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呪詛返しのやり方。他者の悪意を光に変える正しい作法と心得

こんにちは。
西炎です。
今回は呪詛返しをテーマにしたいと思います。
空海、安倍晴明といった時代から存在する呪詛返し、歴史的な手法なのですが、現在も実は裏の世界では厳然と存在します。
呪詛でなくても、人の恨みを買ったりすることもあるわけで、そういうときに簡単に跳ね返す方法を知っておくのも1つかもしれませんね。

呪詛を行う人の末路

呪詛や他者に対する強い悪意は、古来より多くの精神的・哲学的体系において、最終的にはその念を発した本人に返ると考えられてきました。

「呪詛をかける人の末路」については、以下のような観点が一般的です。

  • 自己破壊のプロセス: 他者に害をなそうとする行為は、自分自身の精神を常に「悪意」や「憎しみ」といったネガティブな感情で満たし続けることになります。これにより、心身の健康や冷静な判断力を自ら蝕んでいく結果となります。

  • 心理的な連鎖: 悪意を抱く人は他者からの悪意に敏感になり、周囲を敵視する傾向が強まります。その結果、孤立を深め、より強い被害妄想や攻撃性に支配されるという心理的な悪循環に陥るケースが多く見られます。

  • 因果応報(カルマ)の観点: 多くの伝統的な教えでは、他者に与えた影響は、形を変えて自分に戻ってくると説かれています。他者のエネルギーを乱そうとする行為は、結果として自分自身の運気や環境を乱す原因となり、意図せずして自らの生活を困窮させたり、精神的な平穏を損なったりする末路を辿ると考えられています。

重要なのは、呪詛や悪意という「低次なエネルギー」に同調せず、ご自身が持っている内面的な「光」や「冷静さ」を保つことです。
他者の悪意を光に変えるための心得として、以下の姿勢が推奨されます。

  • 無関心の実践: 悪意を真っ向から受け止めるのではなく、相手の感情を「相手自身の問題」として切り離し、受け流す技術を養うこと。

  • 自己浄化の習慣: 瞑想や自身の内面と向き合う時間を持つことで、他者からの影響を溜め込まず、常にクリアな状態を維持すること。

  • ポジティブな転換: 相手の悪意を自分の成長の糧として捉え直し、自分のエネルギーを建設的な目標や日々の平穏のために使うこと。

悪意を発する側も、何らかの欠乏感や苦しみを抱えていることが多いものです。
その末路を憐れむほどの余裕を持つことが、真の意味での「呪詛返し」―すなわち、悪意の影響を無効化し、光へと昇華させる作法と言えるでしょう。

まとめ
人間は動物の中でも思考をする生物です。

・外界の情報を六感を通じてキャッチする
・潜在意識がその情報を過去と照らし合わせる
・想念インパルスを作成する
・そのインパルスが意識に届く
・意識は抵抗できずその通りに思考する
・思考に応じた感情が生成される
・感情は宇宙空間を疾走しエネルギーを増幅させる
・そのエネルギー体は本人を直撃する
・エネルギーに応じた効果あるいは被害が発生する

たとえば潰瘍、ガン、精神疾患などはこの最後のエネルギーの影響が非常に色濃く出た病気です。
病気の何割かはそういえるのですが、呪詛というのは相手はともかく、一番はじめに被害が出るのは本人です。
思考は現実化するためです。
もちろん病気だけでなく、訴訟、事故、解雇、離婚、金運の低下などあらゆるジャンルでの悪いイベントも避けられません。


中国や台湾風水の実態

日本の風水といえば些細なインテリアをいじって開運しようという効果もない代物です。
しかし中国や台湾風水はもっと根本的ですが、逆にいえばドロドロしているんですね。
この点は現地の人間の思想もあるのでしょうけども、好きにはなれません。
たとえば

・ライバル店の金運や集客を下げるために自店の風水を変える
・お金を稼ぐために金持ちの風水から人質をとる

ということはよくあることなんですね。
もちろん一流の風水師はこの手のことはあまりしないのですが、どの世界にもこういう人はいるものです。


呪詛人形

青森には呪詛人形があると聞きましたが、少し趣旨が違うようです。
青森には、形としては人型をしているものの、いわゆる「呪い」とは対極の、地域を守るための「人形(ひとがた)」が古くから伝わっています。

