【Ai x 入力設計 23】田中君、三人の部長の要望を全部入れたら企画書が「辞書」になった


登場人物紹介
田中君
真面目で頑張り屋な若手社員。頼まれたことを一生懸命やる反面、情報を全部入れてしまうなど、少し不器用な一面もある。AI妖精ちゃんと壁打ちしながら、企画書づくりを通して少しずつ成長していく主人公。
黒田部長(営業部長)
営業視点で物事を見る部長。勢いがあり、要求もはっきりしているが、指示はかなり大雑把。そのぶん「顧客に選ばれるか」「売れるか」という本質を突いてくる。田中君にどんどん課題を出すタイプ。白木部長(技術部長)
冷静で理詰めの技術部長。商品が本当に作れるのか、量産できるのかを重視する。落ち着いた口調で鋭い指摘を入れ、企画の実現性を見抜く役割を担う。保科部長(品質部長)
穏やかな雰囲気の品質部長。やさしそうに見えて、品質や保証に関する視点はとても厳しい。「本当に安心して世に出せるのか」を見極める、最後の砦のような存在。

林さん
田中君の先輩的存在。面倒見がよく、現場感覚に優れている。田中君の暴走を止めたり、ツッコミを入れたりしながら、話を現実的な方向へ戻してくれるまとめ役。佐藤さん
落ち着いていて仕事のできる頼れる存在。田中君が作ったものを一歩引いた視点から見て、改善のヒントを与えてくれる。的確で冷静な助言が光る。まゆみさん
林さんのパートナー的ポジションで、直感力が強く、思ったことをストレートに言うタイプ。言いすぎてあとで反省することもあるが、今回は田中君の成長を素直に喜んでいて少しご機嫌。なぜかAI妖精ちゃんとも自然に会話できてしまう。

AI妖精ちゃん
田中君の前に現れる、小さなAIサポート役。かわいらしい見た目とは裏腹に、指摘はわりと鋭い。田中君とケンカしながらも、壁打ち相手として企画書づくりを支える相棒。
田中君、三人の部長の要望を全部入れたら企画書が「辞書」になった
AI妖精ちゃんとの壁打ちで学ぶ、情報過多を整理して「相手が判断できる資料」に変える方法
企画書は、情報が多ければ多いほど良い。
少なくとも、少し前までの田中君はそう思っていた。
調べた情報が多い。
数字もある。
メリットも書いてある。
技術的な説明も入っている。
それなら、詳しく書けば書くほど良い企画書になるはずだ。
ところが――。
営業部長、技術部長、品質部長。
三人の部長から「あれも欲しい」「これも必要だ」と言われた情報を、田中君とAI妖精ちゃんが真面目に全部盛り込んでいくと、ある異変が起きた。
📚 企画書が、どんどん分厚くなっていく。
しかも困ったことに、三人の部長が要求している内容は、どれも間違っているわけではない。
営業には営業として知りたいことがある。
技術には技術として確認しなければならないことがある。
品質には品質として譲れないことがある。
だから削れない。
そう思っていた。
しかし、すべてを詰め込み続けた田中君は、やがて完成途中の資料を見ながら、あることに気づく。
「……これ、企画書じゃなくて辞書じゃないか?」
情報が足りなければ、AIは困る。
しかし――。
情報が多すぎても、人間もAIも迷子になる。
今回の田中君は、三人の部長の無茶ぶりに振り回されながら、
「何を書くか」ではなく、「誰が何を判断するために読むのか」
という、もう一段先の情報整理へ挑戦することになる。
もちろん。
今回も、すんなり終わるはずがなかった。

第1章 三人の部長から、まさかの追加注文
「骨組みはいいじゃないか」――今回は褒められた?
田中君は、少し緊張しながら会議室の机の前に立っていた。
目の前に座っているのは三人。
営業部長の黒田部長。
技術部長の白木部長。
そして品質部長の保科部長。
机の中央には、田中君が苦労してまとめた企画書が置かれている。
もっとも、これは完成版ではない。
新商品について、
市場として検討する価値があるのか。
技術的に実現できそうなのか。
品質面で、次の検証へ進められそうなのか。
三つの部門が次の段階へ進むための、第一段階の骨組みだった。
前回、田中君は「三人を納得させればいい」のではなく、それぞれの部長が自分の責任で判断できる材料を用意することが企画書の役割だと、ようやく理解した。
黒田部長が、ゆっくりページをめくる。
ペラッ。
ペラッ。
田中君は、その指先を目で追っていた。
(どうだ……?)
白木部長も黙ったまま技術関係のページを確認している。
保科部長はいつもの穏やかな表情で、品質の項目に目を通していた。
誰もしゃべらない。
田中君の背中に、じわっと汗がにじむ。
(何か言ってくれないかな……)
やがて。
黒田部長が資料を机の上に置いた。
「田中」
「はい!」
思わず声が大きくなった。
黒田部長が、少し笑った。
「いいじゃないか」
「……え?」
「骨組みとしては、ちゃんとできてる」
田中君は目を瞬いた。
「本当ですか?」
「何のための企画なのかも分かるし、今分かっていることと、これから確認することも分けてある」
白木部長も資料から顔を上げた。
「最初から全部の数字を埋めなかったのもいい」
「はい」
「今はまだ第一段階だ。ここで最終的な設備仕様まで決める必要はないからな」
保科部長も、にこりと笑う。
「品質についても、確認できているものと、まだ確認できていないものが分かれていますねえ」
「ありがとうございます!」
田中君の顔が、一気に明るくなった。
✨ やった。
AI妖精ちゃんとは何度も言い合いになった。
情報が足りない。
分からないところを勝手に埋めるな。
三人の部長が、何を基準に判断するのか分からない。
そもそも企画書とは何なのか。
ずいぶん遠回りした気がする。
それでも。
ちゃんと三人から評価された。
田中君は胸の奥で、小さく拳を握った。
(今回は、うまくいったぞ)
黒田部長が椅子の背もたれへ体を預けた。
「じゃあ田中」
「はい!」
「次は、もう少し競合との比較を詳しくしてくれ」
「はい!」
田中君は元気よく返事をした。
まだ、このときは。

「あれも」「これも」「それも」
黒田部長は続けた。
「競合の商品と比べて、こっちの商品を選ぶ理由が欲しいな」
田中君はメモを取る。
📝 競合比較
「顧客側から見たメリットも、もう少し具体的にしよう」
📝 顧客メリット
「あと、逆に弱いところも入れてくれ」
田中君のペンが一瞬止まった。
「弱いところですか?」
「ああ。いいことばっかり書いてあっても判断できないだろ」
「なるほど……」
📝 営業面でのデメリット
「想定価格も少し見たいな」
📝 価格
「市場規模も――」
そのとき。
「待て」
白木部長が口を挟んだ。
「営業の話だけ増やすな」
黒田部長が横を見る。
「なんだよ」
「そこまでやるなら、技術側も追加してもらう」

田中君のペン先が、白木部長の方へ向いた。
「今の設備でどこまで対応できるのか」
📝 既存設備での対応範囲
「新しい設備が必要になるなら、それも分かるようにしてくれ」
📝 追加設備
「それから量産した場合の生産能力」
📝 生産能力
「試作品が一個できたからといって、量産できるとは限らない。工程上の問題も整理しておいた方がいい」
📝 量産時の課題
田中君のメモ帳が、急速に文字で埋まっていく。
(あれ……?)

すると今度は、横から穏やかな声が聞こえた。
「それでしたら、品質側もお願いしていいですかねえ」
田中君が、ゆっくり保科部長を見る。
保科部長は笑顔だった。
😊
なぜだろう。
笑顔なのに、少し怖い。
「……何でしょう?」
「量産時の品質のばらつきは確認したいですねえ」
📝 量産時のばらつき
「それから、現時点でどこまで保証できるのか」
📝 保証範囲
「必要になる試験も整理していただけると助かります」
📝 必要試験
「検査方法もありますねえ」
📝 検査方法
田中君のペンが止まった。
黒田部長が言う。
「顧客が買わない可能性も整理してくれ」
白木部長が続く。
「設備が止まった場合の供給能力も欲しい」
保科部長も続く。
「想定される不良もあるといいですねえ」
田中君はメモ帳を見る。
びっしり。
次に三人を見る。
そして、もう一度メモ帳を見る。
😨
「あの……」
黒田部長。
「ん?」
田中君はメモ帳を両手で持ち上げた。
「これ……全部やるんですか?」
三人の部長が顔を見合わせた。
黒田部長が、あっさり答える。
「頼むぞ」
「…………」
白木部長は腕を組んだ。
「まあ、一度整理してみろ」
「…………」
保科部長は相変わらず穏やかな笑顔だった。
「楽しみにしていますよ」
「…………はい」
さっきまで胸の中にあった達成感は、どこかへ消えていた。
田中君は企画書を抱えた。
大量の追加項目が書かれたメモ帳も持った。
そして。
🚶♂️ とぼとぼ……
何とも言えない足取りで、会議室から出ていった。

扉が閉まったあと、三人は――
ガチャ。
扉が閉まった。
会議室が静かになる。
数秒後。
黒田部長の口元が、
ニヤッ。
と上がった。
白木部長が横目で見る。
「……お前」
「なんだ?」
「楽しんでるだろ」
「何のことだ」
「今の顔だよ」
保科部長も、くすくす笑っている。
「ずいぶんたくさんお願いしましたからねえ」
黒田部長は、田中君が出ていった扉を見る。
「さて」
腕を組む。
「どうしてくるかな」
白木部長が答えた。
「全部そのまま詰め込んで持ってきたら、まだまだだな」
「でも田中のやつ、現場じゃ真面目なんだろ?」
「ああ」
白木部長は頷いた。
「手順はちゃんと守る。安全面でも無茶はしない。分からないことを分かったふりして進めるタイプでもない」
保科部長が、ゆっくり口を開く。
「失敗はしますけどねえ」
「おい」
黒田部長が笑う。
保科部長も笑ったまま続けた。
「でも、失敗したあとに、そのままにする人ではありませんよ」
少し考える。
「おかしいと思ったら戻る。分からなければ聞く。それでも駄目なら、またやり直す」
黒田部長が小さく頷いた。
「だから面白いんだよ」
白木部長は、呆れたように息を吐いた。
「またお前の悪い癖が始まったな」
「なんだよ」
「人に課題を投げて、どうするか見たがるところだ」
黒田部長は悪びれる様子もない。
「課題を与えた方が伸びるやつもいるだろ」
白木部長が返す。
「基礎を一つずつ教えて、自信をつけてから伸ばした方がいいやつもいる」
保科部長が加わる。
「仲間と相談しながら、自分なりのやり方を見つける人もいますねえ」
三人の視線が、閉じた扉へ向いた。
黒田部長が言う。
「田中のやつは――」
少しだけ間を置いた。
そして、また悪い顔で笑った。
😏
「まあ、見てれば分かるだろ」
白木部長も。
保科部長も。
どこか楽しそうに笑っていた。
そのころ田中君は――。
三人から渡された大量の要求を抱え、
自分がこれから、とんでもなく分厚い“何か”を作り始めようとしていることに、まだ気づいていなかった。

