【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第37話: ゴーヤチャンプルーと泡盛
内容紹介
今日の一皿は、ゴーヤの苦味を肉と魚の旨みが受け止める「ゴーヤチャンプルー」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、泡盛と心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
夜の風が、少しだけ熱を残していた。
比嘉杏は、仕事帰りの大通りから一本脇にそれた小道を、ぼんやりと歩いていた。蝉の声が遠ざかり、代わりに夜の機械音が街を支配し始める頃。不意に、鼻腔の奥に苦さが香った気がした。
思わず足を止め、振り返る。だが思い当たるものは何もない。ただ、少し先に、白く無地ののれんが静かに揺れていた。店の名は記されていない。けれど、不思議と引き寄せられるものがあった。
杏は、そっとのれんをくぐった。
湿った夏草の香りが遠のき、代わりに、どこか懐かしい油の匂いが迎えてくれる。薄暗い店内には他の客はおらず、カウンターの向こうに男がひとり立っていた。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた声だった。真城一献が、目元をゆるく持ち上げて迎え入れた。
言葉少なに出された冷たい水を受け取り、杏はカウンター席に腰を下ろした。氷がかすかに軋む音。沈黙が続くのに、不思議と居心地の悪さはなかった。
杏は、右手でグラスを持ち上げながら、何とはなしに思い出していた。
─先生、この唄、沖縄のことばで歌っていい?
小さな男の子が訊いてきたのは、今朝の授業だった。地域の子守唄をテーマにした音楽の時間。彼の祖母が教えてくれたという、ウチナーグチの唄を口ずさむ声は、どこか照れくさそうで、けれど誇らしげだった。
あのとき、杏はなんと答えただろう。「もちろんいいよ」と笑ったものの、どこか自分自身が取り残されたような気がしていた。東京に出てきて五年。ウチナーグチは少しずつ舌から離れ、泡盛もチャンプルーも、年に一度の「帰省の味」になりかけていた。
そんなことを思っていたときだった。
「ゴーヤチャンプルーです」
真城の声に顔を上げると、浅い丸皿に盛られた料理が目の前に置かれていた。豆腐がかろうじて原型を留め、豚肉と卵の黄色、そして三日月の形をしたゴーヤが、深緑の苦味をそのまま伝えてくるように並んでいた。表面には鰹節がふんわりと踊り、立ちのぼる香りに、胃が小さく鳴った。
一口、箸を運ぶ。豆腐の水分は抜かれ、表面は香ばしく焼きつけられている。ゴーヤの苦味はしっかりと立っていて、強烈な個性を訴えてくる。卵のやさしさと、豚肉と鰹節の旨みがそれを包み込んでいた。
─これは、あの味ではないけど、でも私の中の味だ。
祖母が作ってくれた味とも違う。けれど、旧盆の夜に食べた、仏壇の前の皿に盛られていた、あのチャンプルーの記憶と、どこかで重なった。
「瑞泉の青龍です」
真城が再び現れ、氷の入ったグラスとともに瓶を置いた。透き通る海のような琉球グラスに、澄んだ液体が、静かに注がれる。泡盛。それも、瑞泉。
杏は目を瞬いた。思い出したのだ。数年前、オンラインで受けたあるセミナーのことを。
地域の音をどう教育に取り入れるか、というテーマだった。登壇していたのは、熊本の地域おこしをしているという男性。山瀬薫という名だった。
─都会の耳じゃ、地元の音は聴こえない。まあこれは、ある人からの受け売りなんですけどね。
薫がそう言ったとき、杏は苦笑していた。自分は沖縄出身だし、地元の音くらい知っている、と。けれど、気づけば自分も、同じように聞き逃していたのかもしれない。
グラスを口元に運ぶ。ひとくち含むと、冷たさの向こうから、米の甘さがやわらかく広がる。あとから鼻に抜ける芳香に、杏は思わず目を閉じた。
─やっぱり、これだ。
苦味と甘み。塩と焦げ。土地と時間と火を通した記憶。ひとつの皿とひとつのグラスにすべてが含まれている。
ふと、今日の男の子の唄声が脳裏に蘇る。
─先生も、一緒に歌おうよ。
あのときは笑ってごまかした。でも、本当は。歌いたかった。あの子供のように。
杏は、チャンプルーの残りをひと口、ふた口と運びながら、ゆっくりとグラスを傾けた。氷が、かすかに音を立てて揺れる。
食べ終わる頃には、泡盛の香りが、まるで自分の声帯にまで沁み込んだような心地がした。
「ごちそうさまでした」
その言葉に、真城は静かに頷いた。
杏は再びのれんをくぐった。二回目は、声にならなかった歌と、土地の苦味を纏わせて。
真城一献は、杏の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第38話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

ゴーヤを半分に切って中のワタとタネをスプーンでくり抜き、薄くスライスする。
豚バラや豚こまを一口大に切って塩胡椒する。
木綿豆腐に塩を振って電子レンジで2~3分温め、キッチンペーパーで水分を吸い取る。
フライパンにサラダ油をひき熱して、豆腐を大きめにちぎり入れて焼き色がつくまで炒める
豚肉を加えて炒める。
最後にゴーヤを加えてさっと炒める。
塩ひとつまみ、醤油と顆粒だしを小さじ半分ずつ加える。
溶き卵を加えて優しくかき混ぜ、皿に盛って鰹節を振りかける。
材料紹介
瑞泉青龍 : ゴーヤチャンプルー食べるなら。