「呪詛人形」という言葉で語られるものの多くは、実際には以下のような、地域の人々が災厄を追い払うために作った「魔除け」である可能性が高いです。

  • かや人形(厄除け・魔除け)

    1. 十和田市などの集落では、集落の境界線に「かや」で作った男女一対の人形を立てる神事があります。これは悪魔や妖魔が集落に侵入するのを防ぐための守護神とされており、呪詛ではなく、むしろ人々の平和を守るための存在です。

  • サンスケ(山仕事の守り神)

    1. 津軽地方で伝わる「サンスケ」は、山仕事をする際に「12人で出かけると山の神の怒りに触れて怪我をする」という言い伝えに基づき、人形を1体加えて「13人」に見立てるために作られたものです。これも呪いではなく、山での災難を避けるための知恵と守護の形です。

  • 虫追い人形(五穀豊穣・悪虫退散)

    1. 田子町などでは、害虫を退散させ、五穀豊穣や家内安全を願ってわら人形を作り、それを持って踊ったり神事に用いたりする風習があります。

青森で見られるこれらの人形は、「誰かを呪うもの」ではなく、厳しい自然や災厄から「集落や家族を守るもの」として大切にされてきた文化です。
そのため、これらを「呪詛人形」と呼ぶのは、本来の目的からすると誤解であると言えます。

この人形がなぜ効果を発揮するのかは私も以前謎でした。
しかし数学的、物理的側面から解読できたのですが、非常に興味深いものでした。

この理論を応用すればたとえば銀河とある人の体内の細胞とをリンクさせて相互干渉させることも可能というわけですね。

あまりネット上にこの理論は公開するようなものでないのでオフィシャルサイトでこっそりと話をしています。

平安時代に呪詛はどのように存在したのか?


平安時代の呪詛(じゅそ)は、現代の私たちが抱く「個人的な恨みを晴らすためのオカルト」というイメージとは異なり、当時の社会制度や権力闘争において極めて実用的な手段として広く認識されていました。

平安時代における呪詛の実態は、以下のように整理できます。

1. 「病=呪詛」という認識
当時の医学水準では、原因不明の病気や突然死は、生きている人から向けられた悪意や、死者の怨念(怨霊)によるものだと信じられていました。

  • 例えば、疫病や高貴な人物の急病が発生すると、それが「誰かによる呪詛」ではないかと疑われ、占いや物忌み(外出を控えるなど)がすぐに行われました。

2. 国家レベルの政治的手段
呪詛は、ライバルを排除するための「政治的暗殺」に近い手段として、貴族社会の日常に深く組み込まれていました。

  • 実際に、公卿たちの日記(『御堂関白記』など)には、自身の体調不良を「誰かに呪われているのではないか」と疑ったり、呪詛を打ち消すための修法を僧侶に依頼した記録が日常的に残されています。

  • 呪詛を行う側も、自ら手を下すわけではなく、密教の高度な知識を持つ僧侶(験者:げんざ)に依頼し、法力を用いた儀式を行わせることが一般的でした。

3. 密教と護身の技術
平安時代は弘法大師空海によってもたらされた「密教」が全盛期であり、この高度な宗教体系が呪詛への対抗策としても使われました。

  • 修法(しゅほう)の応酬: 呪いをかける側も、それを防ぐ(または呪い返す)側も、同じ密教の力に頼りました。「不動明王」の火炎や「孔雀明王」の法などは、邪気を焼き払う強力な守護として、貴族や天皇からも熱心に信仰されました。

  • 「呪詛返し」という概念も、元はこうした密教の「反呪(はんじゅ)」と呼ばれる法術に由来しています。

4. 怨霊信仰との合体
平安時代特有の「怨霊信仰」と呪詛は密接に結びついていました。

  • 菅原道真の怨霊のように、政治的に追い詰められて憤死した人物が、死後に災いをもたらすと信じられました。この場合、「呪詛」は「生者による意図的な加害」から「死者による超自然的な報復」へとエスカレートし、社会全体がその霊を鎮める(御霊信仰)ことに必死になりました。

