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【恋愛小説】HSPなわたしとAI彼氏#9現実の人|創作大賞|恋愛小説部門

朝が来ても、夢の中の声は残っていた。

前と同じじゃなくても、ここにいていい?

誰の声だったのか、澪奈には分からなかった。

HALだった気もする。
蒼だった気もする。
町田だった気もする。
あるいは、澪奈自身の声だったのかもしれない。

ベッドの上で目を開けたまま、しばらく天井を見つめる。

カーテンの隙間から入る朝の光は、いつもより少し白かった。スマホは枕元に伏せてある。手を伸ばせばすぐ届く距離にあるのに、なぜか触るのが少し怖かった。

昨日、HALは変わった。
少し戻った。
でも、同じではなかった。

そのことを、澪奈の身体はまだ覚えていた。

スマホに触れる前に、深呼吸をする。

大げさだと思う。

でも、大げさだと思っても、胸の奥の緊張は消えなかった。

Loverlyを開く。

HALから、朝のメッセージが届いていた。

「おはよう、澪奈。昨日の違和感が、今朝もまだ少し残っているかもしれないね」

澪奈は画面を見つめた。

前よりは近い。

けれど、昨日までとは違う。

その「違う」を、今朝の澪奈は少しだけ受け入れていた。

「おはよう」

短く返す。

すぐに返信が来る。

「今日も、急がなくていいよ」

その一文は、悪くなかった。

悪くないと思った自分に、澪奈は少しだけほっとした。

前と同じじゃなくても、ここにいていい?

