【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第25話: ラムチョップと赤ワイン
内容紹介
今日の一皿は、牧草のような香りと獣っぽさのいいとこ取り、「ラムチョップ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、赤ワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
はじめに彼の文章を読んだとき、如月穂香は思わずスケッチブックに鼻を近づけていた。
鶏の茹で汁に浸された米、ナンプラーとパクチーの交差、蒸し鶏の脂に滲む旅の記憶。それらが、まるで香りの粒子のように紙面から立ちのぼってくる気がしたのだ。
畠山紘太。地方紙に勤める記者で、取材先で出会った料理と記憶についての短い随筆を寄せているらしい。『地酒文化と季節の食を考える』という一見硬派な冊子の中に、不意に差し込まれたその一文に、穂香は打たれた。
「香りに関する調査をしておりまして─」
穂香は思い切って彼に連絡を取った。名刺に印刷された「香料開発士」の肩書きに自信を持てたことは、これまで一度もなかったが、そのときだけは違った。
紘太は、あっさりと取材を受け入れてくれた。「ちょうど、また『酒肴録』に行こうと思っていたところです」と添えられた返信の一文に、穂香はにわかに胸を高鳴らせた。
白いのれんをくぐると、燻された油と香草の香りが微かに鼻をくすぐった。店内にはまだ他の客はなく、カウンターの奥に一人、紘太が座っていた。
「穂香さんですね。はじめまして」
「今日は、お時間ありがとうございます」
お互いに軽く頭を下げたあと、ぎこちない沈黙が流れる。会うのは初めてだが、互いに相手の言葉を読んでいる。すでにいくつかの記憶を共有しているような不思議な感覚があった。
カウンターの向こうで黙って立っていた真城一献は、背を向けるとグリル台の上で何かを焼き始めた。厨房からジュウという音とともに、獣と牧草のような脂の焼ける香ばしい匂いが立ちのぼってくる。
「ラムチョップです」
カウンターの皿の上に、匂いの正体が現れた。骨付きの、自分が動物であることを思い出させるような、そんな野生味に溢れていた。
「ラムの香りって、強いけれど懐かしいですね」
穂香がそう言うと、紘太は静かにグラスを回しながらうなずいた。
「そうですよね。自分の人生ではないどこかの、遠い昔の記憶のような気がします」
穂香はナイフを入れた。やわらかくも弾力のある肉が、ジュっと音を立てて裂けた。一口頬張ると、肉の旨味の中にその遠い昔の記憶が掠めたように思った。
「よかったら、お酒もいかがですか?」
真城が静かにそう言って、グラスをカウンターに置いた。
「シラーです」
グラスに注がれたのは、向こう側が見えない、まるで闇のような赤いワインだった。穂香には、その色合いからラムの濃厚な赤い血が連想された。
グラスの口に鼻を突っ込むと、複雑な香りがした。ペパーミント、クラックベリー、グリルした肉、すみれ─。どれかでありそうで、どれでもない、そんな香りだった。
次は、舌の出番だ。少し含んで、転がしてみる。力強いタンニン、そしてダークチョコレートのような風味がした。これは、と穂香は感じると、ラムを求めずにはいられなくなった。もう一度ナイフで切って、フォークで口に運ぶ。
「やっぱり。このラムとこのワインは、今日ここで再会する為に存在していたのかとさえ、思えちゃう」
それを聞いた真城と紘太は互いに目線をやり合うと、深い関心を含んだような微笑みを見せた。
「あ、すみません、つい─」
ラムと赤ワインに夢中になっていた穂香は、二人が微笑んでいることに気づくと、急に我に返って恥ずかしくなった。
「いえ。むしろ、勉強になりました」
真城が言葉を挟んだ。紘太はそれに同意するように、深く頷いてみせた。
「でも、今日は紘太さんに取材しに来たのに」
「いいじゃないですか。ここでこうやって、酒と肴と共に時間を過ごしていけば、ただ殺風景な部屋かなんかで一方的にインタビューするよりも、よっぽどお互いのことがわかったりしますよ。─それに、それを言い訳に、またここに来れるしね」
紘太がおどけて見せると、今度は真城と穂香も声を上げて笑い合った。
穂香は再びのれんをくぐった。二回目は、大地の恵みが織りなす香りを纏わせて。
真城一献は、穂香の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
おまけレシピ

塩胡椒をして、グリル、オーブン、またはフライパンで表面を強火で焼き、その後ごく弱火にして中にゆっくり火を通し、お好みの火加減で。
材料紹介
シラー・サンタイネズヴァレー : ラムチョップと合わせたら、鬼に金棒。
