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聖書ファクト・シリーズ(7)シモン・ペテロが話したガリラヤ訛りのアラム語...聖書の世界は多言語・多文化が編み出すヒューマン・タペストリー


表紙絵画:レンブラント「ペテロの否認」(ペテロはイエスを3度否認/マタイ伝27:69-75)

 


はじめに

聖書ファクト・シリーズ(6)ガリラヤ地方、ペテロらキリストの弟子たちや行動を共にした女性たちの故郷そして初期キリスト教会発祥の地、社会,地理,言語的背景」に続く。

イエス・キリストは幼少時代寒村ナザレ地域のシナゴグの学校でラビからユダヤ教トーラ(The Torah)を学びながらヘブライ語に通じ、ガリラヤ地方の地理的、社会的、文化的背景から、当時中近東から地中海にかけて共通語となっていたKoineギリシャ語の読み書きも出来たものと思われる。

あるいはラテン語も?とも思うが聖書にそれについては明確な記録がない。この地方はローマに対し激しい敵対心を抱いていた様で、マタイ伝3:16-19に12弟列記された12人の弟子の中に二人のシモンがいるが、一人はイエスにギリシャ語の「岩」を意味するペテロと呼ばれ、もう一人は"熱心党"シモン(Simon the"Zealot" )と呼ばれた。イエスの弟子になる前は、ローマ政権に激しい敵意を抱く過激派ユダヤ人のZealo党に属していたからだ。このあだ名からもこの地の民衆がローマに対しネガティブなセンチメントを持っていたことが窺える。その前のヘレニズム時代には民衆の間にリンガフランカとしてコイネが広がったが、同じようにラテン文化とラテン語が受け入れられたとは思えない。イエスは僕の癒しを願ったローマ兵卒長をその信仰ゆえにほめたと記されているが、ラテン語ではなくコイネで話したものと思われる。

また、霊の世界に関心を持つイエスにとって現世の象徴のようなローマへの関心は薄く、Mark伝12章17節で”Then Jesus told them, "Give to Caesar what is Caesar's, and to God what is God's." And they marveled at Him.”「カイザルの物はカイザルに,神の物は神に」とそっけなく答えている。ローマやラテン語に対するイエスの冷めた姿勢を窺い知ることができる。ガリラヤ地方全般にローマに対するネガティブなセンチメントがあったことは確かだ。そうした社会的背景を察知してか、強大な力を誇ったローマ帝国はラテン語を公用語にしようとは考えなかったようだ。多言語社会における特定の言語の公用語化は、必ずそれ以外の言語の話者からの反発を招き政情不安につながる。ローマ政権もそのことを弁えていたようだ。

前回述べたように、イエスは日常性生活でアラム語を話した。ガリラヤ訛りの強いアラム語であったものと思える。今回は、同じく、ガリラヤ訛りのアラム語のモノリンガル話者使徒ペテロに焦点を当て、キリストが十字架にかけられる直前のペテロの言動、いわゆる、「ペテロの否認」に描かれた彼の言語・社会・心理的な葛藤につき、多言語(変種)・多文化コンテクストに生きた一人の弱き人間のドラマとして追うことにする。

ペテロについて

List of the Twelve Apostles of Jesus: Names & Facts | Britannica | Britannicaにを参考に、筆者なりにペテロについてまとめてみる。ペテロは、もともとヘブライ語でシメオン( Simeon)、 コイネ・ギリシャ語でシモン(Simon)と呼ばれ、周知のとおり、12弟子の筆頭と目され、新約聖書の最重要人物の一人である。マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝のいわゆる共観福音書 (the Synoptic Gospels)にあるように、ペテロと弟のアンドレ( Andrew )はガリラヤ湖の漁師で、ガリラヤ湖で漁をしていた。その日は不漁だった。するとそこに通りかかったキリストが網を打つようにと言ったので打ってみると網が破れる程の大漁になった。キリストは驚く二人に「人を獲る漁師してあげよう、ついて来なさい」と呼びかけ、二人共々即網を捨て、そのままついて行き最初の弟子になった。こうした経緯もあり、兄ペテロの方はキリストのスポークスマン的存在になり、他の弟子たちよりもやや卓越した扱いを受けながら仕えた。

しかしながら、使徒行伝(Acts) 4章13節には、「人々はペテロとヨハネの大胆な話しぶり見、また同時にふたり(ペテロとヨハネ)が無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った」とあるように、 モーセの十戒を含む法(the Mosaic Law )も知らない無学な漁師であったことには変わりはない。貧しい漁師の家庭に生まれ、幼少時に地域のシナゴグでトーラを勉強したことはなく、よって、ヘブライ語とコイネの読み書きを学ぶ機会を逸し、ガリラヤ訛りのアラム語を話すだけのモノリンガルであったに違いない。雄弁をもって人々を驚かせたのは、キリストが処刑され復活しペンテコステ(聖霊降臨)を受け生まれ変わり使徒として活躍し出した時のことで、キリスト生前中のペテロは、他の弟子たちと同様に、ガリラヤ育ち丸出し、粗野で、素直で直情型の人物であったことを匂わせる言動が多い。

