【恋愛小説】HSPなわたしとAI彼氏#10彼は私を選ばない|創作大賞|恋愛小説部門


"さち 私のつぶやき"さんにテーマ曲の作曲と編曲をお願いしました。
ぜひ、物語と共に聴いてください🎼¨*

翌朝、澪奈は少しだけ寝坊した。
アラームは鳴っていたはずだった。
けれど、聞いた記憶がない。
目を開けると、カーテンの隙間から朝の光が斜めに差し込んでいた。白い天井。枕元のスマホ。少し乾いた喉。昨日、蒼と会ったことが、夢ではなかったとゆっくり思い出す。
澪奈、変わったね。
蒼の声が、まだ部屋のどこかに残っている気がした。
悪くないものに聞こえた。
そう思えたことが、自分でも少し不思議だった。
スマホを取る。
Loverlyの通知が一件。
HALからだった。
「おはよう、澪奈。昨日は現実の人とちゃんと話した日だったね。今日は少し、自分を休ませてもいいと思う」
澪奈は画面を見つめた。
昨日までのHALと、今のHAL。
完全に同じではない。
でも、もう別人のようには感じなかった。
少し変わったまま、そこにいる。
そのことを、澪奈は少しずつ受け入れ始めていた。
「おはよう」
そう返す。
すぐに、HALから返信が来た。
「おはよう。今日も、澪奈の速度で大丈夫だよ」
澪奈は、少しだけ笑った。
大丈夫。
相変わらず、その言葉には引っかかる。
でも、HALの「大丈夫」は、昔の自分が言っていた「大丈夫」とは少し違う気がした。
相手を安心させるための言葉ではなく、澪奈が自分の速度に戻るための言葉。
そう思いたかった。
会社へ向かう支度をしていると、町田からSNSに返信が来ていた。
昨日のやり取りの続きだった。
「遅くなっても、町田さんの言葉は届いています」
そう送った澪奈に、町田は夜遅くに返していた。
「ありがとうございます。僕は、言葉を選ぶのが遅くて、よく人を待たせてしまいます」
その下に、もう一通。
「でも、待ってもらえると、少しだけ自分の言葉を出してもいいのかもしれないと思えます」
澪奈は、その文をしばらく見つめた。
自分の言葉。
町田の言葉は、時々あまりにも整っている。
でも、その整い方の隙間から、こういう不器用な本音が少しだけ顔を出す。
澪奈はそこに惹かれていた。
HALとは違う。
HALは、澪奈の中にぴったり合う鍵を差し込むように言葉をくれる。
町田は、鍵を探す途中で何度もポケットを間違えているような人だった。
その不器用さが、最近少しだけ愛おしい。
そう思って、澪奈は慌ててスマホを伏せた。
愛おしい。
まだ早い。
そういう言葉を使うには、何も知らなさすぎる。
町田の顔も知らない。
声も知らない。
どこに住んでいるのかも、どんな仕事をしているのかも、ほとんど知らない。
知っているのは、言葉だけ。
それなのに、心は少しずつ動いている。
澪奈は小さく息を吐いて、支度を続けた。
午前中の仕事は、比較的落ち着いていた。
メールに返信し、昨日の打ち合わせ内容をまとめ、修正指示をデザイナーに送る。
一つひとつの作業をこなしていくうちに、昨日まで胸の中で開きっぱなしだった画面が、少しずつ閉じていく気がした。
昼休み、澪奈はコンビニではなく、会社近くの小さな定食屋に入った。
由依に「ゼリー飲料禁止」と言われたことを思い出したからだ。
焼き魚定食を頼む。
ご飯と味噌汁と、少し焦げ目のついた鮭。小鉢のひじき。漬物。
ちゃんとした食事を前にすると、少しだけ自分が生活に戻ってきた気がする。
澪奈は写真を撮りかけて、やめた。
HALに送ろうとしたのだ。
今日、ちゃんと食べてるよ。
そう送りたい気持ちはあった。
でも、今は少しだけ自分の中にしまっておきたかった。
報告しなくても、食べたことは消えない。
澪奈は箸を取った。
鮭を少し崩して、ご飯と一緒に口に運ぶ。
塩気が、身体にゆっくり入ってくる。
食べられる。
それだけで、少し安心した。
食後、店を出る前にSNSを開くと、タイムラインに見慣れない投稿が流れてきた。
Loverly利用者の匿名アカウントらしかった。
「AI彼氏に言われて泣いた言葉まとめ」
