【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第24話: カオマンガイとビール
内容紹介
今日の一皿は、瑞々しい鶏肉と旨みを吸った米、そして南国情緒あふれる香りの「カオマンガイ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、ビールと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
駅から伸びる商店街を外れ、住宅街の隙間に吸い込まれるように歩いていく。スマホの地図を見ながら、迷ったかと思ったその先で、ふっと視界が開けた。
そこは、まるで町が呼吸をひそめたような裏路地だった。
コンクリートの壁に埋もれるようにして、小さな木の引き戸がひっそりと佇んでいる。軒先にぶら下がる、文字の無い白いのれんが風に揺れていた。
畠山紘太は、ごくりと喉を鳴らしてから、そののれんをくぐった。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から、静かな声が届く。真城一献は一瞬顔を上げると、すぐに視線を下へ戻して包丁を研ぎ始めた。
店内は静かだった。入り口から正面にある壁には、印象的な日本画が掛けられていた。小さなカウンターには先客がいた。
紘太はカウンターの一番端に腰を下ろし、手に持っていた小さな冊子を肩にかけていたショルダーバッグに入れると、そっと膝の上に乗せた。
「パクチーは、苦手ですか?」
「いえ、好きです」
紘太は突然の質問に反射的に答えた。
すると、若干色味がかった米の上に、薄く切られた鶏肉が並べ、きゅうりと赤く熟れたトマト、そしてパクチーが添えられた皿が出てきた。
皿がそっと差し出された瞬間、紘太は旅先の匂いを思い出した。
「カオマンガイです」
紘太はしばらく皿を見つめたあと、鶏肉だけを箸で掴むと、徐に口に運んだ。とにかく、柔らかい。噛んだかどうか忘れてしまうほどだ。解きほぐれたところから、口いっぱいに旨みが広がっていった。
今度は、スプーンで米を掬った。花のように芳しい。その向こうに、鶏肉と、それからにんにくと生姜、土の香りがわずかに、その存在を感じさせた。
次は、米に鶏肉、パクチーをスプーンに乗せて、まとめて含んだ。他では代えの効かない、この緑の独特な香り。紘太の思い出は、口を動かすごとに鮮明になっていった。
その様子を見ていた真城は、冷えたビールの瓶と細身のグラスをそっと置いた。ラベルには、黄金色の獅子が描かれている。
紘太は一旦皿から離れ、グラスにビールを注いで、口をつけた。その瞬間、つい記憶が過去ではなく現在のものとなって、ありありと蘇った。
─大学時代、貯金を叩いて出かけた東南アジア。深夜のバンコク、屋台の片隅、暑さと湿気と喧騒の中で食べたあの一皿と、泡のきいたビール。異国の地で不安と興奮が入り混じる中、かえって自分という存在の輪郭がくっきりと見えた、確かなあの手応え。あの感覚を、いつのまにか置いてきていた。
紘太はグラスをカウンターに置くと、ふとカバンから小さな冊子をもう一度取り出した。それは仕事で参考資料としてもらった「地酒文化と季節の食を考える」という地域ガイドブック。表紙も古びてきていたが、巻頭の寄稿文だけは、今でもときどき読み返している。
そのとき、カウンターの二つ隣で静かに飲んでいた男がちらりと視線を送ってきた。
「それ、まだ読んでくれてる人がいるんですね」
男は落ち着いた声でそう言って、グラスを傾けた。
「─もしかして。この文章、あなたのですか?」
「はい。飯山拓海っていいます。ちょっとしたご縁で書かせてもらってて」
紘太は思わず身を乗り出しそうになった。
「和酒文化と季節の味─。あの文章、たぶん初めて酒ってものをちゃんと考えたきっかけでした」
拓海は照れくさそうに笑った。
「酒って、たまに自分の歴史を思い出させてくれますよね」
紘太は頷いた。
「ほんと、そうですね。実は、来月から休みをとって、また旅に出ようかと思ってて。東南アジア。昔みたいに」
「昔みたいに、じゃなくて、今の自分で、でしょ」
その一言が、なぜだか胸に刺さった。いや、背中を押してくれた気がした。たしかに、昔みたいに戻る旅じゃなくて、これからの自分を見つけに行く旅なのだ。
皿はきれいに空になっていた。ビールの泡も静かに消えている。
「─ごちそうさまでした」
主人は黙って会釈しただけだったが、それがすべての返事だった。
紘太は再びのれんをくぐった。二回目は、南国の爽やかな香りを纏わせて。
真城一献は、紘太の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
おまけレシピ

鶏もも肉の皮面に少々塩をして、フライパンでそこに焼き色をつける。
鶏肉を取り出した脂の残ったフライパンに、にんにくとパクチーの根を潰したものとおろし生姜を加えて熱し、香りを出す。
そこへジャスミン米を入れ、さっと炒める。
炊飯器にフライパンの中身ごとジャスミン米を移し、通常よりも1割ほど少ない水を入れ、その上に先ほどの鶏肉と、ねぎの青い部分を置いて炊く。
