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ザ・ブラックオニキス①PC少年最大の謎イロイッカイズツ

「イロイッカイズツ」うっ、頭が…という人はかつてのパソコン少年確定です。黎明期ファンタジーRPGの代名詞だったザ・ブラックオニキスは多くのPC少年を虜にしました。その唯一にして最大の謎がこのカラー迷路。「多くの戦士が伝説を求めて消えて行った」のキャッチコピーの通り、挑んだ冒険者は多くとも、ONYXを手に入れた勇士は僅かだったのです。今回はこの幻想に満ちた迷宮に身を投じた、幼き勇者たちの物語です。


❶ファンタジーRPG黎明期の光景


MSX版のボックスアート。この幻想的なイラストに心が躍りました


「多くの戦士が伝説を求めて消えて行った」のキャッチコピーが秀逸。
「自分の感情を戦士に託し、せまりくる危機を乗り越えながら成長させていく物語」という趣旨は、現在でも色褪せていないRPGの本質と言えます。

1985年末、念願のMSXを入手した僕はどのゲームを攻略しようか迷っていました。ファミコンではスーパーマリオブラザーズが発売され空前のブームとなり、既にアクションゲームでMSXやパソコンが優位を持てないことは明らかでした。パソコン少年達は「大人向けの知的なゲーム」に魅力を感じ、AVGやPPGに主戦場を移そうとしていた時期になります。前回紹介したMSX版オホーツクに消ゆをプレイしたのもこの頃のお話です。


MSXマガジン1986年3月号のランキング。まだアクションが中心で、本格的RPGはブラックオニキスぐらいでした。MSX版はハイドライドと同時期に発売されています。

現在でこそファンタジーRPGは日本のゲームジャンルにおいて「主食」とも言える地位を獲得していますが、この頃は非常にマニアックな存在でした。同じファンタジーRPGでもハイドライドなどのアクションRPGは直感的にプレイすることが可能でしたが、専門知識やマッピングなどの「特殊技能」を必要とする3Dダンジョン形式のファンタジーRPGは非常に敷居が高かったのです。ナイコン時代の僕は悪友のFM7くんやX1くんがこれ見よがしにウィザードリィをプレイするのを指をくわえて眺めるのがやっとでした。


1984年3月発売の夢幻の心臓。ブラックオニキスとほぼ同時期に発売されたウルティマの見下ろし型マップとウィザードリィのコマンド選択式戦闘を併せ持つ正統派RPGです。ドラクエにも影響を与えた黎明期RPGの傑作ですが、最弱のザコである「農民」相手でも殺されてしまう激辛な難易度など、とっつきにくい印象でした。

そんな訳で弟子入りしたばかりのMSXの師匠に相談すると、

😉「おめえにはこれぐらいが丁度いいかな」

と渡されたのがザ・ブラックオニキスだったのです。師匠はアメリカからの帰国子女で、Apple IIのウィザードリィどころか本場のテーブルトークRPGを英語でプレイしてきたような怪物だったのですが、あえてブラックオニキスを選んでくれたことは幸いでした。何しろファンタジーの知識はアニメの「円卓の騎士物語・燃えろアーサー」ぐらいしかないのですから、プレイを初めてからずっと師匠に質問しっぱなしでした。

🤔「ダンジョンってなんのこと?」BYハイドライド3

😕「経験値たまるとなんか意味あんの?」

😮「ZombieとかSkeletって?」


僕所有のD&D。D&D日本版の展開は1985年からでしたが、定着するのは1986年にパソコン雑誌『コンプティーク』にロードス島戦記が掲載された後でした。

僕も当時からオタクの気質があってしつこく聞いていくと、師匠はしまいに指輪物語や英語版のD&Dのモンスターマニュアルまで引っ張り出して懇切丁寧に教えてくれました。この時「ファンタジーRPGの基礎知識」を習得できたことは大きな財産になったと思います。もし僕がブラックオニキスを経験せずにウィザードリィに挑戦していたとしたら、その難解さ故に投げ出してしまい、その後のゲーム人生が全く違ったものになったような気がします。
こうした冒険の日々を過ごすうちに小学校でファミコンユーザーにブラックオニキスの自慢話をするようになると「俺は選ばれし勇者なんだ」とガチで錯覚してしまうような心境になっていくのでした。今考えるとどうしようもない嫌なクソガキですねえ😁しかしファミコンではプレイできないゲームをパソコンで遊ぶ謎の優越感は、やっぱり忘れることの出来ない想い出の一つなんですよ。このことは以前紹介したAVGやザナドゥでも感じたことでした。


