【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第63話: 鶏の唐揚げとビール
内容紹介
今日の一皿は、お弁当にも定食にも、そして肴にも大定番の「鶏の唐揚げ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられるビールと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
西島光は、同居人たちの歓声の中、油切りのザルに唐揚げを並べ終えた。衣の弾ける音が台所に残り、じんわりと香ばしい香りが部屋に広がっていく。
今日は月に一度のおうち居酒屋企画の日で、光がメイン担当を任されていた。メニューは鶏の唐揚げ、キャベツの千切り、ミニトマト、それに誰かが買ってきたクラフトビール。
「できたよー」
振り返って声をかけると、居間から拍手が起きた。七人暮らしのシェアハウス。全員が全員、似ているようでまるで違う。
「これ、マジで店の味じゃん」
一番先に口にしたのは理央、ライター志望で映画オタクの三十路男子。
「この香ばしさ、ニンニクと醤油にちょっとだけ生姜、あと……隠し味、何?」
光は少しだけ笑って答える。
「うちの母がよく使ってたの。りんごジュースを少し。肉がやわらかくなるんだって」
理央は目を丸くして頷く。
「へえ、光の実家って定食屋だったっけ?」
そう聞かれて光は首を横に振った。
「ううん、普通の会社員家庭。でも、母は揚げ物が上手だった」
缶を開ける音が重なり合い、食卓の会話は次第に散っていく。けれど光の中には、なぜだか母の記憶が、唐揚げを通して少しだけ近づいた気がしていた。
「そういえばさ」
理央がぽつりと口にした。
「こないだ、うちの高校の同級生が映画監督になってたんだよ。環境ドキュメンタリーとか撮ってるやつでさ。名前出てきてビックリした」
「へえ、観たの?」
「うん。けっこうよかったよ。なんていうか、音が印象的でさ。映像より、海の音が残ったって感じ」
「名前は?」
「斎藤望ってやつ」
唐揚げを咀嚼しながら光は小さく頷いた。どこかで聞いたことがあるような、ないような。けれどそれ以上、特に詮索することもなかった。
その夜。小腹がすいて、光は一人で近所の路地に出た。シェアハウスの喧噪が嘘のように静まり返る裏通り。けれどふと、いつも見慣れた道の先に、見慣れない白いのれんが揺れているのに気づいた。記憶にはないはずのその店構えに、なぜか足は自然と向いていた。
「いらっしゃいませ」
のれんをくぐると、店内には落ち着いた空気が漂っていた。カウンターに立つ真城一献は、注文も聞かずに鍋に火を入れている。戸惑う光に、真城はちらりと目をやると、何も言わず調理を続けた。
しばらくして、皿が静かに差し出される。そこには、黄金色に揚げられた鶏の唐揚げと、山盛りの千切りキャベツ、そしてミニトマト。
「─あ」
思わず声が漏れた。さっき作ったものとまるで同じ。いや、違う。香りも、衣の音も、もっと深い。
箸を入れると、ザクッという音が響いた。頬張る。衣の香ばしさと、肉のジューシーさ。控えめに効いた生姜。それらが、咀嚼とともに熱を帯びて舌に広がっていく。飲み込んだ後、ふと差し出されたのは、一缶のビール。
「よなよなエールです」
受け取った瞬間、口の中にもう一度熱が蘇った。プシュ、とプルタブを開ける。グラスに注がれた琥珀色の液体。一口含むと、ホップの香りとほのかな甘みが唐揚げの余韻と溶け合った。光は黙って、もう一度唐揚げを口に運んだ。
「私の母、揚げ物だけは、やたら丁寧だったんですよね」
不意に言葉がこぼれる。真城は何も返さない。ただ、まるで我が家に帰ってきた娘を迎え入れるような微笑みを見せると、静かにカウンターの奥へと戻っていった。
食べ終えると、不思議な満足感とともに、心の中に小さな輪が描かれていた。母の記憶と、シェアハウスのローテーブルと、文字の無い白いのれん。それらが自分の中で重なっていた。
光は再びのれんをくぐった。二回目は、苦味が連れてきた甘美な時間を纏わせて。
真城一献は、光の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第64話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

鶏もも肉300gを一口サイズに切り、おろし生姜5g、塩ひとつまみ、醤油大さじ半、酒小さじ1、りんごジュース大さじ1で下味をつける。
片栗粉を塗して160℃で3分揚げて一度引き上げ、180℃に上げてさらに30~60秒揚げる。
材料紹介
よなよなエール : 鶏の唐揚げと。
