感想『ワーキングマン』娘の存在は世界の秩序
お正月映画第1弾として、ジェイソン・ステイサム主演の映画『ワーキングマン』(原題:A WORKING MAN)を劇場で鑑賞してきました。
そういえば昨年の正月にも、ステイサム主演の『ビーキーパー』が公開されていましたね。入場者特典として配布された「大凶おみくじ」が物議を醸し、配給会社が謝罪に追い込まれたことで社会の不寛容さを実感したことも、記憶に新しいです。
『ビーキーパー』は「老人を狙ったネット詐欺」という当時の社会問題を取り込みつつ、超スピーディーに悪の根源へとたどり着くのが痛快で、『イコライザー』以降の「なめていた男が実は殺人マシンだった映画」の最新形だと感じました。
今回の『ワーキングマン』も、職業を養蜂家から現場監督に変えただけの続編作品なのか?と思いきや、実際にはまったく別の世界観を持つ作品でした。ステイサムという俳優が体現するキャラクター自体はほぼ変わりませんが、本作は脚本をシルヴェスター・スタローンが手がけているためか、『ビーキーパー』に比べて地に足のついた、人情味のある世界観が打ち出されています。
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■滲み出るスタローンの味わい
とりわけ印象に残ったのは導入部です。ステイサム演じる主人公が、朝一番に現場へ出勤し、現場監督として一人ひとりの作業員の状態をきちんと把握し、声をかけ、信頼関係を築いている様子が手際よく描かれます。作業員たちからも慕われており、彼が誠実な労働者であることが短い時間で伝わってきます。
そこからステイサムの過去が明かされます。元特殊工作員であり、海外派兵に身を投じるあまり家庭を顧みなかった結果、妻はうつを患い自殺。娘は義理の父親に引き取られ、現在は面会にも制限がかかっている。それでも娘は父を慕っており、わずかな再会の時間が彼にとっての生きる支えになっている――彼の人物像が、非常にスピーディーかつ整理された形で提示されます。
「社会の中で、ちゃんと働き、ちゃんと生きている男」であることを最初に丁寧に描いてくれる。この実直な味わいにスタローン脚本らしさを感じました。
■あの映画は地獄だった
しかし物語が進み、現場監督の娘がロシア系マフィアの人身売買組織にさらわれる展開に入った瞬間、私は強烈な既視感と嫌な予感を覚えました。頭に浮かんだのは、スタローンのランボー最終作『ランボー ラスト・ブラッド』です。
あの作品では、ランボーにとって娘同然の存在であったガブリエラがメキシコのカルテルに誘拐され、麻薬漬けにされ、売春宿に売られ、これでもか、という虐待を受けます。
そして、ランボーは彼女を救出するものの、帰りの車中でガブリエラは薬物の過剰摂取により命を落とします。その後、怒りに駆られたランボーがカルテルを壊滅させるものの、すべては取り返しのつかない、後の祭り展開でした…。
当時、私は娘を持つ父親として劇場でこの映画を観ながら、「やめてくれ……心が壊れる……」と心の中で叫び、スクリーンのスタローンと一緒に大泣きしてしまったことを覚えています。その悪夢のような記憶が、『ワーキングマン』の展開と重なってよみがえったのです。
■娘の存在は世界の秩序
結論から言えば、『ワーキングマン』は『ランボー ラスト・ブラッド』のような、観る側の心を徹底的に破壊する悲劇には踏み込みませんでした。
さすがに正月映画でそれをやれば、炎上ものでしょう。ただし、親友の娘を救うために殺し屋へと復帰した結果、ステイサムの素性が割れ、今度は実の娘までもがマフィアから狙われるという展開が続き、スタローンよ、「どこまで世の娘たちを苦しめるのだ!!!!」と憤慨せずにはいられませんでした。
ここでふと思い出したのが、かつてどこかの映画評で聞いた「ハリウッド映画はずっと『娘に嫌われたくない』ということを描き続けてきた」という言葉です。この作品も、まさしくその系譜に連なるものだと感じました。
スタローン脚本の世界において、「娘」は単に守るべき存在として置かれているのではありません。むしろそれは、男が再び暴力を引き受けるための、最後の倫理的根拠として機能しています。
だからこの映画世界では、娘を奪われることは世界の秩序が壊れることと同義であり、娘を取り戻すことは、男が再び人間に戻るための儀式として描かれるのです。
『ワーキングマン』では、マイケル・ペーニャ社長の娘は無事に救出されます。ただ、その過程で彼女自身が殺しに手を染める展開には、正直なところためらいを覚えました。それもまた、男性側の倫理を娘に背負わせている構図なのかもしれません。
殺しにジェンダー差別はないと受け止めるべきなのか。そう考えようとしても、判断に迷ってしまいます。
■父親甘やかし映画からの覚醒
一方で、ステイサムの実の娘とその家族も日常を取り戻します。しかし、娘がステイサム父に対してほとんど不満や怒りを示さない描写は、あまりにも父親に都合が良すぎるのではないか、とも感じました。スタローン脚本は日常のリアリティを高める分、こうした「飲み込みづらさ」も同時に増してしまっているように思います。
個人的にはあれだけの出来事を経験した娘たちが、PTSDを発症しないのかという心配が残ってしまい、ハッピーエンドとは受け入れがたい私でした。
何よりも、父親としてこの映画を観て、「慰撫されている場合ではないな」と、急に我に返ります。
娘から常日頃から「お父さん、変な映画ばっかり観てないで、一緒に楽しい映画を観よう」と言われている今は、まだ健全な状態?なのかもしれません。
映画を観終えて家に帰ったら、娘と一緒に楽しい映画でも観よう。
そんな気持ちにさせられた、少し複雑で、しかし確かに心に残る映画体験でした。

ちなみに、入場特典として「お年玉」が配布されていました。こういうささやかな特典は、少し嬉しいものです。
家に帰ってから娘に「これ、あげようか」と言ってみたところ、
「それはお父さんが持っていて」と言われ、
優しく微笑まれてしまいました。