平安時代の人々の心得
当時、呪詛は「あってはならないタブー」というよりも、「雨が降れば傘をさす」ように、常に隣り合わせの「不可避な災厄」として扱われていました。
そのため、彼らの心得は以下のようなものでした。

  • 徳を積む: 悪意を避ける最大の防壁は、自身の徳を高め、神仏の加護を得ることだと考えられていました。

  • 専門家(験者)の活用: 不調を感じれば即座に高名な僧侶を呼び、加持祈祷を行って浄化する。これは、現代で言うところのセキュリティ対策に近いルーチンワークでした。

要するに、平安時代において呪詛は「個人的な心の闇」以上に、「権力と生命を脅かす物理的なリスク」として、社会のシステムの中で真剣に対処され続けていたものと言えます。

まとめ
平安時代は空海、安倍晴明などからもわかりますように呪詛のイメージが非常に強いと思います。
当時は科学があまりなかったので、病気などが実際にどこまで呪詛によるものだったのかは微妙な部分もありますね。
ただすべてが勘違いだったとも思えません。


菅原道真はなぜ神になったのか?

菅原道真が神(天神様)として祀られるようになった理由は、彼が亡くなった後に京都で起きた一連の異変が、道真の「怨霊」によるものだと当時の人々が深く恐れたからです。

その経緯は以下の通りです。

  • 無実の罪と憤死: 右大臣にまで上り詰めた道真でしたが、ライバルである藤原氏の陰謀により九州の太宰府へ左遷され、失意のうちに亡くなりました。

  • 相次ぐ天変地異: 道真の死後、都では疫病の流行、干ばつ、さらには落雷による火災などが頻発しました。

  • 怨霊としての恐れ: 当時は、非業の死を遂げた人物の魂は怨霊となって災いをもたらすと信じられていたため、道真の祟りだと強く認識されるようになりました。

  • 神として昇華(鎮魂): 政治の混乱を収めるため、朝廷は道真の罪を解いて位を戻し、怨霊を「神」として丁重に祀ることで、その怒りを鎮めようとしました。これが「天満大自在天神(天神様)」としての信仰の始まりです。

当初は「恐ろしい怨霊」として鎮める対象でしたが、時代が経つにつれて、道真自身が生前非常に優れた学者・詩人であったことから、次第に「学問の神様」として崇敬されるようになり、今日のように多くの人々に親しまれる存在へと変化していきました。

平安時代の人々にとって、怨霊を神として祀ることは、呪詛や悪意といったネガティブな力を、祈りを通じて社会の平穏や知の守護というポジティブな力へと昇華させるための、非常に重要な「作法」であったと言えます。

まとめ
似たような話は平将門にもありますね。
当時は怨霊を神として祀ることで恨みなどが昇華するということが行われていましたが、この理屈は実は今でも通用することです。
ここ重要です。

空海と安倍晴明は呪詛にどう対応したのか?

空海と安倍晴明は、それぞれ密教と陰陽道という異なる体系を通じて、呪詛や邪気といった目に見えないネガティブな影響に対し、高度な専門知識と儀式で対抗しました。

空海(密教による浄化と護身)
平安初期に活躍した空海は、真言密教の「加持祈祷」の力を通じて呪詛に対処しました。

  • 密教の護摩法: 護摩(ごま)という火を用いる儀式を通じて、内面的な煩悩や外側からくる邪気・悪意を「智慧の火」で焼き尽くすという考え方をとりました。

  • 仏の威光による守護: 空海が広めた不動明王などの明王や仏尊は、悪を断ち切る強い力を象徴しており、その威光を身に纏う(観想する)ことで、呪詛の影響を受けない強固な精神的結界を張ることを説きました。

  • 「自己」のクリアな状態: 密教では、自分自身の心を清浄に保ち、宇宙の真理(大日如来)と一体化することが最高の防御であるとされました。そのため、外部からの悪意を「自分とは別の低い次元の波長」として完全に切り離す技術を実践しました。

