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【六十九歩目】老子がインドに行った話 - 老子化胡説 -

前回の老子の旅の続き。


1.老子は牛に乗って西へ。

 前回、『史記』の老子伝などによると、老子は『老子道徳経』を書き終えた後、牛に乗ったまま西へと旅立ったという話をしました。函谷関から西で老子がどうなったかは分かりません。

張路『老子騎牛図』

 なにせ、紀元前の話ですから確かめようもなく、ここで老子の個人としての伝説は終わり、なんですが、彼が一晩で書き上げたという『道徳経』は、中華圏を代表する書物として、また、中国大陸にあるアニミズムや民間信仰を統合する道教の中心的な書物としての位置を占めるようになります。

2.老子がインドまで行ったという話。

 道教が老子の思想を中心に発展していくのはだいだい後漢以降のことで、後漢のころの中国の国教は儒教でした。国教としての儒教の権威が、王朝の衰退と共に衰えていくと、民間信仰に基盤を置く道教の地位は高まっていきます。しかし、道教の地位が高まりつつあったころに、インドから伝来した仏教もまた中国大陸での地位を獲得していいくようになってきました。

 この当時の道教の側からすれば、ようやく自分たちの地位を確立できそうなのに、外来思想である仏教にその座を奪われてしまう危険性がありました。

 そこで編み出された対抗策の一つが「老子化胡説」です。すなわち、「函谷関から西へ向かった老子が実はインドまで到達し、老子がインドで広めたのが仏教である」という仮説です。

 日本で言うと「義経=チンギス・ハーン伝説」に近いものです。奥州平泉で死んだと思っていた源義経が実は生きていて、大陸に渡り、チンギス・ハーンを名乗って世界一の帝国を築いたという仮説。


仙厓義梵『老子出関図』

 ちなみに、前回紹介した仙厓さんの「老子出関図」にも「化胡」の言葉が載っています。 

❝道難救周
徳不化胡

青牛迷途❞

「道(TAO)をもってしても、周王朝の衰退は救えなかった。
 徳を説いたところで、西の「胡」を改心させることもできない。
ええい、この青牛め! どこへ行く!
迷うておるのはお前の方か!」

仙厓義梵『老子出関図』

 

3.『老子化胡経(ろうしかこきょう)』。

❝是時,太上老君以殷王湯甲庚申之歲建午之月,從常道境。駕三氣雲。乘于日精,垂芒九耀,入於玉女玄妙口中。寄胎為人。庚辰之歲二月十五日誕生于毫。九龍吐水灌洗其形,化為九井。爾時老君鬚髮皓白,登即能行。步生蓮花,乃至于九。左手指天,右手指地。而告人曰:“天上天下,唯我獨尊。我當開揚無上道法,普度一切動植眾生。周遍十方及幽牢地獄,應度未度,咸悉度之。隱顯人間,為國師範。位登太極,無上神仙。”❞

➙ その時、太上老君(たいじょうろうくん)は、商(殷)の王、陽甲(ようこう)の庚申(こうしん)の年、午の月、常道境(じょうどうきょう)より三気の雲に乗り、太陽の精霊に身を託して九耀の光を垂らし、玉女・玄妙(ぎょくじょ・げんみょう)の口中へと入り、胎内に宿って人となられた。

庚辰(こうしん)の年の二月十五日、亳(はく)の地にて誕生された。九つの龍が水を吐いてその身体を清めると、その跡は九つの井戸へと変わった。その時、老君の髪や髭は真っ白であったが、生まれてすぐに歩くことができた。歩いた跡には蓮の花が咲き、その数は九つに及んだ。

老君は左手で天を指し、右手で地を指して、人々にこう告げられた。

「天上天下、唯我独尊(てんじょうてんげ、ゆいがどくそん)。我はまさに無上の道法を広め、動植物を含む一切の衆生をあまねく救済せん。十方世界から暗き地獄の底まで、救われるべき者が未だ救われていなければ、そのすべてを救うであろう。人間界に姿を現しては国の師となり、位は太極に登る、無上の神仙である」

『老子化胡経』


 上記はそんな時代に作られた『老子化胡経(ろうしかこきょう)』という、偽の経典です。この太上老君というのが老子のことで、お釈迦様の行いが老子のやったことになっています。これが流布した唐や元の時代には、『老子化胡経』は徹底した弾圧の対象になりました。

4.三聖派遣説。

 この「老子化胡説」に対抗すべく、仏教側は『清浄法行経(しょうじょうほうぎょうきょう)』や『空寂所問経(くうじゃくしょもんきょう)』などの偽の経典を作って広めます。

たとえば、『清浄法行経』では、

  • 摩訶迦葉(迦葉菩薩)は老子に転生し

  • 光浄菩薩(光浄童子)は孔子に転生し

  • 月明菩薩(月明儒童)は顔淵(顔回)に転生した

 としていて、「中国で尊敬を集めている人物は、実は、中国人に教えを授けるために転生した菩薩である。」と主張しています(「三聖派遣説」)。

ヴィシュヌの化身たち

 これはインドの思想では結構主張されやすいもので、たとえばヒンドゥー教では、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)は、最高神・ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)であるとされていますし、イエス・キリストもヴィシュヌの化身、クリシュナのさらなる化身なのだ、みたい主張がなされることもあります。

 日本で言うと、仏教が伝来したときに広まった「日本の神々は菩薩様(本地)が日本人を救うために現れた仮の姿(垂迹)である」という仮説、「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)」が典型でしょう。これについてはいずれ。

5.老子とお釈迦様。

老子とお釈迦様

 このように、道教と仏教は、東アジアにおいて「マウントの取り合い」ともいうべき応酬を繰り返してきました。時代によってはそれぞれの宗教の弾圧の理由ともされてきたわけですが、同時に共存しているパターンも非常に多いです。道教の廟に菩薩が祀られていたり、仏教の教えのなかに老子や荘子の言葉が入っていたりします。

 特に、仏教経典を漢訳する際に老荘思想を活用した格義仏教や、禅仏教、浄土などの中国仏教の発展においてその傾向は顕著にみられます。仏教が本場のインドでは衰退傾向にあるなかで、中国において命脈を保っていた理由の一つは中国の土着の文化である道教との共存にあったと思っています。そして、なぜそれが可能であったのか、というと、中国人とインド人、老子や荘子とお釈迦様の考えが、ある局面においてとてもよく似ているからです。

 これは、弘法大師・空海の『三教指帰』にはすでに見えるんですが、宗教としての道教にはあるとしても、老荘思想と仏教があえて思想的に対立しないといけないような理由が見当たらないんですよね。

空海(774-835)

 この中国とインドに共通する視点を通して、我々が「東洋思想」と呼ぶ場合の、その「東洋とは何か」について、もうちょっと進められたらと思います。

とりあえず、お酢でも嘗めに行きましょうか。
それで今日はこれにて、पुनर्दर्शनाय (プナル・ダルシャナーヤ)!!

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