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Minervaが指し示す、「冒険」としての組織のつくりかた|越境とは、組織の祈りと個人の衝動を出会わせるための仕組みかもしれない

こんにちは。德田 行伸と申します。 越境学習をテーマにしたシリーズの第7回、最終回です。

第1回では組織の「冷却装置」と越境しないリスクについて、
第2回ではザワザワという感情の意味について、
第3回では越境の効果が「場」に宿ることについて書きました。

また、第4回ではホームが増える旅としての越境を、
第5回では帰還者の孤独を、
第6回では翻訳というホーム更新の技術を扱いました。

最終回の今回は、これらすべてを貫く一つの問いについて書いてみたいと思います。

それは、「そもそも、私たちは組織というものをどういう世界だと思っているのか」という問いです。


1. 組織の「世界観」という見えない前提

私は普段、組織変革のコンサルティングに携わっています。 その中で繰り返し感じるのは、組織が抱える多くの問題の根っこには、戦略やスキルの問題よりも前に、「この組織は世界をどう捉えているか」という世界観の問題がある、ということです。

MIMIGURIの代表である安斎勇樹が提唱している概念に、「軍事的世界観」と「冒険的世界観」という対比があります。

軍事的世界観とは、組織を「戦場」として捉える見方です。 そこでは、明確な敵がいて、正解の戦略があり、それを効率的に遂行することが求められる。人は「人材」と呼ばれ、「適材適所」に配置され、計画通りに機能することが期待される。成果は勝敗で測られ、上位者の指示に従うことが美徳とされる。

一方の冒険的世界観とは、組織を「冒険の旅」として捉える見方です。 そこでは、目的地は完全には見えておらず、道中で問いが変わることもある。
人は「仲間」であり、それぞれが異なる衝動と好奇心を持っている。不確実性は排除すべきノイズではなく、むしろ探究の源泉として面白がられる。

この二つの世界観は、どちらが正しいという話ではありません。 軍事的世界観が有効に機能する場面は今でもたくさんあります。

ただ、このシリーズで書いてきた「越境学習」の話を振り返ると、越境がうまく機能しない組織の多くは、軍事的世界観に強く縛られているケースが多いと感じるのです。

第1回で書いた「冷却装置」は、軍事的世界観における効率追求の帰結です。 第5回で書いた「帰還者の孤独」は、計画通りに機能することを求める組織が、異質な経験を持ち帰った人を「はみ出し者」として扱ってしまう力学から生まれます。

つまり、越境学習がうまくいかないのは、越境のやり方の問題ではなく、越境を受け入れる側の世界観の問題なのかもしれない、と。


2. Minervaという「冒険」の実験

Hondaの探究創造プログラム「Minerva」を、この世界観の枠組みで捉え直してみたいと思います。

Hondaには、「ワイガヤ」という独自の対話文化が根づいています。 立場や役職に関係なく、本音でぶつかり合う議論の文化。これはHondaのDNAとも言えるものですが、Minervaはこの文化を現代的に再解釈し、さらに拡張しようとする試みでもありましたでした。

Minervaの参加者たちは、「人と技術の関係性を考えよ」という大きなテーマのもと、「狩猟」「水とケア」「つくる」といった、自分たちの日常業務とは全く異なるフィールドに飛び込みました。

ここで起きていたことは、このシリーズで書いてきたプロセスそのものです。

未知のフィールドで「ザワザワ」を味わい(第2回)、その不安を急いで解消せずに留まり、自分の前提を問い直す。越境先で出会った人や場所が「放っておけない」存在になっていく(第4回)。そして帰ってきたあとも、得たものを組織の文脈に翻訳し、ホームを更新していく(第6回)。

ただ、Minervaが示した最も重要なことは、個別のプロセスの巧みさではなく、大企業がこうした「冒険」に公式に投資した、という事実そのものだと私は考えています。

「効率的に正解を出すこと」が最も評価される軍事的世界観の中で、「答えのない問いに向き合い、不確実性の中で探究すること」に組織としてリソースを割く。 それは、組織の世界観そのものを書き換えようとする試みです。


3. 「人が歯車として扱われない」とは、どういうことか

冒険的世界観のもとでは、人の捉え方が根本的に変わります。

軍事的世界観では、人は「優秀な人材」として「確保」される対象です。組織の計画に合致する能力を持っているかどうかで評価され、適切なポジションに「配置」される。ここでの人は、機能としての存在です。