MSXマガジン1986年2月号の特集記事。
後にプロレスラー前田日明さんが太宰治の『選ばれし者の恍惚と不安二つ我にあり』という言葉を引用した際、この頃のことを思い出しました。


MSXマガジン1987年2月号。もうこの時期には完全にコンピューターRPGが定着していた頃ですが、そのオリジンとしてブラックオニキスが特集されています。この時期なのでカラー迷路の解方も掲載されていますね。非常に長寿なゲームでした。

❷掻き立てられるイマジネーション


MSX版のタイトル画面。MSX版は後発の移植で完成度が高く、テープでなくROM版だったのでテンポがいい良移植でした。


PC-8001mkIISR版には特別なタイトル画面が。ここでブラックタワーが点滅する色彩がカラー迷路の謎に繋がっています。ずるいよ!😁


果たしてブラックオニキスに辿り着ける日はくるのでしょうか?

ご存じの通りブラックオニキスは極めて単純明快なRPGです。同系列の先輩格ウィザードリィと比べてみると、その違いが如実に表れていますね。

・魔法、職業、種族、年齢、性格がない
・戦闘は単純明快な殴り合い
・能力値はLIFEとDEXとSTRのみ
・前衛・後衛の概念がない
・モンスターは1種類しか同時に出現しない
・宝箱・罠・毒等もない
・マジックアイテムは1種類のみ
・寺院や復活の概念がない


マニュアルではシンプルなバックストーリーしか語られていません。


その分初心者向けに用語の説明文などが充実していました。呪われた街ウツロの説明では、かつて存在した魔法使いが魔物たちの戦いに敗れたことが示唆されています。

またストーリーも極めてシンプルでした。

『古くからの伝説によれば、永遠の命と莫大な富をもたらす宝石・ブラックオニキスが呪われた街ウツロのはずれのブラックタワーにあるのだという。この宝石を求めて、多くの冒険者達が地下迷宮へと消えて行った。』

ではなぜ僕らはあの漆黒の地下迷宮に魅せられたのでしょうか。今思えば「語られない魅力」があったからのように思うのです。

僕🤔 「師匠、この『JAIL(刑務所)』って何のためにあるの?」

師匠🤨「そりゃおめえが考えることだろ。」

僕😲 「僕が?」

師匠😏「RPGてのはな、想像するから面白いんだよ。」

師匠は既に本場アメリカのTRPGを経験していましたので、ブラックオニキスがD&Dをパソコン上で再現したゲームであることを見抜いていました。それ故その世界を自分で創造する楽しさについても伝えてくれたのです。

ブラック・タワーを築いたのは誰なのか?ウツロの街は何故呪われているのか?RUINS(廃墟)の主だった魔法使いは何故消えてしまったのか?跋扈する魑魅魍魎たちはどこからやってきたのか…

そのすべては謎のままでした。プレイしながらその理由を想像し、自分だけの物語を創っていく…。ブラックオニキスにはお仕着せの物語でなく、プレイヤーが書き加える「余白」のようなものが残されていたのです。


その幻想的な星空と、暗鬱たる雰囲気にすっかり魅せられてしまいました。当時のパソコンは表現力が貧弱だったので黒い画面が基本だったのですが、それを逆手に取った演出は見事でした。この点はカラフルで色彩的なドラクエと対照的だったと思います。
残念ながらこの演出はMSX版ではカットされてしまいました。


CEMETERY(墓場)。
そのほかにもGRUB(飯屋)やARNOLD'S PUB(アーノルドの酒場) が存在します。


呪われたウツロの街にはゲームには関係のない「無秩序な生活感」に溢れていました。また迷宮のそこかしこに物語の大きな謎が隠されているような気がしたものです。この演出は極めてTTRPG的なのですが斬新でした。

またブラックオニキスはハック&スラッシュの典型のようなゲームデザインですが、そのキモの部分だけを抽出したような面白さがありました。
魔法という概念がないので戦闘は殴り合いのみ、体力の回復はほとんど期待できません。怪物たちは次から次へと襲い掛かってくるので、基本的に消耗戦となります。モンスターを葬ると怪物のグラフィックが消滅していき、自分のダメージは体力ゲージが赤くなり視覚的に確認しやすいのがミソでした。この点はウィザードリィより優れていたと思います。この「殺るか殺られるか」という独特の緊張感は麻薬的な中毒性を生むことになるのでした。


画面に収まらないほどの怪物たち
ザコ敵は群れをなして襲ってきます。
怪物のCGが1体ずつ消滅していく様は快感でした。

地下迷宮はウィザードリィと比べても広大で、冒険は長丁場になります。引き際を誤ると悲惨な結果になる展開はウィザードリィよりシビアでした。何しろレベルが最高でもテレポートなんて甘っちょろい物はないのですから!


