【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第36話: 焼きとうもろこしと米焼酎
内容紹介
今日の一皿は、凝縮された甘みをシンプルに味わう「焼きとうもろこし」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、米焼酎と心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
蝉が泣き止んだあとの静けさは、耳にまとわりつくようだった。山瀬薫は、人けのない裏路地を歩いていた。
熊本から東京へ出て10年。広告代理店で企業PRに奔走し、その後、地域おこし協力隊として九州の山間部へ。今は集落で小さなプロジェクトの運営を担っている。
─このままでいいのだろうか。
移住した当初は、「地元の資源を活かす」と息巻いていた。だが現実は、思い通りにいかないことばかり。言葉の選び方ひとつで、村の会議は平行線を辿り、SNSの発信も「外向け」すぎるとたしなめられる。土地の人々はあたたかいが、距離が近いわけではない。気がつけば、自分の居場所が中途半端になっていた。
今年、初めて自分の手で育てたとうもろこしが、うまく実らなかった。見た目だけは立派でも、中はスカスカ。風で簡単に折れてしまうような、芯の弱さ。
─土地に、受け入れられていないのかもしれない。
思い詰めていたわけではなかった。ただ、なんとなく歩き続けていた足が、ある角を曲がる。見覚えのある白いのれんが、風に揺れていた。
文字はない。けれど、そこに吸い込まれるように足を進めた。音のない夜の、その先にある灯り。のれんをくぐると、ふっと、湿った夏草の香りが遠のいた。
店内には客の姿はなく、厨房の向こうに、男がひとり立っていた。
「いらっしゃいませ」
「─やってますか」
その問いに、真城一献は、目元をゆるく持ち上げて頷いた。
言葉少なに水が差し出され、薫はカウンター席に腰を下ろした。
静かだった。聞こえるのは、どこかで軋む氷の音、冷蔵庫のコンプレッサーが時折息を吐くようなリズム。
店内の空気は湿り気を帯びながらも、どこか凛としていた。
しばらくして、真城はとうもろこしを一本、丁寧に手に取って厨房へ戻った。
皮を一枚だけ剥がし、そのままオーブンへ。閉じ込められたとうもろこしからは、音も香りも届かなかった。
─とうもろこしか。
薫は小さく笑った。まさかこの夜に、この食材と向き合うとは。
「焼きとうもろこしです」
焼かれた黄色い粒は、先ほどよりも色を溜め込んだように、薫には見えた。横長の器にのせられたそれは、まるで陽の光を受けた彫刻のようだった。
薫は頷いて、それを手で持ち上げた。手に伝わる高温に耐えながら、かぶりついた瞬間、水が弾けるような甘さと、醤油の焦げの香りが混ざり合った。
─あ、これだ。
自分の畑では出せなかった、あの香ばしさ。甘さだけでは届かない、火が通ったことで生まれる複雑な深み。それを知っていたはずなのに、忘れていた。いつの間にか、「うまくいく」ことばかりを追いかけていた。
再び齧る。今度は少しゆっくり。粒が潰れる音と、舌の上に広がる微細なニュアンス。これが、土地の味というものかもしれない。
そのとき、真城が氷を入れたグラスと、一本の瓶を持ってきた。
「豊永蔵のロックです」
透明な液体が、氷の上に注がれた。米焼酎。ほのかに甘い、穏やかな香り。
口をつけた瞬間、舌の上が冷たく包まれる。次いで、とうもろこしの甘さと手を取り合うように、米由来の甘みが滲み出る。喉を通ったあとに、ふわりと香ばしさが立ち返ってきた。
薫は思わず目を閉じた。
─これも、火の余韻か。
ふと、数年前のある会話が蘇った。芸術祭の設営で知り合った男─藍沢司。音と食の展示「Symphony of Senses」で、彼が言った。
「土地の音を拾える人になりなよ。都会の耳じゃ、地元は聴こえないからさ」
当時は意味がわからなかった。だが今、その都会で、とうもろこしを齧り、焼酎を飲んでいるこの夜に、なぜだかその言葉が沁みた。
自分の耳は、まだ外の音ばかりを拾っていたのかもしれない。けれど、ほんの少しでも、この土地の音に近づけたのなら。
「─このとうもろこし、どこの品種ですか?」
真城は少し驚いたように目を見開き、すぐに答えた。
「熊本の山鹿です。朝採れ。雨の翌日でしたから、甘味がのってます」
「ああ、やっぱり。地元なんです」
そう答えながら、薫はグラスを軽く揺らした。氷が、さくりと音を立てた。
夜が深まるにつれて、氷が溶けていく。酒もとうもろこしも、少しずつ、少しずつ減っていった。
焦ることはない。土地に根を張るというのは、技術でも努力でもなく、こうして季節の味と向き合い、火を通し、耳を澄ますことなのかもしれない。
最後の一粒を食べ終え、残りの焼酎を静かに口に含んだ。
「ごちそうさまでした」
言葉のあとに続く沈黙が、妙に心地よかった。
薫は再びのれんをくぐった。二回目は、内なる音と甘い実りを纏わせて。
真城一献は、薫の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第37話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

とうもろこしの一部だけが露出するように皮を取り除く。
露出した部分に刷毛で醤油を塗る。
200℃に予熱したオーブンで30分蒸し焼きにする
材料紹介
豊永蔵 : 山鹿市の焼きとうもろこしと、熊本スペシャル。
