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聖書ファクト・シリーズ(8)ペンテコステで使徒みなマルチリンガルに!キリスト教の原点&世界に広まったのはそのお陰

表紙イメージ:ペンテコステThe Day of  Pentecost弟子たちが突如様々な異言で聖霊降誕を祝う (FreeBible images)


はじめに


聖書ファクト・シリーズ()に続く(8)、未読の読者はまず()をお読みいただきたい。

イエス・キリストは当時ある意味蔑まされていたガリラヤ地方の小村ナザレ人(びと)であった。いわゆる公生涯に入るや最初に手掛けたのは12弟子を集めることであった。彼らもガリラヤ人(びと)、職業は、ガリラヤ湖の漁師、当時忌み嫌われた取税人、などだが詳細は不明。ガリラヤ訛りのアラム語を話し、恐らく、取税人だったマタイそして医者のルカ以外は殆どが無学であったと思われる。ペテロはその筆頭。イエスを裏切り自害したイスカリオテのユダの補充としてマッテヤがくじで選ばれ(祈ったのち)使徒に加わったが(使徒行伝1章26節)、彼のバックグランドも同様であったものと思える。いずれにせよ、使徒行伝1章の段階ではこれら12人はマタイとルカを除き無学なためにガリラヤ訛りのアラム語しか話せなかったものと思える。

キリスト教国を自認するなら使徒行伝2章の象徴的意味を知るべき

キリスト教国と自認する国々は是非読んで理解すべき箇所である。キリスト教徒、非キリスト教徒、無神論者関係なく、国王であれ、大統領であれ、首相であれ、自らの国のトップが戴冠式または就任式に聖書に手を置いて誓うのであればなおさらだ。ペンテコステが起きた集まりは、その殆どが無学でガリラヤ訛りのアラム語モノリンガル話者であった12使徒が突如数々の言ことばを話し始める。それぞれがバイリンガル、トライリンガル、否、マルチリンガル話者になる奇跡の場所と化したと書かれている。

ここにはマルチリンガル、マルチカルチャー、マルチエスニックが神の祝福の結果として描き出されている。創世記の11章に書かれている「バベルの塔」のそれは神の呪いの結果として描かれているが、使徒行伝2章ではその真逆の祝福だ。これについては次回で触れるのでここでは割愛するが、キリスト教の原点がマルチリンガリズムであったことを象徴する逸話だ。

当時のこの地域で言語的覇権を持っていたいわば共通語であったコイネ・ギリシャ語やラテン語ではなく、様々な言語の話者が集まったエルサレムの地の最初の教会では、これら12使徒らはその地で聞く様々なことばを話し始めたとある。異言語、異文化、異人種に赴き「福音」Gospelを広げる為にほかならない。それがキリスト教の原点だ。西暦2世紀にイングランドにキリスト教が伝播された(最初はラテン語で後にウイクリフが英訳)のはその一つの結果である。

聖書に手をついて誓う時にはその事実を認めることだ。アメリカ合衆国が建国以来2025年まで英語を国語とか公用語に制定しなかったのは多分にその認識に従ったからであろう。移民国家アメリカに集まった移民の多くは様々な言語を話すキリスト教徒で、その原点は使徒行伝2章の象徴的奇跡の結果であると認識したからであろう。

キリスト教国を自認するのであれば、世界の殆どをカバーする多種多様な言語の話者が在住しそれを誇り許容してきた。「Onlineで大変貌English in “Global Village”...非英語圏の第二言語に|鈴木ゆうじ N.Yuji Suzuki」で指摘したように、アメリカ英語はまさにそれゆえに語彙表現を増やし文法構造を簡素化させ汎用性が高いグローバル・言語に成長したのだ。英語がたくさんの言語と共存した産物であろう。

では、使徒行伝2章を見ることにしよう。

使徒行伝2章ガリラヤ訛りのアラム語モノリンガルからマルチリンガルへの奇跡

使徒行伝2章で何が起きたか、英語勉強中の読者はキング・ジェームズ版ACTS CHAPTER 2 KJV - King James Bible Onlineを読まれたい。以下、1961年日本聖書教会発行『聖書』の使徒行伝2章から本テーマに関する節だけ書きぬいてみた。太字の部分を注意して読まれたい。文中の数字は2章の何節かを指す。

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(1)五旬節の日がきて、みんなの者(12弟子ら)が一緒に集まっていると、

(2)突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

(3)また、舌 (コイネでは「言葉/言語」という比喩的意味もあり、英語tonguesも同様の意味がある。英語訳では原典を反映し”tongues”と複数形に邦訳も「複数の舌」ではなかろうか?)のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。

(4)すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した

(5)さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、

(6)この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。

(7)そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。

(8)それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語(ことば)を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

(9)わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
(10)フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、

(11)ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。

(12)みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。

(13)しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。

(14)そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。

(15)今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。

(16)そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、

(17)『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。

(18)その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。

(中略:ペテロが集まった群衆に向け、キリストが十字架にかけられ、復活し、この日聖霊が12使徒らに下り、キリストの十字架と復活の意味を大胆に伝える。)

(37)人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。

(38)すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。

(39)この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。

(40)ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。

(41)そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。

(以上、1961年日本聖書教会発行『聖書』の使徒行伝2章より)

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使徒行伝2章のマルチリンガルの奇跡closer look