一方、冒険的世界観では、人は「波長や、遠い目的が合う仲間」として「出会う」存在です。その人が何に心を動かされるのか、どんな衝動を持っているのかが重視され、組織の方向性との「精神的な共鳴」が問われる。

この違いは些細に見えるかもしれませんが、組織の根幹に関わる転換だと思います。

Minervaの参加者たちが見せていた変容は、まさにこの転換の具体例でした。 彼らはフィールドワークを通じて、「会社から与えられたミッション」としてではなく、「自分自身の衝動から湧き上がる問い」として、人と技術の関係性を探究し始めていた。

「やらされている」から「やりたくてたまらない」への変化。 それは、人が歯車として扱われる世界から、一人ひとりの衝動が組織の推進力になる世界への移行を、小さな規模で実現していたのだと思います。


4. このシリーズを通じて見えてきた越境学習の風景

最後に、7回にわたって書いてきた越境学習の議論を、軍事的世界観と冒険的世界観の対比で振り返ってみたいと思います。

軍事的世界観のもとでの越境学習は、「個人のスキルアップのための研修」として位置づけられやすい。正解を学んで持ち帰り、効率を上げることが期待される。
しかし冒険的世界観のもとでは、越境学習は「組織全体の世界観を更新するためのプロセス」として捉え直されます。

ザワザワを味わうのは、正解を見つけるためではなく、自分の前提を揺さぶるため
ホームが増えるのは、活動範囲を広げるためではなく、世界を当事者として感じられる領域を広げるため
翻訳をするのは、成果を報告するためではなく、組織の暗黙のルールを一緒に書き換えるため

越境学習とは、一人の人間が外に出て学んでくる行為ではなく、組織が自らの世界観を問い直し、更新し続けるための仕組みなのだ、と。


Minervaという「祈り」

シリーズの締めくくりに、一つだけ個人的なことを書かせてください。

私はかつて、コンサルタントの仕事を「祈りに立ち会うこと」だと書いたことがあります。 様々な組織や人が持っている「こうなってほしい」という祈りに触れ、その実現にともに力を振るうことが、私にとっての生業の核心だ、と。

Minervaというプロジェクトにも、祈りがあったと感じています。

「人と技術の関係性を考えよ」という問い。それは、技術の進化が加速する時代において、人間が技術の従属物になるのではなく、技術とともに新しい可能性を切り拓いていける世界をつくりたい、という祈りだったのではないでしょうか。

その祈りが、Minervaの参加者たちの越境体験を通じて、一人ひとりの衝動と結びつき、組織の中に新しい対話を生み、場の空気を少しずつ変えていった。

越境学習とは、組織の祈りと、個人の衝動を、出会わせるための仕組みなのかもしれません。

このシリーズが、組織における越境について考えるきっかけの一つになれば嬉しく思います。 そして、このテーマにご興味がある方がおられましたら、ぜひ一緒に探究を続けていけますと幸いです。

7回にわたって、貴重なお時間をいただいてお読みくださり、ありがとうございました。


参考文献

  • 「Hondaの新たな挑戦、探究創造プログラム『Minerva』」(CULTIBASE) https://www.cultibase.jp/videos/honda-minerva

  • 「本田技研工業:『第二の創業』を加速させる組織変革」(MIMIGURI事例紹介) https://mimiguri.co.jp/ayatori/works/minerva1/

  • 「Hondaの探究創造プログラム『Minerva』開催レポート」(note) https://note.com/vlag_yokohama/n/n062833911405

  • 「2023年のMIMIGURIを象徴する6つのキーワード」(安斎勇樹 note) https://note.com/yuki_anzai/n/nc8f8ac0084bd

  • "軍事的"ではない経営はいかにして可能か?「冒険的世界観」を実現するマネジメントを探究する(安斎勇樹 note) https://note.com/yuki_anzai/n/n175f7f299e59

  • 「ストーリーでつながる強い組織」(安斎勇樹) https://www.yhmf.jp/as/postnumber/vol_91_05.html

  • 「『軍隊型』の会社からは人が逃げ出す、新たな組織のカギ」(東洋経済オンライン) https://toyokeizai.net/articles/-/869097

  • 「『冒険する組織のつくりかた』受賞」(MIMIGURI) https://mimiguri.co.jp/news/41/

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