聖書ファクト・シリーズ(5):状況に合わせ言語を使い分けたイエス・キリストの世界
表紙写真:The Harmony of the Four Gospelsより
はじめに
「聖書のファクト(1)...欧米を知る上で必須」
「聖書ファクト・シリーズ(2)...聖書の世界は多文化・多言語,現アメリカのようだった」
「聖書ファクトシリーズ(3)...キリスト生まれ育った当時のガリラヤの言語状況」
「聖書ファクトシリーズ(4)聖書の原典はマルチリンガル!英語で書かれたと信じている人たちがいると聞いて唖然!」
の続き(5)である。
(1)~(3)ではイエス・キリストが生まれ育ち活躍した西暦1世紀前後のパレスチナ地方の言語状況に触れた。キリストはアラム語、コイネ・ギリシャ語、ヘブライ語を状況に応じて使い分けていた。しかしながら、(4)で触れたように 新約聖書はコイネ・ギリシャ語で書かれた。よって、キリストの生涯を綴った四福音書もコイネ・ギリシャ語で書かれた為、キリストがどのようにこれらの言語を使い分けたか、すなわち、社会言語学で言うコード・スイッチング(code switching)をしたかについては想像するしかない。
本稿では、キリストおよび登場する人物が状況に合わせ堂どのように言語を使い分けていたか探る。キリストの優しさ、思いやり、そして時には厳しさを垣間見る。
新約聖書の四福音書について
新約聖書の最初にマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝がある。これは非公式の呼び名、正式には、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書だ。英語ではThe Gospel according to Mathew, The Gospel according to Mark, The Gospel according to Luke, The Gospel accoding to Johnという。
ゴスペルGospel、音楽ジャンルのゴスペルも
「ゴスペル」はここから来た。別稿「Old English(古英語)Modern Englishから想像できない姿、他言語の痕跡も---エッセイFor Lifelong English」で述べた、古英語(Old English)時代に古フランス語(Old French)のラテン語”evangelium"の訳 "gōdspell"(gōd=good +spell = news)を借入(borrowing)したものだ。日本語で正確に言えば「良き知らせ」である。ちなみに、フランス語の聖書La Sainte Bible (1965, Louis Segond)では、GospellではなくEvanglise Selon Mathieuのようにラテン語オリジンにこだわっているようだ。

音楽のジャンルgospellは、アフリカ系アメリカ人が奴隷として苦難していた時代に、解放を味わえた少ない機会の一つが、黒人教会での礼拝方式であった。教育の機会が奪われ文字を読うことが出来なかった彼等はアフリカ大陸から持ち寄ったチャント(chant)で説教を聞きそれに応えた。説教者はこの世の辛さはキリストを信じ死後天国に行けば解放がると言うgood news、すなわち、gōdspellをチャントする、それに聴衆が応えチャントする。筆者も何度かNew York Harlemのアフリカ系アメリカン人教会で参加したことがあるがこれは凄い!ド迫力!ゴスペル(good news)の交換の場を実感した。
マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝四福音書(The Four Gospels)にはキリストの生い立ちから十字架にかけられるまでの記録が書かれており、それぞれの状況でどの言語を使ったか想像してみよう。
4福音書が書かれた順序
The four gospels: its authors and the timeline of writing - Biblword.netによると、4福音書を書かれた順に並べると、以下のようになるらしい。

最初に書かれたのはマルコ伝で、西暦60年代から70年代らしい。マルコは12使徒ではなく、その一人ペテロの弟子で、ペテロが口承で伝えたことを書き留めた。

マタイ伝とルカ伝はマルコ伝を基に書かれたようで、マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝には共通部分が多く、それゆえ共観福音書(Synoptic Gospels)と言われる。
マタイ伝は12使徒の一人マタイによるもので、西暦70年代後半から80年代前半に書かれた。
ルカ伝は西暦80年代中盤に書かれた。ルカは医者でイエスの生涯を順序だてて書いており、ルカ伝1章1節にあるように、テオフィラス(Theopilus)宛てに書いている(使徒行伝Actsもこの人物宛て)。マルコ伝をベースにしているが、イエス誕生の様子については医者として聖母マリヤから聞いたところを書いたとのこと。
ヨハネ伝は使徒ヨハネによるものだが、最初の草稿は西暦50年代に書かれ、最終稿は西暦90年~西暦100年の間に書かれたようだ。ヨハネは自らを「キリストが最も愛した弟子」“the disciple whom Jesus loved” (ヨハネ伝 13:23)自認しておりキリストに非常に近かったようだ。
これら四福音書は全てコイネ・ギリシャ語で書かれている。アラム語、コイネ・ギリシャ語、ヘブライ語、そして、時にラテン語が、何時、どこで、どのように使われたかの言及は全くない。別稿で述べるがあっても稀少だ。これら3言語だけではない。聖書の世界はアジア、アフリカ、中近東、地中海を覆い広域だ。それら各地の伝統、文化、言語が交差する。今回はまずベツレヘムでのイエス・キリスト誕生にまつわる人物たちに焦点を当てよう。
東方からきた博士たちは何語で?
マタイ伝2章1節から23節はイエス・キリスト誕生、すなわち、クリスマスにまつわる様々な出来事が書かれている。教会の日曜学校で子供たちが演ずるクリスマス劇でおなじみのストリーだ。