🤔「師匠、こんなところに井戸があるよ」

😁「潜ってみろよ、面白いことになるぜ」

😱「何処まで降りれるんだろう、うあわああああ!」


このゲームで最も有名なモンスターとも言えるクラーケン。ウィザードリィ1における地下4階のコントロールセンターに相当する怪物でしたが、幾多の冒険者が露と消えていきました。


お約束の展開で全滅。誰もが通る道ですよね。別パーティーでの救助?そんなものありません。ぜんめつ=永遠の消滅を意味しました。

😨「コンティニューはどうするの?」

😜「そんなもんねえよ」

😭「うわああああああ、師匠の意地悪!」

『隣り合わせの灰すら残らない青春』の楽しさを、一番初めに教えてくれたのもブラックオニキスだったのです。


マニュアルにマッピング用紙やウツロの街の地図が付属していたのも嬉しかったです。

また3D表示によるダンジョンをマッピングする楽しみを知ったのもブラックオニキスでした。一方通行、透明壁、テレポート等、3Dダンジョンのほとんどの要素を備えていました。それをコンパスなど位置確認の方法も無くマッピングしなければならなかったために悪戦苦闘しました。しかしその後3Dダンジョン系ゲームの攻略は怖くなくなりましたね。今でも方眼紙埋めていく作業をしていると、あの頃を思い出したりします。


マニュアルの最後には簡単な攻略法などが掲載。また作者のヘンク・ロジャースが本場米国(正確にはロジャースはオランダ人ですが💦)のプログラマーであることが示唆されています。この為僕はかなり長い間BPSをアメリカのゲームメーカーだと勘違いしていました。ヘンクのその後については以下の投稿で。

直感的にプレイできる見下ろし方のドラクエと違い、3Dダンジョンの攻略はマッピングという特殊技能が要求されます。これは自転車や水泳と同じで、幼少期に一度慣れて習得していないと、その後ずっとこの手ゲームをプレイできなくなる恐れがあるのでした。


セガ・マークIIIの傑作RPG『ファンタシースター』
滑らかな3Dダンジョンが特徴で、FM音源のBGMも印象に残っています。

例えば僕の弟はブラックオニキスをバカにしてプレイしなかったツケで、セガ信者の癖に初代ファンタシースターの3Dダンジョンが攻略できずに僕に泣きついてきましたよ。またファミコンユーザーのナムコくんはドラクエが初RPGだったため、初代「デジタル・デビル物語 女神転生」がどうしても攻略できず、僕や師匠の短期集中合宿をへてマッピングを習得しています。


80年代3D-RPGの到達点とも言える「マイトアンドマジック」。ブック2は失業して、死ぬほど暇なときじゃないと攻略できなかったです。でも意地でクリアしましたよ!

多くのパソコン少年が3Dダンジョンをブラックオニキスで経験できたことは、その後のパソコンゲーム文化に大きな影響を与えたと思います。ウィザードリィはもとより、マイト・アンド・マジックやダンジョンマスターといった大型のRPGがパソコンゲームに定着することになった礎にはブラックオニキスの存在があったのでした。

❸最大の謎イロイッカイズツ

とはいうもののブラックオニキスは粘り強く攻略していけば、誰もが終盤地下6階のカラー迷路まで進むことは容易でした。そこに唯一にして最大の謎「イロイッカイズツ」が立ちはだかります。


