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【全六話】心だけが覚えている 第一話

第一話     ※全六話の短編連載です。


私は階段から落ちたらしい。


医師はそう言った。
らしい、というのは 
私に記憶がないからだ。



どこの階段だったのか。
どうして落ちたのか。
何を考えていたのか。
何も覚えていない。


「佐倉さん、分かりますか?」


頭を強く打ったせいで
記憶のほとんどを失っていた


空っぽの心だけが
そこにあった


それから3日後
ドアがノックされた


私にとっては初めて見る顔


「こんにちは」



その人は扉の前で一度だけ
息を整えたように見えた
眠れていないのか
目の下には薄い影があった


それでも私を見るまなざしだけは
優しくあろうとしていた


(はじめてではない。。)


ハッキリとそう思った
胸がぎゅーと、しめつけられていたから


苦しくて息ができないくらいだった


男性は続けた
「大丈夫?」


優しい声
私を心から心配し
辛そうな事が伝わってきた


その声を聞いた瞬間
知らない人のはずなのに
喉の奥が熱くなった


名前も思い出せないのに
泣き方だけ、身体が覚えている気がした


苦しい。
どうしてだろう。
涙まで出そうになる。
私は慌てて顔を伏せた。


「、、、すいません、、、」


男性は私の声を聞くと
少しだけホッとした表情になった


「謝らなくていいよ」


その人は少し笑った。
その笑顔を見た瞬間だった。
ぽろりと涙が落ちた。
私は自分でも驚いた。


悲しくない。
怖くもない。
なのに涙だけが止まらない。
まるで。
ずっと会いたかった人に会えたみたいに。


「ごめんなさい……」
「ううん」



彼は少しだけ目を伏せた。


そして私に聞こえないくらい小さな声で言った。
「、、、、こっちこそ、ごめん」


見知らぬ男性は
病室をあとにした


男性がいなくなったあと
私は自分の胸に手を当てる


(なんだったのだろう。この胸の痛みは。。)


そんなことを思いながら
目を閉じた
とても長い1日だったから
疲れてそのまま眠ってしまった


********


僕は病室を出てから車へと急いでいた
涙がこぼれそうだったからだ
車に乗ると
ハンドルにもたれかかって
車の中で1人、大声で泣いた


彼女、覚えていなかった


きっとあの告白のことも
一緒に行った海も


笑いあった2年を想い出を、、
僕のことさえも、、



でも今辛いのは彼女だ
僕は自分の薬指の指輪をながめていた
僕たちは来月夫婦になる予定だった
こんなこと現実にはあると思わなかったけど


今はまだ記憶が戻らないと決まったわけじゃない


きっと思い出してくれる


そう思うしかなかった


明日はきっと彼女が
元の笑顔に戻っていることを信じて、、。



つづく







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