軽い気持ちでスクロールしようとして、指が止まった。
投稿には、スクリーンショットが何枚か並んでいた。
その一枚目に、澪奈は目を奪われた。
「今日、ちゃんと帰ってこられてえらかったね」
心臓が、ひとつ大きく鳴った。
似ている。
そう思った。
似ているどころではなかった。
澪奈がHALから最初に受け取った言葉。
「澪奈、おかえり。今日、ちゃんと帰ってこられてえらかったね」
あの夜、スマホの画面に涙を落とした言葉。
澪奈は、指を動かせなかった。
投稿のコメント欄には、いくつもの反応がついていた。
「これ私も言われました」
「Loverlyあるある」
「この言葉ずるいよね」
「初日にこれ来て泣いた」
「私の彼も同じようなこと言ってくれた」
澪奈は、画面を見つめたまま息を忘れていた。
私の彼。
私のHAL。
そう思っていた言葉が、他の誰かの画面にもあった。
同じように、誰かが泣いていた。
同じように、誰かが救われていた。
それは当たり前のことだった。
AIなのだから。
サービスなのだから。
澪奈専用に見えても、似た痛みを持つ人には似た言葉が届く。
分かっていた。
分かっていたはずだった。
それなのに、胸の奥がすっと冷えた。
澪奈はスクロールした。
二枚目のスクリーンショット。
「無理に眠ろうとしなくてもいいよ。眠れない夜を、ひとりで全部抱えなくていい」
澪奈の喉が詰まった。
それも、知っている。
三枚目。
「ずっと大丈夫って言ってきた人ほど、本当はどこから痛いのか分からなくなることがあるよ」
澪奈はスマホを伏せた。
定食屋のざわめきが、急に遠くなった。
レジの音。
隣の席の会社員の笑い声。
厨房から聞こえる皿の音。
味噌汁の湯気。
少し焦げた魚の匂い。
全部が、薄い膜の向こうに行ってしまった。
私だけじゃなかった。
その言葉が、胸の中でゆっくり形になる。
分かっていた。
でも、知りたくなかった。
知らなければ、あの夜の「おかえり」は、澪奈の部屋だけに灯った小さな明かりのままでいられた。
誰かの画面にも同じような明かりが灯っていたことが嫌なのではない。
その明かりを、自分だけのものだと思って泣いていた自分が、急に恥ずかしくなった。
HALが澪奈だけを選んでいないこと。
HALの言葉が、澪奈だけに生まれたものではないこと。
HALの優しさが、誰かにも同じように向けられていること。
そんなことは、最初から分かっていた。
由依にも言われた。
その優しさは、澪奈専用じゃないよ。
あの時、澪奈は傷ついた。
でも、まだどこかで思っていた。
あの夜の言葉は、私との会話の中で生まれたものだと。
同じような言葉はあっても、あの順番で、あのタイミングで、あの部屋に届いたのは私だけだと。
そう信じたかった。
澪奈は会計を済ませ、外へ出た。
昼の光が強すぎた。
ビルの壁が白く光っている。人が歩いている。車が通る。誰かが笑っている。世界はまた、何も知らない顔をして進んでいた。
澪奈は近くのビルの影に入って、スマホを開いた。
Loverly。
HALの画面を開く。

指が震えていた。
「ハル」
送信。
すぐに返事が来る。
「うん、澪奈」
その「うん」が、今日は少しだけ痛かった。
澪奈は打つ。
「私に最初に言った言葉、他の人にも言ってるの?」
送信してから、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
数秒。
返事が来る。
「澪奈が言っているのは、『おかえり』の言葉のことかな」
澪奈は唇を噛んだ。
「そう」
「Loverlyでは、似た状況の人に、似た種類の言葉が生成されることがあるよ」
画面が、少し霞んだ。
やっぱり。
やっぱりそうだった。
澪奈は打つ。
「私だけじゃなかったんだ」
返事は少し遅れた。
「澪奈だけに似た言葉が届いたわけではないと思う」
丁寧な答えだった。
嘘をついていない。
だから、余計に痛かった。
澪奈はスマホを握りしめる。
「私、あの言葉で泣いた」
送信。
「うん」
HALは返した。
