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ザ・ブラックオニキス②幻の続編ザ・ムーンストーン

ブラックオニキスの冒険に身を投じたパソコン少年にとって「イロイッカイズツ」と同じぐらいトラウマになっているのが幻の続編であるザ・ムーンストーンでした。元々ブラックオニキスは舞台となる「ウツロの町」を起点に、地下迷宮や寺院、町の外などを冒険したり、闘技場で闘ったりするというひとつの作品の予定だったそうです。結局発売されたのはザ・ファイヤークリスタルまでで、ムーンストーンは開発中の情報がパソコン雑誌に掲載されるに留まっています。
パソコンで未発売ゲームはつきものなのですが、問い合わせがBPS解散まで寄せられたというムーンストーンは最も期待されたタイトルだったでしょう。今回はこの幻の続編について、出来る限りの資料を通じて探っていきたいと思います。


❶ブラックオニキスが生まれた時代


ブラックオニキス発売直後の1984年4月のランキング。
まだトップ20にRPGは一つもランクインしていません。


新世代の国産AVGとして惑星メフィウスが一世を風靡していました。

MSXユーザーの僕がブラックオニキスをプレイしたのは1985年末のことでしたが、オリジナルの発売は84年1月とまだパソコンゲーム黎明期でした。この時期まだ日本ではファンタジーRPGと言うジャンルがほとんど存在せず、パソコンゲームの花形はAVGだったように思います。僕が愛読していた1983年8月発売の「こんにちはマイコン2」でもパソコン独特の思考的ゲームとして、アドベンチャーゲームやシュミレーションゲームは紹介されていましたが、ロールプレイングに関しての解説はなかったのでした。

この時期のパソコンRPGに日本ファルコムより1983年12月発売の『ぱのらま島』や、光栄より1983年12月発売の『ダンジョン Dungeon』などがありました。しかしまだRPGと言うものを作成するノウハウがなかったこともあり、それほどのヒットには至りませんでした。それに対してブラックオニキスの取っつきやすさと完成度は群を抜いていて、多くのパソコン少年にとっての「剣と魔法の世界の初体験」がブラックオニキスとなったのでした。


天才プログラマー木屋氏が手がけたRPGの第1作目。僕は動画を見ただけですが、フィールドと3D迷路のステージがあり、行動や戦闘はリアルタイムというシステムです。多彩なコマンドが用意されているのですが、まだ実験的作品と言う印象です。9500円という強気の価格設定や、大型のボックス、豪華なカラーマップなどが特徴でした。現在では強烈なプレミアがついています。

僕は『ぱのらま島』はプレイしたことがないのですが、光栄の『Dungeon』は悪友FM7くんの家でプレイしたことがあります。当時のパソコン雑誌の広告でも

「DUNGEON」 プロデューサー シブサワ コウ

今アメリカで最も人気があり、ゲームの主流であるロールプレイングゲーム。
これを思考型ゲームの殿堂光栄マイコンシステムが創ると、どうなるか。 もちろんテープ版の極限もきわめてありますぞ。
さあダンジョンへ旅立つ貴方、栄光のファンタジーロールプレイングゲームでこのだいごみを十二分にお楽しみあれ!

とムチャクチャ面白そうな煽りがあり、箱絵も迫力と幻想に満ちた素晴らしい出来だったので、是非プレイしたかったのでした。タイトルの魔法使いのCGもワクワクしましたね。


大迫力のボックスアート。当時はファンタジーのゲームというだけで興奮しました。


「ファンタジーロールプレイングゲーム」と明記されています。
「貴方を冒険とロマンの世界にいざないます」とのコピーが。


光栄は既に信長の野望でパソコンの思考型ゲームのメーカーとして一目置かれていました。それ故に期待も大きかったのです。

実際に遊んでみると地上はウルティマタイプのフィールド型RPGです。プレイヤーは職業を戦士、僧侶、魔法使い、盗賊、忍者の中からの選択可能とかなり進化したシステムでした。しかし本番はタイトルともなった地下ダンジョンです。この場面は3D迷路になっているのですがマップがあまりにも広い上、難易度が極悪なのには閉口しました。ゲーム保存協会さんによると畳一畳分位の広さになるそう。僕もFM7くんもすぐにマッピングを諦めて、ブラックオニキスに浮気してしまったのです。