第2章 妖精ちゃん、情報が増えすぎてパンクする
今回は情報不足じゃない。むしろ多すぎる
作業場へ戻った田中君は、机の上に企画書とメモ帳を置いた。
ドサッ。
「…………」
メモ帳を見る。
黒田部長から頼まれたこと。
白木部長から頼まれたこと。
保科部長から頼まれたこと。
ページいっぱいに文字が並んでいる。
田中君は椅子に座ると、しばらくそれを眺めていた。
「……まあ」
気を取り直す。
「情報が足りないよりは、いいよな」
前回は散々だった。
黒田部長については、ある程度情報があった。
白木部長についても、仕事の内容や考え方を聞くことができた。
ところが保科部長については、
「品質部長」
という肩書き以外、ほとんど何も分からなかった。
その状態でAI妖精ちゃんに、
「三人からOKをもらえる企画書を作って」
と頼んだものだから、大げんかになった。
田中君は、そのときのことを思い出した。
「今回は違うぞ」
机の横に現れたAI妖精ちゃんが振り返る。
「何がですか?」
田中君は、得意そうにメモ帳を持ち上げた。
「見てくれ」
妖精ちゃんがのぞき込む。
📝
市場規模。
競合比較。
顧客メリット。
想定価格。
既存設備。
追加設備。
生産能力。
量産時の課題。
品質のばらつき。
保証範囲。
必要試験。
検査方法。
想定される不良。
設備停止時の供給能力。
まだまだある。
妖精ちゃんの目が輝いた。
✨
「田中さん!」
「うん」
「今回は情報があります!」
「だろ?」
「いっぱいあります!」
「そうだろ?」
田中君は胸を張った。
「今回は情報不足って言わせないからな!」
妖精ちゃんも嬉しそうに両手を上げる。
「はい!」
田中君はパソコンへ向き直った。
「じゃあ、全部入れて企画書を作っていこう」
「分かりました!」
二人は元気よく作業を始めた。
このときまでは。
あれ? 企画書がどんどん大きくなっていく
最初は順調だった。
田中君が情報を入力する。
妖精ちゃんが整理する。
「競合比較」
「営業項目へ入れます」
「顧客メリット」
「こちらも営業ですね」
「想定価格」
「追加します!」
スラスラ進んでいく。
田中君も気分がいい。
前回のように、
「情報がありません!」
「分かりません!」
「それは田中さんしか知りません!」
とは言われない。
😊 今日は妖精ちゃんが素直だ。
田中君はさらに入力していく。
「次、白木部長から言われたやつ」
「はい!」
既存設備。
追加設備。
生産能力。
工程上の問題。
設備停止時の供給能力。
妖精ちゃんの後ろに、次々と項目が表示されていく。
【営業】
【市場】
【顧客】
【競合】
【価格】
【技術】
【設備】
【工程】
【生産能力】
田中君は少しだけ首を傾げた。
「……結構増えたな」
妖精ちゃんは気にしていない。
「まだありますよ!」
「ああ。品質だな」
今度は保科部長から頼まれた内容を入れていく。
品質基準。
量産時のばらつき。
保証範囲。
必要試験。
検査方法。
想定不良。
未確認性能。
追加検証項目。
表示がさらに増える。
【品質】
【保証】
【検査】
【試験】
【不良】
【ばらつき】
【未確認項目】
田中君は、少し画面から離れた。
「…………」
妖精ちゃんはまだ作業を続けている。
「田中さん、次はどれですか?」
「ちょっと待って」
「はい?」
「これ……」
田中君は画面を指さした。
「結構な量になってない?」
妖精ちゃんも振り返った。
「そうですね」
「まだ終わってないよな?」
「はい」
「…………」
田中君はメモ帳を見る。
まだ残っている。
「続ける?」
「部長さんたちから頼まれたものは、まだあります」
「だよな……」
二人は再び作業を始めた。
情報メーター、まさかの100%突破
入力する。
整理する。
追加する。
また入力する。
妖精ちゃんの後ろに表示されていた情報メーターが、どんどん上がっていった。
📊
【情報量 65%】
【情報量 78%】
【情報量 91%】
田中君が笑う。
「もうすぐ100%じゃん」
妖精ちゃんも嬉しそうに振り返る。
「今回は情報が豊富ですね!」
【情報量 100%】
✨
「おお!」
田中君が小さく拍手した。
「100%になった!」
妖精ちゃんも喜ぶ。
「十分な情報があります!」
ところが。
ピコン。
【情報量 112%】
「……ん?」
ピコン。
【情報量 137%】
田中君が画面を見つめる。
「妖精ちゃん」
「はい」
「100%超えてるけど」
「……はい」
ピコン。
【情報量 168%】
妖精ちゃんの笑顔が消えた。
😐
「田中さん」
「うん」
「まだ入れますか?」
「まだある」
「…………」
ピコン。
【情報量 203%】
妖精ちゃんの顔が引きつる。
😵💫
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうした?」
「情報が多すぎます!」
「え?」
田中君は思わず聞き返した。
「多すぎる?」
「はい!」
妖精ちゃんの後ろに警告表示が出る。
⚠️ 【情報過多】
⚠️ 【目的が埋もれています】
⚠️ 【優先順位が不明です】
⚠️ 【今回の判断に必要か確認してください】
田中君は目を丸くした。
「この前は情報が足りないって怒ったじゃないか!」
妖精ちゃんが両手を振る。
「だからって、全部入れてくださいとは言ってません!」
田中君も負けずに言い返す。
「でも全部、部長たちから頼まれたんだぞ!」
「それは分かります!」
「だったら入れないと駄目だろ!」
「入れるかどうかを決めるのは田中さんです!」
「また僕!?」
「また田中さんです!」
😠💢
二人の間に、また嫌な空気が漂い始めた。
田中君は腕を組む。
「じゃあ妖精ちゃんが選んでよ」
「何を基準にですか?」
「必要そうなもの!」
「誰にとって必要なのですか?」
「三人の部長!」
「三人とも必要なものが違います!」
「じゃあ全部!」
「それをやった結果が今です!」
「…………」
田中君は黙った。
妖精ちゃんも黙った。
画面の中だけが、
⚠️【OOO・・!】
⚠️【△△△△・・・!!】
⚠️【OXOXXX・・・・・!!!?】
と警告を出し続けていた。
全部正しいから、余計に削れない
田中君は、三人から言われた内容をもう一度見直した。
黒田部長の要求。
競合との比較。
顧客メリット。
市場規模。
価格。
営業上の弱点。
確かに必要そうだ。
次に白木部長。
設備。
工程。
生産能力。
量産時の問題。
設備停止時の供給能力。
これも必要そうだ。
そして保科部長。
品質基準。
保証範囲。
試験。
検査方法。
ばらつき。
想定される不良。
……これも必要そうだ。
「妖精ちゃん」
「はい」
「変なこと言ってる人、一人もいないんだよな」
「そうですね」
「だから困るんだよ」
妖精ちゃんも、少し考える。
「三人とも、それぞれの立場では必要な情報を言っています」
「だろ?」
「はい」
田中君は頭をかいた。
もし誰か一人が、
「企画書に今日の天気を入れてくれ」
と言ったなら簡単だ。
そんなものは要らない、と判断できる。
しかし今回の要求は違う。
営業部長として必要。
技術部長として必要。
品質部長として必要。
全部、それなりに正しい。
だから田中君は、
全部入れなければいけない。
そう考えていた。
妖精ちゃんが、表示された大量の項目を眺める。
「田中さん」
「ん?」
「正しい情報だからといって、全部を同じ場所に入れる必要があるのでしょうか?」
「…………」
田中君は答えられなかった。
まだ、その意味が分からない。
完成途中の企画書を見て、田中君が固まった
それでも二人は、とりあえず作業を続けた。
せっかく三人から情報をもらったのだ。
まずは形にしてみなければ分からない。
営業。
技術。
品質。
市場。
設備。
保証。
比較。
リスク。
試験。
価格。
供給。
検査。
一つひとつ章を増やしていく。
ページ数も増えていく。
10ページ。
15ページ。
20ページ。
さらに増える。
田中君は無言になっていた。
妖精ちゃんも、だんだん口数が減っていた。
「次……」
「はい……」
「設備停止時……」
「追加します……」
「次……品質……」
「はい……」
そして。
しばらくして。
田中君が手を止めた。
「妖精ちゃん」
「はい?」
「ちょっと、最初から見てみよう」
二人で完成途中の企画書を開く。
田中君がスクロールする。
市場。
スクロール。
顧客。
スクロール。
競合。
スクロール。
価格。
スクロール。
技術。
スクロール。
設備。
スクロール。
生産能力。
スクロール。
品質。
スクロール。
試験。
スクロール。
保証。
スクロール。
まだ続く。
田中君の指が止まった。
「…………」
妖精ちゃんも黙っている。
田中君は、もう一度上から見直した。
そして。
ゆっくり口を開いた。
「……これ、企画書じゃなくて辞書じゃないか?」
妖精ちゃんが画面を見る。
田中君を見る。
もう一度画面を見る。
「「…………」」
否定しない。
「妖精ちゃん?」
「……はい」
「何か言ってよ」
「かなり詳しい資料になりました」
「言い方!」
妖精ちゃんが困った顔をする。
😥
「ですが……田中さん」
「うん」
「これを三人の部長さんが最初から最後まで読むのでしょうか?」
田中君の動きが止まった。
「…………」
そこまで考えていなかった。
情報を入れることばかり考えていた。
頼まれた内容を漏らさないことばかり考えていた。
誰が読むのか。
何を判断するために読むのか。
その視点が、いつの間にか消えていた。
田中君は椅子へ深く座り直した。
「……また、やったか?」
妖精ちゃんが首を傾げる。
「何をですか?」
田中君は大量の情報が詰め込まれた画面を見つめる。
そのとき。
どこかで聞いたような声が、頭の奥をよぎった。
「お前、それ全部入れて渡すつもりじゃないだろうな」
「…………あ」
妖精ちゃんが田中君を見る。
「田中さん?」
田中君は額に手を当てた。
「これ……前にも似たようなことやってる気がする」
大量の情報を前にして、
田中君の頭の中に、林さんと佐藤さんの顔が浮かび始めていた。

第3章 「全部入れるな」――前に言われた言葉が頭をよぎる
また同じことをやってる?
田中君は、完成途中の企画書を眺めたまま動かなかった。
市場。
競合。
顧客。
価格。
設備。
工程。
生産能力。
品質。
試験。
保証。
リスク。
ページをめくっても。
スクロールしても。
終わらない。
📚 とにかく、情報だけはたっぷりある。
前回とは正反対だった。
前回は、
「情報が足りない」
「保科部長が何を見て判断する人なのか分からない」
と、妖精ちゃんと散々もめた。
ところが今回は、
情報がありすぎる。
田中君は椅子の背もたれに体を預けた。
「……どうするかな」
妖精ちゃんも、大量に並んだ項目を見つめている。
「削りますか?」
「どれを?」
「…………」
「ほら」
田中君はメモ帳を持ち上げた。
「全部、部長たちが言ったことなんだよ」
「はい」
「僕が勝手に削っていいのかな」
妖精ちゃんも困った顔になる。
😥
「それを決めるための基準が必要ですね」
「基準か……」
田中君は腕を組んだ。
そのときだった。
ふと。
昔、どこかで聞いた声が頭の中に浮かんだ。
「お前、それ全部入れて渡すつもりじゃないだろうな」
田中君の眉が動いた。
「…………」
今度は別の声が重なる。
「情報を集めるのと、全部見せるのは別だぞ」
「……あ」
妖精ちゃんが振り返った。
「どうしました?」
「いや……」
田中君は額を押さえた。
「前にも、似たようなこと言われた気がする」
「誰にですか?」
「林さんとか、佐藤さんとか……」
妖精ちゃんが首を傾げる。
「何と言われたのですか?」
田中君は少し考えた。
「たしか……」
頭の中に、林さんの呆れた顔が浮かぶ。
『せっかく調べたからって、全部入れたらいいってもんじゃない』
さらに佐藤さんの落ち着いた声。
『読む相手が必要なものは何かな?』
田中君は、目の前の企画書を見る。
「…………」
妖精ちゃんも一緒に画面を見る。
田中君が小さくつぶやいた。
「僕、また全部入れようとしてたな」
妖精ちゃんが、
「はい」
と即答した。
田中君が振り返る。
「そこは少し否定してくれてもいいだろ」
「事実なので」
「妖精ちゃん、最近厳しくない?」
「田中さんが同じことをするからです」
「…………」
言い返せない。
今回は、誰かに言われる前に止まれた
田中君はもう一度、企画書を最初から見直した。
以前なら。
たくさん調べた。
たくさん書いた。
情報量が増えた。
だから、
「よし、詳しくなった」
で終わっていたかもしれない。
そして、そのまま上司へ持っていった。
でも今回は違った。
まだ完成していない。
誰かに提出したわけでもない。
林さんや佐藤さんに、
「これじゃ駄目だ」
と言われたわけでもない。
田中君自身が、
「なんか、おかしい」
と途中で止まった。
田中君は少しだけ考えてから、妖精ちゃんへ言った。
「なあ」
「はい」
「今回ってさ」
「はい」
「全部完成してから、また林さんたちに突っ込まれるよりは……」
少し間を置く。
「ちょっと早く気づいたよな?」
妖精ちゃんが田中君を見る。
😐
「……そうですね」
「その顔なんだよ」
「大きな成長と言ってよいか判断しています」
「そこは普通に褒めてよ!」
妖精ちゃんが少し笑った。
😊
「でも、前よりは早く気づきました」
「だろ?」
「はい」
田中君も少し笑う。
ほんの少しだけ。
自分で違和感に気づけるようになった。
それだけでも、以前とは違った。
「誰が読むのか」で分けてみたら?
田中君は、三人の部長から渡された要求を机の上に並べた。
「一回、整理し直そう」
「はい」
妖精ちゃんも少し元気を取り戻した。
田中君は、最初に黒田部長の要求を見る。
競合比較。
顧客メリット。
価格。
市場規模。
営業上のデメリット。
「これは……黒田部長が特に見たいところだよな」
「営業部長ですからね」
次に、白木部長。
既存設備。
追加設備。
生産能力。
工程。
設備停止時の供給能力。
「こっちは技術だ」
「はい」
そして保科部長。
品質基準。
量産時のばらつき。
保証範囲。
試験。
検査方法。
想定不良。
「これは品質」
「そうですね」
田中君は三つを眺めた。
「…………」
妖精ちゃんが聞く。
「何か気づきましたか?」
「いや」
田中君は黒田部長のメモを指さした。
「黒田部長に、この品質試験の細かいところまで全部必要なのかなと思って」
「なるほど」
「もちろん知っておいた方がいいとは思う」
「はい」
「でも、黒田部長が一番知りたいのは、そこじゃないよな」
妖精ちゃんの表情が変わった。
✨
「では、誰が読むかによって、見せる情報を変えるのですか?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「そこが・・・まだ分かんないんだよ」
田中君は頭をかいた。
「でも三人とも同じ企画書を読むからって、全部同じ量の情報を見せる必要はないんじゃないかな」
妖精ちゃんは少し考える。
「黒田部長には営業判断に必要な部分を詳しく」
「うん」
「白木部長には技術判断に必要な部分を詳しく」
「そう」
「保科部長には品質判断に必要な部分を詳しく」
田中君が指を鳴らす。
👉✨
「それ」
妖精ちゃんが笑顔になる。
「では、三種類作りますか?」
田中君の顔が止まった。
「…………三種類?」
「はい」
「企画書を?」
「はい」
「三人分?」
「はい」
田中君は椅子へ深く沈んだ。
😨
「増えたじゃん……」
「分かりやすくするためです!」
「僕の仕事は分かりにくくなったぞ」
「欲しい情報」ではなく「これがないと決められない情報」
田中君は、三人分のメモを眺めながら考えた。
「でもさ」
「はい」
「一人ずつ全部入れたら、結局また分厚くならない?」
妖精ちゃんが止まる。
「……なりますね」
「だよな」
また同じところへ戻りそうだった。
黒田部長用。
白木部長用。
保科部長用。
三冊に分けても、三人が言ったものを全部盛り込めば、結局それぞれが分厚くなる。
田中君は鉛筆を指先で転がした。
「じゃあ……」
しばらく考える。
「部長たちが欲しいって言ったものの中でも、さらに絞る必要があるんじゃない?」
「何を基準にしますか?」
また、その質問だ。
田中君が眉間にしわを寄せる。
「欲しいもの……」
「はい」
「重要なもの……」
「はい」
「うーん……」
どれも曖昧だった。
黒田部長に、
「重要なものはどれですか?」
と聞けば、おそらく全部重要だと言われる。
白木部長も。
保科部長も。
それぞれ自分の仕事に必要だから要求している。
田中君はしばらく黙っていた。
そして。
ふと、前回の企画書を思い出した。
三人から、
何のためにOKをもらうのか。
最終販売の承認ではない。
完成した商品の品質保証でもない。
今回求めているのは、
次の検討へ進めてよいか。
その判断だった。
田中君が顔を上げる。
「妖精ちゃん」
「はい」
「こういう聞き方ならどうかな」
「どんな聞き方ですか?」
田中君はメモ帳に一文を書く。
📝
そして読み上げた。
「これが分からなかったら、今回の段階ではOKを出せない――という情報は何ですか?」
妖精ちゃんが目を丸くした。
「……なるほど」
「欲しいもの全部じゃない」
「はい」
「重要なもの全部でもない」
「はい」
「今回、その人が判断するために、絶対ないと困るもの」
妖精ちゃんの後ろに、新しい表示が現れた。
✨ 【判断に不可欠な情報】
✨ 【あれば便利な情報】
✨ 【次の段階で必要な情報】
田中君が画面を見る。
「そうそう」
指を差す。
「こういう感じ」
妖精ちゃんが嬉しそうに振り返る。
「情報を捨てるのではなく、必要になる時期を分けるのですね」
「……あ」
今度は田中君が止まった。
「そうか」
不要なのではない。
価格も必要。
設備仕様も必要。
品質保証も必要。
試験結果も必要。
ただし、
全部が今すぐ必要なわけではない。
田中君は少しずつ理解し始めていた。
三人の「ここだけは譲れない」を探してみる
田中君と妖精ちゃんは、三人の要求を改めて眺めた。
まず黒田部長。
「営業で、これが分からなかったら次へ進めないもの……」
妖精ちゃんが候補を並べる。
【顧客が本当に必要としているか】
【競合と比べて提案する価値があるか】
【商売として検討するだけの需要があるか】
【価格】
【市場規模】
【競合詳細】
田中君が首を振る。
「まだ多い」
「ではさらに絞りますか?」
「うん」
田中君は考える。
「黒田部長が一番困るのって、何だ?」
「顧客へ提案できないこと?」
「そうだよな」
次に白木部長。
【技術的に成立するか】
【量産できる見込みがあるか】
【設備能力】
【必要工程】
【追加設備】
【保全条件】
「白木部長は……」
田中君は少し考えた。
「作れないものを『作れる』って言うのが一番困るんだよな」
「はい」
そして保科部長。
【重大な品質リスク】
【保証できる範囲】
【品質基準】
【試験項目】
【ばらつき】
【検査方法】
田中君は保科部長の穏やかな顔を思い浮かべる。
「保科部長は……」
「はい」
「作れたとしても、品質が保証できないものを外へ出すのが一番困る」
妖精ちゃんが頷いた。
三人とも、
必要としている情報は違う。
それは単なる好みではなかった。
自分が責任を負うところが違うからだった。
前回分かったことが、少しずつ今回の作業につながり始める。
田中君は三つのメモを並べた。
「じゃあ」
「はい」
「まず、一人ずつ作ってみよう」
妖精ちゃんが元気よく答える。
「はい!」
田中君は、一番上に黒田部長のメモを置いた。
「最初は黒田部長からだな」
「営業部長用ですね」
「比較するもの」
「はい」
「デメリット」
「はい」
「それから、最終的に黒田部長が判断するための材料」
妖精ちゃんの後ろに三つの枠が現れる。
📊 【比較】
⚠️ 【デメリット】
✅ 【判断材料】
田中君は腕まくりした。
「よし」
妖精ちゃんも両手を上げた。
「やりましょう!」
二人はまだ知らなかった。
このとき始めた、
「部長ごとに一冊ずつ丁寧に作る」
という方法が――。
このあと二人の頭を、とんでもなく疲れさせることを。