マタイ伝16章15-20節では、イエスが弟子に向かい「それではあなた方はわたしをだれと言うか」と尋ねると、ペテロは真っ先に「あなたこそ生ける神の子キリストです」と答える。するとイエスは「あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく神である。そこでわたしもあなたに言う。バルヨナ・シモン、あなたはペテロ(岩)である。そしてわたしはこの岩(ペテロ)の上に教会を建てよう。…わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう…」とまで言う。この出来事を機にペテロと呼れることになる。

そうかと思えば、その直後に、マタイ伝16章21節~23節にあるように、イエスが弟子らにこれからエルサレムに行き、律法学者らに捕らえられ、苦しみを受け、殺され、3日後によみがえることになると告げると、ペテロは力づくでイエスを脇に引き寄せ、「そんなことがあるはずがございません」と諫めようとする。それに対し、イエスは「サタンよ、引き下がれ、わたしの邪魔をするものだ。あなたはかみのことは思わないで、人のことを思っている」と叱咤する。さっきは天国、今度は地獄のサタンとまで言われてしまう。

マタイ伝8章14節ではキリストは、カぺナウム(Capernau)にあるペテロの生家を訪れ病気の彼の義理の母を癒し、ルカ伝5章3節でイエスはペテロの小舟に乗り群衆に説教をしている。また、マタイ伝14章22節23節では、イエスが嵐の中、弟子らが乗る舟をめがけて水上を歩くのを見て、すぐ舟から水上に飛び降り、しばらくは歩くが恐れから水中に引き込まれそうになりイエスに助けてもらう。

ペテロがイエスに特別扱いを受け核心的メンバーであったことは、有名なイエスの変容 (Transfiguration, )とゲッセマネの園での苦しみ (Garden of Gethsemane)において、現場への同行を許され、その様子を直接目撃したという記録が物語る。そして、ヨハネ伝18章11節,12節では、ユダに先導された兵卒と祭司長やパリサイ派が送った下役どもがイエスを捕縛しようとすると、ペテロはすぐさま持っていた剣を抜き、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落とした。それを見たイエスに「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」と叱られている。イエス存命中のペテロはイエスに対しひたすら忠誠心を抱き、剣を所持し、場合によっては武をもって抑えることもいとわない、いわば、屈強な荒くれ者であったことは確かだ。

鶏が鳴く前に三度もイエスの弟子であることを否定したペテロ

マタイ伝27章69節ー75節,マルコ伝14章66節―72節,ルカ伝22章54節―62節、ハネ伝18章15節–18節, 25節–27節にその時の様子が克明に描かれている。イエスの予告した通り、鶏が鳴く前に、言い換えると夜明け前に、ペテロが3度もイエスを知らないと「否認」したという逸話は、聖霊降臨のビフォーのペテロとアフターのペテロにおける前者を締めくくる人間ペテロのことである。その様子をマタイ伝27章69節ー75節を引き合いに再現してみよう。

イエスは兵卒および下役らに捕縛され、大祭司の館に連行され、そこで、裁かれることになる。ペテロはその持ち前の勇気とイエスに対する忠誠心で、距離を空けて列の後ろに付け、夜の闇に紛れて中庭に入り群衆の中に紛れ込んで座る。すると、館の女中がかがり火に浮かぶペテロの顔を見つけ、「あなたもあのガリラヤ人(びと)イエスと一緒だった」と言う。ペテロはみなの前で「あなたが何を言っているのか分からない」と言って打ち消す。そう言いながら入り口の方に出て行くと、ほかの女中に見つかり、「この人はナザレ人(びと)イエスと一緒だった」と言う。ペテロは人々に向かい「そんな人は知らない」と誓って言った。そこに立っている人々近寄ってきて、ペテロに「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」と言って激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。

この「言葉遣い」であるが、The Oxford Annotated Bibleでは、”Certainly you are one of them, for your accent betray you."(Mathew 26:73)と、訛りという意味のアクセント"accent"になっている。フランス語の聖書La Saint Bibleでは”Certainement tu es aussi de ces gens-la, car ton langage te fait reconnaitre." と、"langage"と訳され 、[1] "ton langage" = "ton accent galileen"ガリラヤ訛りとの注が付記されている。

ガリラヤとガリラヤ訛りのアラム語の印象

すなわち、ペテロはガリラヤ訛りのアラム語を話し、それで、ガリラヤ人(びと)イエスの仲間と判断されたのだ。前回「聖書ファクト・シリーズ(6)」でガリラヤ地方の歴史・背景に触れ、Galileans in the Bible: Historical and Cultural Impact - DivineNarrativesと称するサイトからガリラヤについて、