最大の謎「イロイッカイズツ」MSX版はひらがなでした。

師匠😟「俺にもカラー迷路の謎は解らねえよ」

僕😞 「師匠でも駄目なの?」

FM7君🙁「俺も半年以上やってるけど進めないや」

X1君😩「全部で6色だろ?6×5×4×3×2=720分の1てあんまりだ」

僕らは共同でパソコン少年たち最大の謎に挑んでいました。無限の力と富を授かるというブラックオニキスはもう目の前にあると言うのに!そんな時ある救世主が登場します。

僕😳「え、PC88くんは知ってるの!」

塾の友人PC88mkIIくんはお兄さんがベーマガ読者で、カラー迷路の謎を解いていたのでした。

僕🤗 「ねえ順番を教えてよ!」

88君🤭「青→赤→紫→緑→青→黄→白の順だよ、スタートの黄色は除くから注意してね。」

これで師匠やFM7君、X1君にでかい顔が出来る!僕は早速次の日学校で自慢気に報告しました。


初めてカラー迷路に突入した時は興奮しましたよ。ちなみに6階に降りた時、すでに黄色のエリアにいるのですが、そこはカウントしないというのも意地悪でした。

師匠😡 「できねえぞ。」

FM7君😒「出来ないよ」

X1君😏 「嘘ついてんじゃねえの。」

本当に88君の家でブラックオニキスの入手現場を見たのに嘘つき呼ばわり。地球戦士ライーザを機動戦士ガンダムのゲームと勘違いをしてクラスに言いふらし、評価を下げていた僕は更に窮地に立たされました。

師匠🤬「俺はキャプテン翼の三杉淳と嘘が大嫌いなんだ、破門だ!」


地球戦士ライーザと機動戦士ガンダム、似たようなもんじゃないですか!
哀 戦士って言っちゃってますし😁


TOKYOナンパストリートの入手についてはまたいずれ

破門が解けたのはベーマガで各機種の解法が記事になってからでした。

師匠😁「TOKYOナンパストリート貸してやるから機嫌なおせや。」

僕😒 「それ、師匠の代わりに僕が買ってきた奴じゃん!」

師匠😅「じゃあオメガシステムの『ゆき』でどうだ?」

僕😖 「あんなお化けみたいな奴嫌だよ」


MSX1のアダルトゲームという恐ろしい分野のパイオニアだった、オメガシステムの伝説についてはまたいずれ😁


今も手元にある「山下章のレスキュー! AVG&RPG」より。山下章さんが掲載してくれなかったら、ずっと「嘘つき」呼ばわりされてましたよ!😁

カラー迷路の色順は「パソコンのカラーコードの順」と噂がありましたがそれはPC-8801版だけで、結局機種ごとにすべて違っていたのでした。しかもご丁寧にPC-8801版とPC-8801mkIISR版とでは違っているという徹底ぶり。この為情報の共有が出来ないため、ONYXに辿り着いた勇者は少なかったのでした。そして「イロイッカイズツ」という謎の言葉だけが伝説として語り継がれていくことになったのです。


冒険者の合言葉は「ONYXを めざして がんばりましょう!」 ブラックオニキスはカラー迷路以外は全ての機種で同一の内容だったので、パソコン友達全員で攻略した楽しい想い出だったんです。


クリアした際に表示されるパスワードを送ると、認定書と共に本物の黒メノウが贈与されました。作者のロジャースの父親が宝石商だったために実現したのですが、凄くロマンのあるサービスですよね。


実はアスキー発売のMSX版とPC-6001mkII版のブラックオニキスのマニュアルには独自の挿絵が描かれているんです。


この挿絵は素晴らしく、凄く印象に残っています。


ブラックオニキスには種族の概念はないのですが、僕が始めて見たエルフのイラストがこれだったように思います。

❹ブラックオニキス広告集

オリジナルのPC-8801版ブラックオニキスは1984年1月に発売ということですが、かなりのロングヒット作品だったので長期に渡り広告が掲載されました。その一部を見ていきましょう。


1984年6月の最初期の物。
まだRPGというものが認知されていなかったので、その解説が中心です


約1年後の1985年3月。1984年9月発売の続編『ザ・ファイアークリスタル』とセット。続編が発売されても初心者向けRPGとして根強い人気がありました。


1985年11月。この頃になるとRPGは完全に定着して「RPGが好き」とのコピー


1986年1月。前述した通り僕はBPSをアメリカのメーカーと勘違いしていたのですが、このアメコミ調の広告が掲載されたことも一因でした。
こっそりブラックオニキス3の告知が…


1986年5月。これもアメコミ調の迫力ある広告。当時ジャギ様じゃないかって噂してましたよ。発売2年後でも広告が掲載されたパソコンゲームは異例でした。ここにも続編である『ザ・ムーンストーン』の発売延期の表記が…


数少ない家庭用の移植が1987年3月発売のセガSG-1000版。上保徳彦さんのBGMが素晴らしく、キャラクターがアニメするなど改良が加えられています。


1988年7月発売のファミコン版はスーパーブラックオニキスに改題。魔法が追加されてストーリーも違うという全く別物になってしまいました。この時期はファミコンでも人気RPGが次々と発売されていたので、あまり話題になりませんでした。