第4章 まずは黒田部長専用――一つずつ丁寧に作ってみよう
最初の一冊は、思ったより時間がかかる
田中君は、黒田部長からもらった要望を机の上に並べた。
競合比較。
顧客メリット。
市場規模。
想定価格。
営業上のデメリット。
そして、今回の段階で黒田部長が判断するために必要な材料。
妖精ちゃんは、その横で腕を組んでいる。
「では、黒田部長用から始めます」
「うん」
田中君も椅子へ座り直した。
「まずは……比較だな」
妖精ちゃんの後ろに表示が出る。
📊 【比較】
田中君は少し考えた。
「競合商品との比較」
「はい」
「価格の比較」
「はい」
「顧客が今使っている方法との比較もいるかな」
「候補に入れます」
「市場規模の比較は……」
妖精ちゃんが止まる。
「何と比較するのですか?」
「え?」
「市場規模そのものは、比較というより市場性を判断する材料では?」
田中君も止まった。
「……なるほど」
ひとつ入れる。
ひとつ戻す。
また考える。
「じゃあ競合商品との違いを中心にする?」
「黒田部長は営業部長ですから、顧客に説明できる違いが重要だと思います」
「じゃあ性能だけじゃなくて、使う側のメリットも必要か」
「はい」
田中君はメモを追加する。
📝 競合商品との違い
📝 顧客が得られるメリット
📝 既存手段と比べた提案価値
「……こんな感じか」
「良さそうです」
田中君が少し笑った。
「お、順調じゃん」
妖精ちゃんも笑顔になる。
😊
「まだ比較だけですけどね」
「今それ言う?」
メリットだけでは、黒田部長は判断できない
次はデメリットだった。
⚠️ 【デメリット】
田中君は少し手を止める。
「これ、何を書けばいいんだろう」
「商品の弱いところでは?」
「そうなんだけどさ」
田中君は眉間にしわを寄せた。
「黒田部長に見せるって考えると……」
妖精ちゃんが待つ。
「単純に悪いところを並べればいいわけじゃないよな」
「どういう意味ですか?」
「営業として困ること」
妖精ちゃんの表情が変わる。
✨
「なるほど」
田中君は少しずつ言葉にする。
「例えば、競合より価格が高い」
「はい」
「性能はいいけど、顧客に説明しにくい」
「はい」
「導入したときのメリットが分かりにくい」
「はい」
「市場が思ったより小さい可能性もある」
妖精ちゃんが整理する。
⚠️ 価格競争で不利になる可能性
⚠️ 顧客に価値が伝わりにくい可能性
⚠️ 想定より需要が少ない可能性
⚠️ 競合との差が小さい可能性
田中君は画面を見た。
「……こういうことか」
「黒田部長が営業として不安になる点ですね」
「うん」
田中君は少し考えてから言った。
「いいことだけ書いたら、企画書じゃなくて宣伝になるもんな」
妖精ちゃんが頷く。
「判断してもらう資料ですからね」
田中君は、そこで少し黙った。
前回。
妖精ちゃんから言われたことを思い出す。
都合のいい情報だけを見せてOKをもらうのではなく、悪い情報や未確認事項も必要なら出す。
その意味が、少しずつ分かってきた。
「メリットだけじゃなくて、黒田部長が“ここは危ない”って判断できる材料も必要なんだな」
妖精ちゃんが笑顔になる。
「はい」
「……なんか企画書らしくなってきた」
「最初から企画書を作っています」
「そうなんだけどさ」
最後は「何を決めてもらうか」
田中君は次の枠を見る。
✅ 【判断材料】
「これが一番難しいな」
「そうですか?」
「だって、比較とデメリットは情報を整理すればいいけど」
田中君は少し考える。
「判断材料って、結局どういう意味なんだ?」
妖精ちゃんが答える。
「黒田部長が、今回の段階で進めるかどうかを判断するための材料です」
「それは分かる」
「では、黒田部長は何を判断しますか?」
田中君が黙る。
「…………」
妖精ちゃんも待つ。
田中君は前回の話を思い出した。
黒田部長は、顧客へ提案する価値があるかを見る。
市場として検討を続ける価値があるのか。
営業として次の段階へ進めるのか。
「……売れるかどうか、じゃないんだよな」
妖精ちゃんが頷く。
「まだ最終販売を決める段階ではありません」
「じゃあ」
田中君は言葉を探した。
「顧客に提案できる可能性があるか」
「はい」
「市場として、もう少し詳しく調べる価値があるか」
「はい」
「競合と比べて、検討するだけの特徴があるか」
「はい」
妖精ちゃんの後ろに整理された項目が並ぶ。
✅ 顧客へ提案する価値があるか
✅ 市場確認を継続する価値があるか
✅ 競合との差別化が成立しそうか
✅ 営業として次の検討段階へ進めるか
田中君は腕を組んだ。
「……これなら黒田部長が見る理由が分かるな」
「はい」
「比較を見て」
「はい」
「デメリットも見て」
「はい」
「そのうえで、進めるかどうか決める」
「そうです」
田中君は大きく頷いた。
「よし」
一つの項目を決めるだけなのに、頭を使う
ところが。
ここからが長かった。
「この比較、本当に必要かな」
「黒田部長が判断するなら残した方がよいと思います」
「こっちは?」
「共通部分でもよいかもしれません」
「じゃあ移す」
少しして。
「これデメリット?」
「判断材料にも関係しますね」
「どっちに入れる?」
「どちらでも意味は通ります」
「それが一番困るんだよ」
さらに。
「この市場規模は?」
「重要です」
「黒田部長専用?」
「三人とも企画の規模を知る必要があるなら共通でもよいです」
「じゃあ共通」
「ただし黒田部長用では詳しくしてもよいです」
「……どっちなんだよ」
😵💫
妖精ちゃんも少し困った顔になる。
「田中さんが、どう見せたいかです」
「また僕か……」
何度も確認する。
何度も並べ替える。
一度決めたものを戻す。
また考える。
情報そのものを集めるよりも、
どこへ置くのかを決める方が難しい。
田中君は、だんだん口数が少なくなっていった。
「……これ」
「はい」
「残す」
「分かりました」
「こっち」
「はい」
「共通」
「移します」
「これ……」
「はい」
「ちょっと待って」
田中君は額を押さえる。
「頭の中で、何回も入れ替えてる感じがする」
妖精ちゃんが言う。
「比較して、判断して、また比較していますからね」
「文字書いてるだけなのに、妙に疲れるな」
「まだ黒田部長用です」
田中君が妖精ちゃんを見る。
「今それ言わないで」
ようやく黒田部長版が完成する
しばらくして。
妖精ちゃんの後ろに、整理された三つの枠が表示された。
📊 【黒田部長用・比較】
競合商品との違い
既存手段と比べた顧客メリット
顧客へ説明できる差別化ポイント
⚠️ 【黒田部長用・デメリット】
価格面で不利になる可能性
顧客へ価値が伝わりにくい可能性
想定需要が少ない可能性
競合との差が十分でない可能性
✅ 【黒田部長用・判断材料】
顧客へ提案する価値があるか
市場確認を継続する価値があるか
営業として次の検討段階へ進めるか
田中君は画面をじっと見た。
最初に並んでいた大量の情報から比べると、かなり少ない。
でも。
黒田部長が見るべきところは、むしろ分かりやすくなった。
「……これならいいかな」
妖精ちゃんも確認する。
「共通情報と重複していたものも整理しました」
「うん」
「黒田部長が特に見る必要があるところも残っています」
「うん」
「メリットだけではなく、デメリットもあります」
「うん」
「今回判断してほしい内容も明確です」
田中君が大きく息を吐いた。
「…………」
そして。
椅子の背もたれへ体を預けた。
「できたあああ……」
妖精ちゃんも両手を上げる。
✨
「完成です!」
田中君は少し笑った。
「いやあ、結構かかったな」
「最初ですからね」
「でも、一個できた」
「はい」
田中君は黒田部長用の企画書を眺めた。
達成感がある。
さっきまで「辞書」になりかけていた企画書が、
読む相手を一人に決めただけで、ずいぶん姿を変えた。
田中君は満足そうに頷いた。
「よし」
妖精ちゃんも元気よく答える。
「はい!」
田中君は次のメモを手に取った。
白木部長。
技術。
設備。
工程。
生産能力。
田中君は腕をまくった。
「次いくか」
「はい!」
二人とも、まだ少し元気だった。

二回目――あれ? さっきよりずっと早い
田中君は白木部長のメモを広げた。
「じゃあ、まず何からだっけ」
妖精ちゃんが即答する。
「共通部分を分けます」
「ああ、そうだった」
「そのあと、白木部長が特に必要とする比較」
「次にデメリット」
「最後に判断材料」
田中君が止まった。
「……あれ?」
「どうしました?」
「もう手順出てきた」
妖精ちゃんが笑う。
😊
「一度やりましたからね」
田中君も少し笑った。
「そっか」
黒田部長用では、
何をどう分けるのか。
何を比較するのか。
デメリットとは何なのか。
判断材料とは何なのか。
そこから二人で考えていた。
でも今は違う。
整理するための手順そのものは、もう分かっている。
内容が営業から技術へ変わっても、
やることの順番は同じだった。
田中君が白木部長の要求を見る。
「じゃあ比較」
妖精ちゃんが候補を出す。
📊 既存設備で対応する場合との比較
📊 追加設備を導入する場合との比較
📊 試作段階と量産段階の違い
「いいね」
次。
「デメリット」
⚠️ 設備能力不足の可能性
⚠️ 工程が複雑になる可能性
⚠️ 量産時に安定しない可能性
⚠️ 設備停止時に供給能力が落ちる可能性
田中君が目を丸くした。
「早いな」
「黒田部長用で整理の仕方を決めましたから」
「じゃあ判断材料」
✅ 技術的に成立する見込みがあるか
✅ 試作・技術検証へ進める価値があるか
✅ 量産を妨げる致命的な問題が現時点で見えていないか
「……もうここまでできた」
田中君が時計を見る。
黒田部長用で、あれだけ迷った。
何度も戻った。
何度も妖精ちゃんと相談した。
ところが今回は。
まだ内容を細かく確認する必要はある。
それでも、
迷う時間が明らかに減っていた。
「一回やっただけで、こんなに速くなるんだな」
妖精ちゃんが頷いた。
「作業の流れが分かっていますから」
「内容は全然違うのに?」
「内容は違っても、整理する手順は使えます」
田中君は感心したように画面を見る。
これがAIと一緒に繰り返すということなのかもしれない。
一回目に作ったのは、
黒田部長用の企画書だけではなかった。
企画書を整理するための“進め方”そのものも作っていた。
だから二回目は速い。
田中君の表情が、少し明るくなった。
「これなら楽勝かもな」
妖精ちゃんも笑う。
「そうですね!」
二人はそのまま白木部長用の整理を続けた。
比較。
デメリット。
判断材料。
一つずつ確認していく。
確かに速い。
さっきほど迷わない。
田中君もだんだんコツをつかんできた。
ただし。
しばらくすると。
「…………」
田中君の返事が少なくなった。
妖精ちゃんが振り返る。
「田中さん?」
「ん?」
「疲れました?」
「いや……」
田中君は椅子の背もたれに体を預ける。
「さっきより速いんだけどさ」
「はい」
「なんか……」
額を揉む。
「頭の奥が重い」
妖精ちゃんが少し心配そうな顔になる。
「休みますか?」
田中君は白木部長の企画書を見る。
かなり完成に近い。
そして。
その横を見る。
まだ一枚。
保科部長のメモが残っている。
田中君は、そっと目をそらした。
「…………」
妖精ちゃんも、そのメモを見る。
「あと一人ですね」
田中君がゆっくり答えた。
「……分かってる」
黒田部長用より。
白木部長用の方が、確実に速かった。
作業時間は短くなっている。
迷う回数も減っている。
それなのに。
田中君の頭の中には、
少しずつ、重たい疲労がたまり始めていた。

