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海外から一番遠かった私。貯金70万円と気持ちだけでメキシコ・オアハカに飛び込んだ日

20年前の2006年6月22日。
成田空港からダラス、メキシコシティを乗り継いでオアハカへ向かうはずの飛行機は、出発前からすでに5時間遅れていた。

こんにちは、オアハカ在住のさるです。

この前
「若いうちに海外行けってそんなに正しいの?」みたいな話を書いた。

そして
「旅を生活にするというバグ」なんて、わりと強めの言葉も使った。

じゃあ、お前はどうなんだ。

という話を、今日はちゃんと書いてみようと思う。

私は、オアハカに移住する!と
自分の人生まるっとオアハカに賭けた人なのです。


あの日から20年が経った。

メキシコとの出会いは意外にも

元旦那(以下カレ)の

「新婚旅行はメキシコ(カンクン)行こう!」の一言だった。

当時、私は結婚したばかりで、派遣社員として働き、空いた時間ではスポーツジムに通う、なかなか良い感じの生活を送っていた。

カレの仕事はちょっと特殊で。
話術でお客さんを満足させる仕事でもあった。

ある意味、「ネタ命」でもある。

その流れから、
たぶん当時、人気の新婚旅行の定番(オーストラリア・ローマなど)には行きたくなかったんだと思う。

しかし、のちにカレのこの提案が
私の運命を大きく変える。

私は、海外旅行に興味ないから
「どこでもいいよー」っていう感じだった。

ふーん。メキシコのカンクンかー。

リゾートで遺跡もあって、海綺麗で、寒くなくって、テキーラの国。
明るく陽気そうだし、カラフルな国だな。

アミーゴ!テキーラ!アモール!!
知っていたスペイン語が頭の中を駆け巡った。


訪問する前は、漠然とそんなステレオタイプのイメージしかなかった。

初メヒコ。
蓋をあければ、

メキシコ人めっちゃ良い人!なにこの国?
最高!ってなった。

どうやら私のなんかのチャンネルと波長があってしまったらしい。
スピ入ってごめん。笑

それまで海外旅行は過去2回(社員旅行とか)。旅行先はすべて英語。

いまでも英語の話せない英語コンプレックスの私にとって、彼らのスペイン語がとても心地よかった。

日本人でも聞き取りやすいし、発音しやすい。

おーら。
ぐらしあす。
あみーご。
あでぃおす。
むい びえん。

なにより驚いたのが。

メキシコ人が、日本語で挨拶してくれる。

ホテルのサービスの一環だとは思うが…そこまで深く考える脳みそは当時、持ち合わせていなかった。

日本から一番遠そうな国の人が
私の国の言葉を使ってくれている。

言葉がわからず海外旅行慣れしていない私にとって、簡単な単語でも耳になじむ日本語は、安心感があった。

メキシコ初心者にとって、こんなにグッとくるホスピタリティはない。

たぶん、その経験から今の私のスペイン語や言葉はコミュニケーションって認識になったんだと思う。

完璧でなくてもいい!!
通じればいい!なんならちょっと笑顔になってもらえたら最高だ!

今でも、結構そのスタンスでスペイン語を話している。

なので、私のスペイン語は
文法どこいった?と迷子になることも多い。笑


そして、カンクンのゴージャスなホテル(新婚旅行なので)
美しい海、オプショナルツアーで遺跡やセノーテを訪問した。

もちろん、ドキドキしながらセントロ(市内)へも繰り出した。
超安全で綺麗なホテルゾーンから未知の世界へー。
ちょっとした冒険(大げさ)

