陰陽師・安倍晴明の正体。平安京の闇と光を操った「実務家」の素顔
こんにちは。
西炎です。
今回は安倍晴明をテーマにしたいと思います。
安倍晴明というととにかく神秘的なイメージが強いと思います。
しかし政府内で実務を行う官僚でもあります。
伝説は伝説として今回は史実から裏づけされた安倍晴明について言及したいと思います。
安倍晴明の経歴

安倍晴明(921年 - 1005年)は、平安時代中期に活躍した実在の陰陽師であり、天文博士です。
現代では伝説的な呪術師として描かれることが多いですが、史実における晴明は、高度な天文暦学の知識を持ち、朝廷の信頼を勝ち取った有能な「実務家」としての一面を持っていました。
主な経歴は以下の通りです。
1. 陰陽師としての修行とデビュー
出自: 大膳大夫・安倍益材の子とされていますが、母については伝説も多く、謎に包まれています(白狐の子供という説など)。
師事: 陰陽道の大家である賀茂忠行・保憲父子に学び、天文道や陰陽道を習得しました。
初登場: 史料に初めて名が現れるのは960年(天徳4年)、40歳の頃に「天文得業生」として活動していた記録です。決して早い出世ではありませんでしたが、一芸を磨き上げることで信頼を得ていきました。
2. 朝廷での活躍と出世
実務家としての能力: 天文・暦学・占術に精通し、天皇や藤原道長といった当時の最高権力者から絶大な信頼を得ました。
重要な儀式: 病気平癒の祈祷や雨乞いの儀式、内裏の行事などで卓越した能力を発揮し、その都度、昇進や褒賞を得ています。
官位: 最終的には「従四位下」まで昇りました。陰陽寮の長である「陰陽頭」には就きませんでしたが、位階としては頭よりも高い地位にありました。
主な官職: 天文博士のほか、主計権助、大膳大夫、左京権大夫、穀倉院別当などを歴任しました。
3. 家系の確立
土御門家の祖: 晴明の功績により、安倍家は師である賀茂家と並ぶ陰陽道の二大宗家としての地位を確立しました。息子である吉昌や吉平も陰陽師として朝廷に仕え、家学としての陰陽道を盤石なものにしました。
このように、晴明は単なる「伝説の呪術師」ではなく、その高い専門性と実務能力を武器に、平安京という政治社会の中で自らの立ち位置を築き上げた賢明な官僚であったと言えます。
まとめ
ここで1つ注目してほしいのが世に出たのが40歳という点です。
当時の貴族の平均寿命は諸説ありますが30~50歳とされるので、40歳といえば現代でいえばすでに70歳前後ともいえます。
つまり出世は遅いほうだったということがいえますね。
なぜ安倍晴明は遅咲きだったのか?

安倍晴明が40歳まで目立った記録がなかった理由については、複数の要因が考えられます。
歴史的な史料に基づくと、主に以下の理由が挙げられます。
当時の官僚制度の慣習: 平安時代の官職は、家柄(血筋)や年齢による序列が重視される社会でした。安倍氏は陰陽道の中では新興の家系であったため、若い頃から高位に取り立てられることは難しく、地道な実務経験を積む必要がありました。
師・賀茂忠行の存在: 晴明が修行した賀茂家は、当時陰陽道の主流であり、最高権威でした。若いうちは師である賀茂忠行やその息子・保憲の影に隠れて実務を補佐する立場であり、表舞台に立つチャンスが少なかったと考えられます。
「大器晩成」の専門職: 陰陽道は、天文や暦学といった極めて高度で専門的な知識を要する職能でした。晴明が頭角を現した40代(960年頃)は、師から教えをすべて吸収し、自らの知識を実用的な「技術」として完成させるのに必要な期間であったと言えます。
朝廷からの信頼獲得のプロセス: 晴明がのちに絶大な信頼を得たのは、単なる呪術的な能力だけでなく、長年の天文観測や暦の作成といった「実務」で確実に成果を出したためです。当時の朝廷で認められるためには、卓越した能力を長期間にわたって証明し続ける必要がありました。
晴明が40歳で記録に登場した頃、彼はすでに「天文得業生」という専門職の地位に就いていました。
この期間は「遅咲き」というよりも、高度な専門官僚として朝廷で頭角を現すための「準備期間」であったと解釈するのが、歴史学的な視点からは自然と言えるでしょう。
まとめ
家系、そして陰陽道という扱うジャンルによって遅咲きとなったともいえますね。
安倍晴明の業績