使徒行伝は「ルカによる福音書」に続くもので、使徒ルカが書いたとされている。12使徒や後に加われパウロらがいかに「福音」を広めていったを綴ったものだ。ペンテコステが起きたエルサレム→サマリヤ(8章5節)→地中海コースト(8章40節)→ダマスカス(9章10節)→アンチオケとキプロス(11章19節)→小アジア(13章13節)→ヨーロッパ(16章11節)→そして最後はローマ(28章16節)とOxford Annotated Bibleはまとめている。使徒たちが布教して歩き各地に根付かせた教会である。ルカの場合は医者であったことから学識があり恐らく自らの福音書もこの使徒行伝もコイネで綴ったに違いない。しかし、マタイもちろん後に加わるパウロを除き、後の使徒らまたその弟子たちの多くは恐らくガリラヤ訛りのアラム語を母語とするモノリンガルであったろう。

さすがアラム語だけでこれらの地域で説教し人々を惹きつけるのには限界がある。Languages Spoken at Pentacost - Early Church Historyと称するサイトは、使徒行伝2章で記されている12使徒らが話し始めた言葉とそれが話されている地域及びその地域で話されているその他の言語をリストしている。コイネ、ラテンは共通語としてあったことを念頭に。

  • Parthiaパルテヤ人—Parthianパルテ語, a proto-Aramaic languageプロトアラム語

  • Mediaメジヤ人—a northeastern Iranian language北東部イラン語

  • Elamエラム人—a “language esolate” with no relationship to any other他とは全く別語族の言語

  • Mesopotamiaメソポタミヤ人—Akkadian spoken 2800 BC-500 AD紀元前2500-紀元500まで話されていたアッカディア語

  • Judeaユダヤ人—Aramaicアラム語, Hebrewヘブライ語

  • Cappadociaカパドキヤ人—mixed Greek混成ギリシャ語 and local dialects地方方言

  • Pontusポント人—Greekギリシャ語 and Persianペルシャ語

  • Asiaアジヤ人, a Roman province—Latinラテン語

  • Phrygiaフルギヤ人—Phrygian until 500’s AD紀元500年頃まで話されていたフルギヤ語and Greek/Anatolian languageギリシャ語/

  • Pamphyliaパンフリヤj人—mainly Greek主としてギリシャ語

  • Egyptエジプト人—Copticコプト語

  • Libyaリビヤ—Berber, Citin and Greek

  • Romeローマ人—Latinラテン語

  • Creteクレタ人—Cretan Greekクレタ訛りのギリシャ語

  • Arabsアラブ人—Arabicアラビア語

11節には、使徒らが興奮して異言を話す騒ぎを聞きエルサレム中から集まった人々が、「ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」と驚きの声を上げる。しかもそれぞれカタコトではなくかなり流ちょうに。見れば、無学のガリラヤ訛りのアラム語話者が、しかもペテロは40節に「ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に”この曲った時代から救われよ”と言って勧めた」とあるように、どうやら、上記の言語の一つで話した後に、その他の言語でも話したとある。

この奇跡をどう捉えるかは人により千差万別であろう。筆者はこう考える。ノーム・チョムスキーの言語普遍性の視点から考えれば、ヒトは特有の生まれながらに持つ言語能力があり(innateness hypothesis) 、よって全ての言語は普遍性(linguistic universals)を共有する。これらの言語やその他の言語はみな独自性を保つがコアを共有するのでヒトはその先天的言語の能力でどんな言語も学ぶことができる。チョムスキーは自ら明言するように無神論者でありその能力を物理的進化と考えるだろう。反して宗教を信ずるものはそれを神から授かった能力と見る。チョムスキー理論が依拠するデカルトDescartes, Rene | Internet Encyclopedia of Philosophyはその後者の方だ。それは個人の自由。

他方、言語相対論者のエドワード・サピアEdward Sapir | Biography, Linguistics, Theory, Language ...から見れば、それぞれの言語はその話者集団の社会、文化の産物であり、その相違ゆえに認識パターンにも影響するということであるので、これらの言語はそれぞれ独自の価値観を有する。ここからこれらの言語を学ぶことがいかに難しいかは理解できる。無神論者から見れば、自然の力を、宗教を信ずるものから見れば、神の力を賛美する壮大さだ。

二つの違った学派の意見をまとめると、それぞれの言語は互いに相違する、が、根底的な普遍性があることは確かだ。例えば、文法構造的に、どの言語にも動詞、名詞、形容詞、副詞、助詞などの品詞があり、語順は違えど、句、節、文にまとめる統語がある。とは言え、その隔たりが大きいのも確かだ。

使徒行伝1章から28章までに記憶されているように、12使徒とパウロらが恐らく30代から亡くなるまでの間にこれだけの広範囲にこれだけの教会を建てたということは、それぞれの地域で話されている言語で語り掛けなければ無理だ。少なくとも使徒行伝2章に記されている人々の言語15以上を短い間に学習したに違いない。それはキリストへの信仰があってこその所業であろう。一人15言語とは言わぬまでも、同じ言語族に属するものも多いので、複数言語を学習したのではなかろうか。ペテロなど無学な者にとっては至難の業だ。

いずれにしても、使徒行伝2章の奇跡は、異言語の人への思いやり、それゆえに彼らの言語を話し布教することへの熱意が前面に描き出されている。これがキリスト教の原点は多言語、多文化を尊ぶ精神が満ち溢れている。

(2025年7月26日)

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