本能寺の変1582 【光秀という男】 結論 7/x №6-041 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【光秀という男】 結論 7/x №6-041
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→【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
→その一因 目次大 概説大 目次中 →
3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【人物】
【信長の人物像】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
→【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【光秀という男】 結論 7/x №6-041
やがて、信長の行列がやって来た。 →【重史243】
先手は、弓衆。
「二手に分けて、二段に参り候なり」
つづいて、信長の乗馬。
一番~六番。
信長は、無類の馬好きだった。
次、坊主衆。
武井夕庵(せきあん)・楠木正虎・長雲軒妙相・松井友閑らの吏僚。
皆、法体である。
その次、曲彔(きょくろく)持ち四人。
伴天連から献上された椅子。
その後に、小姓衆。 →【重史244】
太刀持ち・長刀持ち等が続いた。
そして、信長が現れた。
御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。
御行縢、地を金に虎の府(斑)を繍(ぬいとり)に、
御鞍重(くらかさね)、御あをり、御手綱、腹帯、尾袋まで同前。
紅の総房の鞦(しりがい)*1に、やうらく(瓔珞)*2を付けさせられ、
*1 鞦(しりがい) 馬の鞍を安定させるために尾の下を通す帯紐。
*2 やうらく(瓔珞) 飾り物
この時の、信長の装いである 。
御眉にて、ほうこう(頬当)めされ。
頭に、とうかむり(唐冠)。
首の後ろに、花を挿し。
小袖は、紅梅に白。
ここで、細川忠興の名が出てくる。
信長は、忠興のことをよく知っていた。
同氏の将来は、明るい。
肩衣は、べにどんす(紅緞子)。
袴、同。
腰に、ぼたんの作り花をさし。
白熊(はぐま=ヤクの尾毛)の腰蓑をつけ。
沓(くつ=履物)は、猩々皮(しょうじょうひ=ワインレッド)。
信長は、大観衆を大いに魅了した。
(信長の)花やかなる御出立(いでたち)・御馬場入りの儀式、
さながら、住吉明神の御影向(ようごう=神仏が来臨すること)も、
かくやと、心もそゞろに、
各(おのおの)、神感(=神が感応すること)をなし奉り訖(おわ)んぬ。
【重史244】(『信長公記』)
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