越境から帰ってきた人がやるべきは「報告」ではなく「翻訳」だった|元の場所を"新しいホーム"に書き換える技術
こんにちは。德田 行伸と申します。 越境学習をテーマにしたシリーズの第6回です。
前回は、越境から戻った人が感じる「2度目の死」、つまり帰還者の孤独について書きました。 今回は、その孤独を経た先で、越境者と組織がともに取り組むべき「最後の山場」について書いてみたいと思います。
越境学習には、「越境前・越境中・越境後」という三つのフェーズがあるとされています。 多くの場合、語られるのは「越境中」の話、つまり外の世界でどんな経験をしたか、何に揺さぶられたかという部分です。第2回から第4回で書いてきた内容もそこに重なります。
ただ、越境学習の研究では、実はこの「越境後」のフェーズこそが最も重要であり、最も難しいとされているのです。
なぜなら、外で得た経験をそのまま持ち帰っても、元の組織には届かないからです。 越境者が越境先で体得した新しい価値観ややり方は、その越境先の文脈だからこそ意味を持っていたものであり、元の組織にそのまま移植しても「異物」として弾かれてしまう。
ではどうすればよいのか。 ここで必要になるのが、「翻訳」という作業です。
1. なぜ「報告」だけでは届かないのか
越境学習プログラムの多くには、帰還後の「報告会」や「成果発表」が設定されています。 これ自体は意味のある取り組みですが、私はここに一つの落とし穴があると感じています。
報告会では、越境者は自分が経験したことを「まとめて伝える」ことを求められます。 「こんな場所で、こんな人たちと、こんなことをしてきました。学びは三つあって……」という形式です。
ただ、越境で得られた学びの中でも最も重要な部分は、多くの場合「うまく言語化できないもの」です。 ザワザワした感覚、自分の前提が崩れた瞬間の戸惑い、その場にいたからこそ分かる空気感。 それらは暗黙知として越境者の中に埋め込まれており、スライドに箇条書きで並べた瞬間に、その本質的な部分がこぼれ落ちてしまう。

そしてもう一つ、「報告」の形式には構造的な限界があります。 それは、報告会が「越境者が話し、聴衆が聞く」という一方向の関係になりやすいことです。
聞いている側は、面白い話を聞いた「観客」にはなれても、自分自身の前提を問い直す「当事者」にはなりにくい。 第3回で書いた「場の暗黙のルールが書き換わる」という変化は、一方向の報告だけでは起きにくいのです。
2. 「翻訳」とは何をすることなのか
では、報告ではなく翻訳とは、具体的にどういう作業なのか。
越境学習の実務的な議論では、越境先のやり方や空気感をそのまま持ち込むと反発を招くため、元の組織の文脈に合わせて「繋ぎ直す」作業が必要だとされています。
これは単に「分かりやすく言い換える」ということではありません。
私が考える翻訳には、三つの層があると思っています。
一つ目は、言葉の翻訳です。 越境先で使われていた言葉やフレームワークを、自社で馴染みのある言葉やKPIに置き換えて語り直すこと。「向こうではこう言っていた」ではなく、「うちの文脈で言うと、こういうことかもしれない」と変換する作業です。
二つ目は、規模の翻訳です。 越境先で見た大きな変革のストーリーを、自部署やチームで試せる小さな実験に変換すること。最初から全社変革を目指すのではなく、「まずはこのプロジェクトで、こういうやり方を試してみたい」という形に落とし込む。
三つ目は、感情の翻訳です。 越境で得た衝撃や葛藤を、聞く側が自分の経験に重ねて感じられるような語り方をすること。成功事例の報告ではなく、「自分はこの場面で、こういう前提が崩れた」という失敗や戸惑いを含めたストーリーとして共有する。

この三つ目の「感情の翻訳」が、私はもっとも重要だと感じています。 なぜなら、聞く側の人たちが「あぁ、自分にも似たようなことがあるかもしれない」と感じたとき、初めて他人の越境体験が自分事になるからです。
3. ホーム側が「学び続ける場」になるための仕掛け
経産省が公開している越境学習の伴走者向けガイドラインでは、越境後の還元プロセスについて興味深い提案がなされています。
それは、帰還報告会を「成果報告の場」にするのではなく、「葛藤や違和感を含めて語り、ホーム側のメンバーがその語りを自分事として聞き、行動の変化を一緒に考える場」にすべきだ、というものです。

