは難しい所ですね。よく考えたら『仮面ライダー』だって昆虫がモチーフだよ!
本来の顧客ターゲットの子供たちへの人気は今ひとつでしたが、若年層以上のアニメファンには絶大な支持を集めました。たしかに後半の現実世界のミリタリー描写や、戦国時代を彷彿とさせる複雑な愛憎劇などは小学生には難しかったかもしれません。しかしバイストン・ウェルの物語は富野由悠季監督の手によって小説『リーンの翼』へと引き継がれ、現在でも多くの人々に愛されています。
1984年 黎明期のパソコンRPG特集記事

デジタルゲームでファンタジーが先行していたのはパソコンでした。本場の米国では幻想世界を題材にしたAVGやRPGが既に全盛を迎えていましたが、それを模倣する形で少しずつ日本のファンタジーゲームは成長していったようにように思います。
パソコンゲームでRPGが進化していったのは、ハード的にアクションゲームが不得手だった点もあるのではないでしょうか。漆黒の画面から「剣と魔法の世界」をイマジネーションできる選ばれし物…そんなパソコン少年達の選民意識をくすぐるのが黎明期のRPGで、そこにはロマンが詰まっていました。





ファンタジーではなくスター・ウォーズを彷彿とさせるSF世界ですが、日本のRPG最初期の作品としてずば抜けた完成度を誇ります。非常に凝った設定の世界観で、マニュアルに膨大な敵リストや武器リストが明記されていました。

日本ファルコムの天才プログラマー木屋氏が手がけたRPGの第1作目。当時としては珍しいフロッピーディスクを使用しての大容量ゲーム作品。

30種類のダンジョンがあり、128種類のキャラクターが待ち構える3DRPG。よくパソコンショップでドラゴンの出現するデモをやってました。

詳細な世界設定や優れたゲームシステム、美しい怪物CGなど国産RPGの歴史を語るうえで重要なゲームのひとつ。今作がドラクエに与えた影響は極めて大きな物でした。
1984年『ザ・ブラックオニキス』


黎明期ファンタジーRPGの代名詞だった『ザ・ブラックオニキス』は多くのパソコン少年を虜にしました。単純明快なシステムにも関わらず、プレイヤーが書き加える「余白」に満ちた幻想世界に魅せられたのです。
ブラックオニキスは日本で始めて『ダンジョンズ&ドラゴンズ』等のTRPGをパソコン上で再現しようとしたゲームでした。それゆえ独特の奥深さを持っていたのがロングセラーの秘密だったような気がします。パソコン少年にとってのドラクエのような存在がブラックオニキスだったのではないでしょうか。ここら辺の詳しいお話は以前に特集しました。
1984年『とんがり帽子のメモル』
個人的にメルヘンアニメの頂点とも言える作品です。絵本の中から飛び出したようなキャラクター達が生き生きと動き、心温まる物語を紡いでくれました。このようなオリジナル作品を毎週無料で子供達に届けることができたのが、日本アニメ文化の成熟の証とさえ思います。
僕はメモルのおかげで日曜日に早起きする習慣が付き、毎週日曜日の朝8時30分が待ち遠しかったですよ。この作品について語りだすと今回のテーマと離れてしまうので我慢しますが、今の子供達にも是非見てほしい傑作アニメです。



1984年『火吹山の魔法使い』

言わずと知れたゲームブックの元祖。僕は先述した帰国子女のファンタジーの師匠に弟子入し、テーブルトークRPGの参加を熱望していました。しかし「お前にはまだ早い!」と、まず『コナン・ザ・グレート』を視聴させられたのです。そして次なる試練?として命じられたのがこの『火吹山の魔法使い』。僕のゲームブックによる「終わりなき物語」はまさにここから始まったのでした。
今作ファイティング・ファンタジーのシステムは極めて単純で、僕が既に体験していたパソコンのRPGよりもずっと簡素なものでした。戦闘方法の説明を読みながら
🤔「ふ~ん、こんなもんか」
と高を括っていた記憶があります。ここらへんもパソコン少年の無駄なエリート意識が垣間見えますね😅しかし冒頭に「噂」と称して、こんな感じでプロローグが始まると状況は一変
「よほどむこうみずな冒険者でない限り、これほど危険きわまる探索に乗り出すにあたっては、山とそこに秘められた宝について、まずなるべく多くのことを探り出そうとするものだ。」
なんと詩的な書き出しでしょうか。まるで誰かが冒険者の僕に語りかけてくるようです。そしてゲームブックファンなら誰もが知る魔法の言葉・・・
「さあ、ページをめくりたまえ。」
この一節で、僕の意識は完全に幻想の世界へと惹き込まれていきました。そしてこの怪物が跋扈する地下城砦での雄々しき冒険は、生涯忘れえぬものになったのです。
「本を閉じよ、君の冒険は終わった」
その時、ようやく僕は自室で『火吹山の魔法使い』を読んでいることに気がついたのでした。
「ポールの奴もこんな心境だったのかな…」
前述した『ポールのミラクル大作戦』では主人公の現実世界から不思議な世界への転生が大きなテーマでした。まさか僕自身がそれを追体験できるとは…この時の感動は今思い返しても感慨深いものがあります。
ゲームブックとは小説でもゲームでもない、まさに比類無きジャンルというのが僕の実感です。あえて言えば幻想の世界にいざなう「魔法の書」というべきなのでしょうか。同時期に映画『ネバーエンディング・ストーリー』を見て
「😲これってゲームブックじゃねえか!」
と感じたのも懐かしい思い出です。