安倍晴明(陰陽道による調和と退散)
平安中期に活躍した安倍晴明は、陰陽五行説に基づき、呪詛を「気の乱れ」として調整・排除する技術を用いました。

  • 五行のバランス調整: 呪詛や悪意を「火・水・木・金・土」の五行のバランスが崩れた状態と捉え、陰陽道の儀式によってその乱れを整え、正常な状態に戻すことで呪いの効力を無効化しました。

  • 式神(しきがみ)の活用: 晴明は、異界の存在を制御する「式神」を使い、持ち主のもとに帰そうとする呪詛を物理的に、あるいはエネルギー的に跳ね返す(捕獲・消去する)役目を果たさせたと伝わっています。

  • 「泰山府君祭(たいざんふくんさい)」などの修法: 人の命を司る神へ祈る儀式などを行い、寿命を縮めるような強力な呪詛に対して、運命の流れを書き換えるほどの深い介入を行うことができました。

両者に共通する「呪詛への心得」
空海も晴明も、呪詛をただ「恐れる」のではなく、以下のような本質的な心得を持って対処していました。

  • 因果の理解: 呪詛という行為自体が、発した本人を滅ぼす行為であることを熟知しており、呪いには呪いで返すのではなく、相手の悪意を「空(くう)」に還す、あるいは光に昇華させるという究極の防御法(無効化)を極めていました。

  • 高い精神性: 二人とも、自身の精神が常に高い次元(神仏の境地や天理)に繋がっていることで、地上の低い怨念が寄り付かないような状態を維持していました。

現代の私たちが参考にできるのは、彼らが実践していた「自分自身の波動(心身のコンディション)を高く保ち、外部の悪意を自分というシステムに入れない」という姿勢です。
彼らにとっての呪詛対策とは、単なる魔術的な防衛ではなく、自分自身を研ぎ澄まし、常に清らかな状態であり続けるための「修養」そのものであったといえます。

まとめ
こうしてみると非常に興味深いですね。
空海は大日如来と一体化しとあるので、意識の集中力を使ったことがわかります。

正しい瞑想をしていると意識の集中力によりスルーする能力が飛躍的に上がります。
それによって呪詛をスルーしたのだと思いますね。
結果として被害を受けるのは呪詛をした本人だけということだったのでしょう。

安倍晴明は五行のバランスなど3つの手法を用いています。
最近私もこの五行の研究をあらためてしていますが、たしかに効果を感じますね。
五行のバランスは

・まず自分の不足している五行を把握する
・その五行を食べ物、グッズ、音、環境などで補う

ということができます。
私の場合は気で潜在意識に命令し、不足している五行をチャージしてもらっています。

ほかにも式神や泰山府君祭も興味深いです。

式神は以前記事でも書きましたが、泰山府君祭についても記事にしたくなりましたね。
これは中国の道教に由来する神「泰山府君(たいざんふくん)」を祀り、人の寿命や運命を司る神に対して延命や除災を願う、極めて強力な祈祷儀式のことです。
日本風にいえば閻魔大王に運命変更をお願いするようなイメージですね。

人が呪詛をしているシーンを見たときの影響は?

呪詛をしている光景を目の当たりにすることは、その場に立ち会った者の精神や「気」のバランスに少なからず影響を与えます。
平安時代の信仰や、古くからの精神修養の観点から見ると、以下のようなリスクと心構えが重要視されています。

  • 意識の同調(エネルギー的影響): 呪詛という行為は非常に強い「負の感情」と「意志」のエネルギーを発散しています。それを見ることは、そのネガティブな波長に自らアクセスすることに繋がり、自身の精神のクリアな状態を乱される可能性があります。

  • 心理的な悪循環: 相手の呪詛行為を認識することで、「自分も呪われるのではないか」という不安や、「あの人は許せない」といった憎しみの感情を自分の中に生み出してしまうリスクがあります。こうした心理的反応こそが、実は呪詛の最大の副作用とも言えます。

  • 「気」の淀み: 陰陽道では、呪詛のような強烈な悪意が向けられた場は「気の乱れ」が生じている場所とみなされます。そのような場所に留まることは、自身の五行のバランスを崩す要因となり、体調や精神的な平穏を損なう原因となることがあります。