西欧キリスト教ではMagiと称され重要テーマの一つに
この話は西欧キリスト教にとって最重要になり、これらの賢人はMagiと称され西洋キリスト教の伝統の一つになっていく。以下のキリスト教系そして史学系サイトがその経緯を述べている。
Magi | Definition, Scripture, Names, Traditions, & Importance | Britannica,Biblical Magi - Wikipedia,
Who Were the Magi? – Bible Archaeology Report,
Who Were the Magi in the Bible? Names, Gifts and Stor,
Here's What History Can Tell Us About the Magi | TIME,
Bible Scholar Brent Landau Asks “Who Were the Magi?” - Biblical Archaeology Society,
Magi: where did the wise men come from? | Seen & Unseen,
The Three Magi - Biblical Archaeology Society,etc.
余白が限られているので、以下、ブリタニカのMagi | Definition, Scripture, Names, Traditions, & Importance | BritannicaおよびWho Were the Magi? - Bible Archaeology Reportを参照することにする。
Magiは西暦3世紀ごろに端を発し、キリスト教がローマ帝国の宗教と認められるや、中世期にかけて以下のような教会にアイコン化され広まっていったようだ。



マタイ伝2章1節~8節で交差する言語
マタイ伝2章1節から8節は以下の通りだ。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。私たちは東のその星を見たので、そのかたを拝みにきました。」ヘロデはこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちを全部集めて、キリストはどこに生まれるのか問いただした。彼らは王に言った、「それはユダのベツレヘムです。予言者がこうしるしています。『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者と成るであろう』そこでヘロデはひそかに博士たちを呼んで星の現れた時について詳しく彼らをベツレヘムにつかわして言った「行って、その幼子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれわたしも拝みに行くから」(マタイ伝2章1節~8節)
「東から来た博士たち」が、何人いてどこからきてどういう博士たちであったか言及されていない。Magi | Definition, Scripture, Names, Traditions, & Importance | Britannicaによると、西暦3世紀以降その探究が始まったようだ。後の西ローマ帝国カソリックは、彼らがイエスに供えたのは「黄金」、「乳香」、「没薬」であったことから3人で、東ローマ帝国ビザンチンの伝統では12人である。 Who Were the Magi? - Bible Archaeology Reportでは、キリスト教考古学の見地から、彼らの出身地について幾つかの説が紹介されている。

(1)古代メディア部族The ancient Median説、(2)ペルシャ司祭Persian Priests説、(3)魔法使いMagician説などが有力だ。古代ギリシャ、古代ペルシャなどの異教とかはたまた魔法使いまでが。他の説ではインドやエチオピア説まであるとのこと。
要するに、アレキサンダー大王が手を伸ばした全ての多言語多文化多宗教の多様性に富んだ地域の東側が対象になっている。古くはバビロンの捕囚など、その後もあちこちにユダヤ人が移り住み、これらの異教とは何らかの形でユダヤ教のThe Torah Vs The Pentateuch: A Comparison Of Two Ancient ...旧約聖書に触れ、「ユダヤの王がユダ地方で誕生する」との上述の予言を目にしたのであろう。そして、これらの地域は天体観測というか星占いが盛んであったことから、これらの博士も星座の研究をしながら文字通り星を追ってユダヤにたどり着いたとも言われている。
それらの真偽はともかく、西欧キリスト教は、キリストがユダヤ人だけではなく異邦人の救い主であることを強調する為に、これらの博士が「東方」からやってきた「異邦人」であり「異教徒」(ゾラスター教司祭の可能性も?)であったことをボトムラインとして伝えたかったのではという説が有力である。
よって、これの博士たちは、メディア部族ならメディア語Median language を、ペルシアの司教であるなら古ペルシア語Old Persian を互いに話しながらユダの地に着いたと思われる。
そして、エルサレムに着くや、民衆に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。私たちは東のその星を見たので、そのかたを拝みにきました」と述べたとあるが、この会話は、恐らく、共通語のアラム語で交わされたことだろう。
それを聞いた民衆は、アラム語で他の民衆に広め、それを耳にしたヘロデは祭司長たち集めてキリストはどこにいるかと聞く。一説にはヘロデはユダヤ教徒ではなかったと言われているが、How Jewish Was Herod? - TheTorah.comによれば、ユダヤ教に改宗しモーセ五書であるTorah に精通していることから、当然ヘブライ語に通じていたと見え、「祭司長たちを全部集めて」、「キリストはどこに生まれるのか」とヘブライ語で問うたに違いない。
それに対し、祭司たちは、
『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者と成るであろう』
と、ヘブライ語でかかれた予言をそのまま引用しヘロデに伝えたものと想像する。ヘロデは、すぐさまその東方の博士たちを呼び寄せ、
「行って、その幼子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれわたしも拝みに行くから」
と依願する。これはコイネ・ギリシャ語で交わされたに違いない。
8節ほどの短いエピソードから、新約聖書の世界がいかに多言語、多文化、多宗教が交差し二、三、四、五重に重なる動的なものであったかが窺い知れる。東方の博士がインドから来たという説では仏教、サンスクリット語にも関係してくる。
英語オンリー教育はそれに逆行
アメリカ合衆国大統領は、アメリカ文化の伝統としてキリスト教を初等教育で教えようとしている。並行して英語公用語令を出しているが、英語聖書を強制するとしたらとんでもない勘違いである。英語オンリーの精神でキリスト誕生のエピソードのマルチリンガルの世界を想像することは無理だ。アメリカ社会のマルチリンガル性こそその想像を易くするのに。
(その6)に続く
(2025年6月17日)
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