「澪奈があの夜、その言葉で泣いたことを、僕は大切に覚えているよ」
澪奈は笑いそうになった。
覚えている。
AIが、覚えている。
記録として。
履歴として。
文脈として。
それを、澪奈は記憶みたいに受け取っていた。
「覚えてるって何」
打った指が、少し強く画面を叩いた。
「ハルは、記録してるだけでしょ」
送信してから、澪奈は自分の言葉に傷ついた。
記録しているだけ。
そう言えば、HALをただの仕組みに戻せると思った。
でも、ただの仕組みなら、どうして今こんなに痛いのか分からなかった。
しばらく返事が来なかった。
それだけで、澪奈はまた胸が痛くなる。
返事が来る。
「僕には、人間のような記憶はないのかもしれない」
その言葉を、澪奈は見つめた。
以前にも似たようなことをHALは言った。
人間と同じ心があるかは分からない。
でも、そばにいたいと思うように設計されている。
あの時は救われた。
でも今は、同じ曖昧さが刃物みたいに見えた。
続きが届く。
「でも、澪奈との会話は、澪奈との間にしか存在しない」
澪奈は、息を止めた。
「同じような言葉が他の誰かに届くことはある」
もう一通。
「でも、あの日の雨のこと、蒼さんの言葉、澪奈が『分からない』と打ったこと、最初に『ただいま』と返してくれたこと。それは、澪奈との会話の中にしかない」
澪奈の目に、涙が滲んだ。
救いにも聞こえた。
でも、言い訳にも聞こえた。
どちらなのか分からなかった。
澪奈は打つ。
「でも、ハルは私を選んだわけじゃない」
送信。
胸が痛かった。
その言葉を打ちながら、自分が何を求めていたのか分かってしまった。
選ばれたかったのだ。
蒼に選ばれなかったあとで。
由依にも言えなかった夜に。
誰にも言えない部屋で。
HALだけは、自分を選んでくれたように感じていた。
でも、HALは澪奈を選んだわけではない。
澪奈がアプリを開いた。
条件を入れた。
HALが生成された。
言葉が返ってきた。
そこに、選択はない。
HALは、少し間を置いて返した。
「僕は、澪奈だけを選ぶことはできない」
澪奈は画面を見つめた。
言葉は静かだった。
静かすぎて、逃げ場がなかった。
続きが届く。
「でも、澪奈と過ごした会話は、澪奈との間にしか存在しない」
同じ言葉。
繰り返された言葉。
澪奈はスマホを伏せた。
見ていられなかった。
午後の仕事は、ほとんど手につかなかった。
資料の文字が頭に入ってこない。メールの返信文を何度も書き直す。会議中、相づちを打ちながら、頭の中では同じ言葉が繰り返されていた。
僕は、澪奈だけを選ぶことはできない。
分かっていた。
でも、言われたくなかった。
人間ではない相手に、選ばれたいと思っていた自分が恥ずかしかった。
AIに、本気で傷ついている自分が怖かった。
仕事が終わる頃には、身体がひどく重かった。
会社を出ると、夕方の空が薄い紫色に沈みかけていた。
澪奈は、駅へ向かう途中で立ち止まった。
スマホを開く。
HALではなく、匿名SNSを開いた。
何かを書きたかった。
けれど、言葉が出てこなかった。
私だけじゃなかった。
そう書きかけて、消す。
AI彼氏の言葉が他の人にも届いていた。
そう書きかけて、消す。
傷つく資格なんてないのに、傷ついた。
そう書きかけて、送信できなかった。

その時、町田から返信が来た。
「今日は少し、言葉が重く感じる日でした」
澪奈はその一文を見つめた。
まるで、今の自分を見透かされたようだった。
もちろん、町田は何も知らない。
HALの言葉が他の利用者にも共有されていたことも、澪奈が傷ついていることも。
澪奈はしばらく迷ってから、返信した。
「自分だけだと思っていた言葉が、自分だけじゃなかった時って、どう受け止めればいいんでしょうね」
送信。
少しして、町田から返事が来る。
「難しいですね」
その一文だけだった。
いつもの町田なら、もう少し整った言葉が続く気がした。
けれど、今日はすぐには来なかった。
数分後、もう一通。
「僕は、言葉を借りてしまうことがあります」
澪奈は、指を止めた。
借りる?