GBが日本のファンタジー文化に与えた影響は非常に大きかったと思います。


国産のゲームブックも次々と傑作が登場しました。



ボロボロになってもマーリンの言いつけを守り大切にしています😉

「🤭やっぱ世界中に似たような奴がいるんだなあ」と嬉しくなりました。



師匠の読み通りゲームブックはテーブルトークRPGの入門書として非常に適していました。師匠は小学生ながら本場米国のD&Dを既に体験していて、TRPGが単純なボードゲームではないことを看破していました。ただ戦闘を繰り返してクリアを目指すのではなく、会話によって参加者全員で紡ぎ出される「物語」であるという認識だったんですね。
幻想世界をイマジネーションするという経験をゲームブックで積めたのは、その後の大きな財産となったのでした。
1984年『ドルアーガの塔』

恐らく多くのゲーセン野郎に「剣と魔法の世界」を知らしめた作品です。ファンタジーとデジタルの世界が融合されたアーケードゲームの出現は本当に衝撃でした。パソコンのRPGに比べても視覚的に解りやすく
「😲スライムってこんな感じなんだ」
と驚かされましたよ。騎士・魔法使い・スライム・ドラゴン・宝箱、すべてが輝いて見えました。ドルアーガのお陰でファンタジー世界のイメージが固まった人も多いんじゃないでしょうか。ナムコのゲームはそれまでも魅力敵なキャラクターが印象的でしたが、ドルアーガはその点でも秀でていました。黄金の騎士ギルガメスと巫女カイの織りなす冒険譚は、幾多のゲーマーの記憶に刻まれていったと思います。
僕自身は小学生だったのでまだゲーセンに出入りできず、パソコン雑誌の記事で知って猛烈に憧れていました。実際にプレイできたのは翌1985年のファミコン版からでしたがクラス中で大人気となり、突如として自称「ファンタジーファン」が急増したことを覚えています。ギルやカイのイラストを模写する奴も多かったですね。この流れから翌年のドラクエの登場で、ファンタジー人気は不動のものとなったというのが僕の実感です。



ウィザードリィやAVGを融合したアクションゲームと評されています。





ちゃんと最近ヤフオクで買ったよ!(逆ギレ)

記事まで書いて資料も集めたのに😭


1984年 ハイドライド 1985年 ザナドゥ



『ドルアーガの塔』は名作でしたが純粋なRPGではなく、あくまでアクションゲームとして完成していました。それに対してファンタジー世界をベースに、アクションとロールプレイングの完全なる融合を果たしたのが『ハイドライド』だったのです。『ザナドゥ』は更に進化したアクションRPGでした。
僕がこのパソコンゲームの2大巨頭を同列に紹介したのは、両作ともTRPGの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の世界観を参考にしているからなんです。米国ではD&Dをパソコン上で再現する流れから、ウルティマやウイザードリィといった傑作RPGが生まれていました。しかし日本では単なるTRPGの再現ではなく、アクションゲームと融合するという新しい潮流を生み出すに至ったのです。
かつてウイザードリィの作者ロバート・ウッドヘッド氏やウルティマのロード・ブリティッシュ氏は対談でザナドゥをアーケード型ファンタジーRPGと評しています。つまりゲーセンのアクションゲームのから派生したもので、面白いけれどパソコンの分野のゲームと捉えていなかったのですね。米国ではこの考え方が支配的で、結果アクションRPGは日本の独壇場となったのでした。
TRPG本場のアメリカ人ですら発想しなかった、全く新しいファンタジーRPGを創造したことは本当に素晴らしいことだと思います。ハイドライドとザナドゥは日本が生んだ新世代のパソコンゲームとして日本を席巻し、のちにそのフォロワーが世界をも制覇するのですが、その偉業は別項で述べたいと思います。


