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ろろろのめ第39回 Oasis東京ドーム公演が告げる「円環の終焉」:人道的分岐点が導いた「シームレスな熱狂」の時代


Oasis東京ドーム公演が告げる「円環の終焉」:人道的分岐点が導いた「シームレスな熱狂」の時代

​2025年10月25日、26日、Oasisの16年ぶりとなる日本公演は、東京ドームで2日間にわたり約10万人を動員し、解散前最後の日本ツアー(幕張メッセ2日間、約4万人)を遥かに凌駕する空前の成功を収めた。


この熱狂は、単なるノスタルジーではない。この動員力の飛躍こそが、ロックを軸とする日本の洋楽カルチャーの円環が閉じ、次の段階に進んだことを明確に告げている。そして、この現象は、従来の音楽メディアと評論家が長年固執してきた「分けて語る時代」の終焉を突きつけている。


​1. 人道的な分岐点と「円環の終焉」の決定打

​この歴史的な再結成と巨大な熱狂の根源には、ジャンルとキャリアの壁を超えた、ある決定的な人道的事件の存在がある。この出来事こそが、リアム・ギャラガーが再結成へ向かう「腹を括ったきっかけ」を与えた。

​それは、2017年のAriana Grandeのライブ会場での自爆テロ事件である。この悲劇が、後のOasis再結成を決定づける大きな分岐点となったと言っても過言ではない。


​一生交わらないはずだった二人の交差:

現代のグローバルポップアイコンであるAriana Grandeと、ブリットポップの反逆者であったリアム・ギャラガー。メディアが定義する「ジャンル」では最も遠い存在であった二人が、故郷マンチェスターの悲劇という人道的な文脈で結びついた。

​メッセージの再定義:

リアムはテロ被害者支援ライブにサプライズで登場し、Oasisの「Live Forever」を披露した。この行為は、彼が個人的な確執やジャンル間の壁を超え、Oasisの持つ「生の肯定」という普遍的なメッセージを、悲劇からの復興という最も重い文脈で再定義することとなった。

​Oasisの再結成は、この人道的な事件を経て、「生の肯定」という普遍的なメッセージが、ジャンルを超えた普遍的な賛歌として再定義された結果である。 この強いメッセージ性こそが、ロックカルチャーが円環を閉じ、次の段階へ押し進める原動力となった。

​2. 「分けて語る時代」の限界と「ロックの中流階級化」

​従来の音楽メディアは、「洋楽=ロック」という旧態依然とした図式に依拠し、リスナーと市場の「シームレスな熱狂」の現実を捉えられていない。

​熱狂の源泉の見誤り:

メディアが旧来のロックという文脈でオアシスの成功を解釈しようとする一方で、現代のトップアクトであるTravis Scottはベルーナドーム(旧西武ドーム)での公演を実現させる集客力を持つ(2025年11月4日現在プラチナスタンディングと注釈席以外は売り切れ)。また、Force Festivalのような大規模なHIPHOPフェスも成功を収めている。


Travis Scott来日公演券売状況(2025年11月5日現在)


Future&Metro Boomin


大盛況だったForce Festivalの会場

​現場の無視:

多くの著名な評論家は、Travis Scott公演やForce Festivalといった、現代の最大級の熱狂の現場に分け隔てなく足を運んでいない。この「行かない」という行為が、己の経験と実績だけで太刀打ちできていた世界の限界を露呈させている。

​無意味なセグメント:

メディアとライターは、「ロック」対「HIPHOP」といった不必要なセグメントを作り続けるが、この分断は市場の現実と乖離している。


「ロックの中流階級化」:

​ノエル・ギャラガーは、労働者階級の家庭で育った自分たちのような「第二のOasis」は今や見つけられないと語る。彼は、ギターが高価になり、リハーサル室がワインバーやアパートに変わってしまったことで、「労働者階級の子は今はバンドをやれない」と指摘する。


​ロックの社会的基盤の崩壊:

ノエルの発言は、ロックという文化がその反骨精神の源泉であった社会的・経済的な基盤を失い、「中流階級的すぎる」ものに変質したという危機感を示す。俳優業やサッカー選手といった「食えない時代」がある職業が裕福な家庭に独占されているように、ロックもまた、階級の流動性の停止という社会構造の犠躇ない結果に直面した。

​文化の「レペゼン」の喪失:

俳優ジェームズ・マカヴォイの警告の通り、社会のほんの一部の階級が文化を支配することで、ロックは社会全体を「レペゼン」する力を失い、その結果、熱狂の主導権はデジタルな手段で多様な層を巻き込むHIPHOPやDTM、シンガーソングライター、K-POPへと移った。




​3. 横断的な「シームレスな熱狂」という新しい現実

​Oasis東京ドーム公演を支えた動員力は、ジャンルやセグメントに縛られない、個々の好みを追求するリスナーの行動によって実現した。

​ジャンルの壁の崩壊:

現在のOasisファンは、ストリーミングやTikTok経由で楽曲を発見した新規ファンが中心である。彼らは、Billie Eilish、Olivia Rodrigo、Dua Lipaといった現代ポップや、Travis Scott、Kendrick LamarといったHIPHOPを、Oasisと並行してシームレスに横断しながら楽しんでいる。

​アーティストによる証明:

このシームレスな繋がりは、トップアーティスト自身によっても示されている。K-POPの最高峰であるBLACKPINKのROSÉはOasisの楽曲をカバーするに留まらず、ライブに客として足を運んでいる。また、Kendrick LamarもOasisのTシャツを着用し、Dua LipaやBillie EilishもOasisのライブに客として来場している。





OasisのLiveに参加したDua Lipa


​熱狂の継承:

Oasisのライブでの大合唱は、HIPHOP全盛期を経て定着したライブ文化の延長線上に位置する。

​4. 円環が閉じ、時代の交代へ

​ロックを軸とする日本の洋楽カルチャーはOasis東京ドーム公演で円環が閉じ次の段階に進む。

​この「時代の交代」において、従来の音楽メディアや音楽ライターが己の経験と実績だけで太刀打ちできていた世界は終わり、より多面的に分け隔てなくポップミュージックに触れ、リアルタイムに届けないといけない時代に突入した。

​新しい時代にメディアに求められる仕事は、分断されたセグメントを語ることではない。全てが繋がった熱狂の現場に分け隔てなく行き、リスナーの好みがシームレスな熱狂となって市場を動かしている現実を、正確に伝えることである。さもなくば、従来のメディアは、この新しい時代の潮流の中で存在意義を失うことになる。


5. 感傷的な物語の裏にある「冷徹な市場の現実」


しかし、この日本の大成功の裏で、グローバルツアービジネスの冷徹な現実が露呈している。オーストラリア・メルボルン公演では、最安値席が€10(約1,770円)にまで下落し、最前スタンディングでさえ日本のステージサイド席と同額という、ダイナミックプライシングによる価格崩壊が発生している。

2025年10月31日のOasisメルボルン公演の売れ行きと価格
  • 熱狂の地域間格差: 日本での熱狂は世界的にシームレスではないことが、価格という最も現実的な指標で示されている。日本の圧倒的な需要(「日本公演に少し分けてくれたら全日売切だったはず」)を満たせる機会があったにもかかわらず、硬直したチケット配分が行われ、豪州では需要過少が発生した。

  • 興行ビジネスの構造的な課題: ロックメディアが語る「復権」の感動とは裏腹に、豪州ツアーの動員不足は、特に円安でコスト高のアジア市場(日本を含む)への連動したツアー再構築を難しくする、興行の現実的な問題となる。グローバルツアービジネスは「豪州のダイナミックプライシング」という冷徹な市場の論理に支配されている。

メディアは、この日本での「円環の終焉」という感動的な物語だけでなく、豪州での価格崩壊が示すグローバルツアーの現実と、感情的な熱狂と市場の経済性が必ずしも一致しないという構造的な課題も報じるべきである。さもなくば、従来のメディアは、この新しい時代の潮流の中で存在意義を失うことになる。
改めてメディアに告げる。これは​ロックを軸とする日本の洋楽カルチャーの「復権」ではなく「終焉」であると。



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