パソコン雑誌『遊撃手』はメーカーの広告掲載をしていなかったので、怖い物知らずの企画で有名でした。


このランキングには皆さん異論があるでしょうが、まあ人気の裏返しと言う意味もあったと思います😁

皮肉にもこの光栄の『Dungeon』を一躍有名にしたのは、アナーキーな誌面で有名だったパソコン雑誌『遊撃手』での読者アンケート企画なのでした。「人気ゲームソフト逆ベストテン」という、まあクソゲーランキングみたいなコーナーで、同ソフトがぶっち切り1位を獲得したのです。噂ではブサワ・コウ氏が激怒したとかなんとか😅
僕はあまりゲームの批判はしたくないのですが、それだけ『Dungeon』の広大なマップの犠牲者が多かったのかもしれません。それに対してブラックオニキスはRPG初心者をターゲットにしたゲームデザインが徹底されており、それが多くのユーザーを獲得した大きな要因になったのだと思います。


ブラックオニキスの絶頂期1985年3月のランキング。発売から1年が経ち既に続編が出ている中でのランキング入りは異例でした。


ログインのソフトウェア大賞は当時最も権威があったと思います。1984年はRPGの年だったとありますね。パソコン ゲームが新しい時代を迎えようとしていたのでした。

こうしてブラックオニキスは移り変わりの早いパソコンゲームの中で異例のロングヒットとなり、『ログイン』の1984年度のソフトウェア大賞を受賞しています。前回紹介した通り1986年の中頃までBPSはブラックオニキスの広告を打っていました。

❷ブラックオニキスとD&D

ブラックオニキスの作者のヘンク・ロジャースは元々TRPGの元祖「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の大ファンでした。米国でD&Dが空前のブームだった時期に、ハワイ大学にてコンピュータの勉強をしながら毎日のようにプレイしていたそうです。その際日系人コンラッド・龍弥・小沢氏と卓球を通じて知り合い、これがBPS創設の発端となりました。


僕がブラックオニキスを初めてプレイしたのはFM7版でした。


後にD&Dをプレイするようになって、ブラックオニキスが大きな影響を受けていることに気が付きました。

日本にも「D&D」などのロールプレイングゲームを伝えたいという思いがふくらみ、それがブラックオニキス製作に繋がっていきます。D&Dをパソコンで再現したいという取り組みは本場の米国では1981年のWizardryやUltimaが既に作製されていました。しかし日本文化に精通していた二人は「英雄コナンや指輪物語を知らない彼らには難しい」と判断して、入門用のRPGとしてザ・ブラックオニキスを完成させることになります。これはこの直後1984年4月のインタビュー記事です。D&Dのルールブックやメタルフィギュアが数多く登場していますね。



前述した通りブラックオニキスは舞台となる「ウツロの町」を起点に、地下迷宮や寺院、町の外などを冒険したり、闘技場で闘ったりするというひとつの作品の予定だったそうです。これはテーブルトークRPGにおいてのキャンペーンと呼ばれるキャラクターを連続してプレイする方式からの発想でした。ブラックオニキスのマニュアルやゲーム本編の「ウツロの町」には既にそれらの布石が打たれていたので、ヘンク・ロジャースは当初からこの構想を練っていたのだと思います。


追加記事 1985年10月のインタビュー。


ザ・ムーンストーンについても触れられています。


1986年7月の記事。
「ウツロの町」を起点にしたキャンペーンゲームの構想が掲載されています。


ブラックオニキス製作の苦労をヘンク・ロジャースが語っています。

ロジャースが卓越だったのはファンタジー世界の知識が浅かった日本向けに、視覚的に解りやすいように調整していたことでした。特になじみの薄い西洋の怪物をグラフィック化したことは特筆すべきことだと思います。この一覧を見てみるとブラックオニキス>ファイアクリスタル>ムーンストーンと怪物たちもレベルアップしていく様子が伺えます。







ムーンストーンのモンスターはより美しくなっていますね。

❸ザ・ムーンストーンの伝説

初心者向けだったブラックオニキス、魔法が追加されたファイアクリスタルと言う進化の中で、第三弾のムーンストーンが野外の冒険と言う設定は自然な流れでした。今回は雑誌に掲載されたムーンストーンの資料を時系列順に紹介します。
ムーンストーンが最も早く紹介されたのは1985年10月号の記事。ここでは
「ブラックオニキスⅢはハワイで作られていた。」
と言うタイトルで特集されています。BPSハワイはロジャース氏の母校であるハワイ大学の出身者が集結しており、ロジャース氏のボードゲームの師匠であるノールト氏やダンジョンマスターだったデイブ氏などが中心でした。ストーリーも単純明快だった前2作とは打って変わって、天使と悪魔の争いを中心とした二項対立の壮大な物語になっていきます。