安倍晴明が歴史的に評価されている業績は、単なる呪術的な伝説にとどまらず、朝廷の運営を支えた「専門官僚」としての実務能力に集約されます。
主な業績は以下の通りです。
高度な天文・暦学の運用:
朝廷において、天体現象を観測・解釈する「天文博士」として正確な予測を行いました。
当時の国家運営に不可欠だった暦(こよみ)の編纂や管理に携わり、正確な日時の選定などで信頼を得ました。
占術による政治判断のサポート:
「陰陽師」として、病気平癒の祈祷や雨乞いの儀式など、朝廷の重要行事において実務的な祈祷を行い、当時の権力者から重用されました。
天皇や藤原道長といった当時の最高権力者から厚い信頼を得ており、国家の危機管理を占術の側面から支えました。
安倍家(土御門家)の礎を築いた:
それまで陰陽道の主流であった賀茂家と並び、安倍家を陰陽道の二大宗家として定着させました。
自身の息子たちにも知識を継承させることで、陰陽道を家学として盤石なものにしました。
専門家としての地位向上:
陰陽寮の長である「陰陽頭」には就きませんでしたが、最終的には従四位下という、陰陽頭よりも高い位階にまで昇進し、官僚として高い評価を受けました。
伝説上の「超人的な力」という側面だけでなく、膨大な知識を実務に応用することで、当時の平安京という中央集権社会の中で極めて重要なポストを確立した点が、晴明の最大の業績と言えます。
まとめ
雨乞いが出てきますが、当時雨乞いというのは国家的命題でした。
今も雨不足で食べ物の危機が出ることもありますが、水の管理というのは生命に直結する問題です。
雨乞いというといかにも迷信的ですが、実は雨というのは増やすのも減らすのもある程度可能なんですね。
風、気圧などを調整することで実は意外と簡単にできて、かくゆう私も少しできます。
空海も朝廷中枢に密接な関係があったわけですが、こういう人物はほぼ例外なく雨乞いを行っていた形跡があります。
あと菅原道真もそうですね。
天文や暦はなぜ国家運営に不可欠だった?

平安時代において、天文や暦が国家運営に不可欠だった理由は、当時の世界観が「天と地は連動している」という考え方(天人相関説)に基づいており、これらが政治の正当性と社会の安定に直結していたためです。
具体的には、以下の3つの大きな理由があります。
1. 天皇の統治を正当化する根拠(権威の保持)
古代中国から伝わる思想において、皇帝や天皇は「天の子(天子)」であり、天の意思を地上に体現する存在とされていました。
天の兆しを読む: 天体現象(日食、月食、彗星、惑星の動きなど)は、天が地上に送るメッセージと考えられていました。
政治の評価: 良い政治が行われていれば星々の動きは調和し、政道が乱れれば天変地異が起こると信じられていたため、天文を正しく観測・解釈し、報告することが、天皇の統治の正当性を証明する不可欠な儀式でした。
2. 国家行事と農業のスケジュール管理(実務の基盤)
当時の国家は農業を基盤としており、正しい暦を持つことは経済運営の要でした。
農耕の指針: 種まきや収穫の時期を決定するために、正確な暦が必須でした。これに失敗すると、飢饉や経済的な混乱を招く恐れがありました。
公的な儀式: 宮中の行事や神事、仏教儀式などはすべて「吉日」に行わなければならず、暦を作成して良い日・悪い日を選別する「選日(せんじつ)」の能力は、国家運営を円滑に進めるための重要な実務でした。
3. 未知の災害への危機管理(防災・心理的安定)
当時の人々にとって、地震や疫病、日食などの自然現象は、人間の力を超えた「怪異」であり、大きな恐怖の対象でした。
不安の解消: 陰陽師は、これらの現象を専門知識で読み解き、それがどのような「意味」を持ち、どのような対策(祈祷など)をすれば災いを避けられるかを提示する役割を担っていました。
社会秩序の維持: 不吉な予兆が起きた際に、適切な祈祷や儀式を行うことで人々の不安を取り除き、平安京の社会秩序を維持する役割は、ある種の「行政サービス」としての側面を持っていました。
つまり、天文や暦は単なる「学問」ではなく、「天の意思を地上に翻訳し、社会の調和を維持するためのシステム」であったといえます。
このため、専門家である安倍晴明のような陰陽師は、単なる占い師を超えた、国家の重要ポストに就く公務員として尊重されていたのです。
史実に基づいて安倍晴明の能力を検証する

