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織豊政権とは何か!?

阿波踊りの動画がFBによく上がってくる。
お祭りや神事は好きだし、仕事を終えて阿波踊りを延々と見続けていた夕刻、こんな動画が上がってきた。



スロー。

美しい。
人がゆっくりと舞う時、
空間が変わる。
時空はその直角双曲線から円環へと変容する。

男性の踊り手が円を描くように女性の周りを回り、女性の踊り手は垂直に立ちまるで糸を紡ぎ、機を織るようにゆっくりと手を動かす。


阿波踊りは阿波藩の蜂須賀家の殿様を喜ばせるために民衆が踊り出したと言われる。

阿波・・・忌部・・・
蜂須賀家・・・川並衆・・・

折り重なった土地の記憶がぼくという先端に現れ始めた・・・


映画「鹿の国]を観、島津と神長官守矢の丸十字の関係に迫り、映画「旅するカジの木」を観、カジの木と諏訪、阿波忌部の関係を知り、「諏訪古代部族シリーズ」を読み終え、ミシャグチ信仰のみならず天白信仰、千鹿頭神信仰を知った。

千鹿頭神を信奉した縄文系の人々は山人となりやがて穢多に区分され、明治以降部落差別を受けることとなった。

今度は天白信仰を見てみよう。

諏訪から伊勢あたりに川沿いに伝わる羽衣伝説。川沿いといえば河原者である。

古代、諏訪に建御名方が攻めてきた時、
千鹿神は松本の方に逃げたが、
蟹河原長者はこれと戦い散った。
蟹河原長者は天白信仰側の勢力であった。

天白信仰の祖神は天白羽神または長白羽神とされていて同神と見ることも多い。
この長白羽神の父親は天日鷲神であり、阿波忌部の祖神とされている。

このあたりでピピピピピと何かが繋がる。

時は戦国時代まで廻天し、織田信長、羽柴秀吉!蜂須賀小六の登場となる。

織田信長、織田氏は元は忌部氏であるという説がかなり有力である。
そして尾張には天白川が流れ天白社が幾つもあったと言われる。

秀吉は元は百姓であった、百姓か初めて天下を獲った、とぼくが小さい頃は習った気がするが、戦国時代、またはそれ以前の百姓はイコール農民ではない。

「河原者・非人・秀吉」服部英雄著、山川出版


この様な学術的な本がある。

《河原者、非人、秀吉。》

衝撃的なタイトルである。

河原者は川伝いの運搬や獣を扱う職をしていたようである。非人はここでは乞食とされているが古来、死の世界、穢れとされる世界の芸能をする民もこの枠に入れられてたと思う。

秀吉、河原者出身・・・

何かピンと来ないだろうか?
秀吉の部下となった蜂須賀小六は美濃から尾張を流れる木曽川の川並衆を率いる頭領であったとされる。そして、秀吉亡き後、徳川幕府により阿波藩(徳島県)の領地を任される。

阿波忌部の阿波である。

織田の忌部である。

織田氏=忌部氏
秀吉=河原者
蜂須賀=川並衆、阿波藩

天白信仰流域と忌部氏の活動領域が重なってくる。


戦国時代における織豊政権とは何だったのか?


古代氏族とまつろわぬ民とされた人々の下剋上だったのではないか。


後に藤原となる中臣に敗れた忌部氏。
天津神大和政権に敗れた出雲伊勢諏訪という国津神領域(ミシャグチ信仰研究の祖、故今井野菊氏が天白信仰フィールドワークで伊勢を訪れた際、伊勢は出雲だったんだよと言われたという)。
千鹿頭神を信仰した人々は穢多として被差別民となったが、天白信仰をした河川流域の人々も河原者や非人として被差別民となった。
その様な人々の長年の気持ちと古代氏族忌部氏の気持が合わさった織豊政権の30年間だったのかもしれない。


阿波忌部氏は現在でも麁服(アラタエ)と呼ばれる麻の織物を受け継いでいる。
徳島阿波忌部
千葉安房国
沖縄阿波連
忌部氏が海洋民族であったことが伺える。
勿論、字を変えてアワと読む地名も多いことだろう。




天白信仰について




天日鷲神と長白羽神



ご一読ありがとうございました🌟
今回はヌーソロジー記事はお休みにして
以前より頭にあった事を記事にしてみました。
自分の関連記事も下に貼りますので、興味のある方はご覧ください🌟🌟🌟


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