私は、その時「地球の歩き方」を持参し。
本で読んだ、木から採取される「ガムの原液のチクレ」をどうしても買いたく、「チクレ」はどこに売っているの?と血眼で探した。

と、いうかお土産用の素敵な手仕事や民芸品がたくさんあるのに

なぜ、「ガムの原液」が欲しかったのか?
今では謎である。笑

本のコラムを読んで、「現地にいけば買える!」と旅行慣れしてない私は思い込んでしまっていた。

市内に売っているかなー?
(売っていません)
とウロウロしていたら。

みんなが想像するような、ステレオタイプの明るいにぎやかメキシコ人男性(以下ホセ)につかまった。

何か探し物?手伝うよ。

いきなり距離が近いな。

チクレを探しているんだけど、と伝える。

私の頭の中、チクレ=ガムの原液

ホセの頭の中、チクレ=チューイングガム

任せておいて!友達がやっているお店に売っているよ!と、連れていかれたのは小さい屋台のお店。

そこで、チューイングガムを見せられた。

それじゃない。

写真を見せて説明した。

あー。それは売ってないよ。

じゃ、しょうがないかー。って
ホセと、あでぃおす!とお別れしようとしたら。

「あ、ここまで案内したチップを!」と言われた。

はぁ?チップ取るんかい。笑

この時、普通の人ならちょっと不快になるかもしれないが。

私は、このホセに対して「メキシコ人おもしれー」となった。

そう、本気の悪党ではないのだ。

わかりやすい親切とノリで外国人観光客と仲良くなり。

小銭をせびる。

なんだこれ。漫画かよ?
日本ではまず遭遇しないやつ。

ちょっと、面白さの感覚がずれているのかもしれないけど。旅の思い出としては良いネタになった。

この経験から当時の私は「親切なメキシコ人には絶対チップが絡んでくる」と思うようになった。(いまでも一部の人はそうだと思っている)

この新婚旅行がのちに
オアハカに住むために離婚して現在に至るキッカケとなる。


初のメキシコ旅行は本当に楽しかった。

食べなれないトルティージャと豆のペースト(フリフォーレス)問題を除けば

メキシコ人、観光地、民芸品、すべてが私にとって最高の脳内麻薬のようなもので。

一度きりなんてありえない!!!
絶対に、来年もメキシコへ来たい!

と、翌年またカレと
キャッキャ!しながらカンクンを訪問した。

その後は、仕事のあるカレを日本に置いたまま。(おいおい)

友達と何度もメキシコを訪問した。

その回数、平均8カ月に一度。

散財しすぎである。
ちょっと頭おかしい。

さすが、その後オアハカでプロレスラーの推し活で貯金の半分を溶かした女である。


さらに、初メキシコ旅行後。
私もスペイン語を勉強する!と会社へ復帰した3日後には最寄り駅の「スペイン語の寺子屋」みたいな場所で、メキシコ人女性の先生とスペイン語の勉強をスタートさせた。

スペイン語初心者のクセに
「スペイン語の勉強」へのこだわりがあった。

メキシコのスペイン語を習得したいから、先生は絶対にメキシコ人じゃなきゃ嫌だ!!とバチくそ面倒くさい条件を寺子屋に提示してた。

つたない「旅のスペイン語」からスタートし。

なんども、メキシコを訪問して、

いつか、メキシコに住みたいという気持ちがどんどん大きくなる。

プラヤ・デル・カルメン
シアン・カアン生物圏保護区
メキシコシティ
プエブラのモレ
サン・ミゲル・アジェンデの牛追い祭り
グアナファト
サン・クリストバル・デ・ラス・カサス


よくわからないけど。ちゃんとした普通の人なら。

結婚しているし、いつかメキシコに住みたくても「いつか」なんだよ。

老後かもしれないしね。

でも、いつかは、いつかなんだよ。

メキシコにはそれを象徴するようなスラングがある。

「アオリータ(ahorita)」だ。
本来は「今すぐ」や「すぐやるよ」という意味に近いのに、いつの間にか「そのうちやる」「あとでね」「いつか」となっていく。

永遠に来ない「いつか」を待ってメキシコで振り回される日本人は多い。

でも、日本にも、待てど暮らせどやってこない「いつか」はある。

気づいたらやろうと思ったことが、人生から消えてるやつだよ。

しかし、私の脳内では
何度もメキシコ行くの旅費がもったいない!
いっそもう「メキシコに住んじゃお」となっていた。

じゃ、どこに住む?仕事は何をする?
次第に移住先を探す目的で、メキシコを何度も訪問することとなる。


実は、カレも「いつかメキシコに住みたい」って言ってた。

準備とタイミングさえ合えば、いつでも二人でメキシコ移住もあるな。と夢みたいな話を本気にしてて、現実化計画へと移行していった。

もちろん、いま思えば私の
「ひとり脳内移住計画」だった。

現実的には、彼の「夢物語りみたいなことに今挑戦しなくても」と、私との熱量の違いがはっきりした。

結局、オアハカに行く私、日本に残るカレ。

円満離婚となる。

うん、わかる。
結婚生活と仕事を考えたら
そうなっちゃうよね?