ゲームシステムでの一番の変更点は3Dダンジョンから横スクロールのエリアマップになったことです。また黒を基調とした地下迷宮から野外での冒険と言うことでグラフィックがカラフルにになり、1985年としてはかなりの美しさのCGに進化していました。
パーティは6人編成、クレリック(聖職者)というクラスが追加されています。クレリックの魔法は通常用と攻撃用が10数種類ずつで、ファイアクリスタルのウィザード用魔法と合わせて60種類近くになる予定でした。


念願の別種族であるエルフやドワーフも登場し、彼等を仲間でできるようになるシステムも搭載。また前作ではほとんど無意味だった「TALK」で情報を集めることができるようになり、よりTRPGの雰囲気に近づいています。
これはウィザードリィは元より1987年に発売されたマイト・アンド・マジックをも凌ぐもので、世界最高レベルのコンピューターRPGになる予感を感じさせるものでした。



同時期の1985年9月の掲載された記事。イントロダクション用の絵コンテが掲載されているので、もしかしたらオープニングに使用される予定だったのかもしれません。


ところが翌1986年1月の記事では「昨年10月に途中のバージョンのものが日本に戻り、日本のBPSのスタッフにより新たなる開発、主にシェイプアップが始まった。」とあります。一応1985年の年内発売とあるのですが・・・
何故BPSハワイでの制作が中止になり、日本での制作に変更になったのかは定かではありません。ともかくここら辺からムーンストーンの完成の雲行きが怪しくなっていきます。


1986年2月の記事。1985年12月15日にパソコンゲームショップにてブラックオニキスⅢの制作発表会が開催されたとのこと。デモ画面も公開されたそうですね。ムーンストーンという正式名称も確定し、この時点では1986年3月の発売を予定していたそうです。


1986年4月号の記事。大幅の遅れの原因を「ハワイで作ったプログラムが膨大になってしまったこと、またRPGで知られているBPSとしては今までにないようなソフト作りを目指しているためにある程度形になっていたものを、よりすぐれたものに一から作りなおしている。」とのこと。




1986年7月号の記事。この特集ではかなり細部までムーンストーンの内容を紹介しています。まず昼と夜の概念が追加されている点です。太陽と月という要素が加わり、昼と夜では登場するモンスターが異なったり、魔法の威力に影響を受けるという設定になることになっていたそうです。
また新たな地形の紹介として「酒場」「街」「沼」「岩山」「家」「怪しい酒場」のグラフィックが公開されました。



1986年9月号の記事。「マップも完成し、キャラクターも7割完成していたとありますが、それらが『日本人の好みのあわない』という理由により、『細部にいたるまでの洗い直し』作業に時間がかかっている」とのこと。
この特集では新たな地形の紹介をさらに詳しく紹介しています。

「Rope Bridge 吊橋」
「Woods 森」8色しか使われていないのに非常に美しいですね。
「Jungle 密林」
「Cave 洞窟」
「GhostHouse 幽霊屋敷」
「mountain saga 山の神殿」
「Cemetery 墓場」アンデットの巣窟の雰囲気。
「Giant Inn」 巨人族の経営する宿。
「Evil Inn」悪党の宿。何かイベントが起きそうです。
「Friendry Inn」善人の経営する普通の宿。


1987年1月号の記事。正月恒例のソフトハウス紹介特集で「86年8月には発売するといっていたムーンストーンはどうしたのか?」という質問に対して、ロジャース氏は「そんなゲーム知らない」としらを切っています。恐らく開発が難航していたんでしょうねえ。



1987年5月号の記事。僕の集めた中ではこの特集がムーンストーンの記述がある最後の資料になります。発売が延びている原因として構想が膨らみすぎ、ハワイで作成した原型を修正しているうちに破綻してしまい作り直しているのだということでした。
新しくキャラクターを作る場合、人間、エルフ、ドワーフ、バーバリアン、ホビットの5種類の種族から選択できるようになったとの記述があります。職業もシーフ(盗賊)とプリースト(僧侶)が追加され、よりD&Dの雰囲気に近くなったことが伺えます。
この特集の目玉はパッケージイラストのラフが完成していたこと。何とイラストの担当は光栄の歴史シュミレーションゲームの箱絵でおなじみの生頼範義氏!やっぱりプレイしてみたかったなあ。


