【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第7話: 手羽元のカチャトーラと赤ワイン
内容紹介
今日の一皿は、鶏肉を猟師風に煮込むイタリア料理の定番「カチャトーラ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、赤ワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
ホールには、二度目の拍手喝采が鳴り響いた。坂元奏はお辞儀をすると、最後のアンコール曲に一言添えた。
「この曲は、あるお店をきっかけに生まれました」
八嶋環は文芸誌の編集長を務めている。たまの休日、半分趣味だが半分仕事として、チェロの独演会に行った時に聞いた、あの言葉が忘れられなかった。
得られた情報は少なかったが、環は自分の足でそれを稼ぐことに決めた。これまで独自に作り上げてきた連絡網を使い、最後は文字通り路地裏を歩きに歩いて、ようやく無地の白いのれんの前にたどり着いた。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、カウンター席しかない、殺風景な空間だった。カウンターの向こうには、紺の作務衣と白い前掛けをした真城一献が静かに佇んでいる。環は想像に近いその雰囲気に、さらに期待を膨らませ、席に腰を下ろした。
「チェリストの坂元奏さんが、独演会でこのお店の存在を匂わせていたんです。色々調べて、なんとか辿り着きました」
「奏さん。─そうでしたか。わかりづらい場所にあってすみません」
「いえ。もう、期待で胸は膨らんでるけど、お腹はぺこぺこ。ただそれだけです」
「では、しばらくお待ちください」
そう言うと、真城は環に背を向けて、フライパンを手に取り、オリーブオイルを垂らして火にかけた。そして、骨付きの鶏肉入れる。鶏肉の脂の匂いが立ち昇ってくる。
さらに、もう一回り小ぶりなフライパンを持ち出すと、オリーブオイルを垂らし、スライスした玉ねぎを入れた。じわじわと、玉ねぎの焼ける甘い匂いが店の中に立ち込めていく。
そうかと思うと、今度は何やら複数種類の食材をみじん切りにして、鶏肉の入ったフライパンに投入していく。にんにくやハーブの香りに、鶏肉の脂の匂いが混ざり合っていく。
そこへ、小ぶりなフライパンから、やや黄色がかった透明な玉ねぎを流し入れて、混ぜ合わせた。そして、白い液体を入れて沸かせる。次は白ワインの成分が空気中に放出された。その間、トマト缶を缶抜きで開けると、ホールトマトを手でやさしく握り潰し、フライパンに入れていく。トマトの酸が環まで届いたかと思った矢先、フライパンには蓋がされた。
環は何度も唾を飲み込みながら、待ち遠しい時間のトンネルを進んでいった。再び香りが漂ってきた時、ようやく光の差す出口を発見したような気分だった。
「手羽元のカチャトーラです」
待望の一皿は、美しく輝いて見えた。ほんのり焼き色の残った手羽元の上に、柔らかそうな玉ねぎを纏った朱色のソースがかけられ、その上をパセリが彩っている。
「ついにご対面だ─。いただきます」
そう言うと環はスプーンを持ち上げ、ソースを掬って口に含んだ。鶏だけでない、複数の旨みが飢えた舌をゆっくりと満たしていく。次にフォークで手羽元の可食部を刺すと、慎重に持ち上げてかぶり付いた。前歯で簡単に解きほぐれた肉から、香ばしさと旨みが力強く流れ出てきた。
「これはもう、たまりませんな」
「やはり、一杯いかれますか?」
「ぜひとも」
真城は厨房の奥からボトルを一本持ってきて、素早い手捌きでコルクを抜くと、底の方が膨らんだワイングラスに、やや透明感のある赤い液体を注ぎ込んだ。
「ランゲネッビオーロです」
環はすかさずグラスに手を伸ばし、持ち上げて鼻を近づけた。果実とスパイスを混ぜたような香りが鼻腔に広がる。口をつけると、見た目以上に力強く、渋みと上品な酸が口腔を満たした。
「たまらない、を超えましたね」
環は一言だけ口を挟むと、すぐにその空いた口の中に手羽元を放り込み、咀嚼しながらワインを流し込んだ。
「最近ちょっと忙しくて、食事にあまり時間をかけられなかったんです。ですが今日、ここに辿り着く時間も含めて、じっくりと練られた物語の最後の一ページが、この一皿と一杯で刻まれたように思います」
「それは何よりです。実は料理は、料理人だけが作るものではないんですね」
「ちょっと、核心に迫っちゃった感がありますね。─ところで、こちらのお店の名は?」
「『酒肴録』です。酒に肴で」
「通りでね。僕にこんな気障なことを言わせるわけだ」
環は再びのれんをくぐった。二回目は、赤い香りを纏わせて。
真城一献は、環の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
おまけレシピ

手羽元は塩胡椒して薄力粉をまぶしたら、オリーブオイルを温めたフライパンで焼き色をつける。
にんにく、ケッパー、アンチョビのみじん切りを加え、香りを立たせる。
別のフライパンで玉ねぎのスライスをオリーブオイルで炒め、半透明になったら2に加える。
白ワインを入れて一度沸かす。
ホールトマトを手で軽く潰してからフライパンに入れる。蓋をして煮込む。
材料紹介
オリーブオイル : 味と値段のバランス最強。普段使いに。
ケッパー : イタリアンには欠かせない。
アンチョビ : 旨み爆発。一年も保ちます。
トマト缶 : 備えあれば憂いなしとはまさにこのこと。
ランゲネッビオーロ : 鶏肉のトマト煮込みに合います。
調味料入れ : あると便利。にんにくオイル、唐辛子オイル、トマトソースなど。


