【110歩目】和光同塵と十牛図 - 光と塵の東洋思想 -
前回までの続き。
ここまで、「主体と客体」というテーマで老荘思想を読んでいくという試みを続けています。今回も同じテーマで読み進めてみようと思います。
1.『老子』の第一章を読む。
というわけで、まずは『老子道徳経』の第一章を。

❝道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始;有名萬物之母。故常無欲,以觀其妙;常有欲,以觀其徼。此兩者,同出而異名,同謂之玄。玄之又玄,衆妙之門。❞
➙ 言葉で説明できるような「道」は、永遠不変の(真実の)道ではない。文字や言葉で名付けられるような「名」は、永遠不変の(真実の)名ではない。
「無名(名もなき状態)」とは、天地が始まる前の根源の姿であり、「有名(名がある状態)」とは、万物を生み出す母親のようなものである。
したがって、常に「無欲(欲望や先入観のない状態)」でいれば、その(道の)奥深い本質を見ることができ、常に「有欲(意図や関心がある状態)」でいれば、その(道が万物として現れる)現れや境界を見ることになる。
これら二つ(無と有、本質と現象)は、同じ根源から出ていながら、異なる名前で呼ばれている。どちらも等しく「玄(奥深く計り知れないこと)」と呼ばれる。この「玄」のさらに奥にある「玄」こそが、あらゆる神秘的な真理へと通じる門なのである。
この章が、主体と客体の観点で読めるということは以前触れました。今回も『老子』において最初から書かれている「道(TAO)」について。
2.光を和らげ、塵と同じくする。
この「道(TAO)」について、老子は第四章においてこのように表現しています。

❝道沖而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。挫其銳,解其紛,和其光,同其塵。湛兮似或存。吾不知誰之子,象帝之先。❞
➙ 道(TAO)は器のように空っぽだが、どんなに使っても満ちあふれて尽きることがない。まるで万物の根源のように深いものだ。
(その「道(TAO)」は)鋭さをくじき、もつれを解きほぐし、光を和らげ、塵と同じようになる。
ぼんやりとして、どこかに存在しているかのようだ。私はそれが誰から生まれたのかを知らないが、天帝(世界の主宰神)よりも前から存在していたかのようである。

第四章の記述によると、道(TAO)とは①器のように空っぽで、②どんなに使っても尽きることがなく、③鋭さをくじき、④もつれを解きほぐし、⑤光を和らげ、⑥塵と同じくし、⑦ぼんやりとしている、などの特徴があるようです。どうも通常の感覚ではとらえにくい存在のようです。
次に、『老子道徳経』の第五十六章を。

❝知者不言,言者不知。塞其兑,閉其門,挫其銳,解其分,和其光,同其塵,是謂玄同。故不可得而親,不可得而踈;不可得而利,不可得而害;不可得而貴,不可得而賤。故為天下貴。❞
➙ 知る者は語らず、語る者は知らないのだ。
(感覚の)出入り口をふさぎ、その門(感覚の門)を閉ざし、鋭さをくじき、もつれを解きほぐし、光を和らげ、塵と同じようになる。これを「玄同」と呼ぶ。
このように(玄同の境地に達した)人は、親しくしようとしても近づけず、疎んじようとしても遠ざけられない。利益を与えようとしても動かせず、害を与えようとしても傷つけられない。貴くしようとしても貴くできず、卑しめようとしても卑しめられない。
だからこそ、天下で最も貴い存在とされるのである。
この第五十六章には「挫其銳,解其分,和其光,同其塵(鋭さをくじき、もつれを解きほぐし、光を和らげ、塵と同じようになる。)」という、第四章とほぼ同じ言葉が載っています。これが、現代でも使われることのある老子の言葉のひとつ、「和光同塵(わこうどうじん)」です。
3.二つの和光同塵。
ここで、前述の第四章と第五十六章の違いについて少し触れたいと思います。同じ「和光同塵」の言葉がそれぞれ載っていますが、第四章では、道そのもののありかたを示す表現として「和光同塵」が置かれているのに対して、第五十六章では、人が「玄同」という境地に到達したときのありかたが書いてあります。つまり、第四章は道(TAO)について、第五十六章は人について書いているわけです。
この二つの章は、同じ言葉を使っているにも関わらず、客体が違うんです。私はこれを「私」と「道(TAO)」との境界が薄くなり、主体と客体の区別そのものが揺らいでいく状態を示している、と読むことができると解釈しています。そうすると、『老子道徳経』の第一章の記述や、ウパニシャッド哲学における「梵我一如(ぼんがいちにょ)」との共通性についても、より深く理解できるのではないでしょうか?
4.老子と孔子の「和」と「同」。
ここで「和光同塵」に似た『論語』の言葉について少し。

❝子曰、君子和而不同、小人同而不和。❞
➙ 先生はおっしゃった。「君子は他者と節度を保って協調をするがむやみに妥協はしない。小人は他者とむやみに妥協はするが、節度を保って協調はしない。」
孔子の言行録である『論語』には、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という有名な言葉があります。君子というのは、他者と和することはあっても、付和雷同することはない。逆に小人は付和雷同してばかりで、和することがない、としています。この「和」と「同」という言葉を使って「私」のありようを表現しようとしている点では、老子の「和光同塵」も同じ土俵の上にあると言えます。
しかし、「私」という点に着目すると、孔子の場合には、「和して同ぜず」というように、他者との調和を保ちながらも、無批判に相手へ同調することを戒めています。老子の場合には、「同塵」や「玄同」と言って、私(自分)という存在が、対象と同化して自分自身の境界が薄まることも良しとする傾向があります。
言い方を変えると、孔子は「主体(私)」の独立性を保ったまま客体(他者)と調和するが、老子は「主体と客体の境界」そのものが無くなってしまうことも想定しているわけです。この「私(自分)」のありようについては、孔子と老子や荘子の思想の大きな相違点といえますが、話が長くなりそうなのでまたいずれ。
5.十牛図と和光同塵。
この「和光同塵」については、前回触れた「十牛図(じゅうぎゅうず)」で説明すると捉えやすいかもしれません。

