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【小説・ヴィーナス症候群】(144)汚職官僚のおしごと

第1章 上野の駅ナカのカフェにて

二人の女性は、どちらも肩から先に腕がない。いずれも両腕の代わりに義手をつけていたが、カフェのテーブル越しに座っている限り、それは特段目立つことでもなかった。

一人は家久綾音。原宿を拠点とするガーリーブランド「Ria」の試着モデル、いわゆる“トルソーさん”として働いている。
もう一人は階上つばさ、当事者団体「コルチカムの会」の事務局スタッフで、通勤は神田から大宮方面。

「上野なんて来ることほとんどないからさ。今井百貨店のイベントの帰り」

綾音がアイスコーヒーのストローをくわえながら言った。今井百貨店は、上野駅前にある老舗の百貨店で、Riaの展示ブースが短期出店していたという。

「せっかくだから、つばさちゃん誘おうかなって思って。山手線のこっち側で仕事するなんて、ほんとにレアだからさ」

「誘ってくれてありがとう。今日はわりと早く上がれたんだ」

カフェは駅ナカの小洒落たスペース。木目調のカウンターと黒板メニュー、棚には雑誌が並び、壁の一角にはニュース専門チャンネルが流れるテレビが静かに映っている。

「なんか“ハネウル体売る”のハネウルが、トルソー募集したいらしくてさ」

「えー?ハヌル?韓国系だよね?」
綾音がカップを置きながら笑った。

「そうなの。直接、その韓国の人がコルチの事務局に来て、“あなたプロポーションいいね。トルソになって”とか言われて……どうしようかと思った」

「で、なることにしたの?」

「ううん。とりあえず、コルチの会誌に求人広告出していいかどうか、私が実地にトルソーやってみて判断することにしたの」

「そんな発想になるってのが、やっぱりつばさちゃんだよね。もうハネウル行ったら? つばさちゃんスタイルいいんだし」

「無理だって。でも現場としてはすごい一生懸命だった。だから、求人広告出す分にはOKかなって。応募する子いるかどうか分かんないけど」

「つばさちゃんももうトルソーなったらいいじゃん。ってか“トルコミ”って知ってる?」

「何それ?」

「トルソーだったら誰でも入ってるよ。ブラックな現場とか全部書いてるの。匿名掲示板。招待してあげるから、つばさちゃんも入りなよ」

「ありがとう〜そういうの助かる」

会話が落ち着いたころ、テレビの音量がやや上がり、「速報」の赤いテロップが画面を横切った。

「速報です。元厚生労働省老健局局長で、現在は公益財団法人『高齢者介護人材開発機構』の理事長を務める多久光武昌氏が、
補助金の不正使用に関する責任を認め、辞任を表明しました」

「多久光氏は厚生労働省在職中にも、介護人材育成事業をめぐる随意契約の不正処理に関与し、
特定業者への利益誘導が内部告発により表面化。当時の局長職を任期途中で離任した経緯があります」

「今回の問題では、天下り先である同機構を通じて再び不透明な資金の流れが確認されており、
政界からは“構造的利権の温存”として批判の声が高まっています」

画面の字幕には「介護汚職事件 再燃」「多久光氏、理事長辞任へ」の文字が流れ続けている。
画面の中では、白髪の男性が報道陣に囲まれ、無言で建物を出てきたところだった。

「多久光みたいな汚職官僚とか、世の中不公平だよね。東大出たからって、何やっても何千万も退職金もらえるなんて」

「ほんとそれ。義手でなんでもできるから障害等級下げましょうって言ってた政治家もいたよね」

二人とも、官僚と政治家の区別はあまりついていない。でも、テレビに映る“ずるい大人たち”の顔だけは、はっきり見えた。

第2章 コルチカムの会 事務局

朝の通勤を終え、つばさはいつものように事務局の机についた。義手の操作は手慣れたものだが、最近になってようやくマウスよりもトラックパッドの方が楽だと気づいた。ノートパソコンを開いて、ぼんやりとYahoo!のトップページを眺める。

目に入ったのは、昨夜カフェで見た顔だった。

《【速報】多久光氏 再辞任 補助金不正「組織ぐるみ否定できない」》

サムネイルには、やや斜めに撮られた高級車のドアをくぐる老人の後ろ姿。その一瞬を見ただけで、つばさはコーヒーを一口飲んだ後、思わず漏らした。

「……多久光の事件なんか見てると、真面目に働いて税金納めるのがアホらしくなりますよね」

近くの棚で書類整理をしていた事務局長の守実がちらりと振り向いた。

「ん? 多久光?」
「ああ、その名前ね。どこかで見たような気がしてたんだけど……」

守実はそのままロッカーの上に置かれた古いファイルをぱらぱらとめくる。ファイルの背には「制度交渉(旧)」と手書きのラベル。

「あった、これこれ。昔の厚労省との意見交換の議事録。けっこうしょっちゅう出てくるんだよ、多久光さんの名前。
コルチカムの“親の会”時代、トルソー制度が形になる前後の担当官だったんだってさ。トルソー雇った企業に補助金出す仕組み、あれを整えた人」

「えーっ!? あの人が……?」

「そうそう。誰も覚えてないけど、制度の裏方ってのは、だいたいこんなもんよ。真面目にやって、誰にも知られないまま消えてくんだよ」

「まさか、その名前をニュースで見とは思いませんでした」

つばさは、パソコンの画面を見たまま黙って頷いた。画面の中の男は何も語らないが、その名前は、たしかに制度のはじまりにあったのだ。


「……面白いから、葵ちゃんにも教えてあげようかな。ライター業うまく行ってるんだろうか」
守実が言った。

「彼女、最近どうしてるんですか?」

「忙しくしてるみたいよ。でも、こういうネタならきっと飛んでくると思う」



数分後、守実が電話をかける。
受話器越しに聞こえてくる葵の声は、想像どおりだった。

「えーっ!? 知りませんでした。それ、すごく大事な話ですよ! 今からコルチカム行ってもいいですか?」

「どうぞ。相変わらずだね、葵ちゃん」

守実は笑いながら電話を置いた。

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