周りの人には、私のメキシコに住むという選択が、ただの「軽い遊びの延長」で見られていたと思う。

本人は、いたって真面目なのに。

でも、周りから良く考えろと言われても
「私は今!オアハカに住みたい」と、もう答えは出ていた。

これから、数年待つことは出来なかった。

今、メキシコでの生活の基盤を作らなかったらこの先、歳とともに気力も体力も落ちていくだろう。って

その時点で、30代だった私。
その不安の方が大きかった。

自分の人生で新しいことをするなら
今しかない!って本気で思っていた。

こんな、大学デビューしちゃった感じで。
色々みんなに心配されながら、オアハカへ送り出された。


さらに、心配だったのは
「オアハカに移住するぞ!」と決めたわりに

全財産70万円だった。

心もとなさ過ぎる。笑

でも、それしか貯金できなかったのだ。

2005年にオアハカを旅行し、2006年にオアハカに移住すると決めた。
その前のメキシコ旅行でほとんどの資金を使い果たしていた。

派遣先で、残業の多い仕事を探した。
お金になればなんでもいい。
幸いにも、私にはDTPと商業チラシをデザインできるだけの力量はあった。

大抵は、夜中12時過ぎまで印刷会社の仕事にいそしんでいた。

そんな感じでかき集めた70万円である。


私的には
「とりあえず1年くらいはオアハカで仕事なくてもなんとかなるだろ?」
「その間に、仕事の基盤つくろ。ビザも取らないとね♪」

と、普通に自分に都合の良いことしか考えてなかった。笑

ねぇ。この人、大丈夫?
住みたい場所は、外資企業もなんもない、地方都市オアハカなのだ。

友達はいるけど、仕事を斡旋してくれる人はいない。

とりあえず、ネットのオアハカ地元求人情報で見つけた印刷屋の仕事をする予定だった。

でも、ビザはない。どうする?笑

住む家もまだ決まっていない。

そして、保険として
「ダメなら、日本へ戻っても仕方ない」とちゃっかり1年間のオープンチケットは購入していた。

こだわりは大切だけど、状況に合わせて自分も柔軟な考えを持つことは人生では大切なことではないか?と考えていた。

ダメなら方向転換はいくらしてもいい。
自分の人生に正しい答えなんかないんだよ。
経験を積み重ね、最終的に流れ着いた場所が人生の答え合わせになるんではないか?そう考えている。


海外に縁のある友達には、餞の言葉として

「海外から一番遠い、さるさんが
一番先に世界へ飛び出したね」
って言われた。

なんか、ちょっと不思議な感じがしたし、
20年経っても彼女の言葉が思い出される。

そうなんだ、世間で言われる
いわゆる「一通りの人生」をやったあとで、メキシコに来た。
こどもを生むこと以外はだ…。

実際、ちょっと東京での結婚生活に意味が見つけられない部分もあった。

真面目に、この先の人生のすべてを
日本より住みたいと思ってしまった、オアハカに全べットした。


そんな、私のやる気を削ぎにかかったのが「実家」。

田舎の小さいみんな顔見知りの村で。
「お前が離婚したなんて、周りに言えない」という空気になった。

さらに、
離婚してもいいから、日本にいろ。と言われた。

いや、だったら離婚する意味がないんだが。
(おいおい)

この離婚で自分の意志は通せたが
オアハカに行くってことは、家族も友達も。
いままで、自分の身近にあった結婚生活も仕事仲間も全部日本においていくことになる。

ちょっとした「命知らずのならず者・デスペラード」的な立ち位置。

自分のやりたい事はあきらめきれない。
でも、それで迷惑をこうむる人もいる。

うーん。でも、まぁ仕方なくない?

やってダメなら、スッパリ諦められる。

あの時、周りに諭されて「オアハカ行きを断念」していたら。

何かあるたびに、オアハカに行かなかった事を「誰かのせいにして」今でもグダグダ言っていただろう。

自分がやらなかった事を、人のせいにしてこの先、生きていきたくない。

それが、答えだった。

正直、後ろめたい気はしていた。
自分のわがままで、周りの人を巻き込んだっていう気持ちもずっとあった。

でもそれが、後に「オアハカにくるために、自分が背負った大切なもの」の存在になっていく。

絶対に、忘れてはならない人達の気持ち。

オアハカで何があっても「ダメもとでなんでもやってやるよ!」っていう自分を鼓舞する部分になっていた。


だから、海外生活スタートとしては遅い方だと思う。

少なくとも「若いうちに行け」と言われるタイミングからは、外れていた。

でも正直に言うと、
そのタイミングだったからハマったと思っている。

もし、もっと若い頃に来ていたら。

たぶん「メキシコ無理ーw」で終わっていた。

インフラは不安定だし、
言葉は通じないし、
思い通りにならないことばかりだし。

若い頃の私は、それを楽しめる状態ではなかったと思う。

だって、消費と流行りものばかり追いかけていたから。


なんで最終的にオアハカだったのか?