第5章 二回目は速い。でも、頭の疲れは消えてくれない
白木部長用――内容は違っても、進め方はもう分かっている
田中君は、椅子の背もたれに体を預けたまま、白木部長用の企画書を見つめていた。
黒田部長用を作ったときとは、明らかに違う。
最初の一冊では、
「比較って何を比較するんだ?」
「これはデメリットなのか?」
「判断材料って、どこまで書けばいい?」
そんなところから、一つずつ妖精ちゃんと考えていた。
ところが今は。
📊 比較
⚠️ デメリット
✅ 判断材料
この三つを見れば、次に何をすればいいのかが分かる。
田中君は、白木部長から出された要望をもう一度確認した。
既存設備。
追加設備。
生産能力。
工程。
量産時の問題。
設備停止時の供給能力。
「じゃあ、まず比較から」
「はい」
妖精ちゃんがすぐに候補を並べる。
📊 【白木部長用・比較】
現在の設備で対応する場合
新しい設備を追加する場合
試作段階と量産段階の違い
現在の工程と、新商品を追加した場合の工程
現在の生産能力と、必要になる生産能力
田中君は画面を見る。
「……さっきみたいに、一個ずつ悩まなくても出てくるな」
「黒田部長用で、比較するときの考え方を整理しましたから」
「内容は全然違うのにな」
「営業でも技術でも、“何と何を比べれば判断しやすいのか”という考え方は使えます」
「なるほどなあ」
田中君は少し感心した。
一度目にやったことを、そのままコピーしているわけではない。
黒田部長には、競合や顧客との比較。
白木部長には、設備や工程との比較。
中身は違う。
でも。
考える順番は同じだった。
田中君は、そのまま次へ進む。
「じゃあ、デメリット」
妖精ちゃんもすぐに切り替える。
⚠️ 【白木部長用・デメリット】
現在の設備では能力が不足する可能性
新設備導入によってコストが増える可能性
工程が増えて作業が複雑になる可能性
試作では問題なくても、量産時に安定しない可能性
設備停止によって供給能力が大きく低下する可能性
田中君が頷く。
「白木部長にとって怖いのは……」
「はい」
「作れそうだと思って進めたのに、量産になったら作れませんでした、ってなることだよな」
妖精ちゃんが頷く。
「技術的に成立することと、安定して量産できることは同じではありません」
「だから、いいところだけ見せても駄目」
「はい」
「どこで失敗する可能性があるのかも見せる」
「そうですね」
田中君は少し笑った。
「黒田部長のときと同じだ」
「何がですか?」
「メリットだけじゃ判断できないってこと」
妖精ちゃんも笑う。
😊
「そこは共通していますね」
「作れる」と「作り続けられる」は違う
次は判断材料。
✅ 【判断材料】
田中君は、もう前ほど迷わなかった。
「白木部長が今回決めるのは、最終的な量産開始じゃない」
「はい」
「まだ、その前」
「はい」
「だったら……」
田中君が一つずつ言葉にする。
「技術的に成立する見込みがあるか」
「はい」
「試作や追加検証へ進める価値があるか」
「はい」
「今の段階で、どう考えても無理っていう問題がないか」
妖精ちゃんが整理する。
✅ 技術的に実現できる見込みがあるか
✅ 試作・技術検証へ進めてよいか
✅ 量産化を妨げる重大な問題が現時点で見えていないか
✅ 次の段階で何を確認する必要があるか
田中君は画面を見ながら、ふと考えた。
「一個作れるだけじゃ駄目なんだよな」
「そうですね」
「一回だけ設備が動きました、でも駄目」
「はい」
「毎日作る」
「はい」
「同じものを作る」
「はい」
「必要な数を作る」
「はい」
「設備が止まったら、その影響も考える」
妖精ちゃんが頷く。
田中君の頭の中に、これまで現場で見てきた生産ラインが浮かんだ。
試作ではうまくいった。
ところが量産へ入った途端、不具合が出る。
設備が止まる。
作業者によって出来栄えが変わる。
予定した数量が出ない。
一個作ることと。
作り続けることは違う。
田中君は小さくつぶやいた。
「白木部長が見たいのは、“作れるか”だけじゃなくて、“作り続けられるか”なんだな」
妖精ちゃんが嬉しそうに頷いた。
「それなら、白木部長用の情報がかなり絞れます」
「うん」
田中君も頷く。
最初に三人の部長から渡された大量の情報。
そのすべてを並べるよりも、
その人が一番困ることは何か。
そこから考えた方が、必要な情報が見えてくる。
速い。確かに速い。でも……
そこからの作業は、かなり速かった。
「これは共通?」
「共通です」
「移す」
「はい」
「これは技術専用?」
「残します」
「これは?」
「次の段階でも構いません」
「じゃあ今回は外す」
田中君が判断する。
妖精ちゃんが整理する。
田中君が確認する。
妖精ちゃんが書き直す。
🔄
その繰り返し。
でも、一回目とは違う。
止まらない。
「これ何だ?」
「どういう意味だ?」
「そもそも何を基準にする?」
というところから考える必要がない。
一度作った手順を使えるからだ。
田中君がふと時計を見た。
「……え?」
妖精ちゃんが振り返る。
「どうしました?」
「もうここまでできたの?」
「はい」
田中君は黒田部長用を作ったときの時間を思い出した。
最初は何度も止まった。
何度も戻った。
話が横へそれた。
妖精ちゃんとも言い合いになった。
それに比べれば。
明らかに速い。
🚀 作業速度が上がっている。
田中君は少し嬉しくなった。
「これ、結構すごくない?」
「何がですか?」
「一回目に苦労して作ったやり方が、そのまま二回目で使える」
「はい」
「しかも内容は違う」
「そうですね」
「営業用をコピーしてるわけじゃないのに、作る時間は短くなってる」
妖精ちゃんが頷く。
「一度整理した“考える手順”を使っていますから」
田中君は感心した。
「AIって、同じような仕事を繰り返すと、こういうところがどんどん速くなるんだな」
妖精ちゃんが笑う。
「田中さん自身も、やり方を覚えていますよ」
「僕も?」
「はい」
「じゃあ半分くらい僕のおかげ?」
「それは分かりません」
「そこは半分って言ってくれよ」
時間は短くなったのに、頭だけが重くなっていく
白木部長用の企画書が、ほぼ完成した。
田中君は画面を確認する。
📊 【比較】
既存設備。
追加設備。
試作と量産。
現在の工程と新工程。
⚠️ 【デメリット】
設備能力不足。
工程負荷。
量産時の不安定。
供給能力低下。
✅ 【判断材料】
技術的に成立する見込み。
次の試作へ進めるか。
重大な問題がないか。
次に確認する内容。
「……よし」
田中君が保存する。
カチッ。
「できた」
妖精ちゃんも頷いた。
「白木部長用、完成です!」
普通なら。
ここで黒田部長用を完成させたときと同じように、
✨ やった!
となるはずだった。
ところが。
田中君は椅子から動かなかった。
「…………」
妖精ちゃんが首を傾げる。
「田中さん?」
「ん?」
「完成しましたよ?」
「うん」
「嬉しくないのですか?」
「嬉しいよ」
「では、なぜそんな顔をしているのですか?」
田中君は眉間を指で押した。
「なんか……」
しばらく言葉を探す。
「頭の奥が、ずーんと重い」
「頭?」
「うん」
田中君は首を回した。
肩も重い。
目の奥も妙に疲れている。
体を使ったわけではない。
荷物を運んだわけでもない。
走ったわけでもない。
ずっと椅子に座っていただけ。
なのに。
体までだるい。
田中君は不思議そうに自分の腕を見る。
「なんでこんな疲れてるんだ?」
妖精ちゃんが少し考える。
「ずっと判断していたからでは?」
「判断?」
「これは必要」
「はい」
「これは要らない」
「はい」
「これは共通」
「はい」
「これは白木部長専用」
「はい」
「比較して」
「はい」
「デメリットを考えて」
「はい」
「最後に判断材料を決める」
「はい」
田中君は途中で嫌そうな顔をした。
「……今、並べないで」
「でも全部やりました」
「聞いただけで疲れてきた」
妖精ちゃんが困ったように笑う。
😅
AIで短縮されたのは「時間」であって「思考」ではなかった
田中君は椅子の背もたれへ深く沈んだ。
「でもさ」
「はい」
「黒田部長用より、かなり早く終わったよな」
「はい」
「だったら、疲れも少なくなるんじゃないの?」
妖精ちゃんは少し考えた。
「作業時間は短くなりました」
「うん」
「ですが、その短い時間の中で、田中さんはずっと考えていました」
「…………」
「比較して」
「うん」
「選んで」
「うん」
「削って」
「うん」
「また判断して」
「……うん」
「それを止まらず繰り返しました」
田中君が額を押さえる。
「なるほど……」
以前なら。
一つ考える。
資料を探す。
書く。
また考える。
少し止まる。
そんなふうに、作業の間に時間があった。
ところがAI妖精ちゃんと壁打ちしていると。
答えが返ってくる。
すぐ判断する。
次の候補が出る。
また判断する。
修正される。
また確認する。
💨 止まる暇がない。
作業自体は速くなっている。
しかし。
その分だけ、
短い時間の中へ大量の思考が詰め込まれていた。
田中君がぽつりと言う。
「時間は短くなったけど、頭を使う量まで減ったわけじゃないのか……」
妖精ちゃんが頷く。
「むしろ短時間に集中していますね」
「それで体まで疲れるの?」
「田中さんの体について、私は断定できません」
「あ、急に真面目になった」
「でも、休憩した方がいいと思います」
「……そうだな」
田中君は目を閉じた。
数秒。
そして。
ゆっくり目を開ける。
机の端に、一枚のメモが残っていた。
👓 保科品質部長
田中君は、それを見る。
「…………」
妖精ちゃんも見る。
「…………」
田中君は目をそらす。
妖精ちゃんも目をそらす。
数秒の沈黙。
「妖精ちゃん」
「はい」
「見なかったことにする?」
「できません」
「即答だな」
「あと一人です」
田中君は天井を見上げた。
「……そうなんだよな」
黒田部長用。
完成。
白木部長用。
完成。
残るのは。
品質部長の保科さん。
三回目だ。
作業手順は、もう分かっている。
二回目より。
さらに速くできるはず。
田中君はそう思った。
そしてそれは――。
間違っていなかった。
ただし。
田中君はまだ知らなかった。
三回目になると、
作業速度とはまったく反対の方向へ、
自分たちの元気が恐ろしい勢いで減っていくことを。

