聖書ファクト・シリーズ(6)ガリラヤ地方、ペテロらキリストの弟子たちや行動を共にした女性たちの故郷そして初期キリスト教会発祥の地、社会,地理,言語的背景
表紙イラスト: ガリラヤ湖

はじめに
聖書ファクト・シリーズ(1)...欧米を知る上で必須
聖書ファクト・シリーズ(2)...聖書の世界は多文化・多言語,現アメリカのようだった
聖書ファクト・シリーズ(3)...キリスト生まれ育った当時のガリラヤの言語状況
聖書ファクト・シリーズ(4)聖書の原典はマルチリンガル!英語で書かれたと信じている人たちがいると聞いて唖然!
聖書ファクト・シリーズ(5):状況に合わせ言語を使い分けたイエス・キリストの世界
に続く(その6)
今回から12使徒およびイエス・キリストに従った男女に焦点を当てる。言語的にも社会的にも多種多様な集団であったことが分かる。キリストが磔に処せられ、ペンテコステ(Pentecost)を経てキリスト教が始動するが、すぐさまローマ帝国領内でキリスト教への迫害が続き、ネロによる非道な弾圧はその極みに達し(Nero's reign of terror: how Christians became scapegoats for Rome's problems - History Skills)、それ以降西暦313年にコンスタンティヌス がキリスト教に改宗するまで300年余続いた。
にもかかわらず、鎮圧されるどころかかえって人々の間に広まっていったのは、多種多様な人々が神の前ではみな平等(equality)に救われるという信仰であった。ネロはこの考え方が当時の貴族を中心に栄えたローマ帝国への挑戦と捉えキリスト教徒を殺害した。そしてこの信仰を帝国内に布教したのがペテロら11使徒、および、キリストがこの世を去った後改宗したパウロである。多くがネロの時代に殉教するが、今回と次回ではキリストが育ち、使徒らを集め、奇跡、山上の垂訓などの説教の舞台となり、初期キリスト教の出発点でもあったガリラヤに焦点を当てたい。キリスト教の神髄を知る上で役立つ情報が満載だ。
キリストの最初の弟子たちはガリラヤ湖の漁師
筆者のごく個人的な些事をひとつ。宣教師による英語無料レッスンを受けに赴いた田舎町の小さな教会で歌った一つが聖歌580(新聖歌395)
主はガリラヤ湖の Jesus called the rugged fishers.である。

英語版タイトルはFollow Me(Jesus Called The Rugged Fishers) - Hymn Lyrics & Musicである。
イエス・キリスト自身もガリラヤ(Galilee)の寒村ナザレ(Nazareth)生まれ育つ。30才~33才までのいわゆるキリストの公生涯はガリラヤ地方を回って教えを説くとこから始まる。マルコ伝1:16~20にある通り、ガリラヤ湖のほとりに差し掛かると、シモン・ペテロ(Peter)とその兄弟アンドレ(Andrew)が網投げ漁をしているところに出くわし(奇跡の漁を体験させるや)、ついて来なさい、との一言で弟子になる。
しばらく歩くと、今度はヤコブ(James)とその兄弟ヨハネ(John)が船の中で網を繕っているのをみてついてくるようにと声を掛けると彼らもそれに応じた。(これら呼び名の発音は日本語聖書の方がコイネ・ギリシャ語原典に忠実)これらの弟子は以降キリストの最も近しい弟子になった。特にペテロ。みな、キリストと同じガリラヤ人(びと)だ。決断が速い。

この時代のガリラヤ地方そして人々の特徴
