PCゲームの雄はどう生まれたか・ファルコム創業者加藤正幸氏
2024年の暮れ、日本ファルコム創業者の加藤正幸氏が逝去されました。ファルコムは僕のような8bitパソコン少年にとって特別なメーカーさんです。小さなパソコンショップに過ぎなかったファルコムの大躍進はパソコンゲーム黄金期の幕開けであったと思います。日本のPC文化の発展に多大な影響を与えた素晴らしきゲーム達。僕達の心に永遠に焼き付いている作品ばかりです。
今回は黎明期のファルコムと加藤氏の貴重なインタビューから、その栄光の軌跡を追いたいと思います。

①黎明期のファルコム
加藤正幸氏は元々日野自動車のシステムエンジニアだったのだそうです。加藤氏は現在51歳の僕の父親の世代にあたり、戦争直後の生まれになります。その時代のコンピューター、汎用機のSEは極めて貴重な存在でした。後の雑誌のインタビューでTSS(時分割方式)用のパーソナルシステムを日本で初めて製作した述懐していますから、よほど優秀なSEだったのでしょう。

そんな加藤氏はAppleIIを見て衝撃を受けたそうです。この時代パソコンはアメリカが完全に先行していた時期、特にパソコンゲームという文化自体が日本にはまだ殆ど存在しなかったのでした。
その流れで12年間働いた会社を脱サラし、1981年に日本ファルコムを創業。アップルコンピュータの代理店のパソコンショップを開設することになります。




木屋善夫氏の伝説のパノラマ島の予告も。
ゲームの販売を手掛けるうち熱中するパソコンマニアが集まる場になるのは自然な流れでした。その後ドラゴンスレイヤーシリーズを手掛ける木屋善夫氏もそのマニアの一人だったのです。
彼らアルバイトの手を借りて自社のオリジナルのゲーム開発に乗り出すことになります。これはハドソン、マイクロキャビンなど全国の黎明期のパソコンゲームメーカーと同じ経緯でした。



ファルコムの珍しいムフフ💛ゲームの女子大生プライベートも。
前田尋之先生によると「女子大生にしては色気がありすぎ」😍
日本ファルコムが最初に注目されたゲームはデーモンズリング。当時ファルコムが得意としていたオカルト世界観のAVGです。この頃のAVGはグラフィックの表示速度がムチャクチャ遅かったのですが、一瞬で表示される瞬間描画が画期的だったのでした。加藤氏はこれによって自社ブランドの知名度が上がったと手ごたえを掴んだようです。しかしこの時点でファルコムは全国にある多くのパソコンゲームメーカーの一つに過ぎませんでした。


オカルト好きの宮本恒之氏の影響からか怪しい雰囲気。


この時期の動きとして1984年の10月に発足したのが京浜地区にあるソフトハウス4社(システムサコム、日本ファルコム、ボーステック、BPS)の連携組織SST(Super Software Team)でした。このあとスクウェアが加わって5社になっています。SSTは会社の情報交換が主体だったようですが、その後も意外に長く活動を行っています。

②天才たちの司令塔として

日本ファルコムが大躍進を遂げたのはドラゴンスレイヤーシリーズのヒットからだというのは皆さんもご存じだと思います。初代ドラスレは木屋善夫氏がほぼ独力で完成させた名作ですが、社長だった加藤正幸氏の役割はどのようなものだったのでしょうか。
日本ファルコムはその後の日本のゲーム史に残るような優秀な人材を多数輩出しています。しかし当時のスタッフはほとんどがパソコンマニアでした。パソコンマニアという人種はとにかくみな超個性的で、なおかつ10代20代前半という血気盛んな時期。優秀ですが自由奔放な彼らをチームとして纏める司令塔として、現場で汗を流していたのではないでしょうか。
多くの資料から加藤社長がスタッフの中に混じってゲーム制作を行っていることが伺えます。当時アラフォーだった加藤社長とスタッフの間には親子ほどに年齢が離れており、ジェネレーションギャップもあったことでしょう。しかし「素晴らしいゲームを創る」という一点を目指して若いチームをまとめ上げた、加藤社長の経営者としての力量には敬服するしかありません。これは僕が齢50を過ぎ、改めて感じた事柄です。
「ゲームフリークがゲームフリークのためのゲームを目指して」それは決して平坦な道ではなかったと思います。加藤氏はこの時期を回想して「作っている人間が“遊べる”ゲームを作ろう」という言葉を残しています。

まだAppleIIの代理店として継続していたのでアップルのジャンパーを着用




実は僕も同じ中央線沿線に住んでいて行ったことがあるんです。

和気あいあいとした社内の雰囲気が伝わってきますね。



果たしてそれがどのような結果だったのかは皆さんがよくご存じのことでしょう。


いや加藤社長、そこは早めに手を出してくださいよ! 😁



やはり思い出深い作品としてザナドゥを挙げています
③ザナドゥが生んだもの・キャラクターを育てたファルコム


1985年末に8ビットパソコンゲーム最大のヒット作ザナドゥが発売されました。この作品の偉大さは多くの媒体で語られているので今回は「ザナドゥが生んだもの」と加藤社長の経営者としての哲学を述べたいと思います。
ザナドゥはキャラグッツが多数発売された初めてのパソコンゲームでした。あの素晴しいロゴは加藤社長が自らデザインした物なのだそうですね。この時期のインタビューで加藤社長は「ザナドゥのロゴ自体を売って行こう」と述べています。その結果ザナドゥの名の付いた商品はPCゲームだけでなく多岐に渡ります。
膨大なデーターが記入された公式攻略本の走りとも言えるザナドゥファイル。横山宏画伯のイラスト満載なザナドゥ・データブック。さらに物語を奥深くするゲームブックやボードゲーム。そして伝説となったサントラなどなど・・・・