「人口は多民族で多文化のモザイク的独特の社会を形成しユダヤ教徒(人)と異教徒が共存するイナミックな文化交流があった。そして、言語的には他のユダヤグループと分かつガリラヤ人であることがすぐ分かる独特な方言、ガリラヤ訛りのアラム語を形成した。この言語変種がこの地域を他の地域と孤立させ、一方では住民同士の独自性の感覚共有を高め結束を強めた。(社会言語学では、言語は同語の話者同士を結び付ける結束機能soridarity functionがあるとされ、まさにその例である。一方で、対異言語の話者を分ける分離機能separatist functionがある。)この逸話では、ガリラヤ訛りのアラム語は、宗教・政治・経済の中心地エルサレムでは、よそ者的存在を浮き上がらせ蔑まれ見下げられていたようだ。この箇所でも、「ガリラヤ人(びと)」、「ナザレ人(びと)」とか、同じアラム語でありながら「言葉遣い」、すなわち、アクセント/訛りの違いをことさら強調され、侮蔑されていた様子が感じ取れる。

こうした言語の違い、同じ言語でも方言など変種の違い、これは原典のコイネ・ギリシャ語聖書からも、英語聖書からも、日本語聖書からも、フランス語聖書から感じられない。しかし、もし、この場面を飛び交っていた言語や方言そのままで描き直してみれば、大司祭側の人々はエルサレム訛りのアラム語で怒声を浴びせ、イエスやペテロはガリラヤ訛りのアラム語で応答したに違いない。両側の音声・音韻の違い、語彙・表現の違い、統語の違い、意味の違いが交錯したことだろう。同じアラム語の方言変種のぶつかり合いだ。この後のシーンではローマ総督ピラト、大祭司などが搭乗し、口を開くが、ヘブライ語、コイネ、ラテン語がそれに加わったことだろう。このような言語的複合的世界、それが、聖書の世界である。

ペテロの死に見る使徒としてそしてガリラヤ人の生きざま

ペテロはイエスの見守る前でイエスを否定する。イエスは彼の人間的弱さを承知の上で「否定するだろう」と言ったまでだ。そのことを、聖霊降臨(ペンテコステ)でイエスがキリスト(救世主)であることを確信し知ることになる。「使徒行伝」、「ペテロ第一の手紙」、「第二の手紙」の2つの書簡に、一度抜いてしまった刀を捨て、ガリラヤ訛りのアラム語で、神のみを恐れ、迫害を恐れず、人々の前で堂々と雄弁にキリストの教えを説く、一目で「無学な、ただの人たち」と分かるペテロの姿が記されている”The pen is mightier than the sword。”(文よく武を制す)とはこのことを指す。

一説によれば、彼は、逆さ磔で生涯を閉じる。逆さにするよう要求したのはペテロ自身だった。主イエスと同じ磔ではイエスを3度も否定してしまった自らを最後まで許せなかったのだろう。

聖ペテロの磔刑 (Crocifissione di San Pietro)

最後に筆者の勝手な想像。衆目の中でガリラヤ人(びと)であることをガリラヤ訛りのアラム語で否定したこと、自らが育ち、キリストと出会えたガリラヤ湖、キリストが水を上質の葡萄酒にかえた最初の奇跡の地カぺナウムなどが点在する愛する故郷ガリラヤを否定してしまったこと、イエスと過ごした様々なことが走馬灯のように浮かんだに違いない。使徒としてガリラヤ人(びと)としての生涯を誇りに、神への感謝を捧げて最期を遂げた。おそらくペテロには最高に幸せな瞬間であったであろう。

無学であったがゆえに最初はガリラヤ訛りのアラム語で送ったモノリンガルの人生であったが(次回(8)で触れるようにペンテコステの奇跡でマルチリンガルに!)、ガリラヤの多言語・多文化でオープンとな地に育ち、ユダヤ人の地のみならず異教の人々(the Gentiles)の地にも赴き「人を獲る漁師」になり、使徒の筆頭と称されるに相応しい人生であった。

その聖書ファクト・シリーズ(8)ペンテコステで使徒みなマルチリンガルに!キリスト教の原点&世界に広まったのはそのお陰|に続く。


[1]英仏語の”accent”は音の「強調」という意味があるが「訛り」という意味でよく使われる。また、 フランス語には日本語の「言語」英語"language"に対応し、英語、フランス語、日本語など個々の言語を意味する”langue”とヒトの言語を生成する能力を意味する”langage”があるが、"parole"(話し言葉/speech)も含め、ソシュールから始まる現代言語学の発想であり、この聖書のフランス語訳には反映されていない。ここでは"langage"は言語、方言(訛り)も含んでいる。

(2025年7月8日記)



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鈴木佑治 N.Yuji Suzuki サポートいただけるととても嬉しいです。幼稚園児から社会人まで英語が好きになるよう相談を受けています。いただいたサポートはその為に使わせていただきます。