個人的な些事をもう一つ。ガリラヤ湖というと高校2年生1960年の夏に友人に誘われ参加したバイブルキャンプのサイト、長野県佐久群にある松原湖を思い出してしまう。当時人里離れた別天地、教会で出会ったで初恋で片思いの女性に振られた後の傷心の旅だった。聖歌580番を歌う時はそんな(不純な?)思いが詰まった松原湖を思い出したものだ。その後、日米の様々な教会でキリストがガリラヤ湖畔に立ちペテロら漁師に呼び掛ける説教を何度聞いたことか。でもガリラヤとかガリラヤ湖が牧歌的な田園風景のイメージしか浮かばない。(余談だが米滞在中は松原湖からTahoe湖のイメージに変わった。)
ところが、次の2つのサイトを読み、キリスト公生涯時のガリラヤは、そうした素朴で、清純で、汚れない静かな場所ではなく、複雑に入り組んだ複合的、かつ、ダイナミックな地域であり、原始キリスト教会を支えたこれら弟子たちと同行者は、ガリラヤのこうした背景を生き抜いた連帯感で結ばれていたことを初めて知る。(筆者の勉強不足露呈!)以下、2サイトのポイントを羅列する。
Bible Background: The Galileans - Faith Church Blogより(筆者編訳)
【社会的構造】
主として小麦、オリーブ、ワインの輸出に人口の殆どが駆り出されたり、牧畜民、ガリラヤ湖の漁業の担い手でもあった。ガリラヤは反映していたが、富の分配は不公平だった。ほんの一握りの上流階級、それよりほんの少し多めの中流階級、絶対多数の小作農業従事者そして日雇い労働者から成る低層階級(現在のアメリカに酷似)から成っていた。
人口の大部分はユダヤ人であった。
【歴史的・言語的背景】
アッシリアの(古イスラエル)北王国の征服によりユダヤ人の人口崩壊と異教徒外国人人口の流入を招いた。結果、この地域は「異教徒のガリラヤ」“Galilee of the Gentiles” or “The District of the Gentiles” (2 Kings 17:6).と呼ばれるようになった。その後ユダヤ人とユダヤ教を大部分を占めるようになったが異教的文化遺産が色濃く残り、ガリラヤの母語はアラム語であった。しかし、ヘレニズムの影響が広く残っていたことから、コイネ・ギリシャ語の知識が行きわたっていた。
ガリラヤ人(びと)は主としてヘブライ語の旧約のアラム語訳を使用していた。
ガリラヤ人は宗教的にも社会経済的にもローマの支配者階級の権威に背いた。この姿勢が革命的センチメントと活動の温床となり、ガリラヤ人は大胆不敵な気性で名をはせた。
パリサイ派はガリラヤで強く支持されたが、主として大きな町の中産階級を惹きつけていた。
エルサレムの人々はガリラヤ人の特有な(アラム語)方言を理由に、遅れて洗練されていない者達と見下していた。(これについては次回ペテロと関連して述べたい。)
Galileans in the Bible: Historical and Cultural Impact - DivineNarrativesより(筆者編訳)
聖書の逸話で重要な地位を占めるガリラヤ人(びと)は、地形と多文化混合がもたらした独特なアイデンティティを持つていた。その生き方、直面した逆境、聖書の出来事への貢献は、初期キリスト教の成り立ち発展に大いなる影響を残した。
【地理・文化的背景】
古イスラエル王国の北部に位置し、肥沃な平野、周りくねった丘、ガリラヤ湖など変化のある地形。豊かな農業経済、近隣との交易。ユダヤの伝統とヘレニズム、ローマ、そして他の文化圏がブレンドしたメルティング・ポット。
人口は多民族・多文化のモザイク、独特の社会形成。ユダヤ教徒(人)と異教徒の共存、ダイナミックな文化交流、他ユダヤグループと分かちガリラヤ人であることがすぐ分かる独特な方言の形成。この言語変種がこの地域の孤立と住民同士の独自性の感覚共有に。
建築などヘレニズム文化と劇場などローマ文化を有するSepphoris や政治行政センターのTiberiasのような都会は経済文化活動の中心地。そして農業、漁業の無数の小村や集落が点在する。