安倍晴明が史実においても「本当にすごかったのか」という問いに対しては、「当時の朝廷において、技術的・実務的な最高権威として不可欠な存在であったことは疑いようがない」というのが歴史学的な結論と言えます。
伝説のように「式神を自在に操った」といった超常的な能力を裏付ける史料はありませんが、彼が当時の権力者から極めて高く評価された根拠は、確かな「実務能力」にありました。
1. 圧倒的な「予言の的中率」と記録
晴明の評価を決定づけたのは、彼の天文観測や占いの的中率です。
『小右記(しょうゆうき)』などの同時代の公卿の日記には、晴明の占いや助言が的中した事例がいくつも記録されています。
権力者は晴明の言葉を「天の意思」として尊重しており、その的中率の高さは、単なる偶然を超えた、膨大な知識に裏打ちされた高度なデータ分析能力があったことを示唆しています。
2. 藤原道長という「最強のクライアント」の信頼
当時、摂政・関白として絶大な権力を握っていた藤原道長が、晴明を極めて重用していたことが最大の「能力の証明」です。
道長は自身の邸宅の建築、重要な政務判断、あるいは自身の健康不安に至るまで、常に晴明に助言を求めていました。
当時、道長のような最高権力者が、能力の不確かな人物をそばに置くことは考えられません。道長が晴明を頼った事実は、彼が実務において圧倒的な信頼に足る「超一流の専門家」であったことの証左です。
3. 位階とキャリアが示す「非凡さ」
「陰陽師=下級官吏」というイメージがありますが、晴明は違いました。
晴明は、陰陽寮の長である「陰陽頭」というポストを飛び越え、最終的には「従四位下(じゅしいのげ)」という、当時の専門職としては破格の高い位階にまで昇進しました。
これは、単に占いが当たっただけでなく、朝廷の運営に不可欠な「天文暦学のメンテナンス」において、彼がいなければシステムが回らないほどの不可欠な存在であったことを示しています。
結論:何が「すごい」のか
晴明のすごさは、「科学的知識(天文・暦)と、当時の人々の心理(宗教・信仰)を統合し、政治的判断をサポートする高度なコンサルティング能力を持っていたこと」にあります。
史実の晴明は、怪異を倒す魔法使いではなく、「複雑な平安社会のトラブルや不安を、当時の論理体系に基づいて整理し、解決策を提示する極めて優秀な公務員」でした。
それが結果として、後世に「超人的な能力」という伝説として昇華されたのだと考えられます。
まとめ
この史実からのデータを見てもわかりますように式神などは一種の伝説だったことがわかります。
安倍晴明とは魔術師でなく、机の上で左脳を使う占術家だったことは明白です。
安倍晴明が超人になった本当の理由

歴史的な経緯を辿ると、安倍晴明の死後に安倍家(後の土御門家)が自らの家格と権威を高めるために、晴明を神秘化・神格化したという側面は強く指摘されています。
主な理由は以下の通りです。
家学の権威付け: 晴明の子孫である安倍家(土御門家)にとって、祖先である晴明を「伝説的な能力者」として神格化することは、陰陽道における安倍家の正当性と優位性を不動のものにするための重要な戦略でした。
賀茂家との競争: 当時、陰陽道の主流であった賀茂家に対抗し、朝廷内での地位を確立・維持するために、伝説や神話的な逸話を利用して晴明というブランドを強化する必要がありました。
「物語」によるブランド構築: 平安時代以降、晴明の逸話は『今昔物語集』や後の物語文学を通じて語り継がれ、安倍家はその物語を家門の誇りとして活用しました。これにより、単なる官僚以上の「超人的な陰陽師」としてのパブリックイメージが形成されていきました。
つまり、晴明自身の卓越した実務能力という「事実」に加え、子孫である土御門家がその歴史的評価を「伝説」へと塗り替え、ブランド化させることで、安倍家の家系としての権威を何世紀にもわたって維持・拡大させることに成功したと言えます。
まとめ
こうしてみれば所詮子孫の改ざんが多分にあったことがうかがえます。
政治的理由、もっといえば子孫の自己利益のために安倍晴明は偉大な先祖に仕立て上げる必要があったことは容易に想像がつきますね。
戦国時代の陰陽師