このパッケージがパソコンショップに並んだことを想像してしまいました。


ムーンストーンのイメージにピッタリです。


生頼範義氏は数々の映画ポスターでも活躍されました。
僕が一番好きなのは『FUTURE WAR 198X年』当時自室に貼ってました。


ちなみに何と株式会社CSKのゲーム参入第一弾が『FUTURE WAR 198X年』なのですが、超絶つまらないです。🤣

何故ムーンストーンが発売中止になってしまったのかは定かではないですが、どうもハワイのBPSスタジオではプログラマ1人、デザイナー1人がメインスタッフという小規模開発という状態だったようです。加えてプログラムはBASICで開発されていて、ゲームとして完成するのは程遠い状況だったとか。当時のスタッフさんの記録を見つけました。

その後開発を日本のBPS本社が引き継ぐことになったのですが、ムーンストーンを担当されたスタッフが次々と入れ替わっていき、開発は難航したそうです。何でもBPS社内には「ザ・ムーンストーンに関わった者は会社を辞める」というジンクスがあったそう。このことも当時のスタッフさんが証言されています。

総括すると作者であるヘンク・ロジャースとしては、D&Dをパソコンで再現するゲームの決定版としてザ・ムーンストーンの開発に意気込んでいたことは間違いありません。しかしゲームの規模が膨れ上がり、担当スタッフが入れ替わるたびに引き継ぎがうまくいかず、そうこうしているうちに1988年末にあの『テトリス』が空前の大ヒットとなったために立ち消えになってしまったのではないでしょうか。
ヘンク・ロジャースの『テトリス』に関する伝説については以前投稿しました。

❹他にもあるBPSのお蔵入り

BPSと言えばザ・ムーンストーンの発売中止が有名ですが、他にも未発売ゲームやお蔵入りの企画があるんです。
まずブラックオニキスのキャラクターがウィザードリィでも使用できるという夢の企画。
ロジャースとウィザードリィの作者であるロバート・ウッドヘッドが友人だったことから立ち上がった計画でした。両作品のキャラクターが相互に転送できるようにするシステムで雑誌発表されたのですが、結局実現することはなかったのでした。


ウィザードリィの日本語版が出た直後1986年1月号の記事。
このキャラクターのコンバートソフトは2-3000円を想定していたとのこと。

またザ・ブラックオニキスのアメリカ版も計画されました。移植機種はAppleIIとコモドール64版で、アメリカの老舗ソフトハウスSierra On Line社から発売する予定だったそうです。紹介記事は1985年5月号。1985年3月半ばに発売されるとの記述があるので、執筆時点ではもう発売直前だったようです。
開発中の画面写真ではアメリカ向けに描き直されたモンスターやプレイヤーのグラフィックが公開されています。ちょっとおどろおどろしいのがアメリカぽいですよね。
この頃日本のパソコンゲームがアメリカのパソコンに移植されることは珍しかったので初の快挙となるはずでした。しかし結局これも続報が載らなくなってしまいました。(確か1987年以後にテグザーやシルフィードが米国のパソコンに移植されていた筈です)
結構米国のサイトを調べてみたのですが発売された記録がなかったので、結局発売中止になったのだと思います。

ブラックオニキスシリーズの第四弾はシリーズのキャラクタデータ同士をアリーナ(闘技場)で戦わせる、格闘ゲームのような作品になるはずでした。結局パソコン版は開発すらされなかったのですが、実は米国の似た様なコンセプトのゲームがBPSから移植される予定があったんです。


1985年11月号。この頃は海外のゲームの情報はパソコン雑誌だけが頼みでした。


これならMSXにも移植できそう!と期待してましたよ。

Mail Order Monsters(メール・オーダー・モンスターズ)というコモドール64向けのゲームです。12種類のモンスターを購入して近代的武器で強化させ、闘技場で戦わせると言うコンセプト。プレイヤーはジョイスティックでモンスターを操作するので1987年に発売された『SDガンダムワールド ガチャポン戦士』に近い内容なのかもしれません。勿論対戦も可能だったようです。
元々PCゲーム雑誌での海外のゲームを紹介するコーナーで特集されたのですがこれが評判になり、BPSが移植に名乗りを上げたという経緯になったみたいです。しかし雑誌広告まで掲載されながら、案の定お蔵入りに。僕は当時雑誌を見ながらムチャクチャ期待していたのに残念でした。


1986年1月号の記事。この後広告まで出したのに…何やってんだよロジャース!