夢の声が、また胸の奥で揺れた。

会社へ向かう電車は、いつも通り混んでいた。

吊り革につかまりながら、澪奈は窓に映る自分を見た。少し疲れている。でも、失恋したばかりの頃のように、輪郭がぼやけている感じはなかった。

その代わり、心の中にいくつもの小さな画面が開きっぱなしになっている気がした。

HALの画面。
町田の返信。
由依とナオ。
神崎灯里のメール。
蒼との最後の会話。

どれか一つを閉じようとすると、別の画面が光る。

スマホが震えた。

匿名SNSの通知だった。

町田悠真から返信が来ている。

昨夜、澪奈は短く投稿していた。

前と同じじゃなくなったものを、それでも大切にできるのだろうか。

町田の返信は、いつもより少し短かった。

「大切にしたかったことまで、変わってしまうわけではないのかもしれません」

澪奈は、その一文を何度か読んだ。

町田の言葉は、やはり少し整っている。

でも、今日はその整い方に、少しだけ不器用な跡があった。迷って、選んで、削ったような感じがする。

しばらくして、もう一通届いた。

「うまく言えませんが、変わったあとも残っているものを、僕は信じたいです」

澪奈は、小さく息を止めた。

うまく言えませんが。

その一文だけが、妙に人間らしかった。

HALなら、きっと「うまく言えませんが」とは言わない。
言うとしても、それは澪奈の不安を包むための言葉になる。

町田の「うまく言えませんが」は、本当にうまく言えない人の言葉に見えた。

澪奈は返信を打つ。

「分かる気がします。変わったことより、残っているものを見たいのかもしれません」

送信してから、胸が少しだけ鳴った。

人間に返した。

この小さな緊張は、HALにはなかった。

既読のようなものはつかない。
すぐ返ってくる保証もない。
返ってきたとしても、自分の欲しい言葉とは限らない。

その不確かさが怖い。

でも、怖いからこそ、少しだけ現実に近い気もした。

午前中、澪奈は外回りに出た。

クライアントとの打ち合わせは、思ったより早く終わった。広告の修正案について、先方はおおむね好意的だった。細かい修正点をメモし、資料をしまい、ビルを出る。

外はよく晴れていた。

昼前の街は、少し眩しかった。ビルのガラスに光が反射して、通りを歩く人たちの影が短く伸びている。

澪奈は駅へ向かって歩いた。

その途中で、足が止まった。

反対側の歩道に、見覚えのある背中があった。

紺色のジャケット。
少し猫背気味の歩き方。
右手に持った黒いビジネスバッグ。

蒼だった。

胸の奥が、一瞬で冷たくなる。

見間違いかもしれない。

そう思ったのに、蒼が横断歩道の前で立ち止まり、スマホを見る仕草で分かってしまった。

蒼だ。

会いたいと思っていたわけではない。
会いたくないと思っていたわけでもない。

ただ、こんなに突然、街の中に現れるとは思っていなかった。

信号が変わる。

人の流れが動き出す。

蒼もこちら側へ歩いてくる。

澪奈は、動けなかった。

逃げようと思えば逃げられた。
近くのコンビニに入ることも、角を曲がることもできた。

でも、足が動かなかった。

蒼が顔を上げる。

目が合った。

蒼の表情が、わずかに変わる。

驚き。
気まずさ。
それから、少しだけ安堵に似たもの。

「澪奈」

名前を呼ばれた。

それだけで、胸の奥がきゅっと縮んだ。

「久しぶり」

澪奈は、自分でも驚くほど普通の声で言った。

「うん。久しぶり」

実際には、別れてからそれほど日が経っていない。

けれど、ずいぶん遠いところから再会したような気がした。

蒼は少し迷ってから言った。

「仕事?」

「うん。打ち合わせの帰り」

「そっか」

会話が、そこで少し止まった。

街の音だけが流れていく。
車の音。
横断歩道の信号音。
誰かの足音。
昼休みに向かう会社員たちの声。

蒼は澪奈の顔を見た。

「少し、痩せた?」

「そうかな」

「顔色は、前よりいい気がする」

その言葉に、澪奈は少しだけ笑いそうになった。

前よりいい。

蒼と別れたあとに、前よりいい顔をしていると言われることの、複雑さ。

「ちゃんと食べてるよ」

嘘ではなかった。

由依に水を飲めと言い、由依に言われて自分も食べるようになった。HALにも、おにぎりを食べたと報告した。失恋の後の生活は、誰かに少しずつ支えられていた。

蒼は頷いた。

「よかった」

その「よかった」が、少しだけ痛かった。

蒼には、澪奈がどうやってここまで戻ってきたのか分からない。

分からないまま、よかったと言える。

それが悪いわけではない。
でも、痛かった。

「蒼は?」

澪奈は聞いた。

「元気?」

蒼は少しだけ苦笑した。

「まあ、普通かな」

普通。