❺オニキスを愛した女たち。谷山浩子、小坂明子さん

ブラックオニキスは黎明期のRPGとして高い完成度を誇る作品だったため、多くのパソコンユーザーに愛されました。僕も大好きな『世界樹の迷宮』などを手掛けたゲームクリエイターの新納一哉氏もファンだったそうです。
この時代のパソコンユーザーは圧倒的に男性が多く、パソコンゲームのプレイヤーもほとんどが男性でした。しかしそんな中であえて「パソコンゲームマニア」を公言していたブラックオニキスファンの二人の超大物女性音楽家を紹介します。


RPGを通じてたくさんの夢の旅を体験しました。谷山さんらしい素敵な表現です。

まずは初代PC-8001(1979年発売)の時代からのパソコンマニアだったシンガーソングライターの谷山浩子さん。特に専門誌Oh!FMで「谷山浩子の気絶すんぜん☆なのらー」というコラムを連載していたことで、FM7ユーザーからは神格化された存在でした。友だちのFM7くんも大ファンで、その影響で僕もファンになりました。


PC8801の広告で、難解RPGマイト&マジックをプレイする由貴ちゃんに驚きました。

谷山さんの作風は幻想的でメルヘン調なものが多いのですが、好きなゲームはウィザードリーやマイト・アンド・マジックと言った、ガチもんの血生臭いゲームなので笑ってしまいました。ちなみに谷山さんはPC8801ユーザーだった斉藤由貴さんに楽曲提供しているのですが、斉藤さんもマイト・アンド・マジックがお好きだったそうです。もしかしたら谷山さんが斎藤さんに薦めたのかもしれませんね。お二人はパソコン通信仲間でもありました。

谷山さんは熱心に遊んでいたウィザードリィをイメージした「時の回廊」という曲を歌っています。この曲も凄く幻想的で大好きでした。



同じくシンガーソングライターで、ピアニスト、音楽監督、ボイストレーニングなど多岐にわたって活躍される小坂明子さん。小坂さんも『ミステリーハウス』からパソコンゲームマニアとなった筋金入りで、初めての愛機はPC-8801mkIIだったそうです。やはりブラックオニキスからウィザードリィにもハマったことを告白されていますね。小坂さんは多くのアニメ作品の作曲でも有名ですが、ハミングバードソフトの名作ホラーRPG『ラプラスの魔』のBGMも作曲されているんです。このコラムではその経緯を詳しく語っています。


日本RPG界の首領とも言える安田均先生が作製した渾身の作品『ラプラスの魔』日本製のコンピューターRPGとして、初めてウイザードリィの牙城に迫ったゲームと言っても過言ではないと思います。僕の最もハマったゲームで、いつか特集したいですね。

お二人のシンガーソングライターが共にブラックオニキスやウィザードリィがお好きなことは、幻想的なイマジネーションを掻き立てられたからに他ならない気がします。何時か80年代パソコンゲームについて対談してくれたら、なんて思ってしまいます。

❻85年の雄々しき冒険を振り返って


『ザ・ブラックオニキス』『ザ・ファイアクリスタル』そしてゲームブック『スーパー・ブラックオニキス』どれも冒険の想い出が詰まっています。

ファンタジーRPG不滅の金字塔『ザ・ブラックオニキス』。やはりファンが大勢いるようで、多くのサイトで攻略記事やシステム解説が掲載されていました。どれも素晴らしい物ばかりだったので、僕は個人的な体験談や初めてファンタジーRPGに触れた感動を中心に纏めてみました。


その後僕もウィザードリーにドはまりすることになります。

今思い返してみると1985年は僕にとってファンタジーゲーム元年でした。翌年にドラクエが発売されるまでファンタジーと言う分野自体が貴重で、その体験の全てが凄く新鮮だったのです。あの漆黒の迷宮に挑んだ勇者なら当時を懐かしんで頂けたら、そうでない方はドラクエ以前のRPGがこのような感じだったと感じてくれればと言う思いで綴ってみました。


さらに重度のファンタジーゲーム中毒に‥‥どの作品も素晴らしい冒険でした。

このドラクエ以前のファンタジーゲームに関しては、次回資料を交えて綴れたらなと思っています。勿論ブラックオニキスと言えば必ずついて回る、あの「幻の続編」についても特集しますよ!


ついにはTRPGの沼にもどっぷりとハマることになりました。

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                       サイボーグMSX


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