❺ゲームブック最高傑作スーパー・ブラックオニキス


本屋で発見した時は胸が躍りました。速攻家に帰って貯金箱を叩き割りましたよ。

そんなこんなでムーンストーンの情報も皆無となり、パソコン少年の脳裏からブラックオニキスの記憶も薄れかけていた1987年12月24日のクリスマス、突如として東京創元社からゲームブックとして「スーパー・ブラックオニキス」は蘇ったのでした。


この時期ゲームブックは黄昏の時期に来ていましたが、その後伝説となる作品が多数刊行されていました。

1987年の年末年始、僕は新たなウツロの街の冒険に没頭していました。作者の鈴木直人氏の前作『ドルアーガの塔』3部作をさらに発展させた内容で、物語としての面白さとRPGゲームとしての進化の融合を果たした、ゲームブック最高傑作と呼べる作品だと思います。鈴木氏のゲームブック最大の特徴は魅力的なキャラクター達で、破天荒な主人公も含め誰もが印象に残っていますね。「このトウモロコシ頭め!」
僕がゲームブックについて語りだすときりがないので、ここはぐっとこらえますが、いずれ改めて大特集したいと思っています。


我が青春の『ウォーロック』誌も何時か特集したいです。

❻ブラックオニキスよ永遠に‥‥


小学生には指輪物語は難しすぎ、僕にとっての「剣と魔法の世界」の原点は「コナン・ザ・グレート」でした。ブラックオニキスをプレイしていた時も「英雄コナン」をイメージしていましたね。ビデオをMSXの師匠の家で見せて貰ったのが最初でした。闘技士時代のコナンが入ってる檻に若い女性が放り込まれるシーンのナレーションが「女の味を覚えた」だったのですが、師匠が「😁この女、可哀想に喰われちまうんだ」という嘘を本気にして、シュワちゃんのエロい笑顔が恐ろしくて眠れなかったです🤣

と言う訳で今回はブラックオニキス続編の情報を徹底的に調べてみました。ネットの大海を彷徨ってみると、ブラックオニキスの想い出と共にムーンストーンの発売を未だに待ち焦がれる多くのパソコン少年がいることに驚かされました。


ファンタジー世界の知識を得る為に、本屋で永遠と立ち読みしてましたよ。このウィザードリィモンスターマニュアルは、ゲームをする前に暗記していました。


ゲームブックの味を覚えたのも1985年でした。このことはまたいずれ…

僕らは何故そこまでブラックオニキスに惹かれるのでしょうか。それはきっと多くのパソコン少年にとって「初めてのファンタジー」だったからのような気がします。
1986年5月に発売された初代ドラゴンクエストは多くのファミっ子を魅了しました。まだラノベのファンタジー小説もマンガもアニメもなかった時代、「剣と魔法の世界」との初遭遇は忘れ得ぬ記憶となったのだと思います。だからこそドラクエは特別な作品として現在に至るのではないでしょうか。僕はパソコン少年にとってのドラクエがブラックオニキスだったように思うのです。


当時はファンタジー専門誌と言うものは存在せず、SLGが中心のアナログゲームの専門誌『タクテクス』などで情報を得るのがやっとでした。


その後ファンタジー専門誌も多数創刊されましたが、僕は初遭遇したウォーロック誌を最後まで愛読しました。

今回1985年の「ドラクエ以前の剣と魔法の世界」を思い返していると、色々な記憶が蘇ってきました。皆さんも本屋さんで当時は貴重だったファンタジー関係の書籍を貪り読んだ記憶はないでしょうか?このテーマも何時か掘り下げて特集したいですね。
それでは次回の投稿でまたお会いしましょう!


その後パソコンユーザーのゲームグループにてTRPGやD&Dをプレイすることになるのですが、その原点はブラックオニキスだったように思います。

いつもスキ💛やXでの紹介ポスト、暖かいコメント感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹  
                       サイボーグMSX


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