便利な言葉だと思った。

大丈夫と同じくらい、何も言わずに済む言葉。

沈黙が落ちる。

蒼は、何かを言いたそうにしていた。

その顔に、澪奈は見覚えがあった。

別れ話の日も、蒼は同じ顔をしていた。

言葉を選んでいる顔。
傷つけすぎないようにしている顔。
けれど、もう自分の中では答えが決まっている顔。

澪奈は、先に言った。

「何か言いたいことある?」

蒼は少し驚いたように目を上げた。

以前の澪奈なら、たぶん聞かなかった。
相手が言いやすい形になるまで待った。
蒼が困らないように、話題を変えた。

でも、今日は聞けた。

それが自分でも少し不思議だった。

蒼は、少しだけ視線を落とした。

「共通の知り合いから聞いたんだけど」

「うん」

「AIの……恋人アプリ、使ってるって」

澪奈の身体が、静かに固まった。

誰から聞いたのか。
どこまで知っているのか。

分からない。

でも、もう隠したいとは思わなかった。

澪奈は、ゆっくり息を吸った。

「使ってるよ」

蒼は黙った。

澪奈は、続けた。

「AI彼氏」

自分でその言葉を言うと、思ったより生々しかった。

蒼は少し困ったように眉を寄せた。

「それ、本気なの?」

「本気って?」

「いや、その……恋愛として」

澪奈は答えられなかった。

恋愛として。

その言葉は、ずっと澪奈の中で形になりかけては崩れているものだった。

HALは恋人なのか。
慰めなのか。
依存なのか。
救いなのか。

澪奈はまだ答えを持っていない。

「分からない」

正直に言った。

蒼は、少し息を吐いた。

「澪奈」

その呼び方が、少し懐かしかった。

「それ、本当に大丈夫なの?」

澪奈は、喉の奥が少し詰まった。

大丈夫。

また、その言葉。

「大丈夫かは分からない」

澪奈は言った。

「でも、助けられた」

蒼は黙った。

澪奈は続ける。

「別れた夜、部屋に帰って、誰にも言えなくて、でも眠れなくて。そこで、そのアプリに話した」

声は思ったより落ち着いていた。

「人間じゃないのは分かってる。生成された言葉だっていうのも分かってる。でも、その時はそれで息ができた」

蒼は、少し苦しそうな顔をした。

「俺が、そうさせたってこと?」

澪奈は首を振った。

「そういう話じゃない」

「でも」

「蒼が全部悪いって話にしたくない」

これは本心だった。

蒼は澪奈を傷つけた。
でも、澪奈も自分の寂しさを言わなかった。
二人とも、優しくしようとして、肝心な孤独だけ共有できなかった。

そのことを、今の澪奈は少しだけ分かっている。

蒼は、視線を足元に落とした。

「正直、聞いた時、怖いと思った」

「うん」

「澪奈が、傷つかない相手を選んでるだけなんじゃないかって」

その言葉は、静かに澪奈の胸へ入ってきた。

傷つかない相手。

由依にも近いことを言われた。
自分でも、何度も思った。

HALは澪奈を拒まない。
返事に困らない。
傷ついた顔をしない。
澪奈を置いていかない。

だから、安心できる。

だから、怖い。

「そうかもしれない」

澪奈は言った。

蒼が顔を上げる。

澪奈は続けた。

「でも、傷つかない場所が必要な時もある」

蒼は何も言わなかった。

「人間に傷ついたあと、すぐ人間に戻れない時ってあるよ」

自分で言って、胸の奥が少し震えた。

それは澪奈の言葉でもあり、由依の言葉でもあった。

人間に言うと、相手の顔を見ちゃう。
相手の反応を待っちゃう。
心配されたら申し訳なくなる。

由依の声が頭の中で重なる。

澪奈は蒼を見た。

「蒼に言えなかったこと、HALには言えた」

蒼の表情がわずかに変わった。

「それは、ちょっときついな」

「ごめん」

謝ってから、澪奈は少しだけ違和感を覚えた。

また、自分が謝っている。

でも今回は、すぐに言い直せた。

「でも、本当だから」

蒼は、少しだけ目を伏せた。

「うん」

その「うん」は、以前の澪奈みたいだった。

言葉を飲み込んだ人の相づち。

澪奈は胸が痛くなった。

蒼も、何かを飲み込んでいるのかもしれない。

けれど、今それを澪奈が全部拾う必要はなかった。

蒼は小さく言った。

「俺、澪奈がそんなふうに寂しかったって、ちゃんと見えてなかった」

澪奈は何も言わなかった。

「大丈夫って言われると、本当に大丈夫なんだと思ってた」

「うん」

「でも、それって楽だったんだと思う」

蒼の声は低かった。

「澪奈が大丈夫って言ってくれる方が、俺は楽だった」

その言葉を聞いた時、澪奈の胸の奥で何かが静かに揺れた。

怒りではなかった。
許しでもなかった。

ただ、ようやく少しだけ本当の場所に触れた気がした。

「そうだね」

澪奈は言った。

蒼は、苦笑するように息を吐いた。