戦国時代の合戦において陰陽道やその技術体系を担う存在が深く関わっていたことは事実です。
戦国時代におけるその関わりについて解説します。
1. 「軍配者」という存在
戦国大名の陣営には「軍配者(ぐんばいしゃ)」と呼ばれる専門家が配置されていました。
彼らの役割は、まさに陰陽師の技術を軍事に応用することでした。
吉凶の占断: 出陣の日取りや方角の吉凶を陰陽道に基づいて占っていました。
天文観測: 彗星の出現や雲の動き(気)を読み取り、戦の趨勢や吉凶を判断していました。
士気の向上: 戦の縁起が良い日時や方角を占うことで、兵士たちの士気を高める役割を担っていました。
2. 陰陽師と軍師の融合
武士の台頭とともに、戦勝祈願や吉凶占いを行う「陰陽師」と、戦術を提案する「軍師」の役割は一体化していきました。
そのため、長篠の戦いや川中島の戦いのような大規模な合戦においても、織田信長や武田信玄といった大名たちは、こうした軍配者や僧侶、陰陽道の知識を持つ専門家を重用し、作戦立案や儀式に取り入れていたと考えられています。
3. 歴史的背景
平安時代の安倍晴明のように、直接的に「陰陽師」という肩書きで公務を行う者は減っていましたが、その技術体系は戦国大名の戦略に不可欠なものとして受け継がれていました。
したがって、戦国時代の戦いの現場に「陰陽師」という名の人物がいたというよりも、「陰陽道の専門知識を持つ軍配者や参謀たちが、戦勝祈願や方位・日時の選定を通じて合戦に参加していた」というのが史実に基づいた姿と言えます。
まとめ
戦国時代の戦いでは陰陽師が参加している絵巻物が残っています。
安倍晴明も精通していた陰陽道はその後に戦いなどで利用されることになります。
とこう書くと戦国時代からなのかと思ってしまうかもしれませんが、実は飛鳥時代などでもすでに占術は戦いに利用されています。
大海人皇子と大友皇子との戦いでも明確に占術を利用している形跡があります。
この戦いでは兵士の服装の色で戦いを有利に進めたという話が残っています。
今風にいえば中国由来の断易を利用していたのでしょう。
私も断易をするのでこの機微はよくわかります。
また私も試験で断易を使い何度か不合格者を合格に判定編集もした過去もあります。
安倍晴明の使った占術とは?

安倍晴明が行っていた占いは、単なる「未来予知」ではなく、中国から伝わった高度な知識体系である「陰陽道(おんみょうどう)」に基づく、極めて論理的・学術的なプロセスでした。
具体的にどのようなものだったのか、主な手法と特徴を解説します。
1. 天文道(星占い)
最も重要視された占いで、天体現象を観察して国家の運命や吉凶を判断しました。
観測対象: 日食、月食、彗星、五惑星(水・金・火・木・土星)の動きなどを観測します。
判断の根拠: 天の運行と地上の政治は連動しているという「天人相関説」に基づいています。たとえば、異常な天体現象は「天皇の政治が乱れている」「大きな災害が起きる前兆」と解釈されました。
2. 式占(しきせん):占盤を用いた占い
晴明が最も得意としたとされる、専用の道具を使った占術です。
式盤(しきばん): 「天」を模した円形の盤と、「地」を模した四角形の盤を組み合わせた道具を使います。この盤上で天体の運行や方位、時刻などを操作し、事象を占いました。
活用シーン: 失せ物(紛失物)の捜索、病気の原因究明、吉日選びなど、個人の悩みから宮中の公的な案件まで幅広く対応しました。
3. 暦道(れきどう):吉凶の選別
当時の生活や国家運営において最も実務的だったのが「時」の管理です。
選日(せんじつ): 「何をするにも良い日」や「やってはいけない日(凶日)」を、暦の計算に基づいて選び出します。
実務: 建築、旅行、政務の開始など、社会活動を行う際、陰陽道に基づいて「正しい日取り」を決めることが社会の安定に繋がると考えられていました。
4. 占いの本質:統計学と危機管理
現代の感覚で見ると「迷信」に思えるかもしれませんが、当時の朝廷にとって、晴明の占いは以下のような役割を担う「行政サービス」でした。
不安の解消: 地震や疫病といった未知の災害に対し、占いで「原因」と「対策(祈祷など)」を提示することで、人々の心理的な不安を取り除き、社会秩序を維持していました。
高度なデータ分析: 膨大な過去の天体記録や気象データを基に判断を下していたため、現代でいえば「科学的な予測とリスク管理のコンサルティング」に近い側面があります。
つまり、晴明の占いは、「宇宙の法則(自然現象)を読み解き、それを地上の人間社会のルールに翻訳して、トラブルを避ける知恵を授ける技術」であったと言えます。
安倍晴明の占術は現在も継承されているのか?