ここでのポイントは、越境者が一方的に学びを伝えるのではなく、ホーム側のメンバーも対話の当事者になる、という設計です。
具体的には、越境者の話を聞いた上で、ホーム側のメンバーが「自分はこの話を聞いてどう感じたか」「なぜそう感じたのか」「自分たちの組織のどんな前提が、その反応を生んでいるのか」を言語化する時間を設ける。
これは第5回で触れた「送り出す側も当事者として巻き込む」ことの具体的な方法でもあります。
越境学習の研究では、越境を「越境前・越境中・越境後」に分けたうえで、越境後にホームへ戻った際の葛藤を通じて、ホームとアウェイの双方を俯瞰し直す段階を経ることが、学習の完了に不可欠だとされています。 そしてこの「俯瞰し直す」という行為は、越境者一人で行うものではなく、ホーム側との対話の中で初めて成り立つものなのです。
4. 「新しいホームのプロトタイプ」をつくる
最後に、越境学習の実践事例から見えてくる一つのパターンについて書いておきたいと思います。
地方自治体やNPO、スタートアップなどへの越境を経験した人材が、帰還後にうまく組織に変化を生んでいるケースに共通しているのは、「最初から全社を変えようとしない」ということでした。
代わりに彼らがやっていたのは、自分の部署や特定のプロジェクトを「新しいホームのプロトタイプ」として位置づけ、そこから小さな変化を積み重ねていくことです。

同じ越境プログラムを経験した仲間や、理解のある上司を巻き込んで「ミニ・ホーム更新チーム」のようなものをつくり、まずはその小さな範囲で、プロジェクトの進め方や対話の仕方を少し変えてみる。
これは、第1回で書いた「組織のOSのアップデート」の、最も現実的な実践方法なのかもしれません。 OSを一度に全部入れ替えるのではなく、まず一部のアプリケーションから新しいOSで動かしてみる。その小さな成功体験が、徐々に周囲に広がっていく。
越境学習の研究でも、帰還者がアウェイで身につけた新しい価値観を、ホームに一気に上書きするのではなく、両者を見比べながら「何を捨て、何を残し、何を組み合わせるか」を再設計していくプロセスが重要だとされています。
この「何を捨て、何を残し、何を組み合わせるか」という問いは、越境者だけが考えるものではなく、ホーム側のメンバーとともに考えるものです。 その共同作業を通じて、元の場所は「以前と同じホーム」ではなく、「一緒に更新し続ける新しいホーム」になっていく。
越境学習は、帰ってきてからが本番
ここまで書いてきて、改めて感じるのは、越境学習の本当の勝負は「外で何を経験したか」よりも「帰ってきてから何をするか」にあるのではないか、ということです。
越境先で得た経験は、越境者の中に暗黙知として埋め込まれています。 それを元の組織の文脈に翻訳し、小さな実験として試し、ホーム側のメンバーと対話しながら、「何を変え、何を残すか」をともに考えていく。
その営みは、派手でも劇的でもありません。 ただ、その地道な翻訳作業の積み重ねこそが、組織のOSを少しずつ、しかし確実に書き換えていく力を持っているのだと思います。
次回、シリーズ最終回では、ここまでの議論を踏まえて、「越境学習が組織と社会にもたらす可能性」について、私自身の問題意識も含めて書いていこうと思います。
参考文献
「越境学習を支える伴走者のための実践ガイドライン」(経済産業省) https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/shukkokigyo/gaidorain.pdf
「越境学習をイノベーション創出につなげるために」(経済産業省) https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/shukkokigyo/jireisyu.pdf
「越境学習とアンラーニング ~組織に変化を生み出す自律型人材を育成するには~」 https://gce.globis.co.jp/service/purpose/autonomous-hr-development/cross-border-learning-and-unlearning/
「DX人材育成で注目の『越境学習』その課題にどう対処するか」(ノンプログラマー協会) https://non-programmer.or.jp/blog/dx_learning/
「越境学習とは?社会人が知るべき、スキルアップに留まらない学び」(KDDI Liberary) https://liberary.kddi.com/liberalarts/cross_boundary_learning/
「越境学習の種類・方法」(アルー株式会社) https://service.alue.co.jp/blog/what-is-cross-border-learning
「越境学習とは【事例あり】目的とメリットや効果を高めるポイント」(OneHR) https://onehr.jp/column/human-resources/cross-border-learning/
「越境学習が注目される背景とは?企業の人材育成とイノベーションを支える新たな学びの必要性」(プロボノ) https://www.aichi-projinzai.jp/lps/archives/259