ロバート・ウッドヘッド氏とロード・ブリティッシュ氏の対談も掲載しています。

1985年『幻夢戦記レダ』

少しずつファンタジーという分野が認知されていった過程だと思います。








このようにゲームでは着々とファンタジー世界が浸透していましたが、アニメの世界はまだ未開拓という印象でした。その流れを一気に変えたのが『幻夢戦記レダ』だったように思います。
同時期に放送されていた『ダーティペア』のSFアクションは既にアニメで確立されていた鉄板ジャンル。しかし当時珍しかったヒロイック・ファンタジーの世界に、美少女とセクシーなコスチュームを融合させた幻夢戦記レダは衝撃を持って迎えられたのです。
ドラクエ以前のファンタジーはパソコンゲームの独壇場でしたが、レダの登場で大きな影響を受けることになりました。その筆頭が『夢幻戦士ヴァリス』であることは言うまでもありません。主人公の陽子ちゃんはオタク世界に革命をもたらしたキャラクターじゃないでしょうか。今見てもその美しさは全く色褪せていませんよね。
ある日僕が美大生だったアニメの師匠(ファンタジーの師匠とは別人です)の部屋に遊びに行くと、見たことのない美少女がビキニアーマーに身を包み、剣を振るっている姿に度肝を抜かれました。小学生の僕でも今までのアニメとはクオリティが段違いであることは直感できましたよ。
😲「ししし師匠、このアニメ何チャンネルでやってんの!」
😐「ああ、コレOVAって言う売り物のビデオアニメだ。TV放送はしてねよ。」
😧「え、幾らぐらい?」
🤔「確か12000円だったかなあ」
現在の2万円近い感覚に絶望したことを覚えています。それでも諦めきれずに
😭「師匠!なんでこういうファンタジーのアニメをTVでやんないの?」
🤔「うーん燃えろアーサーもダンバインもコケただろ。スポンサーが付かねえんじゃねえかな」
実際レダは高額にも関わらず3万本以上のヒット作品となったそうですが、それは師匠のようにある程度お金に融通の効く若年層以上のアニメファンに限られていました。前述した『アリオン』も同様で劇場公開という形に留まっています。お茶の間でファンタジーアニメを見るにはやはり「ドラクエ」という革命を待たねばならなかったのでした。
1985年『ウィザードリィ』







『Wizardry 狂王の試練場』は、当時最もTRPGの雰囲気を味わう事ができるコンピューターRPGでした。以前からマニアの中では「究極のRPG」と噂されていましたが、天文学的価格のアップルⅡと英語力が必須という敷居の高さ。パソコン雑誌での特集は数多く組まれましたが、それは遠い異国の神話という印象だったのです。
1985年末にようやく日本語版が発売されましたが、オリジナル版から早4年の月日が過ぎようとしていました。通常のゲームであればこのタイムラグは致命的と言えますが、WIZの魅力は全く古びていなかったのです。邪悪な大魔導士ワードナ、狂王トレボーという二人のダンジョンマスターに、多くの冒険者が挑む事になるのでした。
パソコンでの人気を不動にしたウィザードリィでしたが、より多くの人に親しまれたのは1987年に発売されたファミコン版。末弥純先生によるグラフィックと羽田健太郎氏作曲によるBGMが追加され、「完成版」とも言える内容でした。狂王トレボーに「一番良いでき」と言わしめた一品です。
この時既に初代ドラゴンクエストが発売されていましたが、なぜ対極の「解りにくいRPG」はファミっ子を惹きつけたのでしょうか。それはドラクエの源流たる「何か」を感じたからなのかもしれません。