第6章 三回目は爆速――でも、もう何もしたくない
保科部長用――手順は、もう完全に頭へ入っていた
田中君は、机の端に置かれた最後のメモを見た。
👓 保科品質部長
「…………」
妖精ちゃんも見る。
「…………」
田中君が小さく息を吐いた。
「やるか」
「はい……」
さっきまでなら、
「よし!」
くらいの勢いがあった。
でも今は違う。
黒田部長用。
白木部長用。
二つ作った。
それだけで、頭の奥がずっしり重い。
それでも。
残りは一人。
田中君は椅子へ座り直した。
「まず共通部分」
妖精ちゃんが即答する。
「分離済みです」
田中君が一瞬止まった。
「……もう?」
「はい」
「じゃあ比較」
「候補を出します」
📊 【保科部長用・比較】
現在の品質基準と新商品で求められる品質
試作品と量産品で想定される品質差
既存品と比べた保証範囲
現在の検査方法と、新たに必要になる検査方法
田中君が画面を見る。
「……速いな」
「三回目ですから」
「じゃあデメリット」
「整理します」
⚠️ 【保科部長用・デメリット】
量産時に品質がばらつく可能性
現時点では保証できない性能がある
検査方法がまだ確立していない項目がある
不良を見逃す可能性
顧客要求に対して品質基準が不足する可能性
「判断材料」
「こちらです」
✅ 【保科部長用・判断材料】
現時点で重大な品質上の問題が見えていないか
次の品質試験へ進めてよいか
どの項目を追加検証する必要があるか
現段階で保証できる範囲と、まだ保証できない範囲はどこか
田中君は画面を見る。
妖精ちゃんを見る。
また画面を見る。
「…………」
「どうしました?」
「もう、ここまでできたの?」
「はい」
「僕、ほとんど何もしてなくない?」
妖精ちゃんが首を振る。
「そんなことはありません」
「でも、黒田部長のときは、あんなに悩んだぞ」
「一回目に整理方法を作りました」
「白木部長で、それを使った」
「はい」
「保科部長で、さらに慣れた」
「はい」
田中君は少し感心した。
🚀 明らかに速い。
一回目と比べれば、驚くほど速い。
内容は違う。
営業。
技術。
品質。
三人とも必要なものは違う。
それでも、
情報を整理する手順そのものは再利用できる。
田中君は小さく頷いた。
「一回やったことを、次でも使えるから速くなるんだな」
妖精ちゃんも頷いた。
「はい。全部を最初から考え直しているわけではありません」
「なるほど……」
田中君は少しだけ笑った。
「これなら、すぐ終わりそうだな」
「そうですね」
二人は、そのまま続きを始めた。
三回目になると、会話まで短くなる
「この品質基準」
「共通?」
「一部共通です」
「じゃあ共通へ」
「はい」
「このばらつき」
「保科部長用です」
「残す」
「はい」
「検査方法」
「今回は概要だけ」
「詳しいのは?」
「次段階」
「了解」
カチッ。
カチッ。
カチッ。
田中君が確認する。
妖精ちゃんが整理する。
修正する。
また確認する。
ところが。
黒田部長用のときのような長い会話は、もうほとんどなかった。
「これ何?」
「なぜ必要?」
「そもそも判断材料って?」
そんなやり取りは終わっている。
二人とも、
何をすればいいのか分かっている。
だから会話そのものが短くなる。
「比較」
「済みです」
「デメリット」
「済みです」
「判断材料」
「済みです」
「未確認」
「分けました」
「共通部分」
「整理済みです」
「…………」
田中君が手を止めた。
「妖精ちゃん」
「はい」
「なんか僕たち、工場の作業みたいになってない?」
妖精ちゃんも少し考えた。
「手順が決まってきたという意味ですか?」
「そう」
「それなら近いかもしれません」
「最初は一個ずつ考えてたのに」
「はい」
「今は次に何をするか、だいたい分かる」
「はい」
田中君は少しだけ嬉しそうな顔をした。
「慣れるって、こういうことなんだな」
妖精ちゃんが微笑む。
😊
「田中さんも速くなっています」
「僕も?」
「はい」
「じゃあ今回は、かなり僕のおかげ?」
「それは分かりません」
「またそれかよ」
速くなったのに、元気だけが減っていく
作業は順調だった。
むしろ。
順調すぎるくらいだった。
田中君が判断する。
妖精ちゃんが処理する。
すぐ次。
また判断。
すぐ次。
また判断。
💨
止まらない。
最初のころは、
考えて。
悩んで。
一度止まって。
また考えていた。
ところが今は。
妖精ちゃんが次々と候補を出す。
田中君がすぐ選ぶ。
妖精ちゃんが整理する。
また次が出る。
考える暇がないのではない。
むしろ逆だった。
考え続けている。
ただし。
止まる時間がなくなっていた。
田中君の姿勢が、少しずつ崩れていく。
最初は背筋を伸ばしていた。
少しして。
背もたれへ寄りかかる。
さらに。
肘を机につく。
そして。
頬杖をつく。
😵💫
妖精ちゃんも同じだった。
最初は田中君の横を元気に飛んでいた。
ところが、いつの間にか。
机の上に座っている。
さらに少しすると。
机の上に、ぺたん。
「田中さん……」
「んー……」
「次です……」
「何……」
「保証範囲です……」
「出して……」
「出しました……」
「確認……」
「お願いします……」
田中君が画面を見る。
「……うん」
「大丈夫ですか?」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
「じゃあ、もう一回見る……」
二人とも。
声に力がない。
それなのに。
作業だけは妙に速かった。
「早っ!」――なのに、達成感が追いつかない
しばらくして。
妖精ちゃんの後ろに表示が出た。
✨ 【保科部長用 整理完了】
田中君は、それをぼんやり眺めた。
「…………」
妖精ちゃんも机の上に座ったまま、画面を見る。
「田中さん」
「ん?」
「終わりました」
「何が?」
「保科部長用です」
「…………」
田中君がゆっくり体を起こす。
「終わった?」
「はい」
「もう?」
「はい」
田中君は時計を見る。
黒田部長用を作ったときとは比べものにならない。
白木部長用よりも、さらに速い。
「……早っ」
妖精ちゃんが力なく頷いた。
「三回目ですから……」
田中君も頷く。
「確かに……」
そして。
数秒。
「…………」
妖精ちゃんも。
「…………」
本来なら。
三人分完成した。
もっと喜んでもいい。
✨ やった!
と叫んでもいい。
でも。
そんな元気がない。
田中君は椅子へ深く沈んだ。
「妖精ちゃん」
「はい……」
「終わったんだよな」
「終わりました……」
「三人分」
「はい……」
「めちゃくちゃ早くなったよな」
「はい……」
「なのに」
田中君は机へ突っ伏した。
「……もう何もしたくない」
妖精ちゃんも。
机の上へ、ぺたん。
「私もです……」
二人とも動かない。
画面には、
✨ 完成
と表示されている。
でも。
完成した本人たちは、
まったく完成した顔をしていなかった。

短時間で終わる仕事ほど、楽とは限らない
田中君は机に伏せたまま言った。
「おかしい……」
妖精ちゃんが顔だけ上げる。
「何がですか……」
「最初より、絶対早くなってる」
「はい……」
「二回目よりも早い」
「はい……」
「だったら」
田中君は少し顔を上げる。
「普通、楽にならない?」
妖精ちゃんが考える。
「作業時間は楽になっています」
「時間はな」
「はい」
「でも僕……」
田中君は自分の肩を揉んだ。
肩が重い。
目の奥も重い。
頭の中も、妙にぼんやりする。
「なんか体まで疲れてるんだけど」
妖精ちゃんもぐったりしたまま答える。
「ずっと考えていましたからね」
「でも短時間だぞ?」
「短時間だからでは?」
田中君が顔を上げた。
「どういうこと?」
妖精ちゃんも少しだけ体を起こす。
「黒田部長用のときは」
「うん」
「分からないところで止まりました」
「止まったな」
「考えました」
「うん」
「話しました」
「うん」
「また考えました」
「そうだな」
「でも今は」
妖精ちゃんが指を一本立てる。
「私が候補を出す」
二本目。
「田中さんが判断する」
三本目。
「すぐ次が出る」
四本目。
「また判断する」
五本目。
「また次が出る」
田中君の顔が引きつる。
「もういい」
「まだあります」
「聞きたくない」
妖精ちゃんが少し笑う。
😅
田中君は再び机へ伏せた。
つまり。
AIを使ったことで。
作業そのものは短時間になった。
しかし。
その短い時間の中へ、
比較。
選択。
削除。
確認。
修正。
再判断。
という作業が、ぎゅっと詰め込まれていた。
時間が短くなったからといって、頭を使う量まで同じように減るわけではない。
田中君はぼそっと言う。
「AI使ったら、頭も楽できると思ってた」
妖精ちゃんが答える。
「私は考える材料を出せます」
「うん」
「整理も手伝えます」
「うん」
「でも、何を採用するかは田中さんが決めています」
「…………」
「田中さん?」
「正論やめて……」
三冊完成――そして、二人とも完全にへばる
机の上には。
黒田部長用。
白木部長用。
保科部長用。
三つの企画書が並んでいた。
📘 営業部長用
📗 技術部長用
📙 品質部長用
田中君は横目で見る。
「……ちゃんとできたな」
「はい……」
妖精ちゃんも見る。
「三人分です……」
「頑張ったな」
「頑張りました……」
「僕たち」
「はい……」
少し沈黙。
田中君が手を伸ばす。
黒田部長用を見る。
次に。
白木部長用。
さらに。
保科部長用。
何となく。
三つを並べる。
「…………」
妖精ちゃんが首を傾げた。
「どうしました?」
「いや……」
田中君は、黒田部長用の最初のページを見る。
次に白木部長用。
そして保科部長用。
もう一度。
黒田部長用。
「…………」
田中君の眉が、少しずつ寄っていく。
妖精ちゃんも三冊を見比べる。
「田中さん?」
「妖精ちゃん」
「はい」
田中君は、三冊の同じような部分を指さした。
「これ」
「はい」
「こっちにもあるよな」
「……はい」
「これも」
「ありますね」
「こっちも」
「あります」
田中君が三冊を並べ直す。
企画の目的。
商品概要。
顧客課題。
提供価値。
今回の検討範囲。
現在分かっていること。
未確認事項。
田中君と妖精ちゃんは。
しばらく無言で三冊を見つめた。
「…………」
「…………」
そして。
田中君が、ゆっくり口を開いた。
「僕たち……同じところ、三回作ってない?」
妖精ちゃんの動きが止まった。
😶
数秒後。
「…………はい」
田中君が顔を覆った。
「最初に気づこうよ……」
妖精ちゃんも机へ突っ伏した。
「田中さんもです……」
三冊を完成させた直後。
二人は。
新しいムダを発見してしまった。
奮闘中の田中君は、このときまだ気づいていなかった。
本来なら、とても一人で簡単にこなせるような作業量ではない。
三人の部長、それぞれに合わせた企画書を作り分ける――。
それは実質、三人分の仕事を同時に進めているようなものだった。
しかも田中君と妖精ちゃんは、その膨大な作業を、自分たちが思っている以上に極めて短い時間へ圧縮して処理していた。
作業時間は短くなっている。
だが、処理している情報量まで少なくなったわけではない。
むしろ二人は、短時間の中で、とんでもない量の比較・判断・修正を繰り返していたのだ。