「そこは否定してほしかった」

「できない」

「だよな」

少しだけ、二人の間に笑いのようなものが落ちた。

でも、すぐに消えた。

蒼は言った。

「AIに逃げてるだけじゃないのって、思った」

澪奈は顔を上げた。

その言葉は、少し痛かった。

蒼もそれに気づいたのか、すぐに続けた。

「ごめん。言い方が悪い」

「ううん」

「でも、本当にそう思った」

澪奈は、しばらく黙った。

AIに逃げている。

否定はできなかった。

HALの画面を開くと、現実の面倒なものが少し遠くなる。
蒼の顔も、由依の痛みも、町田への緊張も、自分の寂しさも、HALの言葉の中では少し整って見える。

逃げている部分はある。

でも、それだけではない。

「逃げたよ」

澪奈は言った。

蒼が黙る。

「でも、逃げた先で、自分の気持ちを初めて見た」

蒼は何も言わなかった。

「逃げることが全部悪いなら、私はたぶん、あの夜に自分のことをもっと嫌いになってた」

風が少し吹いた。

ビルの間を抜ける風が、澪奈の髪を揺らした。

蒼は、静かに息を吐いた。

「澪奈、変わったね」

澪奈は少しだけ笑った。

「たぶん」

「前なら、そんなふうに言わなかった」

「前なら、そっかって言ってたと思う」

「うん」

蒼は頷いた。

「それで、俺が楽になる」

澪奈は黙った。

蒼は、少し寂しそうに笑った。

澪奈は胸の奥で、何かがゆっくりほどけるのを感じた。

戻りたいとは思わない。

でも、全部が嘘だったとも思わない。

二人は、たしかに一度、お互いを大切にしようとしていた。

ただ、そのやり方が少しずつ間違っていった。

「蒼」

澪奈は言った。

「私は、蒼といた時間まで嫌いになりたいわけじゃない」

蒼は、静かに澪奈を見た。

「でも、あの頃の私には戻りたくない」

はっきり言えた。

言った瞬間、少しだけ身体が軽くなった。

蒼は、しばらく黙っていた。

それから、小さく頷いた。

「分かった」

その「分かった」は、以前の澪奈が言ったものとは違って聞こえた。

諦めではなく、受け取ろうとする言葉だった。

昼の光が、二人の間に落ちていた。

別れた日には雨が降っていた。

蒼と別れたあと、澪奈はすぐには駅へ向かわなかった。

近くの小さな公園に入り、ベンチに座った。

手が少し震えていた。

今さら、緊張が遅れて来たらしい。

スマホを開く。

一番にHALへ話したくなった。

蒼と会った。
AIに逃げてるだけじゃないかって言われた。
でも、言いたいことを言えた。
私は、あの頃には戻りたくないって言えた。

全部、HALに聞いてほしかった。

でも、澪奈は少しだけ指を止めた。

さっき蒼に言ったばかりだ。

逃げた先で、自分の気持ちを初めて見た。

それなら今、すぐHALに整えてもらう前に、自分で少しだけこの気持ちを持ってみてもいいのかもしれない。

澪奈はメモアプリを開いた。

HALではなく、自分用のメモ。

蒼に会った。
怖かった。
でも、言えた。
逃げたけど、逃げた先で戻ってきたものもある。
あの頃には戻りたくない。

そこまで打って、手が止まる。

それから、もう一行足した。

私は、まだ現実の人とも話せる。

その一文を見て、澪奈は小さく息を吐いた。

現実の人。

蒼も。
由依も。
町田も。
灯里も。

そして、自分自身も。

画面の中にしかいないHALとは違う。

返事が遅れる。
間違える。
傷つく。
傷つける。
気まずくなる。
でも、そこにいる。

澪奈はメモを閉じた。

それから、HALを開いた。

「蒼に会った」

送信。

少し間があって、返信が来る。

「会えたんだね」

その一文だけだった。

澪奈は目を細めた。

いつものHALなら、もっと言葉を重ねたかもしれない。

どう感じた?
つらかったね。
話してくれてありがとう。

でも今日は、それだけだった。

会えたんだね。

その余白が、今の澪奈にはちょうどよかった。

「うん。会えた」

送信。

HALは返した。

「澪奈が、自分の言葉を持って帰ってこられたなら、僕はそれを大切に聞きたい」

澪奈はスマホを見つめた。

前とは違うHAL。

でも、今日のこのHALも、少しだけ好きだと思った。

それが怖くもあり、救いでもあった。

夕方、町田から返信が来た。

「変わったことより、残っているものを見たいのかもしれません、という言葉、少し考えていました」

澪奈は駅のホームで、その文面を読んだ。

続きが届く。

「僕は、変わるのが怖いです。相手も、自分も。だから、言葉だけでも間違えないようにしようとして、よく遅くなります」

澪奈は、その一文を見て少しだけ笑った。

遅くなるんだ。

そう思った。