結論から申し上げますと、安倍晴明たちが用いた「当時のままの占術」が現代にそのまま継承されているわけではありません。
しかし、その「考え方」や「思想の断片」は、私たちの生活のあちこちに形を変えて生き続けています。
以下の3つの観点で整理できます。
1. 史実としての「当時の占術」は途絶えている
歴史学的な観点では、平安時代に陰陽寮で公的に行われていた高度な天文観測や、専門的な計算を要する式占(しきせん)といった術は、明治時代以降の国家体制の変化や陰陽道の衰退とともに、公式な学問・技術としては途絶えています。
そのため、平安時代の安倍晴明と全く同じ手順・方法で鑑定を行える存在は、残念ながら存在しません。
2. 日常生活の中に残る「名残」
陰陽道の思想は、長年にわたって日本人の暮らしに深く溶け込んできたため、意識しないところで今も息づいています。
冠婚葬祭の日取り: 六曜(大安・仏滅など)や、建築における方角の吉凶(家相)、お正月などの年中行事には、陰陽道の思想が色濃く残っています。
暦と風水: 私たちが何気なく気にしている「暦」や「吉方位」といった考え方も、元をたどれば陰陽道の体系にルーツがあります。
3. 現代風に再編された「新しい占術」
一方で、陰陽師の伝統を受け継ぐ(あるいはその思想を基にする)と自称する人々が、現代に合わせて新しい占術を編み出しているケースもあります。
陰陽六行(いんようろくぎょう): 陰陽五行思想をベースに、現代のコミュニケーションや心理学の要素を組み合わせて再編された占術などが、その代表例です。
民間信仰としての継承: 特定の寺社などで、土地の伝承に基づいた祈祷や祭祀が代々伝えられ、現代に続いている例もあります。
まとめ
「安倍晴明の使った道具や計算式そのもの」は歴史の彼方に消えてしまいましたが、「陰陽五行の思想(世の中は陰と陽、木火土金水の要素で成り立っているという考え方)」は、現代の占い文化や生活習慣の根底に深く根を張っている、と言えます。
しかしそのままの占術が残っていないのは非常に残念ですね。
もしできるだけ近い占術を勉強したいということであれば、一番近いであろう占術をいくつかあげておきます。
1. 六壬神課(りくじんしんか)
安倍晴明が最も得意とした占術の一つに「六壬神課」があります。
特徴: 中国発祥の非常に高度な占術で、当時の政治や軍事の戦略決定にも使われていました。
現代の関連: この「六壬神課」を、現代の私たちが日常の決断や吉凶判断に使いやすいようアレンジしたものに「可不可(かふか)占い」があります。これは特定の生年月日などを必要とせず、近未来の人間関係や出来事の推移を占う際に活用されています。
2. 四柱推命(しちゅうすいめい)
陰陽五行思想(木・火・土・金・水)をベースにした占術として、現代で最もポピュラーなものの一つです。
特徴: 生まれた「年・月・日・時間」を4つの柱として運命を占う手法で、陰陽五行の相生(助け合う関係)や相剋(抑制し合う関係)といった理論をフル活用しています。
近さの理由: 晴明が扱っていた陰陽道の核心である「陰陽五行」の理論体系を、個人の運勢に当てはめる形として最も純粋に継承している占術といえます。
3. 五行占い
「陰陽五行思想」そのものを占いとしてシンプルにしたものです。
特徴: その人の属性(木・火・土・金・水)を導き出し、性格や相性を鑑定します。
近さの理由: 晴明の時代、万物はすべてこの五つの要素から成ると考えられていたため、その基礎理論に直接触れられるという点で、晴明の思想的背景に最も近い入り口といえるでしょう。
陰陽道の核心とそのメソッド