僕が『狂王の試練場』に挑戦したのはMSX2版が発売された1987年の暮れ。その頃ロードス島戦記から『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に出会い、テーブルトークRPGの世界に足を踏み入れていました。会話で「自分達だけの物語を創作する」という魅力に取り憑かれた僕は、ウイザードリーの本質がコンピュータでTRPGを再現することだと気が付きます。そしてパソコン雑誌やファンタジー関連の資料を読み漁り、ますますその幻想世界に埋没することになるのでした。
その頃ちょうどファンタジーの師匠がマスターをやってくれていたD&Dセッションに参加していたんです。しかしいわゆる「マンチキン」的な、つまらないプレイスタイルに悩んでいたところ
🤔「Wizでセッションをイメージしてみろ」
とアドバイスされ、冒険の世界を脳内で創造することに挑戦しました。
この「電脳世界に没入する」ことに惹かれたWizardryファンは多いのではないかと思います。1988年3月に連載が開始された、ベニー松山先生の『隣り合わせの灰と青春』がその流れを加速させました。
育てたキャラクターに愛着が湧き、他のRPGやTRPGセッション、ゲームブックに転生させることを覚えたのもこの頃です。しまいにはキャラクターの架空の会話を脳内で再生してるうちに、プレイ中に呟くあぶないおじさんになってしまいましたよ💦
言うまでもなくウィザードリィはプレイヤーの想像力が試されるゲームです。だからこそあの試練を潜り抜けた冒険者たちは、特別な戦友であるという想いが今でも強いのです。
1986年2月『ゼルダの伝説』

この時の盛り上がりは凄まじいものがありました。










鳴り物入りで発売された任天堂のディスクシステムの第一弾。スーパーマリオが人気爆発のアクションゲーム全盛期に、ローンチタイトルとしてファンタジーARPGを投入したことは任天堂からの挑戦状とも言えました。丁度この時期『ハイドライドⅡ』と『ザナドゥ』がパソコンゲームの人気トップを争っていましたが
😤「ファミコンでも負けねえゲームが出来るんだぞ」
という、任天堂の強烈なメッセージを感じたことを覚えています。実際パソコン少年達にはかなりの危機感があり、悪友のFM7くんやX1くんが「敵情視察」と称してプレイしたところ
😲「こりゃ正直完成度はパソコンゲームより上だな」
🙁「ディスクシステムは大した事ねえがゼルダは侮れねえ」
具体的に言うとハイドライドの体当たり方式の戦闘に比べ「剣を振る」と言うアクションが追加され、敵がヒットバックするのがキモでした。このシステムによって爽快感が増し、アクションゲームとしてもより完成度が高まったと感じたんですね。現在でもこの方式はARPGのスタンダードとして完全に定着しています。アクションRPGの元祖はハイドライドだった筈なのに、その完成型がファミコンの作品だったと言うのはパソコン少年としては複雑な心境でした。


僕自身ゼルダは一応クリアした程度でしたが、意外な所でその偉大さを知ることになります。1994年に米国に赴いた際、向こうのオタク連中に『ゼルダの伝説』が神格化された存在だったことを教えられたんです。アメリカではディスクシステムは発売されていなかったので、ディスク版をプレイしたと言うだけで羨ましがられましたよ。
😯「そっちでも似たようなゲームはあったんじゃないの?」
🤔「ガントレットはあったけど、アレはRPGじゃねえしな」
つまり謎解きがあり、アクションが秀逸で、物語として完結している三拍子揃ったゲームは 『ゼルダの伝説』が初めてだったと言うんですね。その後ネット時代になって海外のゲームファンと交流するようになると、皆近い意見を述べていました。現在でも海外で多くのファンサイトが存在しますし、英語版のウィキペディアには「史上最も影響力があり、最も偉大なビデオゲームの1つ」と最大限の賛辞が送られています。
本場である欧米のファンに、始めて認知させた和製ヒロイック・ファンタジーは『ゼルダの伝説』だったのかもしれません。
1986年5月『ドラゴンクエスト』




