長崎に原爆が落ちた日、祖母は黒い雲を見た
戦争が日常だった頃
本日、8月6日は広島原爆の日です。
80年前の、1945年(昭和20年)
8月6日(月曜日)、日本時間午前8時15分。
広島に史上初めて原子爆弾が投下されました。
そして、その3日後、
8月9日(木曜日)午前11時2分。
長崎の上空で2つ目の原爆が炸裂しました。
広島原爆と言えば、『はだしのゲン』ですね。小学校の図書館に置いてある漫画のインパクトは大変大きかったです。
あの漫画で戦争という空気の恐ろしさ、原爆の怖さ、同じ日本人を「非国民」と呼ぶ人間の浅ましさを知った人は多いと思いのではないでしょうか。

そして、近年では『この世界の片隅に』。
戦争アニメ映画と言えば、『火垂るの墓』のイメージが強すぎて、どうせ地味で暗い映画なんでしょう?と思いきや、傑作ほのぼの日常系だったという良い意味の裏切りで、涙腺をボコボコに殴ってくるタイプの映画でした。映画館にハンカチを忘れて酷いことになりました。
戦時中なのに日常系? いや違う!
戦時中だって日常だったのだ!
ということに気づかせてくれた作品です。

とまぁ、このように、広島と原爆を絡めて強烈なインパクトを残した作品はいくつかあるのですが、
…あれ?
長崎の原爆に関する作品は小説や映画とかいくつかあるけど、ここまで大きな認知度を誇っている例はあまり聞いたことがないような…やはり漫画とかアニメは広まりやすいということでしょうか。
もうちょっと、個人レベルで当時の日常の話を知りたい。
というわけで、「あたいは、長崎の原爆雲を見た」と言っていた地元佐賀にいるうちの祖母の話を聞くことにしました。
祖母は長崎のキノコ雲を見た
うちの祖母は、今年93歳になります。腰も曲がらず、毎朝の散歩を欠かさない、メチャクチャ足腰が達者で元気な婆ちゃんです。
私も佐賀出身なのですが、子供の頃、祖母に「あたいは、長崎の原爆雲を見た」という話を聞いていたので、今回は、「この世界の片隅に」に触発されて、当時の日常をもっと掘り下げた形でレポートをまとめ、漫画に落とし込みました。
話は、長崎の被爆地から直線距離で約47km離れた佐賀の田舎から始まります。






直線距離約47km離れた佐賀で、うちの祖母は原爆の閃光と立ち昇る巨大な黒い雲を見ていた。山の向こうで何かが光り、雷かと思ったら黒い雲がモクモクと立ち上り、数日後焼け爛れウジが湧いた負傷者が長崎本線の汽車で輸送され、肥前鹿島駅からリヤカーなどで、私の母校でもある鹿島小学校の体育館に運ばれていたそうです。
祖母は友達に見にいこうと誘われたと話していました。行かなかったそうですが。

調べたところによると、長崎県の諫早に救護所があったのですが、そこだけでは収容できなかった火傷でボロボロの負傷者達が、長崎本線の列車でどんどん隣の佐賀方面に運ばれ、鹿島市の小学校も救護所になったということのようです。
長崎本線の救援列車のお話は、こちらの方の漫画で詳細に描かれています。
8月9日長崎原爆の日
— イサイサ (@isaisakita) August 8, 2019
救援列車のお話1
私の祖母と叔父は救護被爆者
でした
もう二人供亡くなっているのですが
伯母から聞いた話を元に描いてみました#長崎原爆の日 #被爆 pic.twitter.com/hmGS7mfrwH
長崎のキノコ雲を見たという話だけでなく、なるべく当時の生活のディテールも描きたいと思ったのは『この世界の片隅に』を見た影響が非常に大きいです。というか、この話を描こうとして祖母に取材をしたら色々気になることが出てきて、結果的に当時の日常の話まで広がってしまったという形になりました。
ちなみに祖母の服装ですが、当時着てたのってこんな感じ?と襟付きシャツにモンペのラフを見せたら、「襟付きなどというお洒落なものは、 着せてもらえなかった。」という監修が入り、あの襟なしシャツになっています。物資が不足していたことの証左かと考えられます。
終戦の日は、山に隠れた。
8月15日の終戦の日。ドラマや映画では、ラジオで玉音放送を聴いている描写が多いので、実際はどうしていたのか聞いてみました。
何と、玉音放送を聞いてませんでした。
そもそも、村にラジオがなかったそうです。しかし、何処からか終戦になったという情報が入り、アメリカ軍が来るから女達は山に隠れろ!食料がなくなるから納めた米を、すぐに倉庫に取りに行くぞ!と大人達は大騒ぎ。山には一晩隠れていたとのこと。
片渕監督のお父さんも見ていた。
この漫画を描く数年前の2017年。位置関係だけを図にしたポストをXに投下したら、何と『この世界の片隅に』の片渕監督から引用RPしていただきました。
ありゃ。うちの父親とほぼ同じ方面だ。当時12歳できのこ雲を見たといってます。 https://t.co/v618bUsDAI
— 片渕須直 (@katabuchi_sunao) August 9, 2017
驚いたことに、片渕監督のお父さんも、祖母がいた村のすぐ近くで、長崎のキノコ雲を見ていたのです。そう言えば、片渕という苗字は圧倒的に佐賀県に多いということに、その時になって気がつきました。
私は、この漫画を描いてから毎年ポストやリポストしています。
祖母が長崎の原爆を見た日の話(1/3)#長崎原爆の日 pic.twitter.com/ggUrRvIndE
— ウラケン・ボルボックス🇵🇸🇺🇦『すごい危険な生きもの図鑑🐻』好評発売中‼️ (@ulaken) August 9, 2023
リプ欄や引用を見ていただくとわかりますが、「私のおばあちゃんも〇〇で見たと言ってた!」とか、「おじいちゃんも〇〇で見たらしい」というコメントが大量に寄せられています。
ただ田んぼの雑草を抜きに行く道すがら、閃光と黒い雲を見たというだけの漫画でこの反響です。
長崎の原爆の話を聞いた人達が、全員漫画を描いたら『はだしのゲン』とはまた別の、物凄い長崎版アーカイブができるかもしれません。
清太と節子、すずさんと同じ日常に祖母もいた。
こちらは、『火垂るの墓』と『この世界の片隅に』が、第二次世界大戦中のどの時期の物語なのか、イラスト付きの年表にしたものです。どちらの映画も、日中戦争、太平洋戦争下の日本を描いています。当然ですが、清太、節子、すずさんは、同じ時期に、神戸と、呉、日本の別々の場所にいました。