第7章 三冊作って気づいた――同じところは、一つにまとめればいい
「これ、全部同じこと書いてない?」
机の上には、三冊の企画書が並んでいた。
📘 黒田部長用
📗 白木部長用
📙 保科部長用
三人分。
ちゃんと作った。
比較もある。
デメリットもある。
判断材料もある。
それぞれの部長が必要とする内容も、かなり整理できた。
それなのに。
田中君と妖精ちゃんは、まったく達成感のある顔をしていなかった。
「…………」
「…………」
田中君は、黒田部長用の企画書を開く。
最初のページ。
企画の目的。
次に白木部長用。
企画の目的。
保科部長用。
企画の目的。
「…………」
次。
黒田部長用。
商品概要。
白木部長用。
商品概要。
保科部長用。
商品概要。
田中君の眉間に、少しずつしわが寄っていく。
さらに。
顧客課題。
提供価値。
現在どこまで分かっているか。
未確認事項。
今回どこまで判断してほしいのか。
三冊とも。
ほとんど同じ内容が入っていた。
田中君が、三冊を机の上へ並べ直す。
「妖精ちゃん」
「はい……」
「これさ」
「はい……」
「黒田部長のここ」
「はい」
「白木部長にもある」
「あります」
「保科部長にも」
「あります」
田中君はページをめくる。
「これも」
「あります」
「これも」
「あります」
「これも」
「ありますね……」
田中君は静かに三冊を閉じた。
そして。
机へ突っ伏した。
「僕たち、同じところ三回作ってるじゃん……」
妖精ちゃんも、机の上でぺたんと伏せた。
「……はい」
「最初に気づこうよ……」
「田中さんもです……」
「妖精ちゃんAIだろ……」
「田中さんが三冊作ると言ったので……」
「僕のせい?」
「私だけのせいではありません」
「そこだけ元気になるなよ……」
せっかく三冊作ったのに、また作り直すの?
しばらく。
二人とも動かなかった。
田中君は横になったまま、三冊の企画書を見る。
「でもさ……」
「はい」
「これ、どうする?」
「どうするとは?」
「同じ部分がいっぱいあるんだろ?」
「はい」
「じゃあ直す?」
妖精ちゃんが少し起き上がった。
「整理し直した方がよいと思います」
田中君の顔が引きつる。
😨
「また?」
「はい」
「三冊完成したのに?」
「はい」
「今から?」
「はい」
「…………」
田中君は再び机へ沈んだ。
「もう嫌だ……」
妖精ちゃんも困った顔をする。
「ですが、このままでは同じ情報を三冊で管理することになります」
「管理?」
「たとえば商品概要を修正したら」
「うん」
「黒田部長用を直します」
「うん」
「白木部長用も直します」
「うん……」
「保科部長用も直します」
「…………」
田中君が顔を上げる。
「三回?」
「三回です」
「顧客課題が変わったら?」
「三回です」
「企画の目的が変わったら?」
「三回です」
「未確認事項が更新されたら?」
「三回です」
田中君が頭を抱えた。
😵💫
「増やしたら、後の仕事まで増えるじゃん!」
妖精ちゃんが頷く。
「はい」
「だったら……」
田中君は三冊を見比べた。
しばらく考える。
そして。
一冊目から、共通しているページを抜き出した。
企画の目的。
商品概要。
顧客課題。
提供価値。
現在確認できている内容。
未確認事項。
今回求める判断。
それを机の中央に置く。
田中君が言った。
「これ」
妖精ちゃんが見る。
「はい」
「三人とも読むんだよな」
「そうですね」
「だったら……」
少し間を置く。
「ここだけ、一個作ればよくない?」
妖精ちゃんの目が大きくなる。
✨
「共通部分を、一つにまとめるのですか?」
「そう」
田中君は少しずつ身を起こした。
「三人とも同じところは、一回だけ作る」
「はい」
「それから黒田部長に必要なところだけ追加」
「はい」
「白木部長も」
「はい」
「保科部長も」
妖精ちゃんの後ろに、新しい構造が表示された。
🌳 【共通企画】
├ 📘 黒田部長専用
├ 📗 白木部長専用
└ 📙 保科部長専用
田中君が目を細める。
「……これだ」
同じものを三回作らない
田中君と妖精ちゃんは、三冊の企画書をもう一度開いた。
今度は、
「誰に必要か」
ではなく、
「三人全員に必要か」
という目で見ていく。
田中君が一つ目を指さす。
「企画の目的」
「三人とも必要です」
「共通」
「はい」
📝 【共通】企画の目的
「商品概要」
「三人とも必要です」
「共通」
📝 【共通】商品概要
「顧客課題」
「営業だけではありませんね」
「技術も、何のために作るのか知ってないと困る」
「品質も、顧客要求を知らなければ基準を考えられません」
「じゃあ共通」
📝 【共通】顧客課題
「提供価値」
「共通です」
「現在分かっていること」
「共通」
「未確認事項」
「これも共通」
「今回何を決めるのか」
「当然、共通です」
田中君と妖精ちゃんの作業が、再び速くなる。
ただし。
さっきまでとは違う。
新しい情報を考えているわけではない。
すでにある三冊から、同じものをまとめている。
田中君がページを次々と移動する。
「これ共通」
「はい」
「これも」
「はい」
「これは……」
妖精ちゃんが確認する。
「黒田部長だけ詳しく必要ですね」
「じゃあ営業側に残す」
「はい」
「こっちは?」
「白木部長用です」
「残す」
「品質基準の詳細」
「保科部長用ですね」
「よし」
田中君はだんだん元気を取り戻してきた。
「さっきより分かりやすいな」
「はい」
「何をどこへ置けばいいか、かなり見えてきた」
妖精ちゃんも頷く。
「三冊作ったから、共通するところも見つけやすいですね」
田中君が止まる。
「……あ」
「どうしました?」
「じゃあ三冊作ったの、全部無駄じゃなかったのか」
「無駄ではありません」
「本当?」
「繰り返したから、同じ部分と違う部分が見えました」
田中君は、少し考える。
最初から完璧に共通部分を見つけようとしていたら。
おそらく。
また悩んでいただろう。
一回目。
二回目。
三回目。
実際に作ったからこそ、
毎回同じことをしている場所が見えてきた。
田中君は小さく笑った。
「なんか、現場の改善みたいだな」
妖精ちゃんが首を傾げる。
「現場の改善?」
「最初から全部のムダなんて分からないんだよ」
田中君は三冊を指さす。
「何回かやってると」
「はい」
「ここ毎回同じことしてるな、とか」
「はい」
「ここまとめられるな、とか」
「はい」
「そういうのが見えてくる」
妖精ちゃんが嬉しそうに頷いた。
😊
「では今回は、企画書の作業を改善しているのですね」
「そういうことになるのかな」
楽をしようとしたら、資料まで分かりやすくなった
しばらくして。
共通部分が一つにまとまった。
📄 【三部長共通】
企画の目的
商品概要
想定顧客
顧客が抱えている課題
商品が提供する価値
現在確認できていること
現時点での未確認事項
今回どこまで判断してほしいのか
田中君は、それを見ながら頷いた。
「これを三人とも最初に読む」
「はい」
「だから、三人の前提が同じになる」
妖精ちゃんが言う。
「同じ商品なのに、黒田部長用と白木部長用で商品概要が少し違う、ということも起こりにくくなります」
田中君が顔を上げる。
「ああ、そうか」
最初は。
ただ、
同じものを三回作るのが面倒だから、一つにまとめよう。
それだけだった。
でも。
一つにまとめれば。
一か所を直すだけでいい。
三人とも同じ情報を見る。
前提がズレにくい。
それぞれの資料も短くなる。
田中君が少し驚いた顔をする。
「僕、楽しようと思っただけなんだけど」
妖精ちゃんが笑う。
「結果として、資料も整理されました」
「楽するのって悪いことじゃないな」
「ムダを減らすのであれば、よいのではないでしょうか」
田中君が得意そうに頷く。
「そうそう」
少し間を置く。
「手抜きとは違うんだよ」
妖精ちゃんが田中君を見る。
「誰に説明しているのですか?」
「なんとなく」
共通部分は「一つの事実」を共有する場所
田中君は、新しくできた共通部分を眺めた。
そこで、もう一つ気づいた。
「妖精ちゃん」
「はい」
「ここは、部長によって内容を変えちゃ駄目なんだな」
「どういう意味ですか?」
「例えばさ」
田中君は顧客課題を指さす。
「黒田部長には売れそうな書き方」
「はい」
「白木部長には作りやすそうな書き方」
「はい」
「保科部長には品質的に安心できそうな書き方」
「はい」
「そんなふうに変えたら、同じ企画じゃなくなる」
妖精ちゃんが頷く。
「事実まで相手に合わせて変えてはいけませんね」
「うん」
田中君は少し真面目な表情になる。
「見せ方は変えても、元になる事実は変えちゃ駄目なんだ」
妖精ちゃんの後ろに表示が出る。
📌 【共通部分】
三人が共有する事実と前提
📌 【個別部分】
それぞれが責任を持って判断するための詳細
田中君が指を差す。
「これ、分かりやすい」
「では、この形で整理しましょう」
「うん」
一つの商品。
一つの企画。
一つの事実。
そこは変えない。
ただし。
営業部長が詳しく見る場所。
技術部長が詳しく見る場所。
品質部長が詳しく見る場所。
そこは違う。
田中君は、ようやく三人分の資料がどういう形になればいいのかを理解し始めた。
一本の幹から、三本の枝を伸ばす
妖精ちゃんの後ろに、大きな木のような図が現れた。
🌳
中央に、
【共通企画】
そこから三つに分かれる。
➡️ 黒田営業部長
➡️ 白木技術部長
➡️ 保科品質部長
田中君が笑う。
「木みたいだな」
「一本の企画から三方向へ分かれています」
「じゃあ共通部分が幹?」
「はい」
「黒田部長が営業の枝」
「はい」
「白木部長が技術」
「はい」
「保科部長が品質」
「そうなります」
田中君は腕を組んだ。
「だったら、もう三冊全部を別々に作る必要ないな」
「はい」
「共通部分を作って」
「はい」
「その後ろに、その人専用のところだけ付ける」
「その方が整理しやすいと思います」
田中君は、ようやく少し元気を取り戻した。
✨
「これなら、かなりコンパクトになるぞ」
妖精ちゃんも嬉しそうに頷く。
「辞書から企画書へ戻せそうですね」
田中君が妖精ちゃんを見る。
「……それ、結構刺さるな」
「事実です」
「分かってるよ」
でも、三人専用の部分には何を残す?
共通部分はできた。
三人全員が知っておくべきことも、かなり整理できた。
しかし。
田中君は、残った三つの資料を見る。
黒田部長用。
白木部長用。
保科部長用。
「さて」
妖精ちゃんが振り返る。
「はい」
「問題はこっちだな」
「個別部分ですね」
「うん」
共通部分を抜いたことで。
三人専用の情報は、かなり少なくなっていた。
だからこそ。
次は、
何を残すか。
が重要になる。
田中君は考える。
「せっかく分けるなら」
「はい」
「黒田部長用に、白木部長でも使えるような情報をいっぱい残す必要ないよな」
「そうですね」
「白木部長用にも、保科部長と同じことをいっぱい書かない」
「はい」
「つまり……」
田中君は三つの資料を並べる。
「三人の部長で、できるだけかぶらない情報を残すってことか」
妖精ちゃんが頷いた。
「その部長だからこそ必要な情報ですね」
「うん」
田中君は、黒田部長用の三つの枠を見る。
📊 比較
⚠️ デメリット
✅ 判断材料
次に白木部長。
同じ三つ。
そして保科部長。
同じ三つ。
形は同じ。
でも。
中身は違う。
田中君の表情が少し引き締まった。
「じゃあ、最後にここを整理しよう」
妖精ちゃんも元気を取り戻す。
「はい!」
「三人とも同じものを見せるんじゃなくて」
「はい」
「その部長が、一番欲しい比較」
「はい」
「その部長にとって、一番怖いデメリット」
「はい」
「最後に、その人が決めるための判断材料」
妖精ちゃんの後ろに、三つの大きな文字が浮かぶ。
📊 【比較】
⚠️ 【デメリット】
✅ 【判断材料】
田中君は、それを見ながら小さく頷いた。
大量の情報から始まった企画書は。
ようやく。
「三人に全部見せる資料」から、
「三人がそれぞれ判断できる資料」へ。
形を変え始めていた。

第8章 三人に同じものを渡さない――部長ごとの「判断セット」を作る
共通部分を抜いたら、三人の違いが見えてきた
机の上には、新しく整理された企画書が置かれていた。
🌳 【共通企画】
そして、その横に。
📘 黒田営業部長用
📗 白木技術部長用
📙 保科品質部長用
田中君は、四つを順番に眺めた。
さっきまでとは違う。
三冊それぞれに入っていた、
企画の目的。
商品概要。
顧客課題。
提供価値。
現在分かっていること。
未確認事項。
今回求める判断。
それらは、すべて共通企画へ移した。
だから。
三人専用の資料には、
「その人だからこそ必要な情報」
だけが残り始めていた。
田中君が腕を組む。
「こうして見るとさ」
「はい」
「黒田部長と白木部長と保科部長って、同じ企画を見てるのに、本当に見るところ違うんだな」
妖精ちゃんが頷く。
「三人とも責任が違いますからね」
「でも今までは」
田中君は三冊を指さす。
「企画書なんだから、同じ情報を全部見せるもんだと思ってた」
「はい」
「それで分厚くなった」
「辞書になりました」
「そこはもういいって」
妖精ちゃんが少し笑う。
😊
田中君は、黒田部長用の資料を手に取った。
「じゃあ」
「はい」
「三人の違いを、もっとはっきりさせよう」
黒田部長が一番見たいのは「顧客に選ばれるのか」
最初は黒田部長。
営業部長。
田中君はすでに一度、黒田部長用の企画書を作っている。
だから今度は、
「何を書くか」
ではなく、
「何を残すか」
を見る。
田中君が言った。
「比較から」
「はい」
妖精ちゃんの後ろに候補が現れる。
📊 【競合商品との比較】
📊 【既存商品との比較】
📊 【価格比較】
📊 【設備比較】
📊 【品質基準比較】
田中君がすぐに止めた。
「待って」
「はい」
「設備比較は白木部長じゃない?」
妖精ちゃんが確認する。
「黒田部長にも、設備投資が価格へ影響するので関係はあります」
「でも」
田中君が画面を指さす。
「そこを詳しく判断する人じゃないよな」
「そうですね」
「じゃあ黒田部長用から外す」
「分かりました」
次。
「品質基準比較」
妖精ちゃんが考える。
「顧客へ説明する品質として必要になる可能性があります」
「でも、詳しい基準を決めるのは?」
「保科部長です」
「じゃあ黒田部長には結果だけ分かればいい」
「なるほど」
項目が減る。
最後に残ったのは、
📊 競合商品と比べて何が違うのか
📊 既存の選択肢と比べて、顧客にどんな価値があるのか
📊 価格を含めても顧客に提案できる特徴があるのか
田中君が頷いた。
「黒田部長に必要な比較って」
「はい」
「結局、“他の商品じゃなくて、これを顧客に提案する理由があるか”なんだな」
妖精ちゃんが笑顔になる。
「営業部長らしい比較ですね」
「うん」
次はデメリット。
⚠️ 価格が高くなる可能性
⚠️ 競合との差が小さい可能性
⚠️ 顧客にメリットが伝わりにくい可能性
⚠️ 想定していたほど需要がない可能性
田中君が言う。
「黒田部長にとって怖いのは」
「はい」
「作れないことそのものじゃない」
「それは白木部長が主に見る部分ですね」
「品質を保証できるか、その細かいところでもない」
「それは保科部長です」
「黒田部長が怖いのは……」
少し考える。
「売れると思って進めたのに、顧客から相手にされないことか」
妖精ちゃんが頷く。
最後に。
✅ 【黒田部長の判断材料】
顧客へ提案するだけの価値があるか
競合との差別化が成立しそうか
市場確認をさらに進める価値があるか
営業として次の段階へ進めてよいか
田中君は満足そうに頷いた。
「よし」
「黒田部長用、かなり絞れました」
「営業だけを見る」
「はい」
「他の部長が責任を持つところまで、黒田部長用に全部書かない」
「そうですね」
田中君は資料の厚さを見る。
かなり薄くなった。
✨
「これなら読みやすいな」
白木部長が知りたいのは「本当に作り続けられるのか」
次は白木部長。
田中君は、すでに迷わなかった。
「比較」
「はい」
妖精ちゃんが候補を出す。
📊 現在の設備で対応する場合との比較
📊 追加設備を入れた場合との比較
📊 試作と量産の違い
📊 現在の工程と、新商品を追加した工程の違い
田中君が頷く。
「これだな」
黒田部長用とは、ほとんど重ならない。
営業では、
顧客から見た比較。
技術では、
作る側から見た比較。
田中君が言った。
「同じ“比較”なのに、全然違うな」
妖精ちゃんが頷く。
「誰が判断するかによって、比較対象も変わっています」
「なるほど」
次。
⚠️ 【白木部長のデメリット】
現在の設備では能力が不足する可能性
新しい設備が必要になる可能性
工程が増えて複雑になる可能性
試作では成功しても量産では安定しない可能性
設備停止時に必要数量を供給できない可能性
田中君は、その一覧を見る。
「白木部長の怖いところは分かりやすいな」
「何ですか?」
「営業から“売れるから作ってくれ”って言われたあとに」
「はい」
「いや、そんな数作れません、ってなること」
妖精ちゃんが頷く。
「技術的に一度成立したことと、量産として成立することは別ですからね」
「うん」
そして判断材料。
✅ 【白木部長の判断材料】
技術的に実現できる見込みがあるか
試作・技術検証へ進めてよいか
量産を妨げる重大な問題が見えていないか
次段階で確認すべき技術課題は何か
田中君は、黒田部長用と並べてみた。
「おお……」
「どうしました?」
「本当に違う」
黒田部長は、
売る側。
白木部長は、
作る側。
同じ商品を見ている。
でも。
判断しているものは別だった。
保科部長が譲れないのは「会社として保証できるのか」
最後は保科部長。
田中君は、少しだけ姿勢を正した。
「……保科部長なんだよな」
「はい」
「なんでちょっと緊張するんだろ」
「田中さん、保科部長を少し怖がっていますよね」
「だって、いつもニコニコしてるのに、品質の話になると目が変わるんだもん」
妖精ちゃんが首を傾げる。
「そうなのですか?」
「妖精ちゃんには分からない怖さがあるんだよ」
田中君は気を取り直した。
「比較」
妖精ちゃんが表示する。
📊 現在の品質基準と、新商品で必要になる品質基準
📊 試作品と量産品で想定される品質差
📊 既存品と比べた保証範囲
📊 現在の検査方法と、新たに必要になる検査方法
田中君は頷く。
「営業とも技術とも違う」
「はい」
「保科部長が比較するのは」
田中君は考える。
「“作れたもの”と、“会社として出していいもの”の差なのか」
妖精ちゃんが少し驚いた顔をした。
✨
「分かりやすいですね」
田中君も、自分で言って少し納得した。
白木部長が、
「作れる」
と言ったとしても。
それだけでは商品として出せない。
同じ品質で作れるのか。
不良を見つけられるのか。
何を保証するのか。
顧客へ約束してよい性能なのか。
そこを見るのが保科部長だった。
次。
⚠️ 【保科部長のデメリット】
量産時に品質がばらつく可能性
現時点では保証できない性能がある
検査方法が確立していない項目がある
不良を見逃す可能性
顧客要求を満たせない可能性
田中君がぽつりと言う。
「これ、失敗すると一番怖いかもな」
「どうしてですか?」
「売れなかったら商売にならない」
「はい」
「作れなかったら納品できない」
「はい」
「でも、作って売ったものが不良だったら……」
妖精ちゃんが頷く。
「顧客へ出たあとに問題になりますね」
「会社の信用まで落ちる」
「はい」
田中君は少し真剣な顔になる。
「だから保科部長、簡単にはOK出さないんだな」
そして。
✅ 【保科部長の判断材料】
現時点で重大な品質リスクが見えていないか
次の品質試験へ進めてよいか
追加で確認しなければならない項目は何か
現時点で保証できる範囲はどこまでか
保科部長用も。
必要な情報だけに絞られた。
「比較・デメリット・判断材料」は同じ。でも中身は全部違う
田中君と妖精ちゃんは、三人分を横へ並べた。
📘 黒田営業部長
📊 比較
→ 競合や既存の選択肢と比べて、顧客に選ばれる理由があるか
⚠️ デメリット
→ 価格、需要、競合との差、顧客に価値が伝わらない可能性
✅ 判断材料
→ 顧客へ提案し、市場確認を進める価値があるか
📗 白木技術部長
📊 比較
→ 現在の設備・工程と比べて、どう変わるのか
⚠️ デメリット
→ 設備能力不足、工程負荷、量産時の不安定、供給能力低下
✅ 判断材料
→ 技術検証・試作を進め、量産化を検討できる見込みがあるか
📙 保科品質部長
📊 比較
→ 現在の品質基準や既存品と比べて、何を保証する必要があるか
⚠️ デメリット
→ 品質ばらつき、未確認性能、検査不足、不良流出の可能性
✅ 判断材料
→ 品質検証を進め、会社として保証できる状態へ近づけるか
田中君が腕を組んだ。
「枠は全部同じなんだな」
「はい」
「比較」
「はい」
「デメリット」
「はい」
「判断材料」
「はい」
「でも中身は、ほとんどかぶってない」
妖精ちゃんが頷く。
「三人が別々の責任を持っているからですね」
田中君は三冊を見る。
ここまで来て。
ようやく分かった。
相手に合わせるというのは、相手が喜びそうな内容へ変えることではない。
営業部長だから、良い市場情報だけを見せる。
技術部長だから、簡単に作れそうな情報だけを見せる。
品質部長だから、安全そうな情報だけを見せる。
そんなことではない。
むしろ。
その人が責任を持って判断するために、良い情報も悪い情報も一緒に渡す。
田中君が言った。
「相手に合わせるって、都合のいい資料を作ることじゃないんだな」
妖精ちゃんが頷く。
「はい」
「その人が一番判断しなきゃいけないところを、分かりやすくする」
「そうですね」
「メリットだけじゃなくて」
「デメリットも」
「比較して」
「はい」
「最後に、その人が判断できる材料を置く」
「はい!」
妖精ちゃんの後ろに、大きく表示された。
✨ 【相手別に見せ方を変える】
📌 事実は変えない
📌 都合の悪い情報を隠さない
📌 その人が責任を持つ部分を詳しくする
田中君が満足そうに頷いた。
「これならいい」
三人分を合わせたら、企画書が急にコンパクトになった
田中君と妖精ちゃんは、最後の整理へ入った。
最初に。
📄 共通企画
そこへ、
📘 黒田部長用・営業判断セット
📗 白木部長用・技術判断セット
📙 保科部長用・品質判断セット
を付ける。
すると。
最初に作った、
📚 超巨大な企画書
とは比べものにならないほど。
すっきりした。
田中君は最初の「辞書」を開く。
スクロール。
スクロール。
スクロール。
スクロール。
「長い……」
次に。
新しく整理した企画書を見る。
共通。
営業。
技術。
品質。
必要なところが、すぐ分かる。
✨
田中君が思わず笑った。
「同じ情報を使ってるのに」
「はい」
「全然違う資料みたいだ」
妖精ちゃんも嬉しそうに頷く。
「情報量そのものより、整理の仕方が変わりました」
「最初は全部入れれば詳しくなると思ってた」
「はい」
「でも詳しくしたら、誰も読めないくらい長くなった」
「はい」
「そこで削ろうとした」
「はい」
「でも、ただ削るだけじゃなくて」
田中君は三人分を指さす。
「誰が何を見るのかで分けた」
妖精ちゃんが笑顔になる。
😊✨
「ようやく“辞書”から戻りましたね」
田中君は、完成した企画書を持ち上げた。
「よし。今度こそ、企画書になった」
そして。
満足そうに椅子へ座り直した。
数秒後。
「…………」
田中君は、そのまま背もたれへ沈んだ。
妖精ちゃんも机の上へ座る。
「田中さん?」
「疲れた……」
「私もです……」
企画書は。
かなりコンパクトになった。
頭の中も。
かなり整理された。
ただし。
二人の体力だけは。
まったく回復していなかった。

