【小説】ザ・サン・インザレイン #11|クリスプ
「何逃げてんだよ」
家のドアを開けると、カイが仏頂面で待ち構えていた。
自分の心の中に渦巻く薄汚いものに気づかれたのかと、一瞬息が止まった。
「人の頭こんなにして」
短くなった頭をなでるカイを見て、ほっとした。
「夏だしいいじゃん。ブラピみたいで」
「え、そう? ブラピみたい?」
この前、「ファイト・クラブ」を一緒に観たばかりだった。
単純なやつで助かるが、また危険な目に遭うんじゃないかと気が気でない。
カイに顔を合わせづらくて、二日ほど女の子の家に泊まっていた。
カイに、よこしまな気持ちを抱いてしまったことが、さらには体まで反応してしまったことが、うしろめたくてしょうがない。
自分の中に発生した、そんな異変を打ち消したくて、女の子を抱いた。体はちゃんと反応したし、やっぱり女の子はやわらかくて、かわいかった。
これまで一度も、男に対してこんな反応をしたことなどなかった。
大丈夫。そう言い聞かせるように、何度も女の子を抱いた。
それでも不安が頭をもたげてきて、足元にある暗い穴が、いつでも俺を引きずり込もうとしている気がした。
なんにせよ、カイには絶対に知られてはならない。
─────────────────
◀︎ 𝙉𝙤𝙬 𝙋𝙡𝙖𝙮𝙞𝙣𝙜
The Wannadies - "You & Me Song"
─────────────────
そんな俺の気も知らず、カイは今までどおり俺に甘えてきた。
リビングでソファに座って映画を見ていたら、寝こけて俺にもたれかかってくるし、シャワーのあとタオル一枚でうろつくし、雑誌を見ていたら背後から顔を近づけて覗き込んでくるし。
心臓がいくつあっても足りやしない。
タバコを吸っていると、ひょいと取り上げてひとくち吸って返してくる。
なんとなく、カイが口をつけたものを吸うことは、カイを汚すことになるような気がして、「やるよ」とカイに渡した。
「ん? ありがと」
カイは一瞬怪訝な顔をしたが、受け取って口に咥えた。
もう、頭がおかしくなりそうで、その度にクラブに行ってドラッグで気を紛らわせ、適当に知り合った女の子を抱いては、心を落ち着かせていた。
「最近さあ、めっちゃ外泊多いよね」
数日外泊して戻ると、カイが拗ねていた。
「こっちはさあ、彼女と離ればなれで寂しいのに。自分ばっか女と遊んでさあ」
洗面所で手を洗っていた俺は、顔を上げて鏡を見た。
ところどころ汚れた鏡の奥に、カイがいる。
「じゃあ、女の子でも紹介してやろうか?」
吐いた言葉のひとつひとつが、針みたいに自分に刺さった。
「は? いらんわ。俺とも遊べって言ってるの!」
カイにそう言われて、うれしさでほころびそうになる顔を、ぎゅっと引き締めて、必死に覆い隠す。
「わかったよ。桃鉄でもする?」
カイの顔がぱっと明るくなった。
「おう! やろうぜ!」
長い夜になりそうだった。
リビングのテーブルに置きっぱなしになっている、日本から持ってきたプレステに電源を入れると、カイがカールスバーグと紺色のケトルを持ってきた。
ビールを受け取って、プルタブを開けた。
「ビネガー味好きだよな」
「うまいじゃん」
カイはケトルのパッケージを開けて、早速一枚口に放り込んだ。
ツンとしたビネガーの香りと、ガリガリと小気味いい音が、こちらまで届く。
となりに座ると、カイの香水の匂いが嫌でも漂ってくるから、少しありがたかった。
画面の中でサイコロを振って、カイが口を開いた。
「あのさあ、ユリ、来月遊びにくるじゃん」
カイのガールフレンドの名前が出て、一瞬、頭の中が白くなった。
「ここ、泊めてもいいよね?」
「うん、もちろん」
すぐに返事をした。
できた、はず。
テーブルの上のマルボロに手を伸ばし、一本取り出し火をつけようとしたけれど、うまくつけられない。
「よかった〜! ミキヤも一緒に出かけような」
カイが、うれしそうな笑顔を見せた。
なんとかタバコに火をつけ、冷静さを取り戻そうとした。
テレビにはドットで構成された鉄道が、チラチラと嫌な色味をちらつかせている。
外の空気が吸いたくなり、立ち上がって窓を開けた。
窓の向こうは、サマータイムでまだ明るいものの、灰色の雲がひしめいている。
もうすぐ雨がふりそうだ。
「せっかく久々に会うんだろ、ふたりで行ってこいよ」
嫌がっているわけではないように、ふたりに遠慮している風に、必死に台詞を考えて口に出す。
「何言ってんだよ、あいつもミキヤに会うの楽しみにしてんのに」
「じゃあ、たまに混じるよ」
「絶対だからな」
カイがクリスプを口に頬張って、ガリガリと音を響かせた。
𝙉𝙚𝙭𝙩 →
【CHAPTERS】
#00│プロローグ
#01|カルボナーラ
#02|キャッツ
#03|チャイナタウン
#04|ノッティング・ヒル
#05|ポートベロー・マーケット
#06|Fox in Fog
#07|Angel
#08|38番
#09|エリック
#10|香水
#11|クリスプ
#12|カムデン・マーケット
#13|Purple Turtle
#14|月
#15|最終話|邂逅
