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【大学受験】「AIの時代だから大学は理系に行け」と言う親

最近、子どもの後輩で、親に「AIの時代だから大学は理系に行け」と強要されている子がいるそう。
でも、それは完全に見当違いだと私は思う。
なぜそう言えるのか。そして私は文理選択という名の「呪い」から、そろそろ自由になってもいいとも思っている。今回はそんなことをまとめてみる。

「消去法」で理系になった私

数十年前、私はずっと国語が大っ嫌いだった。
「作者の言いたいことなんて作者じゃないとわからないでしょ!」と心の中で叫び、古典漢文は勉強する意味がないとして授業では机に突っ伏していた。結果、消去法で理系を選択。私自身、理系が好きだった訳でも得意だったわけでもない。ただ文系科目が苦手だった。それだけだ。その後、理工系学部から就職したが研究職ではない。研究に興味がなかったからだ。



時代は変わった。でも、本質は変わってない

それから数十年後。子どもが高2になったとき、同じ文理選択の場面がやってきた。
子どもは当時、慶応大学の理工学部を志望していたので理系選択だ。
理由を聞くと「慶応ブランドが大手企業への就職に強いから」とハッキリ言うのだ。漠然とはしているが、ゴールは就職。いい会社に入って稼ぎたいのであって、研究したいわけじゃない、と。何も間違っていない。つまり「理系選択する人間が、皆、研究大好きと決めつけるな」ということである。私もそうだった。

実際、理系学部を卒業しても、いわゆる「文系就職」する人はゴロゴロいる。逆に文系の経済学部でミクロ経済学を選択すると、もれなく微積が必須になる。「数学苦手だから文系へ〜」と選んだ子が、大学で微積地獄に遭遇する悲劇。想像するだけで胃が痛い。

「AIの時代だから理系へ」という謎の呪い

話をAIに戻すと、私も今以上にAIの時代は確実にくると思っている。
でも問題は「開発する側」なのか、「使用する側」なのか、ということだ。大半の人は「使用する側」のはずで、そこに文理の区別なんてない。
仮に「開発する側」だとしても、今やコーディングや環境構築にもAIを使う時代。以前ほど特殊スキルを必要としない。論理思考と探究心さえあれば、文理なんてどちらでもいい。それより、地頭の良さや人物評価などの人間力の方がはるかに重要だ。恐らくそこの見通しが欠落している気がする。



結局、文理選択って何だったんだろう

つまるところ、高校の文理選択は次の2つでしかない。

1. 大学受験科目の選択
2. 大学で学ぶことの選択

医学部などの専門性の高い学部は別だが、文理選択は将来の道を限定するものでも、確約するものでもない。常にアンテナを伸ばしておくことは大切だ。でも、それを文理選択の理由にして押し付けるのは、完全に見当違いだ。



親が本当に考えるべきこと

私が会社で見てきた新入社員たち。理系出身も、文系出身もいる。
でも、仕事ができる人に共通しているのは、文理じゃない。
ましてや学歴でもない。

・人の話を聞ける
・自分の考えを言葉にできる
・柔軟に考えを変えられる
・わからないことを素直に聞ける

こういう能力だ。これらは、文理選択では身につかない。もっと言えば、高学歴でも身につかない。もっと前の段階、家庭や学校生活の中で育つものだ。



我が家が文理選択で大切にしたこと

子どもは、最終的に医学部を選んだ。でも子どもの文理選択の時期に私が子どもに言ったのは、次のことだけだった。

「自分が納得できる理由があるなら、それで決めていい」

就職がどうとか、AIがどうとか、そんな話は一切しなかった。
なぜなら、そんなもの、数年後には変わっているかもしれないからだ。親世代が想像できない未来が、確実にやってくる。だったら、子ども自身が「納得できる理由」を信じる方が、よっぽど確実だ。また、自分で決めた進路なら後悔はしないものだ。



最後に

文理選択という名の「呪い」から、そろそろ自由になってもいいんじゃないだろうか。「理系が安泰」「文系は不利」も違う。「AIの時代だから理系」も違う。

大切なのは、子ども自身が何をやりたいか。そして、どんな選択をしても、柔軟に生きていける力を育てること。親にできるのは、その力を育てることだけだ。文理選択に縛られないでほしい。


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太楼@偏差値45から医学部・難関大へ導く伴走 最後までお読みいただきありがとうございます。

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