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人は都合よく見て、都合よく解釈する

理想論:「ダイエット・筋トレで体型が変わらない理由と対策」:目次
実戦編:発症一年後のトレーニング記録
※記載の運動を推奨している訳ではなく、単なる実体験なので、ご自身の病状・体調に合わせ、医師の指導を受けて運動をしてください
※文中で省いた用語説明

2025年8月末から、2026年3月末まで、-11.5kg(体脂肪率9.5%減、筋肉量0.8kg減)のダイエットを成功した。
4-5月をリーンバルク、6月をRecomp、7月にリーンバルクへ移行。
7/1現在トータルで-10.3kg(体脂肪率9.5%減、筋肉量0.3kg減)となっており、体脂肪率そのままに、筋肉量を0.5kg増やせている。
(実際には、4-5月で増えた筋肉と脂肪を、6月で筋肉維持・脂肪減の結果)

そこで感じるのが、なんで運動していないのに痩せる?と思われている、ということだ。
トレーニング記録をご存じの方ならわかるだろうが、それなりに運動はしている。
しかし、同じジムへ通う人には、「ロクに運動していない奴」と認識されているようだ。

この認知バイアスを紐解いてみようと考える。


ジムへ来ていなければ私を見ない(可視性バイアスVisibility Bias)

現在、週6日ジムへ通っている。
しかし、観測する側もジムへこなければ、私が運動しているか認識できない。

仮に、週2回ジムへ来ているとして、(開店日は全ているので)いつも私を見て、週2日来ていると誤認する。
つまり、自分と同程度のジム通いなのに、なぜ痩せる?となる。


会った日の私のトレーニングしか見ない(強度錯視Intensity Illusion)

週6日ジムへ通っていても毎日、高強度のトレーニングをしている訳ではない。
日によっては、ヨガの後、プールで歩くだけもある。

それを見て思う訳だ、「ヨガしかやってない」と。
もちろん、ボディパンプやボディコンバットに参加している日もあり、ガッツリ動いているのだが、それは目に入れないし、動きの質が自分とは異なっているのは、気にしない。


特定の場所でしか私を見ない(シーン固定バイアスScene Bias)

例えば、ほぼプールにしか行かない人は、私をプールでしか見ない。
また、マシンで筋トレしかしない人は、マシンジムでしか見ない。

プールも、スケジュールの都合上、夜に他のプログラムへ参加した後のアクティブレストでは、30分弱しか歩けない日もある。
「俺は2時間も歩いているのに、どうして30分のあいつが痩せるんだ?」となる。


最新トレーニング理論を知らない(古典理論バイアスOutdated Theory Bias)

マシンジムでも、筋トレを10回3セットやらない。
筋トレに1時間以上かけて、追い込んだりもしない。
なぜなら、より効果的な、代謝ストレスとメカニカルテンションを分離したトレーニングを行っているからだ。

それを知らなければ、私がチェストプレスを2セットしかしないのを見て「ぷ、もう終わり」と思うのだろう。
そもそもが、筋肥大は、ボディコンバットでの負荷を増やす(エンジンと車体を大きくして燃費を悪くする)のと、身体全体での体脂肪率を下げる手段でしかなくて、目的ではないのが、周囲とのズレなのかもしれない。


都合よく見て解釈する(自己正当化バイアスSelf-Justification Bias)

結論とすれば、私は都合の良い鏡なのだろう。
「あれしか運動していないのに、あれだけ痩せている」と解釈してしまえば。

そして、(私は彼らが知らないところで運動しているので虚像の)私と同様に運動して痩せない、現実が突きつけられる。
その結果は、大体3パターン。

  1. どうやって痩せたか聞いてくる(学習型)

  2. 競うように運動量を増やす(過剰努力型)

  3. 才能と妬む(妬み型)

1)の場合は、素直に回答している。
質問してくるのは、太目な女性なので、「プールで歩いたり、少し筋トレをされてはどうでしょう」と提案している。
もちろん、それでの痩せる効果は短期間だが、結果が出れば、また聞かれたりもする。

2)の場合は、生温かく見ている。
仮に、プールで2時間歩いても、ボディコンバットの後にボディパンプに参加しても、心拍数が有酸素領域でなければ、脂肪燃焼より、カタボリックのデメリットの方が大きいのは、何度も書いているからだ。
長時間やれば、疲労で効率が悪くなり、2時間やっても、1時間の倍できる訳でもない。
結果として、体重は落ちるが、筋肉も削れるので、どんどん運動の効率が悪くなっていく。
前月と同じだけ体重を落とすには、より長時間運動が必要になり、食べられる量も減り、続かなくなる。

3)の場合は、冷笑するしかない。
そもそもが、(お忘れかもしれないが)前庭神経炎で動けなくなり、太りに太ったのを、なんとかしようとしたのが、運動再開のきっかけだ。
私は、糖質優先で脂肪燃焼が少ない体質なので、「太る才能」ならばある。
更には、運動が嫌いで食べて呑むのが好きだったから中年太りで、血糖値・脂質異常・高血圧などの健康状態悪化のため、仕方なく運動を始めた、運動の才能の欠片もない。
言わば、自己分析と自己人体実験で、痩せるように努力しただけだ。
まあ、人を妬むことで、ご自分へ良い結果が出るならどうぞ、だ。
(ストレスのせいか、悪化する姿しか見ないが)
もうちょっと分析すれば、「自分は変わらないのに、他者は変わった」原因を他者の努力と認めれば、変われていない自分の努力不足を認めることになる。
だから、自分と「同程度の努力」で結果が出た原因を「才能」とすり替えることで、精神の安定を図りたいのだ。


目標は良いが「羨ましい」は努力の否定

「こうなりたい」という目標には、「この人のようになりたい」は、当然あって良いと考える。
しかし、「羨ましい」は、その人の努力を否定する言葉だ。

前述した「才能と妬む(妬み型)」と変わりがない。

私にも、同じジムへ通う、目標としている方たちがいるが、ストレッチや筋トレ、振り入れをしているのを見る度に、もっと努力しないと追いつけない、と思う。
そして、こちらへ見えている努力は、全体像の数%でしかない。
(だから更に先へ行かれて、追いつけないのだけど)

トップアスリートではないので、才能の差は、関係ないと考えている。
たかが、一般人の痩せる痩せないレベルでのボディメイクの話なのだから。

勝手に錯視した虚像を崇拝したり、妬むのではなく。
努力の人だ、と認めて、自分も努力するしか道はない。

とりあえず、私が痩せた方法(低インスリン状態維持ダイエット法)は、提示しておく。

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