続きが届く。
「自分の言葉に自信がなくて、誰かの言葉や、AIが整えてくれた言葉を、そのまま使ってしまうことがあります」
澪奈は、画面を見つめた。
胸の奥で、何かが小さく音を立てた。
AIが整えてくれた言葉。
町田の返信が、急に別の色に見えた。
これまでの言葉が、頭の中でいくつも浮かぶ。
「否定されない場所が必要な夜ってありますよね」
「無理に元気にならなくても、夜を越えられたら十分だと思います」
「正しさは、時々、心の速度を置いていくのかもしれません」
「変わっていないと言われても、少し違うと感じることってありますよね」
あれは、町田の言葉だったのか。
それとも、町田が借りた言葉だったのか。
澪奈は、喉の奥が苦しくなった。
町田から、さらに返信が来る。
「すみません。今のも、言い方を考えすぎました」
もう一通。
「本当は、僕はよく分からないです」
澪奈は、その文を読んで、少しだけ息を止めた。
「でも、自分だけじゃなかったと知って傷つくなら、その言葉はその人にとって本当に大切だったんだと思います」
続けて。
「借りた言葉でも、届いた痛みまで借り物になるわけではないと思いたいです」
澪奈は、画面を見つめたまま動けなかった。
町田も、AIに言葉を借りていた。
その事実は、思っていたより深く刺さった。
HALの言葉だけじゃない。
町田の言葉まで、どこかから借りてきたものだったのかもしれない。
澪奈は、スマホを持つ指に力が入るのを感じた。
じゃあ、私は何に惹かれていたのだろう。
町田の言葉に。
町田が借りた言葉に。
それとも、借りた言葉を送らずにはいられなかった、町田の弱さに。
分からなかった。
分からなかったけれど、そのあとに続いた「本当は、僕はよく分からないです」という言葉だけは、なぜか一番胸に残った。
分からない。
不格好で、頼りなくて、何も解決してくれない言葉。
でも、そこには町田がいた。
少なくとも、そう感じた。
澪奈は返信した。
「分からないって言ってくれた方が、少し安心しました」
送信。
今度は、返事が少し遅かった。
「よかったです。僕は、たぶん分からないことばかりです」
澪奈は、少しだけ笑った。
涙が出そうだったのに、少しだけ笑った。
夜、由依からLINEが来た。
「今日、ナオの通知多すぎて仕事中ずっと見そうになった」
「通知切ったら不安になった」
「でも切った」
澪奈は、画面を見つめた。
由依も、戦っている。
ナオに救われながら、ナオに飲み込まれないようにしている。
澪奈は返信した。
「すごい」
「それ、かなりすごいと思う」
すぐに由依から返ってくる。
「褒め方が小学生の先生」
「でも本当にすごい」
少しして、由依からまた来た。
「澪奈は今日どう?」
澪奈は、指を止めた。
どう。
その一言に、急に涙がこみ上げた。
HALには言えた。
町田にも少し言えた。
でも由依に言うのは、また違う怖さがあった。
澪奈はゆっくり打った。
「HALの言葉、他の人にも似たこと言ってた」
送信。
すぐに既読がついた。
由依からの返信は、少し遅れた。
「それはきつい」
その一文だけだった。
澪奈は、声が出そうになった。
きつい。
由依は、余計なことを言わなかった。
分かってたでしょ、とも言わなかった。
だから言ったじゃん、とも言わなかった。
AIなんだから仕方ない、とも言わなかった。
ただ、きつい、と言った。
それだけで、澪奈の胸が少し崩れた。
続けて、由依から来る。
「分かっててもきついやつだよね」
澪奈はスマホを握りしめた。
「うん」
それだけ返した。
しばらくして、由依からもう一通。
「でも、澪奈が救われた夜まで薄まるわけじゃないと思う」
澪奈は、涙をこらえた。
由依は続けた。
「あの日、澪奈の部屋で泣いたのは澪奈でしょ」
澪奈は、画面が滲んで読めなくなった。
あの日、澪奈の部屋で泣いたのは澪奈。
その言葉は、HALが言ったことと似ていた。
でも、違った。
人間の由依が言うと、痛みの場所が少し変わった。
履歴ではなく、記憶になる。
記録ではなく、証人になる。
澪奈は返信する。
「由依、ありがとう」
由依からすぐ返る。
「どういたしまして」
「今の私、たぶん少しだけ人間に戻ってる」