地理的にも、オアハカはメキシコシティや人気の観光地を起点にすると、ぽつんと南部に位置していて、派遣社員時代に10日間ほどの休みでは訪問するのが難しい場所だった。

なので、実は初オアハカ訪問時は
「これで最後のメキシコ旅行!オアハカでスペイン語を勉強したい」
と、カレに無理を言って約3か月間オアハカに滞在した。

だましたような話になってしまったけど。
オアハカに住みたいと思うまで、本当にこれが最後のメキシコ旅行と決めていた。

最後の最後に、オアハカには私が求めていたものがすべてあった!
メキシコのいくつかの土地を訪問していたのに。自分にとってこんなパーフェクトな場所はなかった。

あたたかい人たち。
おいしいごはん。
過ごしやすい気候。
色濃い伝統文化。
たくさんのお祭り。
美しい手仕事。
そして、メキシコを代表する観光地。

当時のオアハカは、いまみたいに死者の日で有名でもなかったし。
可愛い街として注目もされてなかった。

逆に、そこが「これって日本に向けてオアハカ観光と手仕事で、自分の仕事につなげることもできそうじゃない?」だった。

好きな場所で、やりたいことが見つかった。
まだ、日本ではあまり関わっている人がいない分野。
仕事を軌道に乗せるための計画が移住と共にスタートした。

2005年のオアハカ
バロ・ネグロの工房
2005年のモンテ・アルバン
2005年のイエルべ・エル・アグア
2005年招待された村の結婚式


そして、メキシコにすごい惹かれた理由。

当時、経済的にも豊かな日本。
みんな同じ流行りものを追いかけ、100均で使い捨て商品の消費や、もう使えなくなったらなんでも捨ててしまう日本。

そういうことが当たり前だった。

壊れたものを自分で直して使うメキシコのモノを大切にする生き方に心が動かされた。

メキシコ人、手先が器用なので、なければ作る人も多い。もう、びっくり!

そして、みんな同じファッション&ヘアスタイル。流行りを追いかける日本人。

人目など気にせず、好きなものを身に着けるメキシコ人。
別に、みんなと違う恰好をしてても、馬鹿にしない文化。
日本なら「時代遅れ」と指さされるかもだけど、そういうのがない。

人と同じ事をしないと「なんか、変」って言われる日本に嫌気がさしていた。

他人の目を気にしないで生きていけるのは、ある意味精神的に自由だ。

カラオケ、飲み会、1回の参加で5000円~7000円消えていく日本。
っていうか。7000円あったら、オアハカで1週間生きていけない?

当時、オアハカに3か月間滞在した私は、そんな便利で豊だと思っていたものが、急に無駄なものに見えてきた。


そして、インフラも交通機関もすべてが整い。

生活しやすい安全な日本で、逆に心はどうでもいいことへの不満や愚痴への時間の浪費が増える感覚。

これって、たぶん…
日本での私の人生ってヒマなんじゃない?という結論に達した。

人生、ヒマを持て余して生きていくと…ろくな事をしない。(私見なので異論は認める)

オアハカで、自分の力と資金70万円でどこまでやっていけるのか?
人生最後のチャレンジとして、オアハカに乗り込んだ。

第二の人生(いや、結婚後だから第三か?)のスタートだ!!

冒険だ!チャレンジだ!!

このあたりも、漫画読み過ぎて、大人なのにこじらせいる感がスゴい。笑

結局、「いつ行くか」「いつ新しいことをするか?」って、年齢じゃないと思う。

誤解しないで欲しいけど、日本が嫌になってオアハカに来たんじゃないよ。
日本よりオアハカに住みたくなったから来た。

今でも、オアハカから別のメキシコの街に住むなら「日本」へ戻ると思う。


さて、成田から出発が遅れた飛行機。

2006年のワールドカップ放送が流れていたダラスの空港でもさらに遅延し、マジでオアハカに到着できなかったらどうしようって不安だった。

でも、その時に一つ願をかけていた。

「同日にオアハカに到着できたら、きっとこの先うまく行く」

2006年6月22日、夜22時半。
無事にオアハカ空港に輝く 
「OAXACA」の文字を目にした。

やった!きっとこの先もうまく行く!と思った。

まさか、到着早々にオアハカの教職員組合の暴動に巻き込まれるとも知らずに。

▼その後、オアハカで就労ビザ取った話。

▼記事内で紹介しているリンクはこちら。

▼お仕事編

▼オアハカの暴動に巻き込まれた話

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