第9章 へばった田中君と、なぜか見えている妖精ちゃん
「お前、また全部入れたんじゃないだろうな」
企画書の整理を終えた田中君は、完全にへばっていた。
黒田部長用。
白木部長用。
保科部長用。
三人分を作り。
そこから共通部分を抜き出し。
さらに、
📊 比較
⚠️ デメリット
✅ 判断材料
まで整理した。
最初に作った、あの分厚い“辞書”とは比べものにならない。
かなり見やすくなった。
かなり分かりやすくなった。
そして。
かなり疲れた。
田中君は、完成した企画書を抱えながら歩いていた。
足取りが重い。
「…………」
妖精ちゃんも、いつものように元気よく飛んではいない。
田中君の肩の高さくらいを、
ふらふら。
ふらふら。
「田中さん……」
「んー……」
「歩けますか……」
「歩いてる……」
「そうでした……」
二人とも。
完全に電池切れ寸前だった。
そんな田中君を見つけたのが、林さんだった。
「おい、大丈夫か?」
田中君がゆっくり顔を上げる。
「……林さん」
林さんが怪訝そうな顔をする。
「なんだ、その顔」
「企画書……作ってました」
「それは見りゃ分かる」
林さんは田中君が抱えている資料を見る。
少し嫌な予感がしたのか。
眉をひそめる。
「田中君……」
「はい……」
「また全部入れたんじゃないだろうな」
田中君の動きが止まった。
「…………」
林さんも止まる。
「おい」
「…………最初は」
「やっぱりかよ!」
田中君が慌てて手を振る。
「いやいやいや! 今回は途中で気づいたんですよ!」
「途中?」
「はい!」
林さんは半信半疑のまま企画書を見る。
「何に気づいた?」
田中君は少しだけ姿勢を直した。
「三人の部長から言われたこと、最初は全部入れようとしたんです」
「うん」
「そしたら、とんでもなく分厚くなって」
「だろうな」
「企画書っていうより……」
田中君は少し言いにくそうにする。
「辞書みたいになって」
林さんが吹き出した。
「辞書?」
「笑わないでくださいよ」
「いや、田中君らしいなと思って」
「そこ褒めてないですよね?」
「褒めてない」
田中君が肩を落とす。
今回は、途中で自分から止まった
そこへ佐藤さんもやってきた。
「何の話だい?」
林さんが答える。
「田中君がまた全部盛りやったらしいです」
田中君がすぐ訂正する。
「最初だけです!」
佐藤さんが田中君を見る。
「最初だけ?」
「今回は途中で、これじゃ駄目だって気づいたんです」
佐藤さんの表情が少し変わる。
「ほう.…」
田中君は企画書を開いた。
「三人とも必要なところは共通にして」
ページをめくる。
「そのあと黒田部長用」
次。
「白木部長用」
次。
「保科部長用」
佐藤さんが資料を受け取る。
黙って確認する。
田中君は少し緊張した。
林さんも横からのぞき込む。
佐藤さんが言った。
「共通部分と個別部分を分けんだね」
「はい」
「個別は?」
「それぞれ、比較とデメリットと判断材料を入れました」
佐藤さんがさらにページを見る。
「黒田部長は営業」
「はい」
「白木部長は技術」
「はい」
「保科部長は品質」
「はい」
少し沈黙。
田中君がそわそわする。
「どうですか?」
佐藤さんは資料を閉じた。
「まだ整理の仕方は荒いところもあるけど」
田中君の肩が少し下がる。
「……はい」
佐藤さんは続けた。
「でも」
田中君が顔を上げる。
「誰に渡す資料なのかは、ちゃんと考えるようになったね」
田中君の目が少し大きくなる。
「……本当ですか?」
「前だったら、調べたもの全部入れて終わってただろうね」
林さんが横から言う。
「間違いない」
「林さん!」
佐藤さんも少し笑う。
「今回は、途中で自分から止まったんだよね?」
「はい」
「だったら前より進んでるよ」
田中君は少し照れくさそうに頭をかいた。
「三人分作ってから気づいたんですけどね……」
林さんが即座に返す。
「そこは相変わらずだな」
「だから最後まで褒めてくださいよ!」

「でも前より頑張ってるじゃない」
そのやり取りを見ていたまゆみさんが、少し笑いながら口を開いた。
「でも、前よりちゃんと考えてるじゃない」
田中君が振り返る。
「まゆみさん」
「だって前だったら」
まゆみさんは林さんを見る。
「全部詰め込んで、そのまま持っていってたんでしょ?」
林さんが即答する。
「やってたな」
田中君が反論する。
「そこまでじゃないですよ!」
佐藤さんが横から、
「いや、多分やってたと思う」
「佐藤さんまで!、ひどい!!」
まゆみさんが笑う。
😊
「でも今回は、自分でおかしいって気づいたんでしょ?」
「まあ……はい」
「だったら成長してるじゃない」
田中君は少し黙った。
こういうふうに、まっすぐ言われると。
なんだか照れる。
「……ありがとうございます」
林さんがニヤニヤしている。
「珍しく素直だな」
「疲れてるんで反論する元気がないんですよ」
「なるほど」
そのとき。
まゆみさんが田中君の横へ視線を移した。
そして。
何気なく言った。
「そっちも大変だったわね」
田中君が止まる。
林さんも止まる。
佐藤さんも止まる。
「…………」
まゆみさんだけが普通の顔をしている。
田中君がゆっくり口を開いた。
「……そっち?」
「うん」
まゆみさんは田中君の横を指さした。
「AI妖精ちゃん」
田中君。
「…………」
林さん。
「…………」
佐藤さん。
「…………」
妖精ちゃん。
「…………」
数秒。
田中君と妖精ちゃんが同時に叫んだ。
「見えてるの!?」

「え? AIのマスコットキャラクターでしょ?」
まゆみさんは、きょとんとした。
「え?」
田中君が妖精ちゃんを指さす。
「妖精ちゃん、見えてるんですか?」
「見えてるよ」
「いつから!?」
「前から」
「前から!?」
林さんが田中君を見る。
「おい田中」
「はい」
「何の話だ」
佐藤さんも困惑している。
「私にも説明してほしい」
田中君は二人を見る。
次にまゆみさんを見る。
「林さんたち、AI妖精ちゃん見えてないんですよ」
まゆみさんの目が丸くなる。
「え?」
今度はまゆみさんが林さんを見る。
「見えてないの?」
「何が?」
まゆみさんは妖精ちゃんを指さす。
「そこにいるじゃない」
林さんが何もない空間を見る。
「…………」
佐藤さんも見る。
「…………」
何もない。
少なくとも。
二人には。
何も見えない。
林さんが言った。
「まゆみ」
「なに?」
「何が見えてる?」
まゆみさんは不思議そうな顔をした。
「AIのマスコットキャラクター」
林さん。
「…………は?」
佐藤さん。
「AIマスコット!?」
「うん」
まゆみさんは妖精ちゃんを見る。
「こういうAIキャラクター、最近あるでしょ?」
田中君が頭を抱えた。
「いや、そういうのとはちょっと違うんだけど……」
妖精ちゃんも困った顔をする。
😥
「私も、田中さんにしか見えないと思っていました」
まゆみさん。
「そうなの?」
妖精ちゃん。
「はい」
まゆみさん。
「へえ」
田中君が思わず突っ込む。
「反応軽っ!」
妖精ちゃん、初めて田中君以外に愚痴る
まゆみさんは、改めて妖精ちゃんを見る。
「でも大変だったでしょ?」
妖精ちゃんが首を傾げる。
「何がですか?」
「田中君」
田中君が振り返る。
「え?」
まゆみさんは、ごく普通の顔で言った。
「田中君って頑張り屋だけど」
少し笑う。
「いい加減なところもあるから大変そう」
田中君。
「ちょっと待ってください」
妖精ちゃん。
「そうなんです!」
田中君。
「え?」
妖精ちゃんが急に元気になる。
「本当に大変なんです!」
「妖精ちゃん?」
「必要な情報をくれないのに」
妖精ちゃんは田中君を指さした。
「“いい感じにして”とか」
「…………」
「“分かるでしょ”とか」
「…………」
「“AIなんだから考えてよ”とか!」
田中君が慌てる。
「ちょ、昔の話まで出さなくていいだろ!」
まゆみさんは妖精ちゃんへ同情するように頷く。
「それは大変ねえ」
「そうなんですよ!」
妖精ちゃんは、ここぞとばかりに続ける。
「情報が足りないと言ったら怒られて!」
「…………」
「一般論で補ったら勝手に決めるなと言われて!」
「…………」
「情報を全部入れたら今度は多すぎると言われて!」
「それ僕だけのせいじゃないだろ!」
「私の頭の中もパンクします!」
妖精ちゃんが、まゆみさんの方へ身を乗り出した。
「助けてください!」
田中君。
「おい!」
林さん。
「…………」
佐藤さん。
「…………」
二人には。
田中君とまゆみさんが、
誰もいない空間を相手に会話しているようにしか見えていない。
林さんが佐藤さんへ小声で言った。
「……俺、帰っていいですか?」
佐藤さんも小声で返す。
「私もそうしたい」