ユダヤ的伝統が深く根差していたが、他の様々な地域との交流の影響を受ける。シナゴグが共同体の中心、礼拝の場であると同時に教育と社交の中心でもあった。ガリラヤ人はユダヤ教の戒律に固執する一方、新しいアイデアや交流にオープンであった。これが初期キリスト教の伝播に機能した。
【イエス・キリスト、弟子たち、行動を共にした女性たち】
イエス・キリストはベツレヘムに生まれたがガリラヤのナザレで育ちこうした影響を受けた。聖書はガリラヤのルートに焦点を当てているが、ガリラヤ人をどちらかという地方的と見下げた見方が、かえって、イエスの聡明さと権威を引き立たせる効果を生んだともいえる。
12使徒の一人有名なシモンと呼ばれたペテロ(SimonPeter)は、ガリラヤの寒村Bethsaidaで生まれ育った漁師だった。初期キリスト教会の設立リーダーである。ペテロは自らの直情的であり瞬間的な性格を深い献身的精神で調和させ12使徒のスポークスマン的役割を演じたことを物語る数々の逸話が福音書に記されている。その衝撃的な平凡な始まりと非凡な布教活動の結末にガリラヤ人の背景が強く反映されている。
ゼベダイの息子たち、ヤコブとヨハネもガリラヤ出身。とても気性が激しく”雷の子たち”の異名で知られ、キリストの最も近しい弟子たちだった。彼らのガリラヤの出自は福音書の逸話で強調され、キリストのメッセージがこの地域で強く共鳴したことを物語っている。二人の母サロメもキリストの布教活動のサポートをする。後ヤコブはエルサレム教会のリーダーに、ヨハネは福音書と黙示録を書く。
マグダラのマリアはガリラヤ湖西岸のマグダラの出身。キリストが磔刑に処されらえている際にもその場でサポートし、復活の最初の目撃者とされる。彼女のガリラヤ人としてのアイデンティティはその逸話の重要な面を占める。彼女の役割は当時の社会的基準に挑戦し、キリストの布教活動の包括性、包容性の良例であり、初期キリスト教会で重要な役割を演じた。
【ガリラヤ社会と日常生活】
ガリラヤ社会は日常活動、社会構造、地域交流の色とりどりの糸から成る錦織のようなもの。主として農業経済、小麦、大麦、オリーブ、ブドウなどの生産農家。これら産物が地域持続性を支え、周辺地域との交易を活発にした。また、ガリラヤ湖の漁業は地域の食を満たし商業活動を活発にした。 市場は栄え、同時に各地村々の商品、情報、話題の交換の場であり、地域社会性を育んだ。
ガリラヤの家々は質素で石と土で作りで屋根は草ぶき。食事、手仕事、社交用の共同中庭があり、家族や近所とのきずなを強めた。住居の簡素性は地域のリソースと気候に順応したガリラヤ人の実用的かつリソースフルな気質の表れである。
教育は宗教の教えに即し、男子は幼いころから地域のシナゴグに通いラビの指導の下でトーラの教えを受けた。この初等教育宗教的知識のみか倫理・道徳的振る舞いを学んだ。聖典の教えは信仰と伝統に根差した地域社会の形成を助長した。女性は、教育の機会から除外されたが、家庭内で実用的知識と文化的価値観をimpart
結婚式、宗教儀式、聖餐式、共同食事会などの催しが祝賀と社会団結のために開かれた。音楽、ダンス、物語朗読などの娯楽が地域の文化的遺産を形成した。これらの集まりが個々人が地域社会とのきずなを強め、集団的喜怒哀楽を分かち合う一助となった。
【初期キリスト教におけるガリラヤ人の役割】
ガリラヤ人は初期キリスト教ムーブメント形成の道具として機能し、その骨組みに織り込まれている。ガリラヤ社会の fervor と開放性はイエスのメッセージが深く共鳴するのを助長し、献身的で粘り強い社会形成の育成に役立った。 この地域の文化的影響と堅固な農業経済が相まみえて、イエスのフォロワー達を惹きつけdisseminatedした新しい宗教的理念伝播の滋養に満ちた土壌になった。
