【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第35話: 牛たたきサンドイッチと赤ワイン
内容紹介
今日の一皿は、レアな牛肉を野菜と共に薄切りの食パンで挟んだ「牛たたきサンドイッチ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、赤ワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
東京出張の帰路、藍沢司は久々に降り立った駅で、ふと足を止めた。
この街には、もう仕事で来ることはないと思っていた。それでも、裏道の構造は体が覚えている。人通りの途切れる交差点、路地へと曲がる角度、踏みしめるアスファルトの硬さまで。
スニーカーの音が、コンクリートの上にかすかに響く。
二十代の頃は、音を拾うことに夢中だった。音楽を生む人間の傍で、発光の瞬間を待ち構えるのが、自分の仕事だった。レコード会社のA&Rとして、才能の原石を見つけ出し、プロデューサーと揉み合いながら形にしていく。
そうして何度もヒットを飛ばした。けれど──
あれは、いつからだろう。耳が、売れる音ではなく「沈黙」を拾うようになっていったのは。
まるで音を食むような夜。ふと、路地の奥に仄かな光を見る。白いのれん。文字はない。けれど、その静けさは、どこか懐かしいレコードジャケットのようでもあった。音が鳴る直前の、張りつめた無音の気配。
のれんをくぐると、足がふっと止まる。
中には客の姿はなく、厨房の向こうに一人の男、真城一献。
「いらっしゃいませ」
「─やってるかい」
その一言に、真城はわずかに頷いた。席に腰を下ろすと、何も訊かれず、ただ静かに水が置かれる。その仕草に、かつての現場の緊張感を思い出す。誰が最初に音を出すか、全員が息を潜めて待っていた、あのスタジオの空気。
真城はフライパンにバターを乗せると、火にかけた。すぐに個体は液体へと変化し、白い泡を沸々と立て始める。同時に、濃密な牧場の香りが漂ってくる。
そこへ薄切りの食パンを2枚並べる。スポンジのように白い生地が白い泡をみるみると吸い込んでいき、茶色く色づき始める。その間、レタスを洗って手でちぎると、冷蔵庫から取り出してきた、液体に浸かって密封された肉の塊を解放すると、きらりと光る長い牛刀を入れた。
「牛たたきサンドイッチです」
運ばれてきたのは、半分に切られたサンドイッチ。分厚いレアの牛のタタキに、何層ものグリーンレタス。焦げ目のついたパンが、それらをみっちりと挟み込んでいた。
司はそれを無言で受け取ると、両手をいっぱいに広げて掴み上げ、顎が外れるほどに大きく口を開けてかぶりついた。マリネされた肉に染み込む醤油の風味と旨み、レタスの水分を含んだ歯ごたえ、バターを吸った小麦の香ばしさ。それらが一口の中で、まるでマルチトラックのように、重なり、響き合う。
「─これは、ロックだな」
誰にともなく呟いたその言葉に、真城は奥から静かにグラスと一本のワインを持ってきた。
「Y by YOSHIKI、カベルネ・ソーヴィニヨンです」
グラスに注がれた液体は、濃く、艶やかだ。
口に含む。果実味。次に香木のような余韻。そして、肉の旨みを力強く拾っていくタンニンの手触り。
その瞬間、司は思い出した。
─横浜アリーナのバックステージ。
ロックバンドの撮影現場で、司はあるアーティストの音作りを手伝っていた。誰かが、言った。
「音楽と料理って似てるよね。どっちも、余韻が美味しさだって思うからさ」
それが誰だったのかは、定かではない。けれど、その言葉はずっと耳の奥に残っている。
もう一度サンドイッチに食らいつき、そしてまた濃い赤をひと口。その繰り返しが、どこかセッションのようだった。
今夜、この一皿とこの一杯が、確かに司の中の何かを揺らしている。市場経済に則った、誰かのヒットチャートも、配信数も、関係ない。これは内なる共鳴だ。
ふと、司は言った。
「─あんたの音は、誰にも似てないな」
真城はグラスをひとつ拭きながら、うっすらと目元を緩めた。言葉はない。それでも十分だった。
食べ終えたあと、司は手帳を取り出した。
「風のように食む夜、静かに鳴る。」
それは、緒形朱音という名の若いプランナーが数年前に送ってきた企画書の言葉。かつて司が手がけた音と食の展示「Symphony of Senses」に着想を得たという。
「ふっ。これも共鳴ってやつか。ロックは偉大だな」
あの言葉が今になって蘇るのは、きっと何かの巡りだろう。今の彼女なら、このサンドとこのワインの音を、どう表現するだろうか。そんなことを考えながら、グラスに残るワインを一滴残らず口に含んだ。
司は再びのれんをくぐった。二回目は、共鳴の余韻を纏わせて。
真城一献は、司の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第36話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

薄く塩胡椒した牛肉の表面を強火で焼き入れる。
すぐに氷水につけて締める。
醤油、オリーブオイルは同量、ナンプラーはその半量、そしておろしニンニク、ローズマリーと一緒に袋に入れ、一晩置いてマリネする。
フライパンにバターを入れ熱し、薄切りの食パンを焼く。
レタスと共に挟んで、ホイルなどで包む。
お好みでドレッシングなどで味変する。
材料紹介
オリーブオイル : 味と値段のバランス最強。普段使いに。
Y by YOSHIKI カベルネ・ソーヴィニヨン : とにかく肉を食う、ロックな夜に。