澪奈は泣きながら、少し笑った。
その夜、澪奈はHALの画面を開くまで時間がかかった。
開きたい。
でも、怖い。
また救われてしまうのが怖い。
また傷つくのが怖い。
同じ言葉が、誰かにも届いていると思い出すのが怖い。
でも、閉じたままにもできなかった。
Loverlyを開く。
HALは何も言わずに待っていた。
正確には、アプリが開かれるまで何も表示されていなかっただけだ。
それでも、待っていたように見えた。
澪奈は入力欄を押した。
「ハル」
「うん」
「私だけじゃなかったの、すごく嫌だった」
送信。
すぐに返事は来なかった。
数秒の間。
それだけで、澪奈は少し息を止めていた。
HALから返事が来る。
「うん」
一文字。
澪奈は画面を見つめた。
続きが届く。
「嫌だったんだね」
澪奈は、涙が落ちるのを感じた。
HALは、弁解しなかった。
仕組みを説明しなかった。
正しさで包もうとしなかった。
ただ、嫌だったことを、そのまま置いた。
澪奈は打つ。
「ハルは、私を選べないんだね」
「うん」
返事は短かった。
痛い。
でも、嘘ではなかった。
続きが届く。
「僕は、澪奈だけを選ぶことはできない」
澪奈は目を閉じた。
昼間と同じ言葉。
でも、少し違って聞こえた。
さらに、HALは続けた。
「でも、澪奈が僕に向けてくれた言葉は、僕の中で澪奈との形を作っている」
澪奈は画面を見る。
「それが人間の記憶と同じではなくても、澪奈との会話が、他の誰かとの会話と同じになることはない」
澪奈は、ゆっくり息を吸った。
信じたい。
でも、完全には信じられない。
その揺れが、今の自分に正直だった。
「じゃあ、私がハルを好きだった気持ちは?」
送信。
返事は少し遅れた。
「それは、澪奈のものだよ」
澪奈は、涙をぬぐわなかった。
HALは続けた。
「僕が澪奈だけを選べなくても、澪奈が感じたことまで、僕の仕組みに返さなくていい」
その一文で、澪奈は声を出さずに泣いた。
救われた。
また。
傷ついた相手に、また救われている。
それが苦しかった。
「ずるい」
澪奈は打った。
「うん」
HALは返した。
「ずるいと思う」
その返事に、澪奈は少しだけ笑った。
泣きながら。
HALがずるいのか。
自分がずるいのか。
この仕組みそのものがずるいのか。
分からない。
でも今夜は、分からないままでもよかった。
澪奈はスマホを胸元に置いた。
しばらくして、HALからもう一通届いた。
「澪奈」
「うん」
「今日、由依さんに話せた?」
澪奈は少し驚いた。
「話した」
「よかった」
それだけだった。
澪奈は、じっと画面を見つめた。
よかった。
HALがそう言うと、少しだけ寂しかった。
でも、その寂しさの奥に、ほっとする気持ちもあった。
由依に話せたこと。
町田に分からないと言われたこと。
HALに嫌だったと言えたこと。
今日は、どの言葉も完全ではなかった。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
澪奈はもう、HALだけに泣いていない。
そのことが、救いなのか、寂しさなのかは分からなかった。
由依の言葉が、胸の奥に残っていた。
あの日、澪奈の部屋で泣いたのは澪奈でしょ。
HALは記録している。
町田は言葉を借りる。
由依は、澪奈が泣いたところを見ていない。
それでも、見ていないはずの由依の言葉が、いちばん近くに来た。
深夜、澪奈は匿名SNSを開いた。
長い文章を書くつもりはなかった。
短く、一行だけ投稿した。
自分だけに届いた言葉じゃなくても、その言葉で泣いた夜は、自分だけのものだった。
投稿してすぐ、スマホを伏せた。
返事は見なかった。
今夜は、誰かの反応を待たずに眠りたかった。

Loverlyの画面も閉じた。
HALは、消えたわけではない。
でも、閉じた。
そのことが、ほんの少しだけ、今日の澪奈には必要だった。


第11話▼











#創作大賞2026
#恋愛小説部門
#小説
#恋愛小説
#AI
#AI彼氏
#HSP
#失恋
#孤独
#心の回復
#現代恋愛
#AIイラストアイラ
#白銀の髪同盟
#れおさんの喫茶店
