【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第62話: しらすとアーモンドのパスタと白ワイン
内容紹介
今日の一皿は、贅沢な海の香りとナッツが食感にアクセントを生む、「しらすとアーモンドのパスタ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、白ワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
斎藤望は、上映後のロビーで一人立ち尽くしていた。照明が戻り、拍手が終わり、観客が次々と出口へ向かうなか、彼の耳にはまだ海の音が残っていた。
今日のドキュメンタリーは、彼自身が現場で撮った映像を使った環境映画だった。舞台挨拶も終え、質疑応答も終わった。なのに、名残があった。
エンドロールの最後に流れた「脚本協力:益田綾音」という文字が、彼の記憶にひっかかっていた。数ヶ月前、ふらりと入った古書店でその名前を見た覚えがあったのだ。海洋文学特集と手書きされた棚に、波打つような万年筆の文字が添えられていた。
気まぐれに歩き出した足が、あの古書店のあった路地へ向かっていたのは、無意識のことだった。冷えた夜気に頬を撫でられ、街灯のにじむ道を抜けていく。記憶のままに辿ると、そこにあった店の灯りはすでに落ちていた。看板もなく、静かに口を閉ざすような引き戸の向こうには、眠った紙の匂いが残っている気がした。
仕方なく踵を返そうとしたとき、ふと、風に揺れる別の暖簾が視界に入った。白地に、何も書かれていないその布は、妙に惹きつける静けさを湛えていた。望は躊躇なく、そののれんをくぐった。
「いらっしゃいませ」
店内は、言葉が沈黙に変わるための空間だった。カウンターの向こうにいた真城一献は、望が何も言わぬうちから動き始めた。長い言葉もなく、ただ一礼を返すと、静かに火を入れる。
望はその様子を見ながら、改めて自分が空腹だったことに気づいた。ロビーで受け取った水すら口にしていなかった。やがて香ばしい香りが鼻をくすぐる。オイルの弾ける音、そして白魚のような何かを散らす手つき。厨房からは、わずかに海の気配とナッツの香ばしさが重なったような湯気が立ちのぼっていた。
「しらすとアーモンドのパスタです」
陶器の青に盛られたそれは、白く繊細な釜揚げしらすがたっぷりと山のように載ったパスタだった。麺の間から覗くのは、ローストされ砕かれたアーモンド。望はフォークを取り、そっと一口を口に運んだ。
軽い。だが深い。しらすの塩気が全体を包み、アーモンドの香ばしさが追いかけてくる。そこに、柑橘のような酸と微かな苦みがある。
何だろう、と思う間に、背後からワインボトルが現れた。
「ガヴィ。ピエモンテです」
注がれたグラスから立ち上るのは、青リンゴとアーモンドを混ぜたような香り。口に含めば、しらすの余韻とぴたりと重なる。オイルの厚みを洗い流しつつ、余計な主張はせず、最後に磨かれた石のようなミネラル感を残す。
望は、何も言わずにもう一口、そしてもう一口と運んだ。どこかで、この料理が自分を迎えてくれることを知っていたような気がした。海を見続けてきた眼が、この一皿の中にも小さな波を見つけているようだった。
「海の仕事を、されていますか」
真城がふと尋ねた。望はグラスを置き、頷く。
「環境のNPOで。プラスチックや、漁網の回収とか。祖父が漁師で、しらすを干してて。あの景色を─。失いたくなくて」
言葉にすることで、逆にその光景が遠のく気がした。祖父の干し場。風の通る網。陽に透けたしらすの影。浜辺に立てた木枠の間を吹き抜ける風の音と、ときおり混じる海猫の鳴き声。望は、湯気の立つ皿にそれらを重ねていた。
「あなたの映画、観ました」
唐突に、真城が言った。望は少し驚いて顔を上げる。
「最後のシーン、波打ち際に一羽だけ残っていた鳥が、よかったですね」
「あれ、偶然なんです。本当はあの海岸、撮影許可降りるか危うくて。でも、行ってよかった」
真城は静かに頷き、カウンターの隅にあった小さな短冊を見やった。そこには『酒肴録』とだけ書かれている。
「ここは、忘れたくない味や風景を記していく場所なんです」
望は深く頷くと、残りのパスタを口に運び、再びグラスを傾けた。塩気が舌に触れると、祖父の干し場に吹いていた潮風を思い出す。軽やかで、どこか懐かしい風だった。
皿は空になり、グラスも静かに置かれた。潮の香りとアーモンドの余韻。失いたくないものが、また一つ増えた。
望は再びのれんをくぐった。二回目は、遠くの潮風を纏わせて。
真城一献は、望の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第63話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

フライパンにオリーブオイルを熱し、みじん切りにしたにんにく、アンチョビ、ケイパーを入れて香りを立てる。
水を400cc入れ沸かし、パスタを表示時間通り茹でる。
水分がなくなったら皿に盛って、しらすと砕いたアーモンドを散らし、レモン果汁をかける。
材料紹介
パスタ : パスタならこれがおすすめ。ブロンズダイスでソースとよく絡む。
ガヴィ・デイ・ガヴィ・ラ・スコルカ : しらすとアーモンドのパスタと。
