【小説・ヴィーナス症候群】(109)死穢を祓う
第1章 専門誌の取材
スタジオの白い壁際、簡素な丸テーブルを挟んで向かい合う。
芽衣は肩義手を装着し、ブラウスとミモレ丈のスカート姿で椅子に座っていた。
福祉・バリアフリー情報誌『+Access(プラスアクセス)』の女性記者が、にこやかにメモ帳を開く。
「今日はお時間ありがとうございます。
呼続芽衣さんは、いわゆる“ヴィーナス児”ということで、女の子だけに発生する原因不明の先天異常により、両上肢欠損で生まれた、ということでよろしいでしょうか?」
芽衣は自然な笑みを浮かべ、うなずいた。
「はい。生まれたときから、両腕自体がない状態です」
記者は軽く頷きながら、メモを取る。
「さっそくですが、芽衣さんがお仕事にしておられる試着モデル、いわゆる“トルソーさん”について、教えていただけますか?」
芽衣は小さくうなずき、自然な口調で答えた。
「……簡単に言うと、服を着せるためのマネキンみたいな役割です。
でも、普通のマネキンと違って、着心地とか布の動きもちゃんと確かめるんです。
それに、私たちヴィーナス児は腕がないので、服のラインを邪魔しない……そういう意味でも、重宝していただいてます」
記者は「なるほど」と頷きながら、少し視線を上げる。
「トルソーさんには、ファッションブランドに所属している方や、義肢メーカーで働かれている方もいらっしゃるそうですね。
芽衣さんは、フリーで活動されているんですか?」
「はい、私はフリーです。
いろんなブランドのフィッティングや撮影に、単発で呼んでもらう感じですね。
専属だとブランドに常駐するんですけど、私はその時々で違う服を着られるので、楽しいです」
芽衣は肩義手を軽く動かしながら、笑った。
「このお仕事を始めたきっかけは?」
「……特別なきっかけっていうのはなくて。
視覚障害の人がマッサージ師になるみたいな感じで、
ヴィーナス児だったらトルソーさんになる、って自然に思ってたんです。
仲良い先輩たちも何人かやってたし、私も、なんとなく、自然に」
芽衣は照れくさそうに微笑んだ。
「やってみて、どうでしたか?」
「最初は大変でした。ずっと静止してなきゃいけないし、服の細かい調整も多いし。
でも、だんだん慣れてきたら楽しくなってきました。
着た服を『きれい』って褒めてもらえると、やっぱり嬉しいです」
記者も思わず笑顔になり、場の空気が和らいだ。
「では最後に。
同じような障害を持つ女の子たちに、何かメッセージをいただけますか?」
芽衣は少し考えたが、その前にふと口を開いた。
「……あ、これ、オフレコでお願いしますね」
記者が小さく笑ってうなずく。
芽衣は、肩義手を軽く動かしながら言った。
「トルソーさんって、ちゃんとした仕事だって思われがちですけど、けっこうひどい話もありますよ」
記者が静かに耳を傾ける。
「例えば、性犯罪者みたいなやつに、レオタード着せられてパレードさせられたり。
……あれ、私も参加させられました」
芽衣は苦笑いした。
「あと、映画オタクの変なやつに、好きな映画のシーン再現させられて街中で絶叫させられたって子もいます」
芽衣は肩をすくめ、義手をトントンと叩いた。
記者は顔を曇らせながら、静かにペンを置いた。
「……では、改めて。
メッセージをお願いできますか?」
芽衣は、今度は素直な笑みを浮かべた。
「……そうですね。
最初は不安なこともいっぱいあると思うんですけど、
別に無理して完璧にならなくても、できることからやってけばいいと思います。
私もまだまだですけど――ちゃんと居場所って、見つかるんだなって思いました。
だから、焦らなくても大丈夫です」
義手をそっと撫でながら、芽衣はまっすぐに言った。
記者は深く頷きながら、最後のページにメモを取った。
「ありがとうございました。これで取材は以上になります」
芽衣もぺこりと頭を下げ、にこやかに立ち上がった。
***
取材が終わり、スタジオの空気はすっかりリラックスしたものに変わっていた。
芽衣は義手の肩先を軽く揺らしながら、ふとつぶやいた。
「……でも、最近、私ツイてないんですよね」
記者が笑いながら振り向く。
「ツイてない?」
「はい。美術館に行ったら殺人事件の第一発見者になっちゃうし、前に仕事した現場の社長が爆弾で殺されるし……」
芽衣は肩をすくめた。
「え〜? お祓いにでも行った方がいいんじゃないですか?」
記者の冗談に、芽衣も笑った。
「……ですよね。どこか、いい神社ないですかね」
スタジオの窓から、やわらかい午後の光が差し込んでいた。
第2章 ラッキー・スター
「埼玉の、鷲宮神社とかどうですか?」
取材終わりの緩んだ雰囲気で、記者がスマホを操作しながら教えてくれた。
「関東でもすごく古い神社で、パワースポットらしいですよ。
確か久喜の方だったかな」
「久喜って……栃木の方ですよね?」
芽衣は笑った。
「そうですね、ちょっと遠いけど、電車一本で行けるはずです」
「じゃあ、行ってみようかな」
芽衣は軽く伸びをした。
これも何かの縁かもしれない。
***
東武線の車内。
芽衣は路線図を眺めながら、座席に腰かけていた。
久喜駅で乗り換え、短い編成の電車に揺られる。
窓の外には、古びた商店街や低い建物、広がる畑が、春の光の中にぼんやりと浮かんでいた。
電車は軽く揺れながら、ゆっくりと目的地に近づいていく。
鷲宮駅に降り立つと、そこは、昭和の時代がそのまま残ったような、静かな町だった。
駅前には人影もまばらで、芽衣はスマホで地図を確認しながら歩き出した。
小さな川を渡り、古びた商店をいくつか抜け、しばらく歩いた先に、大きな朱塗りの鳥居が見えてきた。
「……ここか」
芽衣は義手を肩先でぐいと直し、鳥居の前に立つ。
青空に、真っ赤な柱がまっすぐに伸びていた。
少し冷たい春の風が、芽衣のスカートをふわりと揺らす。

参道を歩き、境内へと進む。
大きな拝殿の前には、お祓いを受ける人たちが列を作っていた。
芽衣も、義手をつけたまま静かに並ぶ。
しばらくして呼ばれ、拝殿の中へ。
白い装束の神職が、静かに祝詞を奏上する。
鈴の音が境内に澄み渡り、芽衣の耳に、心に、柔らかく届いた。
目を閉じ、頭を垂れる。
(ツイてないこと、ちゃんと終わりますように)
小さな祈りを、芽衣は心の中で繰り返した。
やがて儀式が終わり、参道に戻る。
古い赤い鳥居をくぐりながら、芽衣はふと、お腹が鳴るのを感じた。
(……何か、食べたいな)
参道沿いに出ていた小さな屋台に立ち寄り、芽衣は熱々のおでんを受け取った。
串に刺さった大根をひとくち。
だしの香りとともに、じんわりと体に温かさが広がる。
芽衣はベンチに腰かけ、スマホを開いた。
《原宿Ria本店 春物ワンピース フィッティング》
「……明日はRiaか。綾音ちゃんもいるかな」
ぽつりと独り言をこぼし、芽衣はスマホを閉じた。
義手の肩先を、春の風がそっと撫でる。
芽衣は顔を上げ、朱塗りの鳥居をもう一度見上げた。
「……まあ、なるようになるか」
小さく笑うと、芽衣は再び立ち上がった。
参道の向こうに、午後の光がゆっくりと広がっていた。
