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アッピア街道で「全ての道はローマに通ず」のロマンにひとり大興奮

【ローマ旅行記】(9)アッピア街道で「全ての道はローマに通ず」のロマンにひとり大興奮

前回の記事で紹介したカラカラ浴場からローマを南へ進んでいくと、間もなくアッピア街道へと入っていく。

サン・セバスティアーノ門 Wikipediaより

その入り口にはサン・セバスティアーノ門という古代ローマの城門がある。

私はこの城門の内側で一時停車し、この門にまつわる興味深い話を聞くことになった。

なんと、ムッソリーニのファシスト党時代、政府高官がここを自宅のように使っていたそうだ。ガイドさんによれば「日光東照宮がアパートになるようなものです」とのこと。たしかにそう考えれば恐るべきことだ。ファシスト党時代がどういうものだったかというのを知れたエピソードであった。

この城門を抜けるとそこはもうアッピア街道である。古代ローマ時代から残る偉大なる道だ。

2000年前の人々が通ったこのアッピア街道を今自分は走っている!それだけで私は大興奮だった。

イエスの足跡があるドミネ・クォ・ヴァディス教会

そしてアッピア街道沿いにはドミネ・クォ・ヴァディス教会という興味深いスポットがある。

ここはイエスの足跡がある教会として知られていて、今でもそれを見ることができる。

こちらがイエスの足跡が残ったとされる大理石。

日本でも仏足石という、ブッダの足跡が残っているとされる石があるが、イエス・キリストにもそのような伝承があるというのは非常に興味深かった。

仏足石、ガンダーラ、1世紀(東京都世田谷区の善養密寺蔵)Wikipediaより

ローマ帝国の驚異の土木技術~アッピア街道の道路にその技術力を見る

アッピア街道に残る古代ローマの道路。今は石同士に隙間があったり少しでこぼこになってはいるが、当時はぴしーっと平らになっていたそう。

ローマ帝国の土木技術力は有名だが、その最たるものが道路建設にある。

ピエール・グリマル著『ローマ文明』の訳者解説では次のように述べられていた。

「すべての道はローマに通ずる」という格言はあまりにも有名であるが、ローマ人たちは、帝国を維持するために、首都ローマからライン河畔の辺境まで、また、アラビアやサハラの砂漠のへりにまで広がった領土内を網の目のように結ぶ道路を建設した。緊急事態が起きたとき軍勢を急行させるためであったから、ちょうど現代の自動車道路のように田園地帯をほぼまっすぐに突っ切って走っていることが多い。しかも、道路が真に道路として使えるためには、雨が降るとぬかるんだり、崩れて通行できなくなるようなことがあってはならない。路面はしっかり石材で舗装されるとともに、側溝が設けられた。ただ人畜の足で踏み固められただけの農道とは異なり、まさに道路は建造物なのである。

論創社、ピエール・グリマル、桐村泰次訳『ローマ文明』P449-450

ここで「路面はしっかり石材で舗装されるとともに、側溝が設けられた。ただ人畜の足で踏み固められただけの農道とは異なり、まさに道路は建造物なのである。」と述べられるように、道路も建造物なのだということは意外と盲点だ。建造物というとコロッセオのような堂々たる大建築や家々のような、目に見えて「立っている」ものをイメージしてしまいがちだが、「道路」にもその技術や精神が込められている。この解説には私も痺れた!

そしてこの本で学んだことを私は実際に目の当たりにしているのである。

「すべての道はローマに通ず」

その道を目の当たりにし、さらに手で触れることができて私は感無量であった。

続く

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主要参考文献
吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』

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