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島津家の謎に迫る!第二弾🌸🌋 映画「鹿の国」〜諏訪〜物部〜思考の渦がぐるりんちょ💫

2月11日、建国記念の日。
鹿児島にて映画「鹿の国」が上映された。
鹿児島ではこの日しかなかったので、ぼくは前々から予定を建てて薩摩半島鹿児島市マルヤガーデンズへと足を運んだ。

何故、この日なんだろう。建国記念日のみ。鹿児島の文化度から見て、それ程、客入りが見込めないから1日なのだろうが、建国記念日。。。島津が絡んでいるのだろうか?などと考えつつ映画館ガーデンズシネマへと向かう。

映画の内容には深く触れないが、中沢新一の「精霊の王」でミシャグチの事を読んでいたり、伊勢谷雄介の「アマテラスの暗号」を読んだ時、諏訪の御頭祭儀式の事を調べていたので大変興味深く面白く観ることが出来た。

上映後、ガーデンズシネマのオーナーさんの挨拶にて「4月の例大祭に合わせて5、6、7で再上映が決まりました!」
4月の例大祭?


グーグル検索より


まず、頭に思い浮かんだのは島津斉彬を祀る照国神社。しかし、ここは6月である。
グーグル検索をかけてみると・・・
直近は大神神社。。。!!

大神神社(祀神は大物主)は物部の神社であると言われている。。。

島津と物部って関係あるの!????

早速、検索!
来ました!!



 物部守屋が蘇我馬子達曽我一族との戦に敗れ大隅まで落ち延び、物部を名乗るのは多分に支障があった為、守屋を名乗っていたと伝えられる。尚この守屋氏は肝付家・島津家に召し抱えられ重用され様々な役職を務める等極めて優秀な一族である事を伺う事ができ、黎明館に納められている資料にも九州大学の教授により編纂された「守屋舎人日帳」などがある。
月読神社祭神「月読命」「国常立命」「国挟槌命」「豊斟渟命」「建御名方神」「八坂刀女神」

上記リンクより

物部守屋は鹿屋市の細山田というところに逃げ隠れたとの説があるがこれは説であり、物部の一部が鹿児島に逃げ帰ってきたのだろう(古代九州は物部王国だったという説もある。)
こちらの月読神社は鹿屋市串良町。我が家から結構近い。。。

島津家との関係大有りどころか、守屋氏(物部)は重く用いられていたのだ。

さらに調べると・・・

諏訪と島津


薩摩国鹿児島の清水城(しみずじょう、鹿児島市稲荷町)は、中世に島津氏が拠点とした。その城下に島津氏が篤く崇敬した5つの神社がある。これらはまとめて「鹿児島五社」と呼ばれている。清水城下のあたりは「上町(かんまち)」ともいい、「上町五社」と呼ばれていたりもする。
五社の序列はつぎのとおり。
第一位 諏方神社(すわ、現在は南方神社)
第二位 祇園神社(ぎおん、現在は八坂神社)
第三位 稲荷神社(いなり)
第四位 春日神社(かすが)
第五位 若宮八幡宮(わかみや、若宮八幡神社)