十牛図というのは、主に禅宗で用いられる、修行者の精神的な歩みを十枚の絵(イラスト)で表したものですが、老子のいう「和光同塵」は、十牛図で表すと、後半部分と一致する箇所が多いです。
⑦ 忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん) 乗ってきた牛の存在すら忘れる。
⑧ 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) 牛も自分も忘れ、すべてが空(無)となる。
⑨ 返本還源(へんぽんかんげん) 一切の執着がなくなり、ありのままの自然の姿が立ち現れる。
⑩ 入鄽垂手(にゅうてんすいしゅ) 街へ戻り、日常の中で人々に寄り添い手を差し伸べる。

特にこの第十図の、一定の境地に到達した後に再び世俗に戻り、他者の導き手となる⑩入鄽垂手(にゅうてんすいしゅ)などは、まさに「和光同塵」の理想形とも言えます。世俗から離れて、⑦忘牛存人ぼうぎゅうそんじん)や⑧人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)といった境地に到達した後に、再び今まで歩んできた道のりを辿るかのように世俗へと降りていく。仏の道も、本来いた場所に帰るまでの遠足です、という感じでしょうか。
日本で言うと、良寛さんなどはこの和光同塵の典型でしょう。良寛さんも生涯『荘子』を手放さなかった日本を代表するタオイストです。
6.仏教と和光同塵。
ここで、天台宗の開祖である智顗(ちぎ 538-598)の瞑想についての講義録である『摩訶止観』から。天台宗と言うと、日本では最澄(766~822)が遣唐使として学び、比叡山を開いたことで有名ですね。
❝別教十行,入假利益義同通教。若登地時,得如來一身無量身,湛然應一切。爾時知病,盡病淵源;爾時識藥,窮藥府藏;爾時授藥,如印不差。真道種智,最勝法眼,所可應化,任運普周。和光同塵結緣之始,八相成道以論其終。亦名為「化」,亦名為「應」。其見聞者無不蒙益,有所施為是淨佛土,入假利益皆實不虛。登地既然,後地例爾。乃至圓教初住入假,真實利益;乃至後心,亦復如是。❞
➙ 別教の十行位の菩薩が俗世に入って衆生を利益する点では、その意味は通教と同じである。
しかし地上(初地)に登ると、如来の一身が無量の身となって自在に現れ、静かにあらゆる衆生に応じるようになる。
そのときには衆生の病を知るにあたって、その根源まですべて見抜き、
法薬を知るにあたっても、その蔵するところを余すことなく究め、
薬を授けるにあたっても、印がぴたりと合うように少しの誤りもない。
真実の道種智と最も勝れた法眼によって、衆生を教化するはたらきは、作為なく自然に、あまねくあらゆるところへ及ぶ。
智慧の光を和らげ、世俗の塵の中に身を置いて衆生と縁を結ぶこと(和光同塵)は、その教化の始まりであり、八相成道はその終わりである。
これを「化」ともいい、「応」ともいう。
これを見る者、これを聞く者で利益を受けない者はなく、
そのあらゆる行いは仏国土を浄めるはたらきとなり、
俗世に入って衆生を利益することは、すべて真実であって少しも虚しいものではない。
初地ですでにこのようであるならば、それ以後の諸地ではなおさらである。
さらに円教では、初住位からすでに俗世に入って真実の利益を与えることができ、
最後の位に至るまで、すべてこの通りである。
「和光同塵は結縁の初め、八相成道は以て其の終を論ず。」天台宗の思想を確立した智顗についての書物の中でも、この「摩訶止観」はかなり実践的な書物ですが、この中に老子の「和光同塵」の言葉が入っています。意味としては「高い境地に到達した菩薩が、「仮(け)」に入って衆生を利益する(入假利益)こと」を指します。
ものすごく嚙み砕いて言うと、「バチバチの仏教理論を振りかざしたり、高い精神域の境地から世俗を見下ろしてばかりでなく、再び地に足をつけて、世俗と交じり合っていくこと。そしてその後に、お釈迦様と同じように人生を通して仏の道を示すこと。」の重要性を説いていると言えます。
また、日本に仏教が伝来した際、仏の存在を説明する際に「仏・菩薩がその本来の威光を和らげ、衆生のいる世俗世界に神などの仮の姿をとって現れた」という「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」の考え方にも、『老子道徳経』の「和光同塵」が言葉が用いられるようになります。
老荘思想と仏教というと、主に中国で発展した浄土や禅において共通点を見出しやすいのですが、「足るを知る」や「和光同塵」は、他の宗派でも見ることがあります。
さらに「和光同塵」は仏教と神道との関係でも使われるわけで、東洋思想を俯瞰して見る場合に、老荘思想ほど適した思想はないだろうと、この点はいつも痛感しております。
というわけでここで限界。続きは次回。それでは、Дараа уулзая(ダラー・ウールジー)!