《清太と節子の行動》
6月5日 神戸大空襲
- 母が重度の火傷を負い死亡
6月中旬 西宮のおばさんの家に移る
- 食糧難で肩身の狭い生活
- 節子の元気が徐々になくなる
- 清太がおばさんと衝突
6月下旬〜7月初旬
- 清太、節子とともに家を出る決意
- 横穴で、二人で生活を始める
7月19日 福井空襲の夜
- 清太がサトウキビを盗む
- 農家に捕まり暴行される
7月下旬〜8月初旬
- 食糧不足が深刻化
- 節子の体調が悪化
- 蛍を捕まえて横穴を照らす
8月中旬
- 清太、銀行で貯金を下ろす
- 日本の降伏と父の戦死(艦隊全滅)を知る
- 医者に節子を診せるが「栄養を摂らせるしかない」と言われる
8月22日 節子死去
- 清太、節子を火葬
9月21日 清太死去
- 駅構内にて餓死
神戸大空襲(6/5)から、福井空襲の夜(7/19)まで約44日。1か月半弱しか経っていない。
体験していないと実感が湧かず、全く知らない過去の出来事として断絶してしまいがちですが、うちの祖母を含めた同世代の方々は、同じ時代の日本にいたのです。食料がなく、物資がなく、焼夷弾が降り、機銃掃射で人が死ぬ。そんな戦時下が日常だったのです。
何故、語り継がねばならないのか。
戦後80年の今年、2025年。
先日の参院選では、オレンジ色のある候補が、抗議する市民に対し「(ああいうのは)非国民ですから」という言葉を浴びせ、聴衆から拍手が起こり、議席を伸ばしました。
醜悪かつ、危険な状況と言わざるを得ません。
第64,65代内閣総理大臣を務めた田中角栄の有名な警句があります。
「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない。」
非国民という言葉を軽々しく発した政治家も、その政治家に拍手した聴衆も、戦争を知りません。
戦後に生まれた我々は、戦争を知らないからこそ、その恐ろしさを語り継ぐ必要があります。そうでないと、またあっさりと『この世界の片隅に』や『火垂るの墓』のように、戦時下が日常になる危険性があるのです。
私は、子供の頃から日本の夏が苦手でした。
お盆、戦争、原爆、終戦…日本の夏は、死の匂いが濃すぎると感じていました。夏にテレビをつけたら大体戦争ものでした。正直ウンザリしていました。しかし、今になってわかります。あれが如何に重要だったのか。
「戦争とは、爺さんが始めて
おっさんが命令し、
若者たちが死んでゆくもの」
大橋巨泉の有名な言葉ですが、改憲を叫ぶオレンジの党に投票した層で、最も多いのは「40〜50代の男性」です。まさに、戦争を知らないおっさんたちです。改憲や戦争リスクを軽視する中高年層の中には、「自分はもう徴兵される年齢ではない」と考えている人もいるかもしれません。
しかし、戦時の動員は若者だけの問題とは限りません。現にロシアによる侵攻を受けたウクライナでは、25歳から60歳未満の男性が動員対象となり得ており、50代もその範囲に含まれています。戦争が長期化し、兵員が不足すれば、平時には軍務を想定していなかった年代まで動員対象が広がる可能性があります。したがって、有事やそれに関わる制度変更は、中高年世代にとっても決して「自分には関係のない話」ではありません。
ウンザリするほど戦争の悲惨さを語りづいても、こうです。しかし、逆にウンザリするほど、語り継いだからこそ、この段階で踏みとどまっているのかもしれません。
戦争を知らない世代は、知らないからこそ、語り継ぐ必要があるのです。永遠に、戦争を知らない世代が続くように。この今が、新しい戦前にならないように。
追記:
この記事を書いた後に知りましたが、長崎の原爆のことを描いた。
という映画が現在配信中です。
※当初「投下時刻」と表記していましたが、読者の方からご指摘をいただき、現在の長崎市や原爆資料館の公式表記に合わせて「炸裂時刻」と修正しました。
さらに追記:
先日、『表現を仕事にする人が、歴史と政治を学んだ方がいい理由』という記事を書きましたが、戦後80年経ち戦争の記憶が失われている今こそ、もう一度歴史を学ぶ必要性を感じています。
それでは、読んでいただきありがとうございました。

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