初代『ドラゴンクエスト』は至るところでその偉大さを語られているので、今回は僕の感じたドラクエについて回想したいと思います。ただこれはあくまで周りのパソコンユーザーとの個人的なお話なので、不快に感じる方がいたら許して下さい🙇
ドラクエはゼルダの興奮が冷めやらぬ中、1986年5月に登場しました。この時系列は結構重要なので凄く覚えてるんです。まず驚かされたのがコレですよ。
😲「ファンタジーRPGってこんなに人気あったの?」
既にクラス中ではドラクエ攻略の話題で持ちきりになってました。野球部のエースピッチャーで毎日練習熱心だった大洋くんが、隣の席から
🤭「たいようのいしってどこにあんだよ?」
と聞いてくる始末。バリバリの体育系少年までがドラクエにハマってたんです。僕は幼馴染だったナムコ君の家で遊ばせてもらってたんですが、ついにスーパーマリオの1面をクリア出来なかったオバちゃんまでが
🤑「このキラキラした奴やっつけるの快感だわ~」
とゴールドマンを狂ったように狩り続けるのを見て、このドラクエフィーバーが恐ろしいことになっているのに気が付きました。多分地球上で『夢幻の心臓』をやり込んでいたお母さんはいなかったと思います。他にも行きつけのゲームセンターで、ファミコンが筐体入っていて1プレイ10分の時間制でプレイするドラクエを見たことがありました。それを見たX1くんが
😒「ケッ、ゲーセンに来てまでドラクエかよ」
と苦々しく吐き捨てていたのを覚えています。ドラクエが名作なことには異論はなかったのですが、パソコン少年としてどこか割り切れないものがあったんですね。
それまでのファミコンブームに関して僕らは納得していたんです。ゲームセンターで100円入れないと遊べないゲームが家庭で手軽に遊べるのだから「そりゃ売れるよなあ」と素直に思っていました。しかしマニアックなジャンルとしてパソコンマニアが独占していた「ファンタジーRPG」がいきなりファミコンに「強奪」されたことは、なんというか凄く切ない心境でした。ファミコンユーザーだった方やドラクエファンの方には申し訳ないのですが、自分達の大切にしていた宝物を横取りされたような感覚だったことを強烈に覚えています。



更にMSXユーザーとして複雑だったのが、約半年後にドラクエの移植版がMSXで発売されたことでした。後に知ったのですが、新型MSX2発売のローンチタイトルとして、ソニーが直々にエニックスに移植を要請した経緯があるそうです。このためMSX2版のみ発売元がソニーになっています。
勿論ムチャ嬉しかったですし速攻で買ったのですが…結局翌1987年の年間MSXソフトランキングではドラクエが王座に輝くことに。しかしコナミを始めとする数々の強豪ソフトを差し置いてドラクエがトップを取ったこということは、実質的にMSXがゲーム機としてファミコンに完全敗北したことを意味したのでした。




かと言ってドラクエ人気を全てネガティブに捉えていたわけでもありません。ドラクエの出現は日本においてファンタジーという分野がメジャー化する強烈な起爆剤になりました。町中にはドラクエグッツが溢れ、テレビではドラクエのBGMが効果音で使用されたりもしています。
今回資料を集めて実感したのですが、明らかに日本のファンタジー文化はドラクエ前、後で分かれていると思います。これは日本のエンタメの一大転換期でもあり、しいてはオタク文化が一気に巨大化する予兆、前奏曲でもあったのです。
応援していたファンタジーやゲームが大きくなっていくのは嬉しいはずなのに…このアンビバレンスな感情は思春期ゆえの気の迷いだったのかもしれません。しかし今振り返ってみると最も多感な時期に、この歴史的イベントを体感できたことは凄く幸運だったと思っています。僕にとってドラクエの出現とは、それぐらい大きな出来事だったのでした。

1986年8月『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』



何故ファンタジーは愛されたのか?



いかがだったでしょうか?嗚呼、全国3000万のファンタジーファンの皆さんから
😡「ディードリットをサムネに使っといて語らねえとは舐めてんのか!」
😒「昭和といいつつTRPGを無視するなんてニワカですね。」
というお怒りの声が聞こえてきそうですよ💦しかし資料を集めて解ったんですがドラクエ以後のファンタジーは様々な形で発展していき、簡単に纏めるのは到底不可能と悟ったんです。
元々は前回の『ゲーム・パソコンを愛した漫画家たち 昭和編』の続きの予定でした。『ドラゴンマガジン』『月刊アスキーコミック』などの、90年代ファンタジーブームがオタク文化を急成長させた流れについて語ろうと思ってたんです。その取っ掛かりとして発展の歴史を紐解いていたら、いつしかこんな内容になってしまいました。このテーマは何とか改めて特集したいと思います。



今回執筆中に感じたのは
「何故ファンタジーがオタクに愛されたのか?」
という問いでした。それは恐らくオタクにとって最も重要なスキルである「空想力」と極めて親和性が高かったからだと思うのです。現実世界では決してありえない「剣と魔法の世界」。しかし己の創造力によって開かれた「異世界への扉」を潜る瞬間のトキメキは、誰もが経験したのではないでしょうか。
今回の投稿はそんな僕の長きに渡る冒険の追想の旅路でもありました。皆さんもそんな雄々しき冒険を想い出してくれるのなら…そんな願いを込めて綴ってみました。
それではまた次回、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
サイボーグMSX
僕は全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇♂️
いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹
校正も一応やっているのですが、なにか文章でおかしな点があったらコメント欄でご指摘頂けると有り難いです🙇