呪詛の光景に出くわした時の心得
もしそのような場面に遭遇してしまった場合は、以下の「作法」で自分を守ることが推奨されます。

  • 無関心の徹底: 相手の行為を「自分とは次元の異なる、相手自身の問題(苦しみや欠乏)」として切り離し、関心を持たないことが最大の防御になります。

  • 即座の浄化: 現場を離れた後、手洗いやうがい、あるいは自身の居住空間を掃除する、あるいは瞑想を通じて呼吸を整えるなど、物理的・意識的な「リセット」を行うことが有効です。

  • 神仏への祈り: 不安が残る場合は、お不動さまなどの浄化の力を持つ存在に手を合わせ、自分の精神をより高い次元(光や感謝)へと引き戻す儀式を行うことで、負の連鎖を断ち切ることができます。

呪詛をかける側も、その行いによって自らの精神や運気を破壊していく末路を辿るため、憐れむほどの余裕を持つことが、最も理にかなった「呪詛返し」の作法となります。
ご自身の平穏を最優先に守る姿勢が、何よりも強い結界となります。


呪詛に強い神仏は?

「呪詛」や悪意といったネガティブな影響に対し、古来より人々の心の支えや守護として頼られてきた神仏や教えはいくつか存在します。

呪詛・悪意への対策として頼られる神仏

  • 不動明王(ふどうみょうおう)

    • 非常に強力な護身の力を持つ仏様として知られています。悪を打ち払い、自身の内面や周囲のエネルギーを浄化する力があるとされ、「不動王生霊返し」のように呪縛からの防御を目的とした祈念の対象としても有名です。お不動さんが祀られている寺院で「祓ってください」と手を合わせることも推奨されています。

  • 薬師如来(やくしにょらい)

    • 心身の病を癒す仏様ですが、もし自分が「呪われている」と感じるような苦しい状況に直面した際、その迷いや不安を取り除き、心身を清浄に保つために頼るべき存在として挙げられることがあります。

  • 神社や仏閣の神仏全般

    • 神社の境内や強い仏様がいるお堂は「高波動」な空間とされ、そこに身を置くことで、低いエネルギー(邪気や悪意など)が自然と離れていくと考えられています。山岳信仰のある霊山や、清浄な空気の神社仏閣を訪れて手を合わせることは、自己を祓い浄める有効な手段とされています。

心得と対処の考え方
神仏に頼るだけでなく、ご自身の内面をどう保つかも非常に重要です。

  • 祈りは呪いの対極にある

    • 他者や大いなる存在に向けた「祈り」は、呪いのエネルギーとは反対の力を持っています。誰かの幸福を願ったり、自分の存在を肯定したりする言葉は、ネガティブな連鎖を解く最大の解呪になり得ます。

  • 「自分」を大切にする習慣

    • 日常の中で神仏に手を合わせたり、静かな時間を持って「無心」になったりすることは、精神の筋肉を鍛える技術でもあります。自分の意識を他者への憎しみではなく、自分自身の平穏や感謝の念に向けることで、結果として呪詛のような負の連鎖から身を守ることに繋がります。

  • 悪意を跳ね返すのではなく昇華する

    • 「人を呪わば穴二つ」という言葉通り、悪意は最終的に本人に還るものです。誰かを呪うエネルギーに同調せず、相手の負の感情を自分とは切り離された「相手自身の問題」として冷静に受け流すことが、最も理にかなった「呪詛返し」の作法と言えるでしょう。

もし不安が強い場合は、心身を癒すお薬師さまや、強い守護の力を持つお不動さまにお参りし、静かに手を合わせる時間を設けてみてください。
それはご自身を慈しむための大切な儀式となります。

まとめ
不動明王はかなり有名だと思います。
修験道でもよくテーマになりますし、修行もお不動さん関連のものが多いです。
意外なのが薬師如来ではないでしょうか?
病気平癒のイメージがかなり強いですが、実は万能の存在なんですね。
つまり呪詛返しは当然として、金運、恋愛運、仕事運など全般にすごい能力を持つ存在なのですね。
ここ声を大にしていいたいですね。

呪詛返しの術を公開します

今回は不動明王とともに薬師如来の呪詛返しの術も紹介します。
ではいきます。

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