ガリラヤ人の各地往来は、ガリラヤ商業街道と湖の交通に促され、イエスの教えを境界を越えて広めることを可能にした。こうした外向的動きは地域のメッセージを世界的なものに変えていくキーである。 その多くがガリラヤ人であった初期キリスト教の布教者たちは、多様な文化と多様な言語の知識を応用し、ローマ帝国の様々な地域で効果的に意思疎通した。かれらの他文化適応力と激しいほどの熱意は故郷を離れた都市部の中心地で重要な役割を果たした。
ガリラヤの女性たちは初期キリスト教において変革をもたらす役割を担った。社会的通年を超え産声を上げたばかりの教会のリーダーやパトロンになった。コミュニティー形成とネットワークのサポートに携わり安定と継続をもたらした。 これら女性たちは家で集会を開き礼拝と懇親の場を設け、教会の発展に寄与した。彼らの積極的な貢献は初期キリスト教会のメッセージにおいて、ガリラヤ社会の多様性と強く共鳴する包括的な平等主義的な本質を強調する効果があった。
4福音書に記されたキリストの奇跡の多くはガリラヤにて
イエスの奇跡 - Wikipediaに、4福音書が記すキリストが行ったとされる奇跡のリストがある。その多くがガリラヤ地方で起きている。また、キリストはたとえを使って説教している。イエス・キリストのたとえ話 - Wikipediaにそのリストがある。
「これらのたとえ話にはイエスの時代に生きた徴税人、羊飼い、農夫、漁師、日雇い労働者、裁判官、主人、婦人、父親、息子、管理人、しもべ、王、金持ち、物乞い、やもめなど様々な階級の人々が登場する。」
とあるが、その多くがガリラヤ地方に関係する。キリストは貧富人種を選ばない。奇跡もたとえにもキリストがいかに地域社会に溶け込んでいたかを物語っている。特にこの地方特産の小麦、ブドウに関するものが多い。最初の奇跡はカナの婚礼で水を良質の葡萄酒に変えるというものだ。この地方の農民が毎日葡萄酒づくりに励んでいた様子、また、この家の中庭に人々が集まり婚礼の儀を楽しんでいた様子が浮かんでくる。いよいよ捕縛される前夜の最後の晩餐でもパンとともに葡萄酒を交わすが、弟子たちはガリラヤで食し飲んだパンと葡萄酒を思い出したであろう。そしてブドウ園の主と労働者のたとえなどなど。
筆者が一番好きな逸話は、<マタイ 14:13、マルコ 6:30、ルカ 9:10、ヨハネ 6:1>に記された一人の少年が持っていた5つのパンと二匹の魚の奇跡だ。パンはこの地方の小麦で作ったものであろう。魚はガリラヤ湖で獲れたものだろう。何全人もの聴衆が人里離れた荒れ地で空腹の状況、この少年も空腹であったであろうから何故自分で食べてしまわなかったのか?ここにガリラヤ地方の貧しい人たちの逆境の中で生まれた連帯感がこの少年に芽生えていたからであろう。少年はそれを弟子の一人に渡す。彼はキリストがそれを祝せば全聴衆に行きわたるように増やしてくれると信じたに違いない。
筆者はこの少年をペテロに置き換える。キリストが十字架にかかり復活したと信じる前の彼のふるまいはまるで子供のよう。人間キリストへのガリラヤ地方独特の心情と熱意で生きていた。しかし、ペンテコステ以降はそれが熱い信仰心に変わる。小さなパンと少量の魚だ。でもそれを彼は多くの人に分かち、やがてローマ帝国国教になる。彼の才能はガリラヤ生まれのガリラヤ育ちの寮生活が育んだ屈強さと熱意だけだったが、キリストはそこを見て声をかけ弟子にしたのだろう。
次回(その7)はこのペテロに焦点を当てる。
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