下記リンクより



な、な、な、なんと〜!
島津の旧城の第一社が諏訪神社〜!
諏訪神社は全国に多くあれど、島津がわざわざ第一社としている事は驚きである。


ここに名が挙がっているのが「惟宗忠久(※得仏公)」で、彼が塩田荘(現在の長野県上田市)の地頭職を獲得したことで、幕府が全面的にバックアップしている諏訪神社の祭礼に関わるようになったことがわかります。
承久三年(1221)辛巳五月八日、公又信濃国太田庄地頭職に補せられ給う、忠久公は塩田荘から太田庄の地頭になり、続けて諏訪神社の祭礼に頭役として務めることになります。
島津家に残っている「信濃国太田荘相伝系図」によれば、太田荘初代地頭の忠久および二代の忠時は、ともに諏訪社御射山祭の頭役をつとめている。そればかりでなく、その子孫の忠長・忠秀・光忠の三人もまた御射山祭頭役を、頼佑は五月会頭役を、地頭として勤仕したことをこの系図は示している。
長野県史刊行会『長野県史』の「通史」から抜粋、太田荘では代々に渡って御射山や五月会の頭役を務めることになり、さらに諏訪神社との結びつきが強くなっていった流れが見えてきます。
諏訪の資料に、嘉暦4年(1329)に北条高時が信濃国の地頭に出した「下知状(控)」があります。(諏訪神社ではなく)幕府が直接各地頭に下した「御頭奉仕の輪番を割り当てた」命令書で、「塩田庄・大田(太田)庄」や、大隅久米三郎・彦四郎(太田庄地頭島津氏の一族)の名が見られます。
是より道鑑公に至り伝領し給い、公遥に神恩を仰ぎ、祖徳を追い、信濃の本社諏方の神霊を、薩摩国山門院に勧請し、尊んで総社となし給えり、…その後も、忠義─大炊助─貞久(道鑑)─宗久と地頭職が続いたので、道鑑公の時に、その神恩に報いるべく諏方神社を薩摩の総社として勧請したことを述べています。

下記リンクより



島津は信濃国太田庄地頭職に任じられ諏訪大社とも関わりがあり、薩摩の地に諏訪神社を勧請していた。。。😲

長野諏訪大社は物部と大きく関わりがあり、その御神体は守屋山だとも言われている。

何故、鹿児島なのか?
何故、鹿屋なのか?

が見えてきた🦌!!




そして、島津の裏に物部あり。
というか島津は物部なのか!?と妄想も飛躍してしまう。。。島津の丸十字、物部の十種神宝。。。十繋がり・・・

因みにぼくの妻の祖母は守屋姓であり、妻の旧姓は太田である(信濃国太田庄にその由来があるのかなとぼくは思った。)

ふぅふぅふぅ~。。。

ぐるぐると思考の渦がまわる。
持続の波が押し寄せる〜

そして、何故、ぼくは鹿児島鹿屋にいるのか!?

頭がオカシクなりそうなのでこの辺りでやめておきます😅

最後に御頭祭、七十五頭について。

何故七十五頭なのか、映画にて監督は答えを出さなかったけど、徳島県剣山の周辺神社、岡山県吉備津神社でも七十五膳据神事というものがあります。

吉備津神社はわかりませんが徳島剣山はユダヤとの関わりが深いと言われます(諏訪大社御頭祭も元はアブラハムとイサクの逸話からという説あり)。

それとは、ぼくの直観は違うのですが・・・

ぼくの直観では〜、

七十五は

7+5と観ました。


十はカタカムナでは「と」

7と5

12


12は黄道12宮なのではないか!?

星神信仰は北極星(宿神)、北斗七星(杓子)が古代日本では主流だが、宿曜12宮というものもある。




27宿が月の軌道(白道)を27等分したものであるのに対し、12宮は太陽の軌道(黄道)を12等分したものになります。 西洋占星術の12星座と名前が似ていますが、別のもと考えてください。27宿と12宮は密接に関係しており、各宿は12宮にそれぞれ属しています。さらに12宮は太陽に属する6宮(太陽属)と、月に属する6宮(太陰属)に分類され、占星盤を二分するように配置されます。加えて12の各宮は、太陽の宮である獅子宮、月の宮である蟹宮、その他の宮に火星~土星までの惑星が結び付けられています。

https://yakumoin.net/about/juunikyu




前回記事の考察、島津は境界、姶良カルデラの守り人というところから、実はその役割は物部がしてるのかなと思った次第。

ミシャグチ信仰ももっと深掘りして書くと面白そうだけど今回はここまでで(九州にはミシャグチ信仰はないです)。

妄想爆発の回でした😅🐉

ヌーソロジーとは絡められなかったなあ😆💦


ご一読ありがとうございました!

ナマステ🐉✨🐍





島津家の謎に迫る第一弾🌸🌋↓




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