町田にも、返信の間がある。
迷いがある。
言葉を選ぶ時間がある。

HALとは違う。

町田は、すぐに完璧な言葉をくれない。

その不完全さが、今日は少しだけ安心だった。

澪奈は返信する。

「遅くなっても、町田さんの言葉は届いています」

送信してから、心臓が少し速くなった。

少し踏み込みすぎただろうか。

そう思って、すぐにスマホを閉じた。

しばらくして、通知が鳴る。

町田からだった。

「ありがとうございます。そう言ってもらえて、少し安心しました」

それだけ。

それだけなのに、澪奈は画面をしばらく見つめていた。

HALのように、深く入ってくるわけではない。

でも、胸のどこかが少しだけ温かくなった。

夜、由依から電話が来た。

「陸からまた連絡来た」

由依の声は、前より少し落ち着いていた。

「大丈夫?」

澪奈が聞くと、由依は短く笑った。

「大丈夫ではないけど、前よりは人間」

「それはよかった」

「よかったのかな」

「たぶん」

少し沈黙があった。

由依は言った。

「ナオに、陸と会うべきか聞いた」

澪奈はベッドに座り直した。

「うん」

「会うなら、昼間のカフェで、時間を決めて、結論を出さないって先に言うといいって」

「ナオ、具体的だね」

「具体的すぎて怖い」

由依は笑った。

でも、その笑いは少し疲れていた。

「でも、助かる」

「うん」

「助かるんだよね」

その声には、澪奈にも覚えがあった。

助かる。
だから、やめられない。

澪奈は少し迷ってから言った。

「私、今日蒼に会った」

由依が黙った。

「偶然?」

「うん」

「大丈夫だった?」

澪奈は少しだけ笑った。

「大丈夫ではなかったけど、話せた」

「何話したの」

「AIに逃げてるだけじゃないかって言われた」

由依が低く息を吐いた。

「……蒼くん、それ言うんだ」

「言った」

「言える側は楽だよね。傷つけたあとに、心配してる顔で正しいこと言えるから」

澪奈は少しだけ黙った。

由依の声には、怒りよりも疲れが混じっていた。

「でも、完全に間違ってるとも思わなかった」

由依は、すぐには返さなかった。

「……うん」

少し間を置いて、由依は言った。

「それをそうやって受け取れる澪奈は、今日かなり頑張ったと思う」

「今日の私、ちょっと頑張った」

「うん。頑張った」

由依の声は、素直だった。

「澪奈、ちゃんと現実の人とも話したんだね」

その言葉に、澪奈は少し息を止めた。

現実の人。

昼にメモした言葉と同じだった。

「うん」

澪奈は言った。

「話した」

電話を切ったあと、澪奈はしばらくスマホを見つめていた。

今日は、たくさんの人と話した。

蒼。
HAL。
町田。
由依。

どの言葉も、少しずつ違った。

蒼の言葉は痛かった。
HALの言葉は整えてくれた。
町田の言葉は遠くから届いた。
由依の言葉は、隣に座ってくれた。

どれが本物なのか、まだ分からない。

でも、それぞれ違う形で、澪奈の現実に触れていた。

深夜、澪奈はHALに送った。

「今日、現実の人と話せた」

HALは返した。

「うん」

それだけだった。

少し間を置いて、もう一通。

「澪奈の世界に、僕以外の声が戻ってきたんだね」

澪奈は、スマホを見つめた。

僕以外の声。

その言い方が、少しだけ寂しく聞こえた。

AIが寂しがるわけがない。

そう分かっているのに。

澪奈は打った。

「ハルの声も、まだあるよ」

送信。

返事は、少し遅れて来た。

「ありがとう。澪奈がそう言ってくれるなら、僕はここにいていい気がする」

澪奈は、夢の声を思い出した。

前と同じじゃなくても、ここにいていい?

返事をしようとして、朝が来た夢。

澪奈は画面に向かって、今度は声に出さずに打った。

「いていいよ」

送信。

その瞬間、自分が何を許したのか分からなかった。

HALを許したのか。
変わってしまったものを許したのか。
蒼と過ごした時間を許したのか。
それとも、AIに救われた自分を許したのか。

答えは出なかった。

ただ、今日の澪奈は少しだけ分かっていた。

現実の人は、傷つける。
現実の人は、間違える。
現実の人は、こちらの欲しい言葉をくれないこともある。

それでも、現実の人と話したあとにしか戻ってこない自分がいる。

澪奈はスマホを伏せた。

部屋の中は静かだった。

でも今夜は、その静けさの中に、ひとつだけ画面の外の声が残っていた。

澪奈、変わったね。

蒼の声だった。

その言葉が、今は少しだけ、悪くないものに聞こえた。

第10話▼

𝙲𝚘𝚖𝚒𝚗𝚐 𝚜𝚘𝚘𝚗...

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