ドラクエ関連よりも早く、メーカー公式攻略本の走りとも言えます。


特に都築和彦先生が描かれた漫画はその後のファルコムの魅力的なキャラクター達の始祖とも言える作品でした。加藤社長は「昔からキャラクターを育てたかった」と述べています。この思想は次作のイースシリーズで実を結ぶこととなり、日本のパソコンゲーム界で初の本格的メディアミックス展開へと昇華して行きました。この流れは現在のファルコムの看板作品である『軌跡』シリーズや『イース』シリーズに繋がっているのではないかと思います。


今回の記事は電ファミさんの2018年記事「ゲームの企画書」での加藤社長のインタビューをかなり参考にさせて頂いたのですが、「当時のゲーム業界では珍しかったIP戦略」という形で当時を回想しています。
これらの一連の流れは決して後付けではないことを、ザナドゥ発売約1年後の1986年6月のインタビューで答えています。このインタビューには加藤社長のゲームに対する方向性や経営者哲学を垣間見える貴重な内容になっています、合わせてお読みいただければ嬉しいです。




④ファルコム・グラフティ
某誌の新年企画として連載されたパソコンメーカーのレポート。1987~90年のファルコム社内の雰囲気を感じてください。1月号だけど多分取材は前年の年末あたりでしょうか😅










⑤ファルコムとMSX
ファルコムはPC8801を筆頭とした所謂8bit御三家を中心にゲームを発売していました。そのためMSXへの参入は遅れ、初代ドラゴンスレイヤーもスクウェアから発売されています。僕は1986年にファルコムショップに行った際に、某スタッフさんに「お願いですからMSXでザナドゥ出してください🙇」と懇願したことがあるぐらいです。
しかし86年末のロマンシアを皮切りに、MSXオリジナルゲーム(と言わせてください😁)ドラスレファミリーという傑作を発売してくれた時は本当に嬉しかったです。イースシリーズをMSXで知った人も多いはずですね。今年行われたMSX総選挙では上位にイースⅠ・Ⅱがランクインしています。ここら辺の経緯は以下のnoteで書いてみました。
せっかくなのでMSXの雑誌に掲載された加藤社長のインタビュー記事です。

もはやMSXが商業的価値を失いつつあった1994年12号のMSXFANでのインタビュー。名作ザナドゥをMSXFANの付録ディスクに収録してくれたのは加藤社長の心意気だったと思います。本当に感謝です🥹
「ユーザーのニューズがマシンパワーを追い越してしまうことは予想していた」というコメントが印象的です。


⑥ファルコムというPCゲーム文化

ファルコムは同時期に創業したハドソンやスクウェアのように家庭用ゲーム機に参入せず、長らくパソコンゲーム中心の発売態勢を貫いてきました。このことを加藤社長は
「パソコンソフトのほうが家庭用ゲームより利益率が良かった」
「無借金経営に拘りたかった」
と回想しています。その結果、制作スタッフのこだわりが強く反映された「商品」よりも「作品」と呼べるゲームタイトルが多かったのだと思います。またその職人的気質に惹かれた多くの優秀なクリエイター達が集結し、巣立って行ったことも特筆すべきでしょう。



しかし加藤社長の経営者としての辣腕の白眉は「ファルコムという文化を継続した」ということにあるのではないでしょうか。ベンチャー企業会社が10年以内に廃業する可能性は高く、創業から10年後の生存率は6.3%程度、20年後では0.3%と言われています。紆余曲折がありながらも高品質の作品を創り続け、シリーズをブランド化させたのは間違いなく加藤社長の経営センスの賜物だと思います。また加藤社長はその後親族ではなく生え抜きの社員に社長職を譲り、会長職に退いています。これは中小企業の創業者として、一つの頂きに達したとも言えます。
実は僕はファルコムと同規模の会社(全く別業種ですが😅)を18年経営してきましたが、2017年に体調を崩して大手企業に売却しています。この点でも経営者として加藤社長のことを深く尊敬しているんです。


僕にとって日本ファルコムはパソコンゲーム文化の担い手という存在でした。素晴らしい作品を生んだファルコムが、どのように生まれ育っていったのか・・・それを皆さんに語り継いでいただきたいという想いで綴った次第です。
その偉大な軌跡に心よりの敬意と、加藤正幸氏のご冥福をお祈りして本稿を終わりにさせて頂きます。皆さん最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
サイボーグMSX
追記 ファルコムの初期の大傑作・ザナドゥについての特集記事です。合わせて読んで頂けると嬉しいです🙇