ちなみに現代に残る陰陽道は占術だけではありません。
というよりも占術をよけて、そのほかのメソッドがメインになっている印象です。
陰陽道の核心についても触れておきます。
陰陽道の教えの核心は、宇宙のあらゆる事象を論理的に解釈し、そのバランスを整えることによって、社会や個人の安定(調和)を目指す思想体系にあります。
その核心を構成する要素は以下の通りです。
陰陽思想(陰陽論): 世の中のあらゆる事象は、対立しつつも補完し合う「陰」と「陽」という二つのエネルギーのバランスで成り立っているという考え方です。これらが互いに循環し、調和している状態が「理想的な秩序」とされます。
五行思想(五行説): 万物は「木・火・土・金・水」という5つの要素から構成されており、これらが互いに生かし合ったり(相生)、抑制し合ったり(相剋)する関係性を持っているという法則です。
天人相関説: 人間の営みや国家の政治と、天体の運行(天文現象)は密接に連動しているという考え方です。天の動きを読み解くことが、地上における正しい政治判断や危機管理に繋がると信じられていました。
これらを統合すると、陰陽道の核心とは「目に見える物理世界と、目に見えない宇宙の法則を『データ』として読み解き、調和(バランス)を維持するためのシステム」であると言えます。
安倍晴明のような陰陽師は、この法則を駆使することで、当時の朝廷運営におけるリスク管理や環境改善を行う専門家として機能していました。
メソッドについてですが、
1. 祝詞(のりと)
神仏や自然界の精霊に対して唱える言葉です。
本質: 言葉には霊力が宿るという「言霊(ことだま)」信仰に基づいています。
目的: 状況を言語化して定義し、精神を集中させることで、場(空間)のエネルギーを整えたり、自らの意志を宇宙の法則と同期させるために用いられました。
2. 霊符(れいふ)・護符(ごふ)
特定の文字や図形を紙や木札に記したものです。
本質: 五行思想に基づく図形や、道教由来の複雑な文字(呪符)などが組み合わされています。
目的: 空間の結界として配置したり、身に帯びることで「魔」を避ける一種のフィルターとして機能させました。現代で言うところの、心理的な安心感を担保するための「環境設定ツール」とも解釈できます。
3. 印(いん)・真言(しんごん)
手指を結び合わせる「印」と、特定の音節を唱える「真言」です。
本質: 密教や道教の修行法と深く結びついています。
目的: 自身の心身のエネルギーバランスを急激に整えるためのメソッドです。精神的な動揺を鎮め、高い集中状態(トランス状態)へ速やかに移行するために用いられました。
4. 結界(けっかい)
特定の空間を聖域として区切る技術です。
本質: 物理的な境界線に呪術的な意味付けを重ね合わせる行為です。
目的: 不穏な気(ネガティブな影響)を遮断し、その内部の調和を維持します。これは安倍晴明が得意とした「環境調整」の代表的な手法です。
5. 観法(かんぽう)
心の中で特定のイメージを鮮明に描き出す瞑想技術です。
本質: 「五行(木火土金水)」や「神仏の姿」を視覚化します。
目的: 脳の働きをコントロールし、外部環境に対する感受性を高めたり、逆に遮断したりするためのトレーニング法です。
陰陽道の祝詞は神道と似ていますが、少しだけ違います。
これは勉強すればすぐにわかると思います。
たとえば祓詞の文末がちょっとだけ違うというような感じです。
ちなみに唱え方も少し違います。
神道はどちらかといえば自然に読む感じで、陰陽道は念を込めて読む感じです。
神道は祓い、陰陽道は念力という違いかもしれませんね。
一応私も昔陰陽道の伝授は受けていますが、最初この点でかなりとまどいました。
神道とまったく違ったためです。
歴史は時に脚色がつくもの

今回安倍晴明について書きたいことはだいたい書けたと思います。
今回の記事を読むといかに後世に利益集団によって歴史は改ざんされるのかよくわかると思います。
これは仏陀などでも同じですし、空海もそうでしょう。
空海だと全国に空海の井戸というような伝説が残っていますが、年数を計算すればほとんどが嘘であることはまぎれもありません。
留学や弟子教育をしていた空海にそんな時間などなかったでしょう。