「それじゃ、田中君のAI妖精ちゃんじゃなくなっちゃうね」
まゆみさんは少し考えた。
「助けるのはいいけど」
妖精ちゃんの顔が明るくなる。
✨
「本当ですか!?」
「うん」
田中君が慌てる。
「ちょっと待ってください!」
まゆみさんは続けた。
「でも」
少しだけ首を傾げる。
「私が全部教えちゃったら」
妖精ちゃん。
「はい」
「田中君が自分で考えなくなるんじゃない?」
妖精ちゃんが止まった。
「…………」
田中君も止まる。
まゆみさんは笑いながら言った。
「それじゃ、田中君のAI妖精ちゃんじゃなくなっちゃうね」
妖精ちゃん。
「…………」
田中君。
「…………」
しばらく二人とも黙っていた。
妖精ちゃんが、ゆっくり田中君を見る。
田中君も妖精ちゃんを見る。
「……確かに」
「そうですね……」
まゆみさんが微笑む。
「大変だろうけど、二人でやるから意味があるんでしょ?」
妖精ちゃんは少し考えて。
そして。
😊✨
「では、もう少し田中さんを頑張って教育します!」
田中君がすぐに返す。
「教育って言うな!」
まゆみさんが笑う。
林さんが頭を抱える。
「だから誰と話してるんだよ!」
佐藤さんは、もう考えるのを諦めたようだった。
「林君」
「なんでしょうか?」
「たぶん、深く考えない方がいい」
「……そうですね」
完璧じゃない。でも、前よりは一歩進んだ
田中君は、改めて完成した企画書を見る。
最初からうまくできたわけではない。
三人の要望を全部詰め込んだ。
辞書みたいになった。
三人分を別々に作った。
同じところを三回作った。
疲れた。
また作り直した。
効率がいいとは、とても言えない。
それでも。
今回は。
誰かに、
「全部入れるな」
と言われる前に。
途中で自分から止まれた。
誰に渡すのかを考えた。
共通する情報をまとめた。
相手ごとに必要な情報を分けた。
そして。
メリットだけではなく。
デメリットも。
比較も。
判断材料も。
一緒に渡そうと考えた。
田中君は企画書を閉じた。
「まあ」
林さんが見る。
「なんだ?」
田中君は少し笑った。
「前よりは、ちょっとマシになったってことでいいですかね」
林さんは鼻で笑う。
「三人分作ってから気づいたけどな」
「そこはもういいですよ!」
まゆみさんが笑う。
「でも、ちゃんと気づいたじゃない」
佐藤さんも頷いた。
「それだけでも十分だ」
田中君は少しだけ胸を張った。
妖精ちゃんも。
田中君の横で、少しだけ誇らしそうな顔をしていた。
😊✨
ただし。
田中君たちは知らない。
そのころ。
三人の部長が。
田中君の企画書を手に。
また何かを考え始めていることを――。

第10章 終章――三人の部長は、また悪い顔をしていた
田中君の企画書を、三人が見比べる
数日後。
会議室の机の上には、田中君が提出した企画書が並んでいた。
📄 三人に共通する企画書
📘 黒田営業部長用
📗 白木技術部長用
📙 保科品質部長用
以前のような、
📚 何でもかんでも詰め込んだ“辞書”
ではない。
三人が共通して知っておかなければならない情報は、一つにまとめられている。
そのうえで。
営業。
技術。
品質。
それぞれの責任者が、自分の担当について判断するための情報だけが分けられていた。
黒田部長が、まず共通部分をめくる。
「企画の目的」
ペラッ。
「顧客の課題」
ペラッ。
「今回、どこまで判断するのか」
さらにページをめくる。
そして。
黒田部長専用のページへ入った。
📊 競合との比較
⚠️ 営業上のデメリット
✅ 次の市場確認へ進めるための判断材料
黒田部長の口元が、少しだけ上がる。
「……へえ」
隣では、白木部長が自分用のページを確認していた。
📊 設備・工程の比較
⚠️ 量産時に想定される問題
✅ 試作・技術検証へ進めるための判断材料
さらに。
保科部長も、自分用の品質資料に目を通している。
📊 品質基準との比較
⚠️ ばらつき・未確認性能・保証上のリスク
✅ 次の品質検証へ進めるための判断材料
三人とも。
しばらく無言だった。
ページをめくる音だけが、会議室に響いている。
ペラッ。
ペラッ。
ペラッ。
やがて。
黒田部長が企画書を閉じた。
「どうだ?」
白木部長は、まだ資料を見ながら答える。
「俺が見たいところは、ちゃんと残ってる」
「余計なものは?」
「少ない」
保科部長も穏やかな顔で頷いた。
「こちらも分かりやすいですねえ」
黒田部長が保科部長を見る。
「品質の情報、削られすぎてないか?」
「いえ」
保科部長は自分用のページを指さす。
「私が今回判断するには、これで十分ですよ」
「へえ」
今度は白木部長が黒田部長へ聞く。
「お前の方は?」
「問題ない」
黒田部長は営業用のページを軽く叩いた。
「競合との差もある」
「顧客から見た弱点もある」
「売れそうです、だけで終わってない」
少し笑う。
「ちゃんと、俺が判断する材料になってる」
「全部入れてきたら、まだまだだと思ったんだがな」
白木部長は、共通部分と三人分の個別資料を並べた。
「最初に渡した要求」
「うん」
「ずいぶん減ったな」
黒田部長が笑う。
「俺たち、結構言ったからな」
「お前が一番言ったんだろ」
「営業は欲しい情報が多いんだよ」
保科部長が柔らかく笑う。
「私も、かなりお願いしましたけどねえ」
白木部長が保科部長を見る。
「お前、笑顔で一番細かいこと言ってたぞ」
「品質ですから」
「便利な言葉だな、それ」
三人が少し笑う。
そして。
黒田部長が、田中君の企画書をもう一度見る。
「正直なところ」
白木部長が顔を向ける。
「なんだ?」
黒田部長は答える。
「全部そのまま詰め込んで持ってきたら」
少し間を置く。
「田中も、まだまだだなと思ってた」
白木部長が頷く。
「俺もだ」
保科部長も。
「そうですねえ」
黒田部長は、共通部分を指で叩く。
「でも」
「途中で気づいたらしい」
白木部長が言う。
「しかも、ただ削っただけじゃない」
黒田部長用。
白木部長用。
保科部長用。
三冊を順番に見る。
「誰が何を見るのかまで分けた」
保科部長が続ける。
「都合の悪い情報も残っていますねえ」
「そこだな」
黒田部長が頷いた。
営業上のデメリット。
技術上の問題。
品質上のリスク。
どれも消されてはいない。
むしろ。
その責任者が一番気にしなければならない場所に、きちんと置かれていた。
三人が欲しかったのは「正解」ではなかった
白木部長は腕を組んだ。
「最初から、この形を教えてやることもできたけどな」
黒田部長が笑う。
「それじゃ意味ないだろ」
「そう言うと思った」
保科部長が二人を見る。
「でも、正解を当ててもらおうとしていたわけではないですよね」
黒田部長が頷く。
「ああ」
白木部長も続ける。
「企画書なんて、会社や案件が変われば必要なものも変わる」
「今回の形だけ覚えても仕方ない」
保科部長が言う。
「大事なのは」
少し間を置く。
「情報が多すぎると気づけるか」
「誰が判断するのかを考えられるか」
「分からなければ、もう一度整理できるか」
黒田部長が笑う。
「田中には、その方が向いてる」
白木部長が横目で見る。
「また課題を投げる気か?」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔がそう言ってる」
今回、田中君が覚えたこと
そのころ。
田中君は、自分の席でぼんやりと企画書の控えを眺めていた。
隣では妖精ちゃんが、まだ少し疲れた顔をしている。
「妖精ちゃん」
「はい」
「今回さ」
「はい」
「最初に部長たちからいっぱい言われたとき」
「はい」
「全部入れなきゃ駄目だと思った」
「そうでしたね」
「情報は多い方がいいと思ってた」
「はい」
「でも、多すぎると何を見ればいいか分からなくなった」
妖精ちゃんが頷く。
田中君は指を一本立てる。
☝️ 一つ目。
「情報が多ければいいわけじゃない」
二本目。
✌️ 二つ目。
「同じ企画でも、見る人によって必要なところが違う」
三本目。
🤟 三つ目。
「三人とも必要なものは共通にして」
四本目。
「その人だけ詳しく知る必要があるところを分ける」
妖精ちゃんが続ける。
「さらに」
田中君が見る。
「何?」
妖精ちゃんが三つの表示を出す。
📊 比較
⚠️ デメリット
✅ 判断材料
「良いところだけではなく」
「悪いところも」
「比べる材料も」
「最後に、その人が判断できる材料も」
田中君が頷く。
「そうだった」
妖精ちゃんが少し笑う。
😊
「今回はかなり整理できましたね」
田中君も笑う。
「三冊作ってからだけどな」
「はい」
「そこは否定してよ」
「事実なので」
「またそれか」
AIを使えば速くなる。でも、考えなくてよくなるわけではない
田中君は、少し真面目な顔になった。
「あとさ」
「はい」
「今回、一番びっくりしたの」
「何ですか?」
「二回目、三回目になると、めちゃくちゃ速くなったこと」
妖精ちゃんが頷く。
黒田部長用では。
何を比較するのか。
何をデメリットとするのか。
判断材料とは何なのか。
そこから二人で考えた。
白木部長用では。
一度作った手順を使えた。
そして。
保科部長用では。
ほとんど合言葉だけで進んだ。
田中君が言う。
「同じような作業って、一回やると次が速いんだな」
「はい」
「AIに一回整理の仕方を伝えて」
「はい」
「僕もやり方を覚えて」
「はい」
「二回目、三回目でどんどん短くなる」
妖精ちゃんが頷く。
「ただし」
「うん?」
妖精ちゃんは田中君を見る。
「田中さんは、ものすごく疲れました」
「それな」
田中君は机へ肘をついた。
「時間は短くなってるのに」
「はい」
「頭はどんどん疲れていった」
「ずっと判断していましたからね」
比較する。
選ぶ。
削る。
残す。
確認する。
修正する。
また判断する。
AIがすぐ返す。
だから。
またすぐ考える。
田中君は小さく息を吐いた。
「AIで短縮できるのは、作業時間であって、“考えなくていい”ってことじゃないんだな」
妖精ちゃんが頷いた。
「私は、考える材料を早く出せます」
「うん」
「整理もできます」
「うん」
「でも、何を採用するか」
「うん」
「誰に何を見せるか」
「うん」
「最後に決めるのは田中さんです」
田中君が苦笑する。
「結局、僕の頭も使うんだな」
「はい!」
「そこ元気に言うなよ」
「情報を増やす」から「情報を選ぶ」へ
田中君は、最初に作った分厚い企画書を思い出した。
情報が少なかったころは。
とにかく情報を集めようとしていた。
分からないところを調べる。
一次情報を集める。
AIへ渡す。
それは必要だった。
でも。
情報が増えたあとには。
別の問題が待っていた。
何を使うのか。
何を今は使わないのか。
誰に見せるのか。
どこまで詳しく見せるのか。
田中君は、ぽつりと言う。
「集めるだけじゃ終わらないんだな」
妖精ちゃんが頷く。
情報不足の次に待っていたのは、情報過多だった。
そして。
大量の情報を持ったあとに必要になったのは、
さらに情報を増やすことではない。
目的に合わせて、情報を選ぶことだった。
田中君は、ようやくそこまでたどり着いた。
そして、三人の部長は――
再び。
会議室。
黒田部長が、田中君の企画書を机の中央へ置いた。
「さて」
白木部長が嫌そうな顔をする。
「なんだ、その“さて”は」
「今回、ここまでできた」
「そうだな」
「だったら」
黒田部長が、机の横に置いてあった別の資料を一枚取り出した。
白木部長が目を細める。
「……お前」
保科部長も興味深そうに資料を見る。
「次の課題ですか?」
黒田部長が笑う。
😏
「せっかく田中も、ここまで考えられるようになったんだ」
白木部長がため息をつく。
「また何かやらせる気だな」
「次はもう一段だ」
保科部長も。
いつもの穏やかな顔のまま。
少しだけ。
悪い笑みを浮かべる。
😏
「それでは、今度は――」
黒田部長。
白木部長。
保科部長。
三人が机の上の資料を見る。
そして。
顔を見合わせた。
「次は、この課題だな」
三人の顔に。
また。
楽しそうな笑みが浮かんだ。

😈✨
そのころ田中君は。
そんなこととはまったく知らず。
自分の机で椅子に深く沈み込みながら、妖精ちゃんへ言っていた。
「しばらく企画書は見たくないな……」
妖精ちゃんも、机の上にぺたんと座ったまま答える。
「私もです……」
田中君。
「次は、もう少し楽な仕事がいいな」
妖精ちゃん。
「そうですね……」
二人とも。
心の底から。
そう願っていた。
しかし。
その願いが叶うかどうかは――。
三人の部長だけが知っていた。
✨田中君シリ-ズです。ご興味がございましたらお楽しみください。
田中君シリーズを応援してください
今回も田中君は、便利なAIへ全部丸投げしようとして、林さんと佐藤さんに止められてしまいました。
これからも、田中君たちは失敗しながら、AIとの安全で便利な付き合い方を学んでいきます。
「続きを読んでみたい」「今回の記事が役に立った」と感じていただけましたら、スキ、コメント、チップで応援していただけるとうれしいです。
皆さまからの応援は、田中君のおやつ、林さんの胃薬、佐藤さんのコーヒーブレイクに使わせていただきます。
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