【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第59話: 砂肝の大葉ゆずポン酢と芋焼酎
内容紹介
今日の一皿は、大葉とゆずが香り高く、夏でもさっぱりいただける「砂肝の大葉ゆずポン酢」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、芋焼酎と心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
薄い革手袋を外した瞬間、早川真希は小さく息を吐いた。点検先のビル屋上には、昼過ぎの名残を含んだ風が残っていた。足元の排気口には微かに油が滲み、鉄の蓋の縁には雨水で錆びた痕が染み付いている。
工具を仕舞いながら空を仰ぐと、高層ビルの隙間を縫って吹く風がひと筋、前髪をかすめた。風向きは南南西、湿度高め。真希の脳裏に、小さな数値と感覚が並んでいく。5年以上、空調点検を続けてきた身体は、風の微かな癖さえ記憶するようになっていた。
人の言葉や表情はあてにならない。けれど、風は嘘をつかない。
手の甲にかすり傷があるのに気づく。古い換気扇を覗き込んだとき、鋭く欠けた金属片に触れたらしい。血は乾いていたが、しみるような感覚がじんと残っている。
帰り道、路地の共同流しで手を洗おうと歩いていたときだった。淡い光を帯びた白いのれんが、不意に風に揺れた。視線が吸い寄せられたのは、あのときと同じだった。
数週間前、とある古道具屋で出会った女の人。金属製の古びたハンドルを、同じタイミングで手に取った。器の展示をしているらしく、言葉少なに仕事の話をしていた。真希は、
「風を扱ってるんです」
と答えると、彼女はふっと笑った。それきりだったが、なぜか記憶に残っている。あのとき、白い布越しに見えた彼女の指先が、今日ののれんの揺れと重なった。
吸い込まれるようにその店に入ると、やわらかな照明が迎える。厨房の奥から、静かな声が響いた。
「いらっしゃいませ」
真城一献の声だ。真希は黙ってカウンターの隅に腰を下ろす。道具袋を足元に置き、ひと息つく。脚立の上り下りで張ったふくらはぎが、じんわりと熱を帯びていた。
やがて目の前に置かれた黒い器には、丁寧にスライスされた砂肝が並んでいた。ゆずポン酢の酸がほのかに立ち、大葉の千切りが風のようにたゆたう。
箸を取る。噛むと、ぷつりと弾けるような食感。舌に広がる塩気、柑橘の香り、そして冷たい金属のような微かな余韻。それはまるで、配管の奥で聞いた小さな風音の記憶に似ていた。
「山ねこです」
そう言って出されたグラスには、少しだけ氷を含んだ焼酎が注がれていた。香りは芋の甘さが控えめで、透明感がある。ロックで口に含むと、ひんやりとした飲み口の奥から、微かな土の香りと火照りが喉を滑っていく。
「砂肝って、音がしますよね」
ぽつりと呟くと、真城は少しだけ眉を動かした。
「奥歯の上で、鳴りますね」
箸の先で一枚の砂肝をつまむ。わずかな照りが光を返す。ひとくち、そしてもうひとくち。食べることで、自分の中に吹いていた風が静まっていくのがわかる。いつの間にか、息の通りが滑らかになっていた。
器の女性も、きっとこうして自分の時間を整えているのかもしれない。あの短いやり取りだけで、そんな気がしたのは不思議だった。
グラスの氷が小さく鳴る。飲み干した焼酎の余韻が胸に残る。
真希は静かに立ち上がると、のれんの前で一度だけ振り返った。厨房の奥では、真城がすでに次の支度に取りかかっている。
布を手で押し分けると、風向きを変えた空気が目の前を通り抜けていった。
真希は再びのれんをくぐった。二回目は、風と食感の重奏を纏わせて。
真城一献は、真希の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第60話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

砂肝を沸騰したお湯にさっと通してから氷水で締め、薄くスライスする。
ポン酢に柚子胡椒を混ぜたものをかけ、大葉を細切りにして添える。
材料紹介
山ねこ : 砂肝の大葉ゆずポン酢と。
